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雪原のピラニア


 空と大地の境界線がここまで曖昧になるのも珍しい。


 白い空、白い大地。雪雲と雪の大地に挟まれ、地平線がどこかも分からない。暖房が効いたブハンカの中でカーラジオを聞きながら窓の外を見て、そんな事を思っていた。360度、全てが真っ白なのだ。まるで空も大地も何もかも、真っ白な塗料で染め上げられているかのように。


 さっきからガリガリと、足元から何かを削るような音が聞こえてくる。フロントバンパーやらグリルガードを、降り積もった雪が直撃している音だ。


 この程度で良かった、と心の底から思う。まだ車が通行できる程度の積雪だ。これならば仕事を終えても戻って来れそうではある……アルカンバヤ村の防衛がいつまで続くか分からないが。


 最悪の場合、アルカンバヤ村で雪解けまで耐えることになりそうだ。それも見越して食料は多めに持ってきたのだが、何とか足りる事を祈りたい。


「そういえばモニカさん、水属性の魔術をお使いになられるのでしたわよね?」


「ええ、そうよ?」


 ブハンカを運転するクラリスが、助手席で端末を弄っていたモニカに問いかける。そういえば、この2人の会話ってあんまり聞かないのでなんか珍しいなと思ってしまう。いや、別にクラリスとモニカが仲が悪いとかそういうわけじゃないのだ。3人集まった時に話す事が大半で、俺もその会話に加わっている事が多いのでそう感じるだけだ。


 マガジンから何発か弾を抜きながら、会話に聞き耳を立ててみる。


「あれって飲み水とかには使えませんの?」


「あー、それよく言われるのよ」


 言われるのか。


 いやでも、確かに水属性の魔術で生成できる水を飲料水に使えたらかなり助かる。こうして遠征する場合に水の入ったタンクを持ち歩かなくて済むし、水不足という問題は実質的に解消されると言っていい。そうなればまさに革命である。


 まあ、モニカのあの口ぶりだと出来ないのだろうが。


「あれね、理論としては空気中の水分やら地中の水分やらを魔力で力場を作って収束しているだけだから、正確には周囲の環境に左右されちゃうの。汚い場所で使うと汚い水になるし、綺麗な場所だったら綺麗な水になるって具合にね」


「なるほど……」


「ほら、よく言うじゃない? 雪は食べるなって。こんなに雪が積もった状態で水を収束したら、雪中の微生物やら菌やらまで一緒に集めちゃうから……」


 高性能な濾過機とセットならその限りではないのではないか、とも思う。モニカが集めた水を濾過機で濾過すれば飲み水の確保には困らないのではなかろうか。まあ、今は濾過機なんて持ってないのでアレだけど。


 でもまあ、夢のある話だ。


 ザリンツィクを離れてどれくらいだろうか。距離感もバグりつつあったその時、窓の向こうをウサギが跳ねていくのが見え、心が和んだ。鼻をピクピクと動かしながら跳ねていく、真っ白な毛並みのウサギ。天然の寒冷地迷彩である。


 こんな雪の降り積もった中を駆けていくブハンカを、珍しそうに見つめてくるウサギに手でも降ってやろうかと思った次の瞬間だった。


 ズボッ、と唐突にウサギが雪の中に沈んでいったのである。一瞬だけ血に染まった長い耳が見えたが、それもすぐに雪の中に姿を消し、ウサギが沈んでいった穴だけが残る。


 ああ、コレはまさか。


「……クラリス」


「はい」


「燃料、まだ余裕あるよな」


「バリバリ余裕ですが」


「ちょっと速度上げてくれ」


「かしこまりました」


 理由も聞かず、淡々と指示に従うクラリス。今の光景は見ていないだろうが、こっちの声音と口調で何かが起こったことを悟ったらしい。こういう時、付き合いの長いクラリスは本当に頼りになる。こっちの考えている事を大体察してくれるので、いちいち説明しなくて済むというのは大きい。


 ポーチから手榴弾を取り出し、安全ピンを引き抜く用意をしていると、モニカが戸惑ったようにこっちを振り向いた。


「え、何? ちょっとミカ?」


「モニカ、”ノヴォシアの冬は人を殺す”……どういう意味か分かるか」


「何よいきなり……えっと、冬が苛酷だからでしょう?」


「その通り。だが、人を殺すのは雪と気温だけじゃあない」


「どういう事?」


「……雪原で人が死んでも、春にその死体は残らないんだ」


 冒険者の間では常識である。


 普通、雪山とか雪原で凍えて死ねば、その死体は凍り付いた状態で春まで残される。けれどもこのノヴォシアでは違う―――雪原で凍えて死んでも、その死体は春まで残らない。


 それが何を意味するか。


 大昔は『ノヴォシアの雪は人を喰らう』という言い伝えがあった。だから雪は人々にとって身近な存在でありながら、また畏怖の対象でもあった。


 正確に言わせてもらうと、雪が人を喰らうのではない。


 雪の中に潜むものが、人を喰らうのだ。


 ブハンカの後部のドアを開けた。観音開きのドアが解放され、せっかく暖房で暖められた車内の空気が逃れていく。素肌を晒すだけで凍てつきそうな苛酷な寒さの中、俺は静かに手榴弾を投擲する態勢をとった。


 ウシャンカを頭から取り、露になったケモミミに意識を集中。ピンと伸びたハクビシンの耳が、周囲の音を貪欲に拾う。


 ブハンカのエンジン音、フロントバンパーが降り積もった雪を削る音。


 その中に異質なものが混じるのが分かった。後方からだ。まるで連続で雪にスコップを突き立てているような、ザクザクという不思議な音。しかもそれは一定の距離を保って―――いや、近付いてくる。


 じわじわと、じわじわと。


 大体の距離を算出し、安全ピンを引き抜いた。1つ、2つ、と頭の中でカウントダウン。カウントが5つに達したところで、手榴弾を雪の中に思い切り投げつけた。


 ズボリ、と手榴弾が雪の中にめり込んで見えなくなったその時、雪の中から白い何かが飛び上がったのを俺たちは確かに見た。真っ白な表皮と手足の無い身体、大きく左右に開いた口。身体は蛇ほどではないが長く、太さは人間の足くらい。


 何よあれ、とモニカが口にした途端、雪に埋まっていた手榴弾が目を覚ました。盛大に雪を爆風で押し上げ、俺たちを追おうとしていた連中を破片で引き裂いていく。


 ヨーグルトみたいな質感の、どろりとした緑色の体液が飛び散り、雪原の一角を染め上げる。


 舞い上がる雪の中をお構いなしに追ってくる化け物の一団―――ああ、あれは間違いない。


「”スノーワーム”だ!」


「スノーワーム!?」


「雪の中にだけ生息する肉食性の魔物だ!」


 ”ノヴォシアの冬は人を殺す”―――その大半はこの苛酷な寒さが原因だが、1割くらいはこいつらが原因である。


 スノーワーム―――雪の中に生息する、肉食性の魔物たち。氷点下の気温の中でしか生きられず、雪の中を掘り進んで移動するという独特な生態であるとされている。


 左右に開く口を開け、涎を垂らしながら追ってくるスノーワームを見て、モニカが気色悪そうに顔をしかめた。口の中にはサイズの不揃いな、しかし鋭い牙が不規則に生えており、あんなので噛み付かれたら傷口はズタズタになるだろう。


 奴らには目がない。ではどうやって俺たちを探知しているかと言うと、嗅覚と振動だ。雪の上を移動する対象が発する振動を拾い、それを頼りに集団で狩りをする。あるいは嗅覚で血の臭いを探知し、それに群がってくる。


 そうして雪の中から飛び出して襲い掛かり、標的を骨まで喰い尽くす。だから雪原や雪山で死亡した冒険者の死体は春まで残らない―――こいつらが食ってしまうからだ。


 さながら”雪原のピラニア”だ。


 冬場に活動して栄養を蓄えたスノーワームは、凍てついた地中に卵を産み、雪解けと同時に息絶える。地面に産み付けられた卵は春、夏、秋を耐え、雪が降り始めると同時に孵化するのだ。そしてあの、モンスターパニック映画に出てきそうな姿のスノーワームが生まれてくる。


 雪の中からジャンプしたスノーワームの1匹が、開け放たれたブハンカの後部ドアを通過して俺に飛びかかってくる。イリヤーの時計の時間停止―――に頼る必要もなく、それを素手で鷲掴みにする。


 ぬるりとした粘液で覆われた身体に、指が深く食い込んだ。


『グギュ』


「うわキモッ……」


 グロテスクな姿を見て気色悪そうにするモニカ。俺は見慣れているので、別に今更そう思うことも無い。納豆に慣れている日本人と外国人みたいな、そんな感じだ。


 鷲掴みにしたスノーワームに向かって電撃を流すと、蛇よりも短い身体がびくびくと痙攣を繰り返した。表面を覆っていた粘液が蒸発し、焼き魚みたいに表皮が焦げていく。


 肉の焼ける臭い……というより、甘い香りが車内を満たし始める。まるでキャラメルのような、いつまでも鼻の中に残る匂いだった。


 スノーワームを気味悪そうに見ていたモニカも、その香りでちょっと表情が変わる。


「クラリス、捕まえたぞ」


「お見事ですわご主人様!」


「ほい、クラリスの分」


 焼き上がったスノーワームをクラリスに渡す。え、何するつもりよと呟きながら見ていたモニカの目の前で、片手でハンドルを握るクラリスは躊躇なくスノーワームの腹に齧りついた。


「!?」


「ああ、懐かしい味ですわね」


 もぐもぐとスノーワームの肉を咀嚼しながら、幸せそうな顔をするクラリス。運転席でそんな表情を浮かべる彼女と、目を丸くしたまま凍り付くモニカ。何だろ、運転席と助手席の温度差がすげえ。


 変な笑みを浮かべている間にスノーワーム(おやつ)がもう一匹飛び込んできたので、それも鷲掴みにして電撃を流し、表面をこんがりと焼いた。とろりとしたキャラメルを思わせる、濃厚な甘い香り。キリウに居た頃を思い出す。


「食べる?」


 モニカに差し出すと、彼女はこんがりと焼けたスノーワームと俺の顔を交互に見ながら困惑していた。


「え、え?」


「なんだ、食った事ないのか? 美味いぞ」


「いやいやいや、そうじゃなくて」


 飛び込んできたもう一匹を鷲掴みにし、同じように調理開始。自分の分も調達できたので、遠慮なく齧りつく。


 焼け具合的には魚の塩焼きみたいな感じなんだけど、食感はもっちりしたパンみたいな感じだった。キャラメルの味がするパンみたいな、そんな感じだ。これにバターの風味が加わったら、いよいよパンと勘違いするレベルの味になるのではないだろうか。


「え、何食べてるの?」


「スノーワーム。昔よく売店とかで売ってたぞ」


 何だ、知らないのか? キリウじゃあお手頃な値段って事もあって、労働者とかスラムの子供たちにとっては手が出しやすいおやつだった。度胸のある奴は真冬に盾を持って雪原に行き、網にいっぱいのスノーワームを捕獲する奴もいたほどだ。


 スノーワームは確かに恐れられているが、それは集団で襲い掛かって来るからという話。単体であればそれほどでもなく、それなりに運動が得意な子供であれば捕獲する事は容易い。


 尻尾と頭だけ残して完食。ぽいっ、と車外に残った部位を捨て、後部のドアを閉めた。


「はー美味かった」


「ごちそうさまですわ、ご主人様」


「キリウに居た頃を思い出すなぁ」


「ええ。あの頃は売店で売ってましたわよね」


「うん、茹でたやつと焼いたやつな。あれ調理方法で味代わるから茹で派と焼き派に派閥別れたのよな。クラリスは焼き派だっけ」


「ええ」


 焼くと今みたいな感じになる。茹でるとプリッとした食感になり、また違った楽しさがある。


 ちなみに食べられる部位は腹回りの肉と内臓。口のある頭は牙がある関係で食べられないし、尻尾は糞がみっちり詰まっているので衛生的にも正直よろしくない。ただ、この糞は非常に良い肥料になるようで、農家には結構な値段で売れるのだ。


 瘦せた土地でも数年で肥沃な土壌に変えてしまう魔法の肥料。一説にはイライナ地方の大地がこれほどまでに肥沃で、農業が盛んになったのもスノーワームのおかげではないかとさえ言われている。


「モニカ、食わないのか?」


「え、あ、いや……」


「食わないなら俺が……」


「美味しいですわよ?」


「えー……じゃあちょっと」


 グロテスクな見た目で抵抗を感じるのは分かるが、このね、クッソ甘そうな香りには抗えまい。大丈夫、味は良いから。カロリーは……気にしちゃダメだ。


 何度か躊躇いながら、スノーワームの肉をちょっとだけ齧るモニカ。グロい見た目さえ気にしなければ、味と食感はもうキャラメル味の菓子パン。そのギャップに驚いたようで、目を見開きながらこっちとスノーワームを交互に見てからもう一口齧りつく。




「うっっっっっっっっっっっま!!!!!!!」




 多分今のは120dBくらい。


 車内で響いた唐突な魂の叫びに、ミカエル君の鼓膜が逝った。






 

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