ペンドルトン・インダストリー襲撃
ペンドルトン・インダストリー。
イーランド帝国における造船業最大手であり、栄えあるロイヤルネイビーの艦艇のほぼすべてがこの企業により建造されたものである、という話は有名だ。
海洋国である聖イーランド帝国の海軍戦力を一手に支える大動脈とも言える企業であり、今では国内向けだけではなく倭国や、そして新たな顧客となったイライナ向けの軍艦建造も行っている。造船所やドッグの規模は極めて大きく、こうしてドローン越しに見てみてもその施設の規模の大きさには驚かされる……テンプル騎士団本部といい勝負ではないだろうか。
乾ドッグには5隻の巡洋艦が仲良く並び、造船所ではドレットノート級戦艦の発展型と思われる次世代主力戦艦の建造が始まっている。既に船体は完成していて、艦橋までその上に乗っている状態だ。武装はまだ施されていないが、何となくどこに主砲を搭載するのだとか、そういうのが映像からも読み取れる。
しかし目標はそれではない。私が破壊するべき目標は別にある。
(―――)
目を瞑り、視覚を共有したドローンの映像をズームアップ。造船所の中、『№4』と記載されたエリアにはドレットノート級戦艦と思われる艦が組み立て途中で放置されており、その完成は間近に迫っているように思えた。艦橋も煙突も、砲塔も既に搭載済みとなっており、後はおそらく電気系統の整備程度で進水式を迎えることになるのだろう。
ドレットノート級戦艦四番艦『アルゴノート』―――聖イーランド帝国が、イライナへ売却しようとしている準弩級戦艦。
ノヴォシアにもインペラトリッツァ・カリーナ級戦艦を始め、その発展型の大型艦は数多く配備されている。海軍力では決して後塵を拝しているわけではないのだが、最大の懸念点はあれほどの強力な戦艦が、よりにもよってイライナのアルミヤ半島に配備されるであろう事だ。
知っての通り、ノヴォシアは極寒の地。冬になれば”冬季封鎖”と呼ばれる封鎖が始まり、多量の降雪量により街と街、村と村のあらゆる交通網は完全に遮断される。それによって国内の物資の流通は完全に停滞、国民は冬までに貯め込んだ備蓄で何とか苛酷な冬を乗り切らなければならなくなる。
そして苦しい思いをするのは、海軍も同様だった。
冬になればあそこは海が凍る。だから海軍の艦艇も軍港に帰港したり、出撃する事が出来なくなってしまうのだ。
しかしアルミヤ半島は違う。あそこは南方にあるが故に比較的温暖で、冬になっても海が凍らない稀少な不凍港である。もしイライナが独立してアルミヤが彼らの手に落ち、更にその不凍港にイーランド製の高性能戦闘艦が配備されればどうなるか。
黒海での戦闘は、特に冬季ではイライナの一方的な勝利に終わってしまうだろう。それに対しノヴォシア側は自慢の海軍を出撃させる事も出来ず、凍てついた軍港で指を咥えて見ている事しかできない。
皇帝カリーナの抱く危機感も分かるというものだ(とはいえ今の今までイライナ人を虐げてきたツケが回ってきただけとも言える)。
が、しかし。
「……」
目を細めた。
(妙だな)
【ええ】
ミリセントの肯定する声を聴きながら、ドローンを一通り造船所の上空を旋回させて映像を精査してみる。
広大な、それこそ何かのテーマパークでも建てられそうなほどの広大極まりない敷地内。大型の戦艦が何隻も建造されている巨大な造船所の敷地内には、しかし作業員や警備員の姿が見当たらない。
おかしいどころの話ではなかった。
あそこは聖イーランド帝国での造船業最大手であり、帝国の海軍戦力を支える大動脈だ。ならばそこで 働く従業員も多いだろうし、優秀な警備員を雇っているのも当たり前である。特に現在、北海の所有権を巡ってノヴォシアとやり合っているのだ。密偵に対する警戒もしていておかしくはない筈である。
それが、造船所の中はもぬけの殻なのだ。
照明はついている。重機類はそのままの配置でエンジンだけが切られており、工具はひとまず最低限の整理整頓を済ませてから放置されているようだ。
造船所の敷地内には、人っ子一人いない。
(罠か?)
【……その可能性はあります。ペンドルトン家の現当主は相当なやり手のようで】
(……)
【その娘も腕が立つようです。長女エリスと次女エミリアは特に……それと同志シェリルからの情報では、倭国から婿も迎え入れたのだとか】
(エミリアとエリス、か)
因果なものだ。
これも運命なのか、と思う。
(いずれにせよ、任務に変更はない。これより戦艦アルゴノートを破壊する)
【危険です】
(承知の上だ)
ドローンとのリンクを切り、武器を準備した。
メインアームは愛用の20式小銃。サイドアームはSFP9……どちらにも潜入を想定してサプレッサーを装着している他、20式小銃にはホロサイトとブースターもある。後は手榴弾各種と破壊工作用のC4爆弾、そして白兵戦用の刀2本と小太刀1本。
銃をチェックした後、腰に提げた鞘から刀をそっと抜いた。
通常の刀とは異なり、切先の部分から刀身の半ばほどにかけて両刃となっている。西洋の伝統的なロングソードなどの剣を緩やかに湾曲させたような、普通の東洋の刀とは一風変わった形状をしていた。
いわゆる「切先諸刃造」と呼ばれる、古い形式の刀だ。
技術陣に要望を送り製造してもらった名刀―――黒刀『禍津大蛇』。
同志シャーロットが培養したゾンビズメイの単分子構造の鱗をベースに、戦闘人形にも用いられている装甲材で補強した代物だ。また刀身の根元には人工賢者の石も使用されており、必然的に切先側の方がやや重くなる構造となっているため、斬撃の際に遠心力が乗りやすい設計となっている。
切先の部分に『切先諸刃造』という古い形式を持ってきたのも、斬撃と、そしてより殺傷力の高い刺突の両立を意図しての事だ。
さて、と。
肩を鳴らし、襲撃決行まで潜んでいた廃アパートを出た。
おそらく……というよりは間違いなく、これは罠だろう。急ピッチで戦艦の建造が進められているのだから、昼夜問わず造船所が稼働していてもおかしくないというのに、今日に限って従業員どころか警備員すらいない。
それでいて照明はそのまま、重機もエンジンを切って乗り捨て同然の状態で放置されている。
相手はおそらく、私の……というよりはテンプル騎士団の襲撃を察知したのかもしれない。その可能性は高いが、しかし疑問は残る。
帝国側とのやりとりも、そして部下とのやりとりも、どれも魔力通信を用いて行っていた。
魔力通信は後期生産型のホムンクルス兵と、そしてそのオリジナルであるタクヤ・ハヤカワの直系の子孫である私に許された能力。頭の中で相手に伝えたい事を思い浮かべるだけで、その思考がそのまま相手に伝わる。
無線のように傍受される心配はないし、ジャミングの影響もない。外部に漏れる可能性はゼロなのだが……。
それだけではない。
私は他のホムンクルスたちとは違い、純血のキメラだ。それもあって魔力通信以外にも、然るべき設備冴え用意できれば他のホムンクルス兵に意識を憑依させて操ったりする事も出来るし、彼女たちの思考や行動を監視する事も出来る。
だから今や数少ないホムンクルス兵の中の誰かが裏切って、敵に情報を売り渡した……という可能性はゼロだ。それは私がこの目で確認している。
では一体何が?
外部の裏切りか、それともたまたまか。
まあいい……罠だろうと何だろうと、その時は力で粉砕してやればいいだけの事。
今まで何度もやってきた事だ、分かりやすくていいではないか。
敷地内へと踏み込んだ。やはりというべきか、魔力センサーや結界といったトラップの類は何もない。警備員の詰所を覗いてみたが、中はもぬけの殻だ。とはいえついさっきまでは警備員が居たようで、書きかけの日誌にまだ湯気の立つ紅茶の入ったマグカップがそのままの状態で放置されているし、ラジオからはノイズ交じりに音楽が流れている。
念のため、警戒しながら進んだ。
殺気は何も感じない。というより、この造船所内には私以外に生きている者の気配を感じないのだ。気配の消し方が上手いのか、それとも本当に誰もいないのか。
(ミリセント)
【はい】
(周辺に動きは)
【ありません。ペンドルトン邸には人がいるようですが】
(……そうか)
ちらりとペンドルトン邸の方を見た。
ペンドルトン邸は正面が屋敷に、その後方に従業員の宿舎があり、その更に後方にこの広大な造船所を抱える構造となっている。どうやら従業員の宿舎に明かりがついている事から、ここで働いていた労働者たちは宿舎に引き上げたようだ。
気味の悪さを覚えながらも、予定通りに造船所内にある戦艦アルゴノートへと接近する。信じがたい事にここまで人の姿を見ていないし、トラップも見ていない。あまりにもノーガード過ぎて、本当に怪しくなる。
もしくはそれが狙いなのか、と深読みしながらも、乾ドッグの中で建造中だったアルゴノートの船体にC4爆弾を仕掛けていく。
後は船体を支えている柱にもだ。乾ドッグの中で横転するように仕向ければ、船体の立て直しに多くの時間を割く事が出来るだろう。運が良ければそのまま廃艦に追いやる事も出来るかもしれない。
そろそろ引き上げるかと踵を返した。
誰もいない造船所の中は、まるで人類滅亡後の世界を思わせた。私以外の全ての人間が死に絶え、ただ1人で誰も居なくなった世界を歩く……この前読んだSF小説にそんなものがあったな、と思いながらも戦艦アルゴノートから十分に距離を取り、C4爆弾の起爆スイッチを準備する。
ガラスのカバーを外し、起爆スイッチを押した。
(……)
―――爆発しない。
妙だな、故障か? それとも私の信管のセットの仕方が拙かったのか、と己を疑い始めたその時だ。
どさっ、と目の前に何かが落ちてくる。
抹茶色の、傍から見れば茶葉を使った羊羹にも見えるそれは先ほど私が設置したC4爆弾だった。しかもセットした信管部分が刃物のような鋭い何かで切断され、見事に破壊されてしまっている。
これでは起爆できるはずもない……他の奴も同じように破壊されたか、と悟りながら、C4爆弾を私に投げつけた張本人の方に目を向けた。
「―――物騒な事をしてくれる」
聞き慣れた声に、身体の芯がびくりと震えたのを感じた。
薄暗い闇の中から、その声の主が姿を現す。
長身で筋骨隆々、鍛え上げられた格闘家といった感じの体格だが、しかしその右腕の在るべき場所には何もない―――二の腕の半ばほどから先は無く、袖は中身なくひらひらと夜風に踊っていた。
右目には大きな古傷があり、開かれている眼球はしかし真っ白に濁っていて、視力が死んでいるのは明白だった。そしておそらく彼は狼系の獣人なのだろうが……頭髪の中から伸びる右側のケモミミは何かに千切られたようで、こちらも半ばほどから上が無くなっている。
何とも痛々しい姿だが、しかし彼を哀れむのはその鋭い眼光と殺気が許さない。むしろ、手傷を負った事で何か壁のようなものを飛び越えたのだろう。この私であっても油断すれば殺されると本能で分かる。
だがしかし、それ以上に。
その男の顔は、私の心を乱すには十分だった。
傷だらけで痛々しい、東洋人の男。
その顔はあまりにも―――あまりにも、今は亡き夫に似ていた。
おそらくは同じ人間なのだろう。並行世界の同位体、同じ人間だが別個体。つまりはそういう事だ。
速河力也―――倭国からイーランドへ婿にやってきたという、隻腕の剣士。
なるほど、エリスとエミリアの夫……か。
―――これも因果か。
くっくっく、と思わず笑みがこぼれた。まったく、神とやらは人間の運命を弄ぶのが好きと見える。よもや世界を、次元の壁を跨いでもなお因果関係は健在なり、か。ここまで一致すると笑えてくるというものだ。
「女、ノヴォシアの密偵……ではないな?」
「ああ……そうだな」
「……どこかで会ったか?」
「……さあ、どうだか」
銃を構え、力也に向けた。
―――強いぞ、この男。
戦わなくともその目を、そして威圧感を肌で感じれば分かる。これほどの威圧感……本能に直接触れ、それを蝕むかのような殺気を身に付けるのは簡単な事ではない。それは相手が何よりも戦いを渇望し、血飛沫舞う死闘の果てに研ぎ澄ましてきたものだ。
キメラは本能的に戦いを求めるという―――私もその自覚がある。
ああ、だからこそ。
胸の内から溢れ、迸るこの感覚は抑えようがなかった。
―――こいつとやり合いたい。
―――力の限り戦ってみたい。
「……まあ、そんな事はどうでもいい……それよりお前、強いだろう?」
「ああ、強いよ」
答えると、力也は口元に笑みを浮かべた。
期待通りの返答に、彼も戦闘意欲を押さえきれなくなったのだ。
半ばほどまで残った二の腕を利用し、脇に大太刀の鞘を挟んで引き抜く力也。長大な、そして相手を斬る以外に無駄な機能を全て省いたような実用性重視の刀が、鞘の中から顔を出す。
彼もきっと退屈していたのだろう。私もそうだ。
計画のためにと裏で暗躍することが多かった―――だから思い切り戦う事なんて、今までなかった。
「―――じゃあ、やろうか」
彼の言葉に応えるように、私は20式小銃の引き金を引いた。
黒刀『禍津大蛇』
セシリアがテンプル騎士団技術陣(恐らくシャーロット?)に要望を出し製作を依頼した二振りの刀。培養したゾンビズメイの鱗をベースとし、戦闘人形の装甲材で補強しつつ刀身内部の根元にも人工タイプの賢者の石を使用するという重量配分で、切先にゆくにつれて重くなる設計となっている。これにより斬撃に遠心力が乗りやすく、セシリア自身の膂力も相まって爆発的な破壊力を発揮する。
また切先は『切先諸刃造』という形式(※平家の秘宝「小烏丸」が有名)となっており、セシリア曰く「斬撃とより殺傷力の高い刺突を両立した殺しのための刀」との事。
名前の禍津大蛇は、直訳すると『災厄の大蛇』となる。




