旧居
《こちらはラジオ・ボストーク! 365日、年中無休で放送中! それではド初っ端から人気の音楽行っちゃいましょう! 一曲目はこちら、アリーナ・プレフチェンコの代表曲―――》
カーチャの運転するメルセデス・ベンツ 63AMG6×6の助手席で揺られながら、何気なくボロシビルスクの街並みに目を向けた。
ここは何もかもが真っ白だ。周囲に立ち並ぶ建物や道路を舗装している石畳、街をぐるりと取り囲む防壁に至るまでが純白に染まっていて、なるほどここを訪れた旅人たちが『白亜の都市』と表現するのも納得の光景だとは思う。
けれども、どうしてだろうか。
ここまで徹底した白さに、何か胡散臭い物を感じてしまうのは。
まるで内面に沈殿した汚点を覆い隠そうと、上辺だけを綺麗に塗り固めてしまったような―――不自然なまでに美しく、しかし僅かな綻びから本性が覗くような、何とも言えない不気味さを感じる。
あたしの出身地でもある、イライナの城郭都市『リーネ』でももう少し本性を露にしたものだった。貴族たちの住む高級住宅街と労働者たちの住む居住区、そして浮浪者の住むスラム―――臭い物には蓋をするような風潮が無かった、と言い切ったら嘘になるけれど、けれどもここまで露骨ではなかったと思う(あたしの記憶違いだというならばそれまでだけども)。
この街に着いた時から薄々感じつつあった居心地の悪さは、そんな雰囲気を感じ取っていたからこそなのかもしれない。
「にしても、随分と早いんじゃない?」
信号が青に変わるのを待って、カーチャがアクセルを踏み込みながら言った。ブォンッ、とガソリンエンジンの唸る音を高らかに、デジタルフローラ迷彩のメルセデス・ベンツ 63AMG6×6が交差点を左折して大通りへと入っていく。
カーチャが言う”早い”とは他でもない、ミカの事だと思う。
帝国魔術学園に単独で潜入、情報収集活動を始めたミカ。初日は色々あったらしい(なんでもSランク魔術師2名とAランク魔術師1名を模擬戦で返り討ちにしたとか正気を疑う大金星を挙げたんだとか)けど、パヴェルのバックアップもあって重要機密の眠る資料室から情報を入手した、という知らせが私たちの元にもたらされたのは今日の午前2時。
ちょうどあたしがハクビシンの幼獣を抱き抱えながらお花畑をスキップしている夢を見ている間にも、ミカは消灯時間がとっくに過ぎ警備員が巡回する教員区画の資料室で情報収集に勤しんでいたのだと思うと申し訳ない気分になるし、彼女の睡眠時間も心配になる(帝国魔術学園ってスケジュールみっちみちじゃなかったっけ?)。
とはいえ、情報が早ければそれだけこちらも早く動けるという事に変わりはない。
向かう先はボロシビルスク西部、R・B・リビノフ記念通り。大昔の物理学者の名を冠した大通りの一角にあるというアパートに私たちは用事がある。
クラリスの乱暴極まりない運転と比較すると、まるで遊覧船にでも乗っているかのように落ち着いたカーチャの運転に安心しながら(というかこれが普通では???)、あたしはポケットからスマホを取り出す。
メールフォルダを開くと、パヴェルを通して共有されたミカの『成果』がそこに添付されていた。
学園内の資料室、それも一般の生徒は決して立ち入りが許されていない教員区画の資料室に忍び込んだミカが撮影したという資料の画像がそこには表示されていた。90年前の生徒一人一人の本名と生年月日、白黒の顔写真。すっかり古びた生徒資料の中に、その少女はいた。
『マリア・セリューニナ』という名前になっているその少女こそが、キリウ大公の血脈に連なる子孫であるとされている。
もちろんそれは偽名、キリウ大公の子孫である事を外部に悟らせないために彼女に名乗るよう強要した偽りの名前。
パヴェルの調査では、彼女の本名は『オリハ』なのだとか。
ケモミミの形状はおそらくジャコウネコ科……ミカ曰く「多分これパームシベットか何か」との事だけど、問題は彼女の子孫が今もこの近辺に軟禁されているかどうか、という事。
「全く、ノヴォシアのビビりっぷりには呆れ果てて物も言えないわ」
はあ、と溜息をつきながら言い、ダッシュボードを開けて中からキャンディを取り出す。片方をカーチャに差し出すと、彼女は礼を言ってからそれを受け取って口へと放り込んだ。
「それだけ警戒してるのよ」
イライナ独立はイライナ人の悲願―――そしてノヴォシア人からすればこの世の悪夢。
だからその最悪の結果を回避するため、彼らは悪夢を招きかねない要因を必死に覆い隠した。欺瞞に欺瞞を重ねたパンドラの箱に押し込めて、闇の奥深く、深淵の底へと封じた。
私たちは今、それを探ろうとしている。
どろりとした、どこまでもまとわりつく闇の中に手を突っ込んで、パンドラの箱をこじ開けようとしているのだ。
ここね、とカーチャが車を停めた。
車道の右手に、やはり真っ白なアパートがある。一見すれば労働者とか学生のように、懐に余裕のない者たちが寝泊まりする安いアパート。長い年月の中で改築や壁の塗装の変更、周囲の建物の変化こそあれど、そのアパートはミカが送ってきた資料の中にある白黒写真、それにしっかりと写り込んだアパートと同じ特徴を残していた。
間違いない、ここだ。
『Весенний холм(春の丘)』と、随分と小綺麗な名前を付けられたアパート。
90年前、マリア・セリューニナという少女が―――キリウ大公の血を引く少女がここに住んでいた筈。
当時を知る住人はいないかもしれないけれど、ではマリアの子供とか孫についての情報……あるいはかのじょの家族がもうここに住んでいないとしても、どこに引っ越したのかくらいの情報は手に入れて帰りたい。
もっとも、一番なのはここに彼女の孫や子供が住んでいて、その人たちをイライナへと連れ帰る事がベストなのだけれど。
「ちょっと引っかかるわね」
「何が?」
いつの間にか運転席から観測ドローンを飛ばし、ドローンからの映像を自分のスマホに繋いでいたカーチャが映像を見ながら言った。
「いえ……帝室の監視とか、あるいは連中の息の掛かった見張りが見当たらないのよね」
「休憩中とか?」
「はぁ……私もあなたみたいな楽観的な思考回路が欲しいわよモニカ」
「いいでしょコレ」
「皮肉で言ってんの」
「分かってるわよそのくらい」
まあでも、分からなくもない。
イライナ独立に正当性を与えかねないキリウ大公の子孫ともなれば、存在自体は欺瞞に欺瞞を重ねて覆い隠す事は想像がつくけれど、だからといって帝室がそれを野放しにするとも思えない。せめて何かしらの形で監視がついたりとか、そういう措置を講じていてもおかしくない(というかしていない方がおかしい)。
スマホを取り出して誠に勝手ながらカーチャの観測ドローンにスマホを接続、映像を回してもらうけれど、確かにそれっぽい見張りのような奴はいない……まあ、国家の重要機密を見張る見張りが「俺見張りッスwww」みたいな感じであからさまな雰囲気を醸し出していてはダメだから、居たとしてもアパートの住民に成りすましていたりとか、毎日やってくる牛乳配達の人に成りすましている可能性の方が高い。
これに関してはパヴェルも言っていた。彼も昔、任務の一環で相手の監視をする事になった際、アパートの向かいでピザ屋を装いながら監視していたんだとか(そしてピザ屋が予想外に繁盛して大変な事になったとも)。
「モニカ、気をつけて」
「任せなさいな」
あたしを誰だと思ってんのよ、と言うと「あなただから心配なのよ」とカーチャに言われたので、あたしも「そんな褒めても何も出ないわよ」とだけ返してから助手席を降りた。
念のため、護身用の武器はある。上着の内ポケットにコンシールドキャリーの形で隠し持っているPSM拳銃と小型ナイフ……はっきり言って真っ向からやり合うには心許なさすぎるけれども、自衛用としては十分だとは思う。
アパートに入り、階段を上がった。
スマホに送られてきた資料画像によると、マリア・セリューニナが当時住んでいた部屋は『G13』号室。さてどこかしら、と探しながらG4号室とG5号室の前を通過、階段を上ってさらに上へ。
……あった。
階段を上がり、通路の突き当りのところにG13号室があった。
「……」
ここ……よね。
ふう、と息を吐いた。
とはいえここにマリア・セリューニナが住んでいたのは90年も前の話。当時は18歳だったらしいから、仮に今も生きていれば108歳の超おばあちゃん。ノヴォシアじゃあ女性の平均寿命は60歳(※低所得層が足を引っ張っていて死因の大半が栄養失調とされている)という事を考慮しても、きっと彼女はこの世に居ないのかもしれない。
そうだとしたらせめて、鳥籠の中の人生であったとしても少しでもそれが実り多い人生であった事を祈りたいものね。
意を決して呼び鈴を鳴らした。民謡のワンフレーズをアレンジしたチャイムが部屋の中に流れるけれども、中からは何も聞こえない。
留守なのか、それとも空き部屋か……いえ、空き部屋は有り得ないと思う。ドアの投入口には新聞紙が詰め込まれているし、それに部屋の中からは人が生活していない限りは発しえない”匂い”がする。
もう一度押してみようかな、と指を伸ばしたところで、部屋の中で何かが動く音が聞こえてきた。
『はーい』
男性の声だ。
しばらくして、ガチャ、と部屋のドアが開いて、中から無精ひげを生やし薄汚れた上着を身に纏った、いかにも労働者といった風貌の男性が顔を出した。
「んぁ、あんた誰? いつもの牛乳配達の人じゃあないみたいだけど」
「ええとすいません、ちょっとお伺いしたい事がありまして」
「なに?」
「あのですね、あたし人を探してまして……昔この部屋に”セリューニナ”っていう女性が住んでたらしいんですけど、その人とか、あとご家族について何か知ってる事がありましたら……」
「知らねえなぁ」
ぼりぼりと頭を掻きながら、労働者の男性は言った。
「セリューニナ……いや、知らねえ」
「そうですか……」
「ああ、俺ここに来た時はもうここ空き部屋だったらしいからね」
「ちなみに、アパートの近所とかにセリューニナさんが住んでいる……とか、そういう話も聞いた事ないですか?」
「ないね」
「そうですか……わかりました」
すいません、お邪魔しましたと男性に言うと、「人探しなら探偵でも雇いなよ」と親切にアドバイスを貰った。そういえばここに来る途中、探偵事務所みたいな建物があったような気がする。
でもまあ、この一件は探偵に頼めるお仕事じゃないし……「どうも」と短くお礼を言ってから、あたしは足早に階段を駆け下りてアパートを出るや、カーチャが待っている車まで戻った。
助手席のドアを開けて乗り込み、シートベルトを締めると、カーチャはあたしの表情で収穫無しだったことを悟ったらしく、何も言わずに車を走らせた。
まあ、さすがに90年前の住民だし……今もあそこに変わらず住んでいる、と考える方が楽観的だわよね(とはいえ他に情報がないし、パヴェルも得た成果を詳しく分析中だから仕方がない話だけど)。
普通、そういう重要人物は一ヵ所に何年も何十年も住ませるなんて事はしない。定期的、あるいは不定期的に住む場所を変えて、その人物の居場所を探ろうとする相手に居場所を掴ませないような工夫がされている。
今回はそれが、こういう状況での常識なのだという事を思い知らされた結果となった。
臨む結果が得られなかったどころか掠りもしなかったのは悔しいけれど、とにかく今は他の情報を探るしかない。少しでも可能性があるのならばそれに賭けてみるしか、今のあたしたちに選択肢はないのだから。
PSM拳銃
ソ連製の小型拳銃。小型・軽量で取り回しに優れ、そのサイズから上着の内ポケットなどに隠し持つコンシールドキャリー用拳銃として使用された。専用の5.45×18mmの貫通力も申し分なく、小型でありながら十分な殺傷力を持っていたとされる。主な利用者はKGBのエージェントなど。
ちなみにPSMとは『ピストレット・サモザリャドニー・マロガバリティニ(※小型自動拳銃)』を意味する。




