強者たちの戦い
ドン、と貨物を満載した船体の上で衝撃波が踊った。
その余波だけでコンテナが、さながら子供が癇癪を起こし投げつけた積み木さながらに吹き飛んで、甲板から零れ落ち海へと沈んでいく。甲板を覆う防潮使用の板も次々にめくれ、斬撃が擦過していった貨物船のマストがめりめりと折れ、そのまま甲板から転がり落ちていった。
それほどまでの破壊が、甲板の上で切り結ぶたった2人の人間、その死闘の余波でしかないと一体誰が想像するだろうか。
セシリアの本気の斬撃を受け、力也は乱れに乱れ切った呼吸を整えながら、さながら羽ばたく飛竜のように力強く流麗で、しかしそんな優美な太刀筋には似合わぬほど重く荒々しい破壊力を秘めた剣戟に畏れを抱きながらも感嘆していた。
今まで対峙した剣術の使い手に、これほどまでの相手が果たして居ただろうか?
左腕は既に悲鳴を上げている。鋼鉄製のマストを、そして戦艦の装甲材すらも易々と寸断してのけるような鋭く重い一撃を、一体どれだけ受けてきた事か。平安時代から鍛冶を生業とする速河家、その技術の粋を集めて鍛え上げられた大太刀『朱桜』は、度重なる断熱圧縮熱に晒され刃を朱色に染めながらも、未だ健在であった。
刃毀れ一つないその堅牢さには脱帽であるが、しかしこのままの調子では刀が折れるよりも先に力也の肉体が壊れてしまうであろう―――戦いを楽しみながらも、しかしじわりじわりと近付いてくる敗北の二文字を、彼は鋭敏に感じ取っていた。
このまま戦いを続けていたところで得るものは何もない。
左手に力を込めた。引き締まった左腕、その筋肉が膨張し、何度目かも分からぬセシリアとの鍔迫り合いに力で勝利する。
体勢を崩し、無防備になったセシリアの腹。すらりと引き締まった美しいその腹に粗暴極まりない蹴りを叩き込んだ。
セシリアには、身体の任意の部位をキメラの外殻で覆う能力がある。これは彼女だけではなく、ホムンクルス兵全員に言える特徴ではあるが、しかしホムンクルス兵たちのオリジナル、その直系の子孫であるセシリアのそれは他のホムンクルス兵のそれを凌駕していた。
しかしそれを以てしても、力也の攻撃からの防御には使えない。
防御が無意味なのではない―――攻撃を知覚してから外殻を生成するまでの僅かなタイムラグ。展開が終わるまでに力也の攻撃を受けてしまうため、防御が間に合わないのだ。
今の粗暴な蹴りもそうだった。粗暴、とは言うものの、しかしその繰り出しの速さは熟練の格闘家に匹敵するほどだ。見事にブーツの爪先がセシリアの鳩尾を捉え、一時的に呼吸が出来なくなった彼女は闇色の目を見開いた。
それだけの間、隙を作れれば力也としては上出来であった。
息を吐き、頭の中にあるスイッチを切り替える。
彼の纏う雰囲気が変わったのを、セシリアは感じていた。今までは好戦的ではあれど、まだ人間の理性に基づいて動いているような印象があった。迸る本能を、しかし理性の枷によりうまくコントロールしているような感じとも言うべきだろうか。
しかし―――今はどうだろうか。
ゆらり、と力也の身体の背後に血のように紅いオーラのようなものが立ち上るのをセシリアは見た。傍から見ると燃えているようにも見えるそれは、彼の戦闘への渇望―――強敵との死闘を渇望する本能の具現であったのだろう。
剣術の達人を前にしたような威圧感の質が、それを境に変わる。
今の彼は、さながら凶暴な猛獣のそれであった。
腹を空かせた獰猛な狼―――それを前にしたような、本能に直接訴えてくる危機感。
それこそが力也の、本来の剣術であった。
薩摩式剣術の道場、その門を叩く以前から、力也は我流で剣術を身に付けていた。剣術、とはいってもそれは刀を手にし破壊衝動の導くままに暴れ回る獣の如しで、道場に入門してからはその戦い方を見てあまり良い顔をしていなかった。
『お前のそれは獣の太刀だ』―――だからヒトの振るう剣術をやれ、という言葉通り、力也は己の本来の戦闘スタイルを封印し、日々の鍛錬に打ち込んでいた。
我流剣術【獣ノ太刀】―――それこそが枷を完全に取り払った、剥き出しの彼の戦い方である。
変質した相手の殺気に期待を膨らませるセシリア。
次の瞬間、力也の顔がすぐ目の前にあった。
「―――」
ぐんっ、と上半身を大きく後ろに逸らす。瞬間、彼女の目の前を首を刎ねるべく振り払われた大太刀の一撃が、衝撃波と断熱圧縮熱を纏って擦過していく。
身体を起こす勢いを乗せ、両手の刀を振り下ろす―――が、再び鳩尾に生じた、まるで槍で腹を刺し穿たれるような痛みと衝撃。またしても無防備となったセシリアの鳩尾に、至近距離から突き出された力也の足刀がこれ以上ないほど的確に、そして理想的な力加減でめり込んでいた。
「がっ―――」
みし、と蹴られた衝撃で周囲の骨が軋み、内臓が悲鳴を上げる。たまらず血を吐き出しながら吹っ飛ばされたセシリアは、そのまま後方にある貨物コンテナをぶち抜くと、貨物船の艦橋をぶち破って後部甲板を転がり、そのまま船尾から暗い海へと投げ出されていった。
海中で歯を食いしばり、遥か頭上の海面を睨むセシリア。
そんな彼女の闇色の瞳が、信じられないものを捉えた。
暗い海原、月明かりが照らす海水の天蓋に生じた人間大の波紋。
大太刀の切っ先をセシリアへと向けながら、何と海中にまで力也が追撃してきたのである。
海水で急冷される大太刀の刀身から気泡を幾重にも生じながら、魚雷さながらの勢いで突っ込んできた力也。まさかここまで追ってくるとは思っていなかったセシリアは慌てて海底の岩盤を蹴り、海面へと向かう。
彼女の背後で力也の急降下からの刺突を受けた海底の岩盤が爆ぜ、多量の気泡が巻き上がった。
海面から飛び上がり、近くに浮かんでいた航路誘導用のブイに飛び乗るセシリア。海中まで追ってきたあの男が、この程度で追撃を断念するとは思えない。来るなら来い、と気配を張り巡らせるセシリアの背後で、海面が盛り上がる。
そこか、と刀を振るおうとしたセシリアだったが、しかし。
「―――!?」
攪拌され、真っ白に染まった海水を纏いながら海面に飛び出してきたのは、ゴツゴツとした、フジツボに覆われた岩盤の一部だった。
先ほど砕けた海底の岩盤だ。おそらくだが、浮上しながら、あるいは海底からそれを力の限り投擲したのだろう。
では本体は―――本物はどこに、と考えが巡るセシリアの耳が、海面を突き破るもう一つの水音を拾う。
反射的にその場を飛んでいた。
その直後だった。ギャオゥッ、と空気を引き裂き空間に穴を開けんばかりの勢いで振るわれた大太刀の刃が、断熱圧縮熱で表面に付着した海水を吹き飛ばし、蒸発させながらブイを溶断してしまったのは。
海水を浴びながら露になったのは、やはり力也の―――戦いを心底楽しんでいるような、交戦的な笑みだった。
そのまま後方へと飛び退いたセシリア。だん、と踏み締めたのは、たまたますぐ近くを航行していたイーランド海軍の駆逐艦『インターセプター』、その後部甲板だった。
いきなり姿を現した侵入者に、甲板を警備していた水兵が何者かと声をかける。が、セシリアにはそれに答える暇はない―――今対峙している男、速河力也。その一挙手一投足から少しでも目を離せば、たちどころに首を刎ねられてしまうであろう事は明白だった。
案の定、力也の追撃は執拗で素早かった。ドン、と海面が大きく弾けたかと思いきや、両脚が海中へ沈む前に海面を踏み締めて大きく跳躍した力也が、セシリアの頭上―――駆逐艦『インターセプター』へ急降下爆撃を仕掛けんばかりの角度で急降下し、彼女を真上から狙っていたからだ。
獣の如き力也の猛攻に、セシリアは両手の刀で応じた。両腕の筋肉を総動員、腰の捻りも乗せ、遠心力の掛かった両手の刀で力也の一撃を受け止める。
直後、砲弾の着弾にも似た激しい金属音が轟き、その衝撃波で駆逐艦『インターセプター』の全長82m、排水量980t船体が、さながら荒波に晒されたが如く大きく揺れた。
甲板で、半ば人間を辞めた2人の剣士が全力で激突する様子に右往左往する水兵たち。その喧騒を他所に、力也とセシリアの一騎討ちは更にヒートアップしていく。
今度はセシリアが反撃に転じた。力強い踏み込み。姿勢を大きく下げたその一歩で力也の剣戟を紙一重で躱すや、沈み込ませた重心を上へ上へと伸ばす勢いを乗せた両手の刀でのかち上げ。ゴギィンッ、と装甲板を巨大な鉄塊で殴打したような金属音が轟く。
キメラの発達した筋力を総動員した一撃に、みしりと力也の左腕の骨が悲鳴を上げた。
戦いへの意欲は―――ある。
叶う事ならばずっと、永遠にこの女と戦っていたい―――死が間近に迫っているというのに、彼の本能は誰よりも戦いを欲していた。強敵との死闘、格上の相手との激闘を。
だがしかし、身体はその要求に応えられているとは言えない。
既に想定以上の肉体の酷使に、特に左腕は限界を迎えていた。
それもその筈である。数多の引きこもりを異世界送りにしてきたトラックの激突の如き勢いで繰り出される剣戟を、左腕一本で捌き切っているのだ。その負荷はとっくに骨が折れていてもおかしくないレベルにまで達しており、いつ壊れるか分からぬ左腕の激痛に、力也は苛立ちを覚えた。
何と脆い肉体か。
(チッ、鍛え方が足りなかったか?)
だがしかし、関係ない。
腕が折れたところで何だというのか。いざそうなれば口で刀を咥えて戦いを続ければよい。腕の一本、目玉の一つが無くなったところで、人間は死ぬわけではないのだ。そして生きている以上は何かしらの手段で戦える。だから命を失わない限り、この男から戦を取り上げることは到底不可能であった。
くるりと左手を回転させ、かち上げたセシリアの刀を上方へと受け流す。ギャギャギャッ、と火花を散らしながらセシリアの刀が力也の大太刀の刃を滑り、上へと逃れていった。
無防備なセシリアの脇腹に、力也の膝蹴りが突き刺さる。
バキュ、と骨が折れた感触をセシリアは確かに感じた。
これが人間の蹴りなのか、と驚愕してすらいた。
身長180cm、体重100㎏―――適切な力のかけ方さえ心得があれば、その破壊力は何乗にも跳ね上がる。だがしかし、キメラとして生まれたが故に常人よりも堅牢なセシリアの肋骨がへし折れるレベルともなると、それは建築物を解体するための鉄球の激突にも匹敵するレベルの威力と断じて良い。
折れた肋骨の激痛に顔を歪ませたセシリアの目の前に、甲板の上に大太刀の切っ先を擦りつけながら力也が迫る。
力任せに振るわれる大太刀の一撃。咄嗟に右手の刀一本でガードしたが、脇腹から伝う肋骨が内臓を串刺しにする激痛が、彼女の足から踏ん張る力を奪った。
巨人に殴りつけられたような勢いで、セシリアの身体が軽々と吹っ飛んだ。先ほど力也を造船所から貨物船まで吹っ飛ばした時のように、今度はセシリアが海面へと投げ出される。
「がっ……!」
水切りの要領で海面をバウンド、そのまま何度も海面を転げながら、背中が堅い何かに当たってかち上げられる。
ガシャンッ、と吹っ飛ばされた彼女を何かが受け止めた。
フェンスだ―――造船所から貨物船の甲板へ、そこから今度は軍の駆逐艦へと戦いの舞台を移した力也とセシリアの戦いは、巡り巡ってどうやらペンドルトン家の造船所、その外周部へと戻ってきたらしい。
視線を巡らせると、後方にはペンドルトン・インダストリーの造船所と、そこで建造中の戦艦アルゴノートの巨大な影が見えた。
「くっ……くっくっくっくっくっ」
笑いが込み上げてくる。
ああ、こんなにも強い相手と戦うのはいつぶりだろうか。
今までは何ともつまらぬ戦いばかりだった。この世界には本気を出して戦える相手は存在しないのではないかとまで思っていた。
それがどうだ……こんな島国に、ここまでも腕の立つ男がいようとは。
立ち上がり、フェンスを飛び越えた。
直後だった。月明かりを背に空中から落下してきた力也の斬撃が、侵入者防止用のフェンスを軽々と溶断してしまったのは。
「―――すまんな、待たせた」
「いいさ」
ニッ、とセシリアは笑みを浮かべる。
ここならば邪魔は入るまい―――心置きなく戦える。
セシリアが前に出た。左の刀を振り上げ、力也がそれに反応している間に右の刀を彼の喉元へと突き出す。が、両刃の剣のような禍津大蛇の切っ先は獲物の喉を突き刺す事はなく空を切った。
躱されたのだ。首を傾け、紙一重で。
ならば、と刃を翻しそのまま力也の首を狙う。至近距離からの斬撃でありセシリアも力を込め辛い一撃となるが、それでも彼は無事ではいられまい。
だが、しかし。
速河力也という男は、どこまでもセシリアの期待の遥か斜め上を行く男なのだと再認識させられる。
ドッ、と右腕に鈍い痛みが走る。見ると、そこには彼の大太刀―――『朱桜』の柄尻が鈍器さながらにめり込んでいて、刃を彼の首へと振るおうとするセシリアの腕を押しとどめ、阻んでいたのである。
一旦距離を取り、地面を踏み締めて再度前に出た。
反時計回りに一回転しながら両手の剣を遠心力を乗せて振るう。涼しい顔でその一撃を防ぐ力也であったが、しかしその目がガードと同時に見開かれたのを確かにセシリアは見た。
そこからだった―――力也の反撃から、力が抜けたように思えたのは。
速度はそのままだ。しかし刀で受ける斬撃に”重み”が感じられなくなる。
力也からの斬撃を上へ横へと受け流すと、今度は彼が距離を取った。
―――腕の骨が逝ったのだ。
無理もない。
キメラの兵士であるセシリアの重い斬撃を、何度も何度も左腕一本で受け続けていたのである。骨格が強靭だとか、機械の骨格が入っているならばまだしも、鍛えたとはいえその強度は獣人の範疇を出ない。人間の肉体とは実に脆いものである。
どうする、続けるかと問いを投げようとするセシリアだったが、そんな言葉など無粋の極みであるとすぐに理解する事となる。
震える左手の刀を口へと運んだかと思うと、力也はその長い柄を口に咥え、なおも変わらぬ戦闘意欲に満ちた眼孔でセシリアを睨んできたからだ。
その紅い目が訴えている―――「まだ腕の一本が折れた程度じゃあねえか」と。
傷つき、なおも戦おうとする力也の姿に、今は亡き夫の姿が重なった。
(ああ……やはりそうなのだな)
世界が違っても、やはり力也は力也なのだ。
セシリア・ハヤカワという女がただ愛した、生涯の伴侶。
ならばこちらも全力で迎え撃たねば、無礼の極みというものである。




