不穏な流れ
「そうかい、ハズレだったか」
「……ええ」
日曜日。
日本の学校と同じく、土日祝日は休日となる帝国魔術学園。宿舎に留まっていては他の生徒に質問攻めにされたり色々誘われたり(構ってくれるのは嬉しいのだが……)して自分の時間を確保できないので、休日は駅に停車中の列車に戻る事にしている。
さすがにここまでクラスメイトが追ってくるような事はないだろう。
私服に着替え、自室の椅子に腰を下ろしながらクラリスが用意してくれたリンゴをもぐもぐしながら調査の成果を聞くが、まあ予想していなかった展開でもない。何せ90年前の住人の話だ……およそ1世紀もの間、同じ場所に住んでいるだろうという見立てもだいぶ甘いが、しかもそれが帝国が存在の露見を恐れるキリウ大公の子孫ともなれば当然だ。
そういう重要人物の住む場所は転々として、居場所を探ろうとする勢力にヒントを与えないようにするという手も十分に考えられた。
まあいい、これで余計な選択肢が一つ消えたとプラスに考えなければ。マイナスへマイナスへと考えていると士気にも影響するというものである。
「昨晩、カーチャさんが市役所に潜入して住民の戸籍記録などを調べてきたようです」
「そこまでやったのか」
市役所か……帝国魔術学園並みに警備が厳しい場所の筈だが。
今初めて聞いた情報に、彼女の潜入スキルの高さを痛感させられる。さすがはパヴェルから直々に諜報関係の訓練を受けた女、強い(語彙力)。
「で、結果は」
「はい……昨日モニカさんが調べたアパートのG13号室、そこには確かにマリア・セリューニナが住んでいた記録がありました」
「驚いた、律儀に戸籍登録までちゃんとやってたんだな」
まあ、マリア・セリューニナという名前自体も偽名(本名は『オリハ』である)だし、それならば戸籍登録くらいはするか……。
「それで」
「60年前までは住んでいたようです。娘の名前は一応、戸籍上では”ユリア・セリューニナ”という名前になっていました」
少なくともマリア・セリューニナという女性は48歳まではここに居たのだ。結婚した相手が何者かは分からないが、少なくともイライナ人やキリウ大公の関係者ではなく外部の人間なのだろう。
そうやって一族の血を薄め、最終的には拭い去る―――人間の、それも高貴な血筋を持つ一族に対する尊厳を踏み躙るが如き行為に怒りを覚えるが、しかし今は怒り狂っている場合ではない。
冷静に考えなければならない局面において感情はどこまでもノイズでしかないのだ。酷いノイズは曲調を狂わせる。
「なら次に洗うべきは―――」
「7度も繰り返された脱走の件だな」
いつの間に居たのだろうか。
考え込む俺の隣でしゃくしゃくとリンゴを咀嚼しながら、ツナギ姿のパヴェルが言った。
俺が考え込んでいたせいで外部へ意識を向ける事を怠ったからか、それともパヴェルのステルス関係のスキルがカンストしているからなのかは分からない(どうせ両者だろう)が、唐突にすぐ隣に出現したヒグマみたいなデカい男の気配にケモミミと尻尾がぴーんと伸びてしまう。
目をビー玉みたいに見開き、全身の体毛を逆立たせて全身で驚きを表現するミカエル君の隣で、パヴェルはウォッカの酒瓶を一気に呷った。
「追撃した連中については既に洗ってある。このボロシビルスクに駐屯地を構える”ノヴォシア帝国騎士団陸軍第831任務部隊”だ」
「で、どうするんだ? まさか」
「……まあ、お前の予想通りだよミカ」
ニッ、と笑みを浮かべたパヴェルは「まあ任せておきな」といってから部屋を出ていった。
なんだろう、頼りになる仲間の来訪の筈がすっげえ嵐が通過していったような、そんな感覚を覚えてしまうのは。
駐屯地に潜入するってマジかアイツ……。
「……まあ、パヴェルさんなら大丈夫でしょう」
「お前遠い目になってる」
「またまた御冗談を、クラリスは生まれてこの方ずっとこんな目つきですわ」
「嘘つけお前俺を吸う時にあんなに目を輝かせてたじゃねーか」
「気のせいですわもふぅ」
「ひぃん」
何気ない一言で唐突に始まるジャコウネコ吸い。
こりゃあ多分、クラリスが満足するまで離してもらえそうにない……。
帝国騎士団陸軍第831任務部隊。
調べれば調べるほど黒い部署である、というのが俺の見解だ。
キリウ大公の子孫が脱走を図った際、その追撃と確保のために7回中6回も出動したという記録があった。それも2回目以降からは皆勤賞、なんともまあ仕事熱心な連中である。
それだけじゃない、イライナ独立派を含む反帝国派の弾圧やその活動の摘発にも動いているようで、随分とまあ裏で好き勝手やってる部署のようだ。一応は帝国内の規定で「捕虜は国際条約に基づき丁重に扱う事」、「捕虜の虐待、拷問等これらの不要な苦痛を与える行為は決して行わない事」というものが定められているのだが、十中八九順守していない筈だ。
国家全体が国際法から逃れるためのブラックサイトになっているなんて何の冗談か。
鏡の前で制服の襟を正し、軍帽の向きを確認してから車に乗り込んだ。オリーブドラブに塗装されたクーペは上から見ると何かの虫のようにも見える、そんな可愛らしさがある。
今朝盗んできたものだ。もちろんこの制服もそうだし、身分証も入念に偽装した。昔からこの手の作業は大得意だったのだが、よもやテンプル騎士団を実質的に除隊した今となってもその技能が生かされるとは。いやはやこの世界もなかなかに物騒である。
キーを回してエンジンをかけ、車道へと出た。
軍用車が走っているという事もあり、一般車両が道を譲ってくれる(クーペが基本的に騎士団から少佐~大佐クラスに与えられる車両だからという事もあるのかもしれない)。
道を譲ってくれたセダンの運転手に手を挙げて礼を示し、ウインカーを出して右折。そのまましばらく走っていると学術都市の華やかな街並みは鳴りを潜め、軍の保有する地域特有の堅苦しさが空気で感じられる。
テンプル騎士団の特殊作戦軍もこんな感じだったな、と当時の思い出に耽る。特戦軍で特にヤバかったのが入隊試験で、合格率は僅か6%とまで言われていた。おかげでセシリアから「厳しすぎる」「頭数を確保したいからもう少し緩和しろ」と言われ、激論の末に緩和して合格率8%にはなったのだが……。
やっぱアレか、体力試験の耐久ランニングが拙かったのだろうか。入隊志願者の4割が脱落するまで、完全武装で休憩なし、食事なし、睡眠なしの状態で延々と走らせる体力テスト。酷い時なんかその時点で6割も脱落してしまった事があったが。
でもまあ、なんだかんだで充実した人生を送れたとは思う。
昔を思い出しながら、駐屯地入り口の検問所で車を停めた。窓を開け、駆け寄ってきた警備兵に身分証を提示する。
今の俺はパヴェルでも、特戦軍が誇るウェーダンの悪魔でもない。ノヴォシア帝国騎士団陸軍第831任務部隊所属に転属となった”ヤン・ハオラン大佐”……一応は中華系という肩書だ。
「Спасибо за вашу тяжелую работу, полковник Ян. Спасибо за посещение(これはこれはヤン大佐、よくお越しくださいました)」
「Спасибо за вашу усердную работу по ночной безопасности(夜間警備ご苦労)」
ノヴォシア語で返すが、ただのノヴォシア語ではなく中華語訛りのあるノヴォシア語だ。この辺はリーファに教わった。
身分証を返してもらい、駐屯地の敷地内へと車を走らせた。高官用の駐車場にクーペを停めて運転席から降り、さて潜入調査開始だと気分を切り替えたところで、収容所付近に停車したトラックから兵士の罵声と共に、ぞろぞろと民間人らしき人影が荷台から引き摺り下ろされているのが見え、思わず足を止めた。
「Что это такое? Что делают эти солдаты?(アレは何だ? あの兵士たちは何をやっている?)」
問いかけると、駐屯地内を巡回していた警備兵が応えてくれた。
「Это бунтарь(反乱分子ですよ)」
「Я вижу. Я слышал слухи...(なるほどあれがそうか。噂には聞いていたが……)」
「Мне жаль, что я показал вам что-то столь неприглядное, полковник(お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません、大佐)」
「Нет, я рад видеть твою трудолюбивую сторону. Благодаря этому вам со спокойной душой можно доверить защиту своей Родины(いや、諸君らの勤勉な一面が見れて安心しているよ。これなら祖国を安心して任せられる)」
部下を労う言葉をかけつつも、心の奥底ではちょっとした嫌悪感を覚えていた。
同族嫌悪という奴なのかもしれない―――俺もああいう連中の粛清を行う、そういう汚れ仕事の片棒をよく担いでいたものだ。テンプル騎士団に、というかセシリアに反旗を翻さんとした連中の首を狩った数は一度や二度ではない。
さて、潜入には成功したし偽装した書類も役に立った。
徹底的に洗うとしよう。
キリウ大公に関する情報だけではない。ここに居る連中がいかに国民を弾圧していたか、公にできない”黒い情報”もミカの姉さんに売ればイライナ独立の勢いを付けるのに使えそうだ。
「え、事件?」
「そうなのよ」
月曜日。
学園へと登校し、1年C組の自分の席に鞄を降ろすなり、そんな物騒な話題が耳に入っていた。
「B組のドミニカがまだ帰っていないらしいの。憲兵に捜索願が出てるみたいなんだけど」
「何それ……」
「ドミニカだけじゃないよ」
隣の席で教科書の準備をしていたアンドレイが言葉を続けた。
「最近、ボロシビルスクじゃあジャコウネコ科の獣人が突然姿を消す事件が多発してるらしい」
ニュースで聴いてないかい、と言われたが、そういえば今朝のラジオのニュースでそれっぽい話を聞いたような気がする。よりにもよって洗面所で歯を磨いているタイミングでそんなニュースが流れてきたからちゃんとは聴いていなかったが。
あれがそうだったのか、と納得しながら鞄から教科書を取り出していると、アンドレイは心配そうに言った。
「ミカエルちゃんもジャコウネコ科の獣人でしょ?」
「うん、ハクビシンだけど」
「狙われるかもしれないから気をつけて……まあ、あんなに強いなら心配ないとは思うけどさ」
「あはは、心配ありがとうねアンドレイ君」
ウインクしながら言うとアンドレイは顔を紅くしながら「と、当然だよ、クラスメイトのためだし」と目を逸らしながら言った。チョロいなコイツ。
俺の性別をカミングアウトした時のリアクションが楽しみだが、まあそれはさておき。
スマホを取り出し、メールアプリを起動。ルカとノンナに「最近ジャコウネコ科獣人の失踪が相次いでいるらしいので外出の際は注意する事」と短くメールを打って送信しておく。俺は心配ないが、懸念すべきはあの2人だ。
ルカはまだパヴェルや範三と一緒だから問題ないとは思うが……特に心配なのはノンナの方か。
一応は訓練を受けているが、まだルカほどの本格的な訓練を受けているわけではない(銃の撃ち方を知っている素人の域を出ていない)。買い物の際は非番の仲間に同行してもらったりとか、一応は対策をしているのだが……。
大丈夫だろうか、心配である。
いやホント大丈夫かな、と弟分と妹分の身を案じていると、ガラッとドアが開いて先生が教室に入ってきた。
「おーし、遅刻した奴はいないな。じゃあホームルーム始めるぞ」
「起立」
日直の号令で一斉に起立、おはようございますと挨拶してから着席。
転入初日と同じだ。学生特有の、代わり映えしない平日のルーティーン。ミカエル君的には実に21年ぶりの学生生活で懐かしさすら感じる(だって転生前からカウントするとミカエル君今年で41歳である)。いや俺おっさんじゃん……中身だけだけど。
だからなのか、最近年寄りっぽい思考回路になってきたのは。そうなのかミカエル君と自問自答していると、脳内の二頭身ミカエル君ズが老人会を始めた。なんか昔動画サイトで散々見たMAD動画流し始めてるんだけど懐かしいなオイ。脳内に平成のオタクカルチャーを充満させるんじゃない。
まあいいや、今の身体は18歳(※今年の9月で19歳)だし、転生前からの年齢もこう、精神的な成熟だとプラスに考えよう。精神年齢が高ければ世の中の見え方も変わってくるはずだ……たぶん。




