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ミカエルの初陣


「……さて、行きますか」


 ふう、と息を吐きながらサプレッサー付きのAKMを抱え、地下水路の入り口に立つ。当たり前だが下水道の中は随分と酷い臭いで、食べ物が腐った臭いとか汚物の臭いが混ざり合い、そりゃあまあ随分と凄まじい臭いになっている。


 コレ嗅覚が発達したイヌ科の獣人だったら真面目に死ぬんじゃないか。そんなことをふと考える。臭過ぎて死ぬとかあるんだろうか? だとしたら死因に何て書かれるんだろう? 臭死?


 まあいいや、と呟き、地下水路への入り口を閉ざす錆び付いた南京錠をAKMのストックで殴打。ボロボロになっていたそれはあっさりとへし折れ、道を譲ってくれた。


 キイ、と嫌な音を響かせ、地下水路へと続く鉄格子が開く。


「ミカ姉、気を付けてね」


「おう」


 男だっつーの。


 見送りに来てくれたフョードルに向かって親指を立て、バシャバシャと水音を立てながら水路の奥へと進み始める。


 こっちの得物はAKM。搭載しているのはサプレッサーくらいで、ドットサイトとかホロサイト、ACOGみたいな贅沢なものは一切ない。予備のマガジンは5つ、30発入りだから今装着しているのも含めて合計180発の弾薬がある、ということになる。


 サイドアームはソ連兵と共にナチスとの激戦を潜り抜けた”トカレフTT-33”。構造の簡略化のために安全装置セーフティまで省いたという、随分とまあ安全性を度外視した代物だ。しかし単純な構造に由来する信頼性の高さは評価に値するもので、貫通力に優れる弾薬と相まって優秀なサイドアームと言える。


 あとは触媒である鉄パイプ、以上。グレネードの類も無ければナイフも無い。工具も、そして冒険者のお供である回復アイテムも無い。少なくとも回復アイテムくらいは雑貨店で買ってきても良かったのではないかと思ったが、洗礼を受けに行った時の一件もある。もし雑貨店の店主が俺が買い物に行った事を父上にチクりでもしたら、レギーナに危害が及ぶ。


 さっきスクラップの山にあった素材で自作したランタンに火を灯し、猛烈な悪臭に吐きそうになりながらも奥へと進んで行った。もちろん、進みながらも音を頼りにした索敵を怠らない。


「……」


 今のところ、水の流れる音しか聞こえてこない。


 頭の上から突き出たハクビシンの耳をフル活用し、とにかく周囲の音を拾う。


 第二世代型の獣人に限定されるが、第二世代型の獣人には人間としての耳と獣としての耳の両方が存在する。つまり第二世代型の獣人には”耳が4つある”という事だ。


 人間としての耳は普段の生活で使い、獣としての耳はこうやって、人間の耳では聞き取れないような小さな音や遠くの音を拾うのに使うのだ。もちろん、常時こっちの耳だと疲れるので、索敵の時くらいしか使わないが。


 長時間使っていると、敏感過ぎるその聴覚に脳が慣れてきて精度が落ちてくる。ほら、人間の耳でもよくあるだろう? 爆音を長時間聴いてると耳がそれに慣れてしまって気にならなくなってしまう事が。あんな感じだ。


 だから小刻みにONとOFFを切り替え、索敵の精度を維持しながら先へと進んで行った。


 レンガ造りの、かつてのイライナ公国の伝統的な建築様式の水路はすっかりと汚れていた。水路の底にはヘドロが沈殿し、ぐちょ、と不快な感触を足に伝えてくる。とにかく、とっとと用を済ませてここを出よう。長時間こんなところをうろうろしていたら感染症にでも罹ってしまいそうだ。


 顔をしかめながら、メンテナンス用の通路の上に上がった。ブーツに付着したヘドロを払い落し、相変わらず鼻腔を満たす悪臭に顔をしかめながらも、水の流れる音以外に何も聞こえてこない現状に違和感を感じ始める。


 フョードルは正直なやつだ。嘘をつこうとしてもすぐに顔に出てしまうような、嘘をつくのが下手くそなタイプである。そんな正直な男があんなにも真面目に話をしていたのだ、嘘だとは思いたくない。


 だが―――それなりに下水道の奥に来たが、今のところゴブリンなんてどこにもいない。


 見間違いだったんじゃあないのか? たまたまメンテナンスに入って行く業者を見間違えたとか。


 とはいっても、見間違いとして片付ける事も出来ない。


 図鑑で読んだ事だが……ゴブリンは薄暗い洞窟などを好み、そこに巣を作って集団で生活をするという。まあ、清潔な環境とは言えないがここは十分薄暗いし、クッソ汚ねえが水もある。ゴブリンたちが巣を作る条件には一致している。


 それに……。


「……」


 メンテナンス用の通路、その石畳の上に足跡がくっきりと残っているのを見て、どうやらフョードルは正直者だった、ということを確信する。


 その足跡は明らかに、人間のものではない。


 指は3本、しかもその大きさは人間の子供の手くらいしかない。下水のメンテナンスに来ていた業者であればブーツを履いているだろうし、そうじゃなくてももっと足跡は大きいものになっている筈だ。


 水の乾き具合からして、まだそう時間は経っていない。


 さて……ちょっと分析をしてみよう。


 ゴブリンが巣を作る場所には2つのパターンがある。


 1つは人里離れた山の中。獣人たちとは行動範囲がラップする事の無いよう、まるで避けるかのようにひっそりと暮らしている場合。こういうパターンは別に脅威とはならないのだが、問題はもう1つのパターンだ。


 それが、”街や村のすぐ近くに巣を作る”パターンである。


 こうなってしまったら駆除は必要不可欠となるのだが、問題はその理由である。


 ゴブリンという種族の中に、メスは存在しないのだ。


 ではどうやって繁殖するのか? アメーバみたく分裂して新しい個体を生み出す、というわけではない。奴らもれっきとした哺乳類で、その塩基配列は人類のそれに近いとされている。


 彼らの繁殖方法、それは―――他種族のメスを襲い、生け捕りにした女に子を生ませる、というものだ。


 そう、ゴブリンの繁殖には他の種族のメス、つまりは遺伝子的に近いとされている人間や獣人が必要になるのである。繁殖のための”苗床”を確保するために街や村の近くに巣を作るので、そうなった場合は絶対に掃討しなければならない。


 ……さて、ここで前の話で述べたことをちょっとばかり思い出してもらいたい。


 俺―――ミカエル君の容姿について。


 俺さ、言ったよね? ”女っぽい容姿だ”って。


 さて、問題です。キリウの街中に巣を作ろうとやってきた、発情期のゴブリンさんたち。そんな彼らが巣を作ろうとしている地下通路に、一見すると女っぽいミカエル君が迷い込んで来たらゴブリンさんたちはどうするでしょう?


 あー、ヤバいかもしれんわコレ。一歩後ろに下がろうとした俺の肩に、天井からやけにどろりとして生臭い雫が一滴、滴り落ちてくる。


 恐る恐る顔を上げた。


『キヒヒヒ……』


 そこに居たのは、身長120cmくらいの小さな人影。


 メンテナンスに来た業者さん……ではない。表面に体毛はなく、皮膚はモスグリーン。この時点で獣人とは外見的特徴が大きく逸脱しているのが分かるのだが、ごめん一応最後まで聞いてほしい。大事な話だから。


 両目は相手を威嚇する肉食獣のようにぎょろりとしていて、耳元まで裂けた大きな口の中には、鮫みたいな歯がずらりと並んでいる。が、鮫のような恐ろしさよりも気色の悪さを感じてしまうのは、きっと大きさが不ぞろいであるが故だろう。


 咄嗟にAKMを構え、引き金を引いた。こちらの動きに合わせて天井から移動しようとするゴブリンだったけど、いくら猛獣みたいな身体能力があると言っても、弾丸の速度には至らない。


 一発目は外れてすぐ脇の天井を直撃。パチィンッ、と枯れ枝を踏み折るような音を響かせたが、セミオートで放った2発目は違った。ゴブリンの左目のすぐ下を7.62×39mm弾が直撃し、小ぶりなカボチャ程度のサイズの頭を容易く叩き割ってしまう。


 ピンク色の破片が飛び散り、悪臭の中に血生臭い臭いが混ざった。


「うわっ、うわうわ……」


 バチャバチャッ、と生々しい音を立て、頭を砕かれたゴブリン”だったもの”が真上から降ってくる。石畳の上に紅い飛沫とピンクの肉片、そして二度と動かなくなった魔物の死体が転がり、俺は危うく今日の昼食を石畳の上にぶちまけるところだった。


 何とか寸前で堪えたところで、AKMのグリップを握る右手が震えている事に気付く。


「……っ、……っ!」


 ―――俺、こいつを殺したのか。


 魔物を殺した事に心を痛める趣味はない。むしろ、魔物は人類の敵。意思の疎通などできるわけもない。前世の世界で、人間が猛獣と意思の疎通を図る事が結局はできなかったように。


 心が乱れている理由は、これが初めての実戦だからだ。


 力をつけるため、俺は今まで準備をしてきた。居ないものとして扱われている事を逆手に取り、余りに余った時間を利用して知識をつけ、身体を鍛え、魔術を学んだ。戦い方を独学で身に着け、家を出て行き1人で生きる準備をしていた。


 どれだけ用意周到に準備しても、どうやっても経験できない事がある。


 それが”実戦”だった。


 さっきのゴブリンの奇襲―――気付くのが遅れていたら、この石畳の上で動かなくなっていたのは俺の方だったかもしれない。


 すぐ間近まで近付いておきながら、死神は俺じゃなくてあのゴブリンの方を選んでいったようだ。


 肌で感じ取れるほどすぐ近くを掠めた、”死”の感触。


 そうか、これが戦いか……バクバクと、動悸でも起こしているかのように心臓が高鳴る。ここでやっと自分の呼吸が乱れていたことを悟り、深呼吸して身体と心を落ち着かせた。


 フョードルの言っていたことは本当だったようだ。


 だが―――ゴブリンは繁殖力が高い魔物である事でも知られる。


 1体見かけたら、それだけとは限らない―――魔物図鑑の説明文、その最後に記されていた一文を思い出し、ゆっくりと後ろを振り向いた。


『キキキ……』


『キゲゲゲゲッ』


 仲間を殺されたからか、それとも反撃した俺を脅威度の高い相手と認識したか……ゴブリンが7体、暗闇の中で唸り声を発しながらこちらを睨んでいる。確か、あの鳴き声は威嚇を意味していた気が……。


 次の瞬間、そのゴブリンたちが一斉に飛びかかってきた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」


 熟練の兵士だったら、きっと冷静に仕留めていたかもしれない。西部劇のガンマンのような早撃ちで一網打尽にする事だってできただろう。でも今の俺には、とりあえず”銃を撃って当てる”程度の技量しかない。ましてや1対多など、不利にも程がある。


 背を向けて一目散に逃げる事しか、出来なかった。


 ああクソ、こういう時にチート能力で蹴散らせたら盛り上がるんだろうなぁ……ごめんね、俺チキン野郎なんだよ。ハクビシンだけど。


 突っ走りながら後ろをちらりと見た。ゴブリンのうちの2体は鉄パイプらしきものを棍棒代わりに持っていて、それには返り血が付着しているのが分かった。ついさっき、何かを仕留めたのだろう。口の周りにも血がべっとりと付いている。


 あわよくば当たってくれよ、と半ば賭けのつもりで、魔力を充填させた左手を後ろに向かって振るった。習得したての雷爪らいそうが発動し、石畳の上を5本の雷の斬撃が駆け抜ける。


 微妙に拡散しながら扇状に放たれたそれの1発が、回避の遅れたゴブリンのうちの1体を捕らえた。触媒によるブーストを受けた斬撃は小柄な肉体を無慈悲に両断し、一瞬だけ肉の焦げる臭いを充満させる。


 構造も良く分からない下水道の中、俺はとにかく走り回った。水路を横断し、錆び付いた鉄格子をタックルでぶち破り、メンテナンス用のハッチを開けて別の通路へ。ここがどこだか全く分からない……これだけ必死に逃げているというのに、背後から追いかけてくるゴブリンたちの唸り声は遠ざかる気配がなかった。


 いくら何でも獰猛すぎる……群れの仲間を殺され、復讐に駆り立てられているとでもいうのか?


「ああ、クソッ、クソッ」


 息を切らしながら悪態をついた。こんな事なら下水の調査なんて……引き受けるんじゃなかった、なんて言えないよな。俺よりもずっと力の無い、フョードルからの頼み事。報酬があるわけでもないボランティアのようなもんだが、困った奴は放っておけない。


 しっかりしろ、ミカエル。


 考えろ、考えるんだ。この状況を、手持ちの武器で打破する手段は? 何かいい作戦は無いか?


 必死に走っていたせいで、俺は目の前のマンホールが腐食し大穴が開いている事に気付かなかった。スカッ、と唐突に床を踏み締める感触が消失すると同時に、重力に身体が引っ張られる感覚―――つまりは下に落ちる感覚が、身体を支配し始めた。


「んおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」


 誰だあんなところの穴を放置してる奴は!? ちゃんと税金使って修理しろやクソッタレがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!


 なーんて悪態をついても落下が止まるわけもなく、いつまでもどこまでも落ち続けるミカエル君。このままじゃ落下死は不可避なので、とりあえず座して死を待つよりはと武器をAKMから鉄パイプに持ち替える。


 折れてくれるなよ、と祈りながら、鉄パイプを壁面に突き立てた。ガガガガッ、と嫌な音を響かせながら鉄パイプが壁面にめり込み、落下する身体が徐々に減速していく。


 よし、よし……よし、行けるか!?


 ドンッ、と足の裏に凄まじい衝撃が走り、両足から上へとびりびりと痺れるような痛みが駆け上がってきた。ハクビシンの尻尾がピンッと伸び、長い髪の毛も逆立って、身体がブルブルと震える。


「~~~ッ!!」


 悶絶する事しかできない。何だこの痛み。


 とはいっても、辛うじて骨折はせずに済んだらしい。咄嗟に鉄パイプを使って減速した判断は正解だったと自分を褒めつつ、やけに黴臭い周囲を見渡す。


 下水道……では、ないようだった。


「……なんだここ」


 さっきの下水道とは明らかに雰囲気が違う。かつてのイライナ公国の建築様式を思わせる壁面ではなく、それよりも古く……しかし進んだ文明を思わせる、変わった風景だった。


 コンクリート製の壁面は大小さまざまな配管で覆われていて、さながらUボートの内部を思わせる。どの配管がどこに繋がっているのか、把握するだけで10年くらいはかかってしまいそうな、それほどの密度だ。


 ここには誰も来ていないようで、床の上には随分と厚い埃が堆積していた。


「ここ……もしかして」


 壁面に埋め込まれたパネルらしきものの埃を手で払い除け、確信する。


【Юэмёвг ёъвэхясыядём(ハルギン国立遺伝子研究所)】


 ―――間違いない。


 120年前、突如として獣人を遺して姿を消してしまった人間たち。


 ここは―――この場所は、人間たちの研究所だった場所だ。





 現代ではダンジョンに指定され、危険区域とされているエリア。





 キリウの地下に広がるそのダンジョンに、俺は迷い込んでしまったらしい。





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― 新着の感想 ―
[良い点] キリル文字は適当ですかね...? 読んでみましたけど固有名詞すら合ってないので一応
[一言] >俺チキン野郎なんだよ。ハクビシンだけど。 大丈夫。 ハクビシンは日本以外じゃあ害獣じゃなくてチキンと同じ食用だから。 お仲間だネ!!
[気になる点] 弾数の計算はあれであってるのですか?
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