興醒め
『速河の侍に妥協無く、故に速河の血脈に弱者無し』
『武士たる者、戦の中で死すべし。畳の上で死ぬべからず』
速河家六代目当主、『速河国重』の手記より抜粋
この感覚は何だろうか。
艦の外部に搭載されたカメラからの映像で、あるいは作戦展開地域の付近に展開させていたドローンからの映像で、その人知を超えた戦いぶりは観測している。
そのあまりにもの苛烈極まるぶつかり合いに、遥か上空に浮遊する空中戦艦パンゲアの艦橋に居る副官ミリセントは息を呑んでいた。まるでその場に当事者として居合わせているかのような圧迫感、それから両者の刀が激突する度に背筋に走るこの感覚は映像で得られるものではない。その場にいる時の、戦場の感覚そのものだ。
何と羨ましい事か。
ホムンクルス兵は、そしてその源流たるキメラは本能で戦を求める。暗闇の中、羽虫が灯りに引き寄せられるかのごとく、キメラやそれを雛形としたホムンクルスたちもまた、禍々しい戦火へと引き寄せられる。
破綻している、と言われるかもしれない。ヒトの仔でありながら、しかし平和よりも戦火を求めるなど、人間として重要な内面的な部分のどこかが壊れて、狂っていると言われても仕方のない事だ。
だがしかし―――それは常人の尺度で測ったからこその見方でしかない。
人間には人間の価値観があるように、ホムンクルスには、そしてキメラには彼女たちなりの価値観がある。自らの尺度で他者を測り、こうあるべきと高説を垂れるのは傲慢である。
そんな種としての本能に抗いながらも、ミリセントは魔力通信でセシリアとのコンタクトを試みる。魔力を用いた他者との感覚の共有。ミリセントの意識がセシリアのそれと繋がった途端に流れ込んできたのは、何とも言い例えようのない高揚感だった。
全身の細胞が歓喜に打ち震えているかのような、長年求めていたものがやっと手に入ったかのような、そしてそれを全身で感じているかのような、そんな感覚だった。
(同志団長)
【邪魔をするな】
返答は何とも短いものだった。
今の彼女は、彼との―――速河力也という男との死闘を全力で楽しんでいる。
それはいい、キメラという種族、その長としてのあるべき姿だ。キメラは常に戦場の最中、その最前線で戦ってこそあるべきで、種族としての在り方を体現する彼女の姿勢にはミリセントも最上の敬意を払っている。
だが、しかし今は他にやるべき事がある筈ではないか。イーランドの造船業に打撃を与え、社会情勢をノヴォシア優位に傾ける―――そのための破壊工作任務が、まだ果たされていない。
それでよいのかと思考を通じて問うが、しかしセシリアからの返答はなかった。
強いて言うならば、魔力通信の強制切断―――ホムンクルス兵たちの上位存在であるキメラ、彼女たちの原型となったキメラ直系の子孫たるセシリアが持ち得る上位コマンドの行使こそが、彼女の問いへの答えであった。
今だけは任務などどうでもよい。
今はただ、この男と気が済むまで戦いたい。そんな思考を受信していたミリセントは、それ以上は何も言わなかった。
「……空中戦艦パンゲア、同志団長の回収準備に移る」
『了解。予定回収ポイントとの大幅な乖離を検知』
「同志団長の現在位置、及び敵性勢力の現在位置を考慮し回収ポイントを再設定」
『……ポイント再設定完了。位置情報を同志団長へ伝達』
パンゲアを運行・管理するAIに命じ、ミリセントは思う。
なんと羨ましいのだろう、と。
叶う事ならば自分も、あのような戦いを体験してみたいものである、と。
きっと、戦国乱世を駆け抜け、その群雄割拠の時代に夢を見た武将たちもこのような心境であったのだろう。
『生まれる時代を間違えた』とまで言われた力也は、それを今感じていた。
全力で強敵と戦うこの高揚感―――勢力を盤石のものとした江戸幕府の統治下では決して得られないであろうこの充実感は、他の何にも代えがたいものである。
きっと、だからなのだろう。
左腕が折れた―――その程度の事で、戦いをやめる気になれないのは。
折れ、使い物にならなくなった左手に代わり、刀の柄を口に咥えて振るいながら力也はそう思った。手で刀を握るのとは違い、細かい軌道調整や力加減は出来ない。首を振るい大雑把な剣戟を振るう事しか叶わぬが、戦いを続ける事が出来ればそれでよいと彼は割り切っていた。
激痛に堪えながらも振るった刀が、セシリアの構えた二振りの刀を真っ向から打ち据える。微塵も衰えぬ衝撃が刀身を通じ、セシリアの両腕の骨をびりびりと揺るがした。
これが両手を封じられた男が尚も放つ剣戟なのか、と感嘆すらしていた。
剣士にとってその腕は命と言ってもいい。長年の鍛錬で染み付いた癖を、そしてその丹精込めて鍛え上げた剣戟を振るうのもその腕なのである。それを封じられれば通常は戦いを断念せざるを得ず、勝負はほぼ決まってしまう。
が、この男はどうか。
腕が折れた―――その程度の事で、速河力也は戦いをやめない。
腕がないならば口で振るい、口も砕かれれば足技で戦い、足が折れれば這ってでも戦いを続け、それすらできなくなればその魂で、文字通り全身全霊で戦う……これが本当に大平の世に生まれた男の思考回路か、と思ってしまうほどだ。
けれどもセシリアは、一つだけ失念していた。
それはこの男が、速河力也が―――これまでの人生の半分以上を、あの薩摩で過ごしていたという事である。
戦を求める彼の本能と薩摩の武士の教えがこれ以上ないほど合致してしまった結果誕生したのが、この速河力也という隻腕の怪物であった。
口に咥えた刀を受けたとは思えぬ勢いに、ぐらりとセシリアの体勢が揺らぐ。その一瞬の隙をこの男が見逃すはずもなく、不覚を悟った目の前に力也の放った上段回し蹴りが迫っていた。
ゴッ、と頭が大きく揺れる。
よりにもよって顔面に、思い切り蹴り放った回し蹴りが炸裂したのだ。いくら銃弾を弾き、砲弾の爆発にも耐える”人間サイズの戦車”とも呼ばれるキメラであろうとも、その衝撃を以て脳を揺らされればたまったものではない。一撃でサンドバッグを引き千切りかねない程の威力の回し蹴りを受け、軽度の脳震盪を起こしてしまうセシリア。
好機とばかりに力也が刀を振るった。
これならば当たる―――脳天から股下まで真っ二つにしてやる、と必殺の意思を込めて放った剣戟は、しかしセシリアの脳天には届かない。
咄嗟に刀を投げ捨てたセシリアが、その白い両手で左右から挟み込み―――真剣白刃取りの状態で、力也のトドメの一撃を食い止めていたからである。
断熱圧縮による熱に幾度も晒され、真っ赤に赤熱化した刀身に触れた彼女の手が焼ける。じゅう、と肉の焦げる臭いと苦痛に、刀を受け止めたセシリアの顔に苦悶の表情が浮かぶ。
セシリアが身を捻った。
唐突に左へと刀を受け流され、二度と離さぬつもりで咥えていた刀が、しかし予想外の方向へと受け流された事で彼の口を離れた。くるくると回転しながら飛んでいった力也の大太刀『朱桜』はうっすらと朱い刀身を暗闇の中で妖艶に輝きを発し、そのまま波打ち際の岩へ深々とぶっ刺さる。
刀を手放し丸腰となった―――それでも、2人にとって戦いをやめるきっかけとはなり得ない。
まだ生きているならば、闘志が衰えていないならば、やる事はただ一つだけである。
次の瞬間、2人の放った回し蹴りが真っ向からぶつかった。
脛と脛がぶち当たり、まるで自動車の正面衝突のような異様な轟音が―――いくら鍛え上げたとはいえ人体が決して発するはずのない重々しい音が響き渡り、その衝撃波に造船所を囲う侵入防止用フェンスがびりびりと震える。
下ろした足で大地を思い切り踏み締めるセシリア。どん、と分厚く堅い岩盤にブーツが深々とめり込んで、それに揺るがされたかのように大地が震動した。
その衝撃波に煽られ、力也の動きが一瞬止まる。
一歩、セシリアは更に深く踏み込んだ。
「―――!」
「ッ!」
腰を深く落とし、そこから伸びあがる勢いを乗せたアッパーカット。ギュンッ、と空気を引き裂く音を発しながら振り上げられた握り拳が、力也の顎を思い切り打ち上げる。
頭に衝撃が走ると目の前に星が見える、というのは決してマンガの嘘の表現ではなかったのだと、力也はここで悟った。チカチカと、瞼の裏で瞬く光。それは確かに星明りのようにも見え、しかしそれ以上は何も考えられなくなる。
衝撃に晒された脳味噌が頭蓋骨の内側でシェイクされ、思考がまともに働かない。
その一撃をもろに受け、しかしまだ生命機能を維持している力也の頑丈さもセシリアの予想を上回っていた。身長180cm、体重100㎏というちょっとした熊のような体格と、生まれつき持ち合わせた頑丈な肉体、そしてそれを支える骨格の強靭さがあったからこそ、今の一撃で首から上をもぎ取られずに済んだのかもしれない。
白目を剥きかけていた力也の目が、しかしぐるりとセシリアを睨んだ。
追撃の体勢に入っていたセシリアと力也の目が、ぴたりと合う。
次の瞬間だった。空中で強引に身体を捻った力也の蹴りが、セシリアの首筋へとめり込んでいたのは。
無論、両脚が地を離れた状態で無理矢理放った蹴りだ。しっかりと軸足で地面を踏み締め、安定させた状態で放った一撃ではないから、威力も何もあったものではない。単なる悪足掻きの類ではあったが、その予想外の一撃と力也の質量をそれなりに乗せた奇襲は彼女の追撃を断念させるには十分であったと言える。
怯んだセシリアに追撃で膝蹴りを入れ、大きく後ろへと飛び退く力也。セシリアも距離を取って安全を確保し、先ほど投げ捨てた自分の刀に手を伸ばす。
岩にぶっ刺さった刀を口に咥えて引き抜いた力也。しかし次の瞬間には、彼の目の前にセシリアが迫っていた。
両腕を交差させ、X字形に切り払おうとするセシリア。が、切先諸刃造の刀身が彼の肉体を切り裂くよりも先に、セシリアの顎を予想外の一撃が打ち据える。
それは握り拳だった。
そう、力也の左腕―――セシリアの苛烈極まる剣戟の負荷に耐え兼ね折れてしまった、左腕である。
骨が折れて使い物にならなくなったそれに強引に力を込め、セシリアの顎を殴りつけたのだ。
潰れたが故に使い物になる筈がない、という先入観を完全に裏切った一撃。しかし二度も予想外の一撃で追撃を殺されるセシリアではない。怯み、力を減殺されてもなお、強引に刀を振るう。
ドッ、と胸に熱い感触と鋭い痛みが走った。
振り払われた刀が、力也の胸板を捉えたのだ。
「―――」
一瞬、故郷に残してきた家族の姿が力也の脳裏に浮かんだ。
走馬灯なのだろう―――幼い頃、実家の近くにある林の中を、弟の信也と2人で駆け回った時の事が頭の中に思い浮かぶ。確かあの時はカブトムシを捕まえようとお互い必死で……。
だがしかし、そこから先の追撃は無かった。
双方の切っ先を力也へと向け、トドメに串刺しにしようとしていたセシリアが、ぴたりとそこで動きを止めていたのである。
「……ふん、少々戯れが過ぎたか」
そこでやっと、力也の耳にも遠くから聞こえるサイレンの音が届いた。
あれだけ派手にやり合ったのだ―――ペンドルトン・インダストリーの関係者ではなくとも、周辺住民が憲兵隊に通報したのだろう。あるいは駆逐艦『インターセプター』の水兵たちが援軍を要請したのか、それは分からない。
くるりと刀を回し、鞘に収めるセシリア。名残惜しそうに力也を見た彼女は、口元に笑みを浮かべながら踵を返した。
「―――またやろう、速河力也」
「ああ、いつの日か……また」
その返答に満足したのだろう。
セシリアはそれ以上は敵意を向けず、闇の中へと静かに姿を消した。
あれほどまでに歓喜に打ち震えていた身体が、戦いが終わると同時に急激に冷めていく。
けれどもあの死闘の余韻は、しばらくは消えそうにもなかった。
「どういうことだ、セシリア?」
苛立ちを含んだ声で言う皇帝カリーナ。だが、その怒りの矛先が向けられている先にセシリアの姿はない。代わりにそこに立っているのはテンプル騎士団から使者として派遣された男のホムンクルス―――ラスプーチンだけである。
だが、カリーナには分かる。今のラスプーチンが浮かべているどこか不機嫌そうな、あるいは他者を見下すような冷たい目。あれは彼のものではなく、彼の肉体を依り代とし意識を憑依させている人物、セシリアのものであると。
テンプル騎士団のホムンクルス、特に”後期生産型”と呼ばれる個体はセシリアにとって意識を憑依させて操ったり、あるいはその五感を共有するための端末のようなものだ。これはホムンクルス兵の上位存在となるセシリアの特権とも言える能力である。
だが、今はそんな事はどうでもいい。
「ペンドルトン・インダストリーの一件、大した損害が出ていないと報告を受けた。これではイライナに何の影響も……!」
セシリアを派遣した今回の一件、その目標が果たされたとは言い難い結果となった。
目標はペンドルトン・インダストリーの造船所で建造が進む準弩級戦艦、ドレットノート級戦艦『アルゴノート』の破壊、ないし損傷を与える事による建造の遅延。
しかし造船所内のアルゴノートに目立った損傷はなく、造船所内に多少の損傷は認められたものの、建造計画に対し大きな遅延を与えるものとは言い難い規模に留まっている。
何のためにセシリアのような化け物を派遣したのか。そんな皇帝カリーナの怒りを、しかしラスプーチンの肉体を依り代にしたセシリアは逆撫でするように言う。
「いやあすまない、ついつい戦に興じてしまってな」
「戦に興じた、だと?」
「うむ、速河力也……ペンドルトン家の婿が思いのほか食い下がって来てな。面白かったものだからついつい」
「面白かったから? 貴様、そのような理由で……帝国の運命がかかっていたのだぞ」
「それがどうした」
さらりと冷たい声で言うセシリアに、カリーナは息を呑んだ。
「国の一つが滅んだところで何だというのか」
「……貴様らへ資金を提供しているのは誰だと思っている」
「その点はこちらでも代替手段を考えている。まあ、資金提供を打ち切られたら少しは困るが、その瞬間からお互いの関係はそれっきりになるだろうな」
代替手段―――つまりもう、ノヴォシア帝国との協力関係を終わらせても一向に構わないという事。
果たして困るのはどちらか、身の程を弁えよ―――そんなセシリアの言葉がちらつき、カリーナは唇を噛み締める。
「まあ良い、目的を果たせなかったのはこちらの落ち度だ。心の底から詫びておくとしよう」
その言葉を最後に、ラスプーチンの中から冷たい気配が消えた。
セシリアの意識が元の肉体へと戻っていったのだ―――鳩尾が重くなるような感触が消え、皇帝カリーナは椅子に腰を下ろしながら溜息をついた。
テンプル騎士団とノヴォシア帝国、両者の歪な協力関係は終わりに近づいているのかもしれない。
そしてそれは、テンプル騎士団の計画が終盤に差し掛かった事を意味していた。




