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普段優しい人ってキレるとヤバいよね


【突入は待て】


 短く打ったメールに、しかし既読表示はつかない。


 既に送信から3分が経過しているが……まあ、予想通りの結果になったのだろうな、と俺は思う。


 ルカは突入したのだ。仲間の制止に耳も貸さず、そこにノンナが居ると断定して踏み込んだと見て間違いないだろう。


 アイツは優秀だ。負けず嫌いで、努力家で、何より不屈の精神を持つ。一度やると決めたら望む結果を叩き出すまでとことんやるような、そういう男だ。だから普段は優しい雰囲気を放っているにもかかわらず思いのほか頑固で、スイッチが入ると他人の言葉がなかなか届かなくなる。


 悪いところが出たな、と思いながらスマホの通話アプリをタップ。AKを抱えたヒグマのアイコン(※パヴェル曰く『自画像』との事)を選択すると、1回の呼び出し音の後にパヴェルが出た。


《ルカの奴、行ったな?》


「ああ、そこにノンナが居るという確たる証拠でも掴んだんだろうが……」


 ルカとノンナの関係は長い。今年で14年にもなる。雨の日も風の日も、飢えと寒さに耐えながら2人で力を合わせてきた2人。だからこそその結束は固いし、俺たちでは知らない事もあの2人であれば通じ合うのであろう。


 その点、ルカの読みは鋭いのかもしれない。確かに当たっているのかもしれない。


 だが―――敵がどの程度の規模なのか、把握もせずに踏み込むのは愚策だ。せめて支給されたサポートドローンを展開して簡易的ながらも索敵しながら進んでくれている事を願うばかりである。


《最寄りの場所にいるのはお前か、ミカ》


「ああ。これから俺も向かう」


《了解した。2ブロック先にクラリスとモニカもいる、後詰として待機させる》


「了解」


《気を付けろよ》


「分かってる」


 ミイラ取りがミイラになるような事はしないさ。


 しばらくして、スマホが振動を発した。ルカからの返信かと期待したが、しかしそこにはパヴェルのアイコン―――AKを抱えたヒグマのイラストがあって、【パヴェルが画像を送信しました】という通知も出ている。


 なんだろうなとスマホをタップすると、ルカが突入したと思われる建物の空撮写真が何枚か添付されていた。真上からの写真と斜め上からの写真、ルカが突入したと思われる裏口の写真が分かりやすいアングルで撮影されている。


 ドローンからの撮影なのだろうが、しかし今も上空を飛行していると思われるドローンの姿は見えないし、エンジン音も聞こえてこない。いったいどういうメカニズムでそんな芸当を可能としているのか全く判断がつかないが、しかしこの画像は助けになる。


 やがて例のサーカス場が見えてきた。


 真っ白な壁の一部は、まともなメンテナンスも受けていないようで剥がれかけている。周囲のフェンスも錆びれ、スクラップ同然となったそれには確かに『ボロシビルスク市民サーカス』の表示が、少し古いノヴォシア語で記載されていた。


 ここだ、間違いない。


 確かに微かにオレンジの香りが漂ってくる。ノンナからいつもしていた匂いだ。


 ジャコウネコ科の獣人は、極度の緊張や危機に晒された際に臭腺から匂いのする体液を大量に分泌する習性があるという。縄張りのアピールをしたり、外敵に対して威嚇する際に臭いを使うジャコウネコ科の動物。その習性や本能が、獣人にも残っているという事なのだろう。


 ルカはそれを辿ったのだ。


 14年も一緒に居た妹の匂いを忘れる筈もない。


「……」


 バックパックからまず最初にサポートドローンを取り出した。


 折り畳んだ状態で収まっていたそれを展開、スイッチを入れるとX字に配置されたアームの先端にあるローターが回転を始め、機体がふわりと宙に浮かぶ。


 しかしローターのあの甲高い回転音は聞こえない。ドローンの飛行音は案外大きくて、機体が小さくて発見されづらくとも音でバレてしまうなんて事はよくあるそうなのだが、パヴェルお手製のコイツは違う。全く音を発しない。


 なんでも『ローターが出す飛行音を別のローターから真逆の位相の飛行音を出させることで相互に相殺させることで無音飛行を可能としている』という訳の分からない技術を使っているのだそうだ……テンプル騎士団由来の技術なのだろうか。


 センサーがアクティブになったのを確認してから、スマホをタップしてドローン制御アプリを起動。遠隔操縦から自立飛行に切り替え、優先命令を”索敵”に。


 すると、急にドローンが姿を消し始めた。


 すっかり透明になったドローンが、一足先にサーカス場の壁の穴から中へ突入していく。


 ドローンに搭載された”光学迷彩システム”だ。


 魔力を用いて周囲の大気中の水分を凍結、粒子化し周囲に纏う事で光の屈折角を変えて姿を消すという原理なのだそうだ。かつてテンプル騎士団には『鮮血の魔女』と呼ばれた氷属性魔術師が在籍しており、彼女がこれを編み出した事から敬意を表し『ラウラフィールド』と彼女の名を冠した名前で呼ばれているのだという。


 音も発さず、姿まで消す高性能ドローン。


 ソイツに先導してもらいながら、俺も武器を構えて突入した。


 メインアームはいつものAK-19だが、室内で使うには取り回しがちょっとアレ(一応できない事はない)なので、今はサイドアームとして持ってきたグロック17Lを装備しておく。


 競技用の長銃身タイプのグロックに、ブレースとフラッシュマグ、それからドットサイトとマズルガードを装備したピストルカービン仕様。マガジンはエクステンションを装備し弾数を43発まで増量、戦闘継続能力に特化している。


 血盟旅団の皆はこの43発入りマガジンを採用しているが、しかしみんな一体何と戦うつもりなのだろうか……いや、APC9Kでグロック用マガジンを使いまわしているシスター・イルゼならば事情は分かるのだが。


 ライトを一瞬だけ点灯させ、室内を確認。中は思ったほど荒れ果てておらず、廃校になって間もない学校の校舎といった感じだ。とはいえそれ相応に埃の臭いがして、年季を感じさせる。


「?」


 左手にある小部屋の中に、男が倒れていた。


 後頭部と右手の甲が紅くなっている。右手の甲は……おそらく骨が逝ってるようだ、腫れが酷い。後頭部の方は鈍器で殴打されたようで、力加減次第では死んでいてもおかしくないが、微かに呼吸で身体が上下しているところを見ると息はあるのだろう。気を失っているようだが。


 微かに漂うポップコーンの香りから、ここで何が起こったのかを俺は察した。


 ルカだ。


 やはりルカはここを通って、ノンナ救出のため突入していったのだ。


 ちょっと急ごうか……。


 いくら何でもゴブリンの巣に無策で突っ込むのは危険だぞ、ルカ。


















 サーカス場の地下にある扉の前には、2人の男がいた。


 見張り……なのだろう。けれども大多数の人間が想像するような、武器を携え直立不動で警備をする見張りの兵士とは随分と様子が異なった。服装とか装備品がどうとか、そういう次元ではない。あまりにも緊張感に欠けた勤務態度なのだ。


 あくびをしたり、退屈そうに手足を動かしたり、しまいには安物の煙草を取り出して火をつけ始めたり。警備と呼ぶには注意力が散漫に過ぎるし、素人の俺から見ても隙だらけだった。


 武装は剣と、おそらく騎士団やどこかから横流しされたと思われる6連発ペッパーボックス・ピストル。


 やれるか―――相手は2人、単独行動中の見張りを仕留めるのとはわけが違う。


 竦んだ足を、しかしノンナの顔を思い浮かべて鞭を打つ。


 いや、やれるかどうかなど関係ない。やらなければならないのだ―――さもなくば最愛の家族の命は、ない。


 何か使えるものはないかと視線を周囲に巡らせた。傍らには壁の一部が剥がれたものと思われるコンクリート片がいくつか転がっている。


 その中から適当なサイズのものを1つ掴み取り、左手の奥にある錆び付いた配管へと思い切り投げつけた。


 おそらくは冬季用に、蒸気を通していた蒸気配管なのだろう。中身は空のようで、ごぉん、と随分と良い音を出してくれた。


「Эй, что это за звук сейчас?(おい、今の音は何だ?)」


「Я не знаю(知らねえよ)」


「Пожалуйста подтвердит(見て来いよ)」


「Черт побери(くそったれ)」


 流暢な標準ノヴォシア語でやり取りした後、片方が今の物音の確認に向かった。


 十分に2人の距離が離れたところで、暗闇から飛び出す。


 残って呑気に煙草を吹かしていた男の顔面に、力いっぱい大型警棒を叩きつけた。ごしゃぁっ、と人間を殴打する音とと共に鼻血が舞い、砕けた前歯と思われる白い破片が飛び散る。


 そのまま倒れた男を一瞥し、こちらに背を向けて暗闇を確認している片割れに忍び寄った。


 今の音でも気付かないなんて、どんな間抜けなんだろうか―――ミカ姉がメスガキのように振舞う気持ちもよく分かる。ざーこざーこ、と思い切り煽りたくなるがここは自嘲しよう。第一、メスガキ属性はミカ姉みたいに小さくて可愛い子だから成立するのであって、段々ケモショタからパヴェルみたいなガチムチ体型になりつつある俺にはもう似合わない。


「あ?」


 見張りの片割れが振り向いた頃には、もうその顔面に大型警棒が振り下ろされているところだった。


 バキャッ、と鼻の骨が砕ける音。


 こりゃあひでえや、と倒れた見張りの顔を見て思う。鼻の辺りは滅茶苦茶になっていて、少なくとも人前には出れないだろうが……まあ、遥か未来に整形技術が発達している事を願おう。何年先になるかは分からないけれど。


 見張りの無力化を確認してから、念のため気絶している2人を暗闇の方へと引っ張っていった。水管の影に隠してから、ポケットから鍵を取り出す。


 最初に気絶させた見張りから奪ったカギだ。リング状の金具に、いくつかの種類の鍵が束ねてある。


 これか、それともこれかと何度か鍵を扉の鍵穴に出し入れすること30秒、やっと奥まで差し込むことができたので、そのまま右へと捻って解錠、部屋の中へとシールドとグロック片手に踏み込んだ。


「……!」


 異臭、と表現するべきだろうか。


 ジャコウネコ科の獣人は、臭腺から分泌される体液が汗などの老廃物と一緒に体外へ排出されるという特性を持つので、基本的に良い匂いがする。バニラの香りやオレンジの香り、ラベンダーにサンダルウッド、カモミール……。


 そしてそれらの匂いは、恐怖を感じたりすると体液が過剰分泌される関係上、より一層濃厚になる。


 部屋の中から漂う異臭は、根本的な部分で見ればいい香りなのだろう。まるでアロマっぽい香りが充満しているように思えるけれど、しかし良い香りも様々な種類の香りが無秩序に混ざり合えば途端に混沌の坩堝るつぼと化すのが道理である。


 地下にある部屋の中はまさにそれだった。分量も相性も何も考えずに香りを混ぜ合わせた結果、何とも言えぬ異臭が充満するに至った部屋の中。そこには織の鉄格子を挟んで、恐怖に怯え見開かれた目がいくつもあった。


 みんな獣人だった。俺たちと同じ、ジャコウネコ科の獣人だった。


 服を着ている人もいれば、何も身に着けていない裸の人もいる。年齢も20代半ばからまだ10代と思われる幼さを残す女性ばかりで、部屋の中に完全武装で踏み込んできた俺に怯えるような、外敵を見るような視線を投げつけてくる。


「これ……は……」


 ノンナだけでは、ない。


 彼女と同じようにさらわれた、ジャコウネコ科の獣人たち。


 囚われている鉄格子の中には底の浅い金属製のボウルがあって、その中にはどっさりと木の実らしきものが盛られていた。


 あれは犬とか猫のようなペットに餌を与える時に用いられるような、そういうボウルだ。少なくとも人間に食事を与える際に用いられる食器の類ではない。囚われの身となっている人々の尊厳を踏み躙るかのような行為に、俺の中の怒りはますます勢いを増していった。


 だが、憤るのは今ではない。今はまずノンナを探さなければ……もちろん、ここに居る人たちも助けなくちゃいけないけれど。


 けれどもこうも匂いが混ざり合っていては、どこにノンナがいるのか分からない。


「ノンナ……ノンナ?」


 どこだ、俺の妹は。


 しんと静まり返った部屋の中、俺の声はよく響いた。


 だからなのだろう―――聞き覚えのある声が、すぐに帰ってきた。


「……お兄ちゃん?」


「ノンナか?」


 声のする方へ導かれ、そのまま足を進めていく。


 部屋の片隅にある鉄格子の向こうに、やはり見覚えのある子が居た。


 灰色の髪の、パームシベット獣人の女の子が。


 間違いない、ノンナだ。


 俺の妹だ!


「ノンナ!」


 マスカ・ヘルメットのバイザーを上げると、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらノンナが鉄格子を掴んだ。


「お兄ちゃん!」


「待ってろ、今……!」


 鍵の束を取り出し、鍵穴に差し込みながら鉄格子の向こうを見た。


 やはりノンナの牢にも例のボウルがあった。中身は木の実……この匂い、コーヒーの実だろうか。


 そういえばコピ・ルアクとかいうコーヒーがあるとパヴェルから聞いた事がある。なんでもコーヒーの実をジャコウネコ科の動物に食べさせて、その糞に混じっている未消化の種を使って作るコーヒー……。


 いや、まさか。


 まさかあのコーヒーの実は。


 露店で大量に、安値で売られていたコピ・ルアクの正体は。


 クソッタレが……どいつもこいつもふざけやがって!


 鍵を解錠すると、中から飛び出してきたノンナが俺の胸に飛び込んできた。怖かったよ、と声を押し殺して泣き出す妹を優しく抱きしめ、そっと頭を撫でる。もう大丈夫、俺が来たからにはもう、怖い思いはさせない。


「お願い、私も助けて!」


「こっちもお願い!」


「ここから出して!」


 その救出劇を見ていたからなのだろう。


 他の牢に入っていた囚われの身の獣人たちが、一斉に騒ぎ始めた。ここから出して、私を助けて……そんな必死に助けを求める声が連なり、膨れ上がっていって、やがて無秩序に救いを求める声の大合唱になっていく。


「し、静かに! 今助けるから……!」


 そんなに騒いだら―――という最悪の予想は、現実のものとなった。


 バンッ、と乱暴に開けられる扉。


 その向こうからは煙草を口に咥え、両手をポケットに突っ込んだガラの悪い男がやってきて、囚われの身の獣人たちを一望するなり腰のホルスターからピストルを引き抜いた。


「うるせえぞクソ女ども! このまま娼館に売り飛ばしてやっても―――」


 その男と、俺の目が合う。


 捕まえた筈のノンナを背に、完全武装した175cmのビントロング獣人というのは、我ながら随分と目立つものだ。


「て、テメエ何を―――」


 もう、背に腹は代えられない。


 右手に持ったグロックを構え、撃った。


 ガァンッ、と銃声が轟き、男の眉間に穴が開く。


 後退したスライドから零れ落ちた9mm弾の空薬莢が床に落ちて、キンッ、と透き通った音を響かせた。


 これでこっちの存在は連中に露見した―――連中の戦闘員が一気に雪崩れ込んでくるだろう。


 ならば全員殺してやる。


 俺の妹をこんな目に逢わせた連中に、目にものを見せてやるのだ。




サポートドローン


 パヴェルお手製の小型ドローン。非武装の索敵特化型、銃器を搭載した攻撃型、爆弾を搭載した爆撃型/自爆型、ガス状のエリクサーを散布する治療型などバリエーションは多岐に渡り自由なカスタマイズが可能。

 サイズは手のひらより少し大きい程度で、普段は折り畳んでポーチに収めて携行する。展開後はパヴェル製のスマホのアプリを用いて遠隔操作するか、AIを用いた自立操縦にするかを選択することができ、歩兵の行動を阻害しない配慮がなされている。

 また氷の粒子を利用した光学迷彩システム『ラウラフィールド』や、ローターの発する飛行音を相互に真逆の位相の音をぶつけて相殺する静音飛行などが可能など、現行のドローンの一歩二歩先を行く技術が盛り込まれている。


 かつてのテンプル騎士団では大型の【戦略ドローン】の製造計画を進めており、パヴェルの製造したドローンはその一部の技術を流用したものだそうだが……詳細は不明である。



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― 新着の感想 ―
色々とやらかしてくれるテンプル騎士団ですが、こう言う時に限ってはその技術が有り難いですね。パヴェルのモニタリング情報でいち早くミカエル君、増援に突入できてますし。やはり視野の広い指揮官としては、パヴェ…
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