双刃激突
やはりそうか。
やはりそうだ―――この男も力也だ。
勢いを乗せて叩きつけられた大太刀の一撃を、両手の刀を交差させて受け止める。幸い脳天から股下まで一刀両断にされるという醜態を晒さずには済んだが、しかし受け止めた一撃の衝撃はあまりにも強烈過ぎた。
まるで至近距離から放たれた対戦車砲を受けているかのようで、刀を通じて伝播した衝撃が両腕を、肩を苛む。腕の中の骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げ、両腕を金槌で叩き潰されたかのような激痛に歯を食いしばった。
重い―――コイツの攻撃は、一発一発が尋常じゃなく重い。
刀ではなく巨大な鉄塊を振り回しているかのような重さがあるのだが、それをこの男は隻腕で―――しかもおそらくは利き手ではない方の左手一本でこれだけの破壊力を生み出している。
腕一本でこれなのだ、五体満足でなおかつ全盛期であったらどれほどの使い手であったか……そこまで考えてしまうと、思わず背筋が冷たくなる。
それだけではない。
右足に力を込め、力也の一撃を押し返す。僅かに体勢を崩した力也に対し反撃に転じながら、視線を奴の刀に一瞬向けた。
最初は黒かったその刀身、特に刃の部分がうっすらと朱色に染まっている。
先ほど鍔迫り合いを演じた時、その熱は確かに伝わってきた。まるで溶鉱炉の中で灼熱に晒された金属塊を近づけられているような、そこにあるだけで肌を焼く確かな熱。
あれほどの速度の斬撃なのだ、振るう刀に断熱圧縮が発生しているのだろう。
推定速度はマッハ5……6、いやそれ以上か。もはや振るうだけで刀の周囲に衝撃波が発生し、その後方に真空の空間が生み出されるレベルの一撃は、ヒトの身で繰り出せる剣戟としては限りなく限界に近付いているのかもしれない。
全く―――私の夫といい、この男といい……。
「力也―――お前面白いな」
「!」
両手の刀を地面に擦り付け、火花を巻き上げながら振り上げた一撃。左右の斜め下から相手を抱きしめるかのような挙動で放ったそれを、力也は後方へステップを踏む事で回避した。
やはり戦とはこうでなくては。
思わず笑みが込み上げてくる。刀を振るう度に、致命傷たり得る一撃を紙一重で躱す度に、相手の息遣いを感じる度に、そして己の死を意識する度に―――今ここに自分が生きているのだと、戦の中に生きているのだという事を意識する事が出来る。
嗚呼、素晴らしき哉。
キメラの一族、ハヤカワ家の栄達は戦と共にあった。
そしてキメラという種族は本能的に戦を求める。一方的な虐殺ではなく、強敵との死闘を。
そう、今まさにこの戦いのような―――!
身体中の細胞が湧き立つ。血液の一滴が、骨の一本が、筋肉繊維の一片が、私という生命を構成するすべてが歓喜に打ち震え、今のこの戦いを全身全霊で謳歌していた。
あくまで彼は同位体、パラレルワールドの別個体。
だが―――それでこそだ。
それでこそ、私が生涯の伴侶として選んだ男、その同位体!
お前にならば討たれても良い、お前であれば―――お前ほどの強い男であれば!
受け身は性に合わぬと反撃に転じる力也。大太刀の切っ先を足元のコンクリートに擦りつけ、金属の擦れる音と火花を撒き散らしながら駆け寄るや、それを必中の間合いで振り上げる。
ドン、と空気が爆弾と化したような轟音が耳を聾した。キーン、と一瞬だけ音の全てが聴覚から消え去る。
振り上げられた刀の一撃―――それが衝撃波を発し、前方の空間を派手に引き裂いた。それだけではない、刀と共に振るわれ足元のコンクリートから剥離した微細な破片たちが、さながら手榴弾の破片、あるいは散弾の如く放射状に撃ち出され、私の目の前を面で攻めてくる。
力也の刀を右手の刀一本で受け止めつつ、左手の刀を振るって破片を全て吹き飛ばす。
この男―――受け止めた刀諸共砕くつもりで打ち込んできおる。
なるほど、それがこの男の剣なのだろう。邪魔する者は全て斬り伏せるという修羅の如き剣。
ならば私も、それを捻じ伏せてみせよう。
左手の刀を逆手持ちにし、足元に突き立てた。
そうして両手で右手の刀を握る。
両腕の筋肉が一瞬だけ膨張した。
押し込まれる一方だった刀が息を吹き返す。ぎりぎりと刃が擦れ合う音が響き、火花が散った。
そのまま力いっぱい力也の刀を押し返す。だが力也は諦めない、ならばもう一度打ち込むまでだと、さながら獲物を執拗に追い立てる猟犬の如く再び攻め込んでくる。
左手を伸ばして突き立てた刀を掴み、両手を交差させるように刀を振るった。
ギャオゥッ、と大気が悲鳴を上げる音。
力也が目を見開いた。攻勢に転じた筈の彼が、咄嗟に大太刀を目の前に構えて私の一撃をガードする。
長大な大太刀が受け止めた、二振りの刀。
今では珍しい切先諸刃造の刀身は、うっすらと朱色に染まっていた。
バカな、と言いたげだった力也の顔。しかしすぐにその口元は、驚愕から快楽の笑みへと変わっていく。
そう、お前と同じだよ、力也。
お前がそうであるように、私も全力で刀を振るったまでの事だ。とはいえ毎日何千、何万回も素振りを行い、それに合わせて身体を鍛え続けたお前の一芸にはさすがに及ばないが―――しかし私とて、毎日鍛錬を続けている。
推定斬撃速度、マッハ7。
斬撃を受けた力也であったが、刃が伴う衝撃波で彼の足元のコンクリートが抉られたように歪んだ。
そのまま押し込んでやろう、と力を込めるが、とん、と腹に何か押し当てられた感触がしたと思った次の瞬間には、今度は私が吹き飛ばされていた。
蹴られたのだ、と理解した事には、身体や頭を何度もコンクリートの地面に叩きつけながら転がり、乾ドッグに搬入されていた機材の山に突っ込んでやっと止まった。
何と粗暴な、とは思わない。
武士とは刀だけが全てではないのだ。接近戦の基本は格闘戦、柔術やその他の格闘術という下地があってこそ剣術というものは成り立ち、また新たな次元へ昇華される。
ゾッとした。全身の毛が逆立つような感覚―――死の予感、とでも言うべきか。
立ち上がり、身体を後方に大きく逸らす。直後、私の首の高さを―――当たっていれば確実に首を刎ねていたであろうコースで、朱色に染まった大太刀の刃が凄まじい勢いで駆け抜けていった。
なんと見事な一撃か。
獣のように荒々しく、力任せな剣術などでは決してない。思った通りの場所へ、思い描いたコースで刃を叩き込み、予想通りの結果を実現するであろう精密な刀剣のコントロール―――人馬一体という言葉があるが、まさにそれだ。あの刀はあの男にとっての肉体の一部、その延長であるのだろう。
逸らした身体を元に戻す勢いで、そのまま跳躍し縦に一回転。両手の刀を縦に振るい、回転した勢いを乗せて力也へ振るう。
当然のように受け止める力也だったが、その顔にはうっすらと汗が浮かんでいた。呼吸も乱れ、大きく吐いた息が朱色の刀に触れ、熱風へと姿を変える。
地面に足を突き、そのまま右へと一回転。回転する勢いを乗せて後ろ蹴りを繰り出すと、ちょうど踵の部分が人体の、おそらくは肋骨の部分を踏み締める感覚があった。
みし、と骨が軋む。そしてその骨格が歪み、バキ、とへし折れる感覚を確かに感じた。
「ガフッ……!」
量産型のホムンクルス兵ですら、素手で分厚い金庫や装甲板をぶち抜くほどの筋力があるのだ。そしてそんな兵士たちのオリジナル、その子孫たる私もその程度の芸当ならば当たり前のようにできるし、何ならジャングルの中の750㎞もの距離を1時間で走り抜ける事だって造作もない。
その脚力で放たれた蹴りは、馬のそれをも上回る。
いくら剣術に秀でた身とはいえ、その身体構造までは変わらない。ヒトはあくまでもヒトの仔なのだ。
肋骨を粉砕された力也が、造船所の外まで吹っ飛ばされていく。造船所の外、停泊している駆逐艦の艦尾を掠めてついに海へと吹っ飛ばされた彼は、石を投げて水切りする要領で水面を何度もバウンド。赤熱化した刀身を急激に冷却しながら、ちょうど海を航行していたタンカーの甲板、そこに積み上げられたコンテナの山に突っ込んでやっと止まる。
常人ならば死んでいるだろうが―――力也よ、まだ終わりではあるまい?
私には分かる。お前はまだ生きていると。
仮に両腕を失ったならば両脚で、両脚が無くなればその牙で、牙が無ければ相手を呪い殺す勢いでかかってくるような人種なのであろう?
ならばまだ、戦いは続く。
それに―――こんな楽しい戦い、ここでやめてなるものかよ。
「が……っは……!」
右の肋骨が逝ったようだ―――脇腹から感じる、まるで刀で串刺しにされているような激痛から、折れた肋骨の一部が内臓を貫いているのだろうという事を悟る。
携行していたエリクサーを口に放り込み、噛み砕いてから呑み込んだ。痛みはさすがに引かないが、もぞもぞと身体の中で骨やら筋肉やらが蠢いているのを感じる。
上には上がいる、という言葉がある。どれだけ強い戦士でも、広い世界の中にはそれ以上の使い手が必ず存在するのだ、と。
だから俺は上を求めた。より強い存在を。遥かな高みに居る存在を。
きっとそれが、その到達点があの女なのだ。セシリア・ハヤカワという女剣士。あれほどまでに強い奴は見た事がない。
あの女が剣を繰り出す度に、何度死を覚悟した事か。何度頭の中に走馬灯が思い浮かんだ事か。
今ではすっかりマンネリ化した走馬灯上映会。飽きてしまい脳内の二頭身力也くんズが寝てしまうほどだが、そんな事はどうでもいい。
死を何度も予感させられる戦いだが、こんなにも楽しい戦いは生まれて初めてだ。
「お、おいアンタ……大丈夫か!?」
「……ん」
びしょ濡れの身体を起こし、周囲を見渡す。暗い海の向こうにはペンドルトン家が保有する造船所と、そこで建造中の戦艦アルゴノートの巨大な影が見えた……どうやらあの女の蹴りで海まで吹っ飛ばされ、運よくそこを通りかかった貨物船に派手に突っ込んだらしい。
よく生きてたもんだ、と思ったその時だった。
造船所と貨物船の間に広がる海原に、ドン、と巨大な水柱が噴き上がったのである。
常識的な思考であれば何かが爆発したか、あるいは戦艦の砲撃でも始まったのかと思うだろうが―――違う、どっちも不正解だ。正しい答えは俺には分かる。
あの女だ。セシリアが、俺を追撃せんとこっちに向かっているのだ。
「おいアンタ!」
「な、なんだよ」
「死にたくなけりゃ船室に引きこもってろ! それから泳ぐ準備もだ!」
「おいおい、何を言って……!」
「―――いいから、早く!!」
貨物船の船員を怒鳴り付け、彼が怯えながらもどたどたと甲板を走っていく音を聞きながら刀を構えた。
目を見開く。
やはりそうだ―――あの女、セシリアがこっちに向かっている。海の上を全力で走りながら。
「化け物かよ」
派手な水柱を吹き上げながら海の上を爆走、貨物船へと向かってくるセシリア。
息を吐きながら刀を構えている間に、セシリアがついに貨物船に到達した。両足で水面を踏み締めるや、一際大きな水飛沫を吹き上げて大きく跳躍。土砂降りのように降り注ぐ水滴を引き連れて、貨物船の甲板の上へと降り立つ。
彼女の刀に降り注いだ海水が、じゅう、と音を立てて湯気へと姿を変えた。
「―――良かった、まだ生きていたか」
笑みを浮かべながら言うセシリア。それはまるで、本当に俺の身を案じてくれているようだった。
なるほど、近くで見てみるとなかなか整った顔立ちをしている。夫婦喧嘩になったら心底おっかないし、尻に敷かれる事は確定だろうが……この女を嫁に貰えた男は勝ち組だろうな。
などとそんな事をついつい考えてしまうが、しかし彼女が浮かべている笑みの真意はそんな事ではない。「まだ生きてるなら戦えるよね、さあやろうか」という意味の笑みだ。
まあいい、望むところだ。元よりあの程度のつまらん一撃で、この戦いを終わらせるつもりなど毛頭ない。
この俺の剣が遥か格上の相手に届くか否か、それを見極めてみせよう。
腹に力を込め、視力の残る左目でセシリアを睨む。
足に力を込め、先に仕掛けた。ドン、と全体重を乗せて踏み締めた甲板の板が抉れ、バキッ、と悲鳴を上げる。
左上から右下へと振り下ろし、今度は右下から左へと振り払う二連の斬撃。しかしセシリアは涼しい顔をしながらそれを躱し、あるいは刀で受け流しながら、両手に盛る二振りの刀を縦横無尽に振るって反撃してくる。
相も変わらず恐ろしい女だ。
刀とは、俺も人の事は言えないが、普通は両手で扱う武器である。両手でしっかりと柄を握って振う事で、素早く鋭く、そして重い一撃を放つ事が出来るのだ。
しかしあの女はそれを片手で、しかも二振りの刀を変幻自在に操って攻撃してくる。その剣戟の重さは鉄の塊でぶん殴られているようであり、あの華奢な身体の一体どこにそれほどの膂力があるのかと思ってしまう(よもや鬼の一族ではあるまい)。
圧倒的膂力の剣戟を受け流し、反撃に転じながらも俺はこの戦いを心底楽しんでいた。
これほどの使い手との戦い、後にも先にもないだろう。生涯一度きりの一戦であるというならば、全力で行かなければもったいないというもの。
刃のように鋭い光を放つ月の下で、3つの刃が激突した。
ミリオタ庶子世界の剣士にとってヒートホーク(人力)は必須科目らしい




