命令発令
春になると、空からピエロが降るのは周知の事実だ。
春一番、乾坤一擲の独立記念日。キリウの街中は大絶叫に包まれ、その辺のマンホールからは不燃ゴミが土砂降りのように溢れ出す。実に壮観で嗜虐心に満ちた光景に、ミカエル君は苦虫を噛み潰したような顔になった。
こんな日はドライブに限る。14万8千光年の馬力を持つエンジンを搭載したモンスタートラックで街中を爆走すれば、このレーズンのように皺の寄った心もそのうち満たされるはずだと信じたい。
『ミカ、あと3分でカップ麺が打ち上がるぞ』
ハンドルを握るパヴェルに促されて26時の方向に首を捻ると、既に巨大なカップ麺のパッケージが麺を噴き出して空へと舞い上がり、段々と小さくなっているところだった。
うん、この香りはきりたんぼ鍋。
ムシャクシャしたのでグロックを引き抜き、道行くゴブリンを撃ち抜いた。酸露点に達した薄着のシスターに『なあこの後温泉旅行行かん?』とナンパを試みていた130cmくらいのゴブリンを射殺するとシスターはたちまち低温腐食を始めてしまう。
崩れ、溶け、コンビニへと転生していくシスター。店内ではメイドさんに迷惑客が絡んでいたので、そいつも撃った。
『ところでさ、知ってるかミカ?』
モンスタートラックのハンドルをちぎって口へと運びながら、カステラに姿を変えたパヴェルが言った。
『クラリスの太ももはな、俺の年俸三年分なんだ』
花の香りにも似た甘い匂いと、洗濯したてのエプロンのふわりとした感触。
ケモミミをゆっくりと立てながら瞼を開けると、やはりそこはクラリスの膝の上だった。飼い主の膝の上で丸くなる飼い猫のような状態で、今の俺はクラリスの膝の上で猫みたく身体を丸めて横になっている状態。
重くないかなと思ったけど、まあたった53㎏だしその辺の女子よりは軽いという自負があるから大丈夫だろう。たぶんだけども。
「あら、起きてしまいましたのね」
もふ、と人の髪に手をうずめるようにして頭を撫でるクラリス。長い付き合いになる彼女は俺の事をよく知っていて、ケモミミの裏の辺りを軽く掻くようにそっと撫でてくれた。あーそこそこ、と言う代わりに自分でもよく分からない可愛い声が漏れ、そのまま瞼を閉じてしまう。
なんだかんだで、クラリスの膝の上が落ち着くようになってきた。後は彼女に抱きしめられて眠る時に聞こえてくる心音だろうか。なんというか、彼女の心臓の鼓動を聞きながら眠るとぐっすり眠れるので、なんだかんだで俺もクラリスに染まりつつあるのかもしれない……あ、ミカエル君がド変態ってわけじゃないからね???
「ふにゅ~……」
「ふふっ、可愛い♪」
やべえ、溶けそう。
ちょうどいい力加減で一番好きなところを撫でられ、白タイツとロングスカート越しのむっちりとした太ももの感触に包まれながら、段々と微睡に侵されていく頭を微速回転させてちょっと思い出す。
あれ、俺何してるんだっけ。
クラス対抗戦が終わった―――そこまではいい。
ジャコウネコパンチで戦闘不能になったキリルが、顔面にジャコウネコの肉球模様をくっきりと刻まれた状態で(アレ多分しばらく消えない)医療スタッフに運ばれていった―――そこまでもいい。
C組の生徒がS組の生徒を倒すという下剋上を成し遂げ、今回のクラス対抗戦は最下位のC組が全勝と優勝を掻っ攫うという大番狂わせに会場は大いに沸いた。そこまでもいい。
問題はその後だ。前代未聞の下剋上で底辺のC組を頂点に押し上げてしまった事から、表彰式が終わってから俺は半ば拉致されるような勢いでクラスメイト達に宿舎の食堂へ連れ込まれ、そこで盛大な祝勝会が行われた。
タチの悪い事に食堂にいる調理員のおばちゃんまでノリノリでドカ盛り料理をじゃんじゃん作るものだからもう食べれないレベルまで料理を押し込まれ、お腹いっぱいになりながらもなんとか部屋まで戻ってきたのだ。
さて、ではどうしてクラリスが俺の部屋にいるのだろうか。部屋の鍵はしっかり施錠してた筈だが。
「……待って、何でお前ここに居るの?」
「ご主人様不足でつい……」
「ご主人様不足」
「禁断症状が出るレベルですの」
「禁断症状」
「ええ。ご主人様のこのもっふもふの髪とバニラの香りが恋しくて、寂しさのあまり部屋の中をブリッジで徘徊したりパヴェルさんお手製の『等身大ミカエル君抱き枕(バニラの香り付き)』を抱きしめて香りを堪能しながら1人で激しい〇〇〇〇(※青少年の健全育成を考慮し自主規制)をしたり……」
「」
言葉が出ねえ。
マジか。お前そんな事してるのか1人で。
え、そんな超弩級のド変態の膝の上で丸くなってていいのか俺。これワンチャン貞操の危機なのでは、とクラリスの膝の上を離れようとするが、そうはさせるかと言わんばかりにスカートの中から伸びてきたクラリスの尻尾(竜の尻尾っぽい)が絡みついてくる。うわおい何すんだ放せ。
「ですから寂しさのあまり会いに来てしまいました」
てへ、とウインクしながらドジっ娘みたいなノリで言うクラリス。いや部屋施錠してるって……と思ったのだが、何を思ったかクラリスは自分の胸の谷間に手を突っ込むと、そこから見覚えのある鍵を1つ取り出す。
あれ? それって俺の寮の部屋の鍵……。
「ね、ねえ、それ俺の部屋の鍵じゃ」
「合鍵作ってしまいましたの」
「合鍵」
「ご心配なく。こう見えても記憶力には自信があります。一度見た鍵のサイズ、形状を目測と記憶を頼りに、あとはご主人様への愛で何とか己を奮い立たせてマッハで作ってしまいましたの」
えっへん、と胸を張るクラリス。大きく揺れたおっぱいに上から頭をぼふっと叩かれる。
こ、これがGカップの重みですか……重量感が凄い、ずっしりしてる。
「というかお前、普通に不法侵入者なんだけど」
「ええ、承知の上ですわ」
「承知すんなよ」
「ですがクラリスはご主人様のメイド。自分の主がクラリスの与り知らぬところで危険に晒されているかもしれません。もしかしたら欲情した男子生徒に迫られてベッドに押し倒され、あーんなことやこーんなことをされているかもしれませんし、女子生徒に押し倒され百合の花が咲いていたりするかもしれません」
「頭の中ピンク色で草」
「ご主人様の身に何かあったら……クラリスは、クラリスは……」
「クラリス……」
そうだよな、とちょっと納得する。
そこまで俺の事を心配してくれているなんて……ド変態である事を除けば本当に素晴らしいメイドなんだけどなぁ彼女は。忠誠心も立派だし(もちろん忠誠心だけじゃねえよなコレ)。
「 ク ラ リ ス は 心 配 で 夜 し か 眠 れ ま せ ん わ ! ! ! (205㏈)」
「 ぐ っ す り 寝 て ん じ ゃ ね え か よ い ! ! ! (300㏈)」
ミカエル氏の声量、ついに300㏈に到達。
いや、さすがに弁えるよ? モニカみたいに所かまわずバンバン叫んだりしないよ? しゃもじみたいに列車の窓全部ぶち割ったりしないからね? マナーを弁えてるからねミカエル君は。
はぁ、でも疲れた……。
溜息をつき、とりあえずぽすっとそのままクラリスの太ももに顔を埋める。ロングスカートとタイツ越しのむっちりした太ももの感触。柔らかくて、けれども奥の方にしっかりと筋肉の感触を感じられる理想的な彼女の足。これ枕にして眠れたら最高だろうな……。
「これがパヴェルの年俸三年分の太ももか……」
「???」
とにかく疲れた。疲れたからあんな変な夢を見るんだ、そうに違いない。
けれども、まだまだやる事はある。
キリウ大公の子孫に繋がる情報は、まだ見つかっていない……。
残された時間でそこに至る情報は手に入るのだろうか―――そんな漠然とした不安も、しかし俺の意識と共に微睡の彼方へと沈んでいくのだった。
教師陣の観客席から見た映像を確認しながら、闇の中でシャーロットは口端を三日月のように吊り上げた。
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。
シャーロットというホムンクルス兵―――彼女に二度も敗北の屈辱を味わわせた転生者。そんなミカエル率いるギルドが今、この学術都市ボロシビルスクを訪れ、キリウ大公の子孫に関する情報収集を行っているのだという。
何という僥倖か。
身体の奥底から湧き出る戦意に、シャーロットはその衝動を抑え込むのに必死だった。生まれつき多重に多重の障害を抱え、不要となった生身の肉体。その首から下の部位を全て機械に置き換えた今となっても、戦闘への欲求は衰えを知らないと見える。
信じるのは己の頭脳と力―――宗教など科学的根拠のないオカルトにすぎない、というのは彼女の持論だ。それ故にシャーロットは神も、悪魔も信じない徹底した無神論者でもある。
しかし今ばかりは、もしかしたら本当に神は居るのかもしれない、と少しだけ思った。
だが、それも確率の話だ。何分の一、何十分の一、何百分の一、何千分の一、何万分の一……下手をすれば小数点の脇に無数のゼロが連なるような、気が遠くなるほど小さな確率だったのかもしれない。しかし決してそれは0ではなく、故にシャーロットは己の屈辱を、リベンジを果たす上で最上の結果を引き当てた。
損耗回復と部隊再編のため、後方勤務を言い渡された時はもうミカエルとの再戦の機会はないのではないかとまで考えたシャーロット。しかし今、彼女はそこにいる―――この街にいる。
何度も何度も、狂ったように映像を確認した。
映像の中のミカエルは、自分よりも格上の相手と戦っている。強力な魔術の使い手と激戦を繰り広げ、ついにはシャーロットが見た事もない力―――魔力により物質を変化させる錬金術までもを使いこなした。
相手は着実に強くなっている―――もはや、単なる転生者とは呼べないほどに。
もしかしたら自分ですら役不足かもしれない、という危機感を抱くほどに、ミカエルは強くなっている。
だが―――だからこそ、戦いたい。
テンプル騎士団の栄達は、そしてハヤカワ家の栄光は常に戦いと共にあった。
故に戦いを求めるのは、DNAに刻まれた本能なのかもしれない。
「同志シャーロット」
シェリルの声に、しかしシャーロットは振り向かない。
薄暗く、壁面のスリットから漏れる紅い光が照らす禍々しい部屋の中。モニターの画面を食い入るように凝視するシャーロットは、しかしシェリルが告げるであろう言葉を既に察していた。
同志団長が遠隔地にいる今、血盟旅団を相手に動かせる部隊はボグダンの部隊以外にない。
「―――同志団長より、正式に命令が下りました。これより血盟旅団を排除します」
「―――あぁ、待ってたよ」
テンプル騎士団による血盟旅団への攻撃は、水面下でついに発令された。
第三十二章『学術都市』 完
第三十三章『キリウ大公の足跡』へ続く
年俸三年分の太ももってなんだよ




