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繋がる世界、生じる亀裂


 今のテンプル騎士団が国際情勢において最も注視しているのは、ノヴォシア帝国の状況である。


 彼等にとってノヴォシア帝国は後ろ盾であり、資金と情報を提供してくれている、いわばスポンサーだ。しかしそのスポンサーは国内においては国民の不満を、そして西方においてはイライナ独立運動という2つの難病を抱えており、いつそのまま倒れるか分かったものではない。


 あまりにも分かり切った泥船だった。


 だがしかし、泥船にも使いようはある。要は水に溶け、崩れ、沈んでしまう前に対岸まで飛び移ってしまえばよいわけであり、沈没は不可避であっても自力で対岸まで飛び移れるところまで進む事が出来れば、彼等としてはそれでいいわけだ。

 

 しかし帝国の崩壊を遅らせる事が出来さえすればそれに越した事はなく、形ばかりでも帝国の国益に適うように動いてやらなければならない。


 今の帝国はテンプル騎士団内部ではこう陰口を叩かれていた―――『Ёar яide au glloce(北方の病人)』と。


(で、そんな事のためにこの私に動けと?)


 微かな苛立ちを滲ませながらそう思考すると、彼女が思考の海の中で紡いだ言葉はそのまま遥か遠方の同胞―――皇帝ツァーリカリーナの傍らに控えるホムンクルス兵、ラスプーチンの頭の中へとすぐに転送されていった。


【はい。それが陛下のご意思のようで】


(なんども迷惑な話だ)


 彼女の苛立ちが伝播したのか、はたまた偶然か……遠方のホムンクルス兵たちとの()()に使う部屋の中に持ち込んでいた私物のレコードが、ドビュッシーの月の光の旋律に何とも不快なノイズを滲ませる。


 針が飛んだのだ。


 自力では帝国の衰退を押さえきれず、崩壊が秒読みに入り始めた段階で泣きついてきた弱者が何を言うか―――そう憤るセシリアだったが、しかし今ここで彼らに帝国を崩壊させられてしまっても困るのは事実である。


 少なくとも、この世界にただ一発残された()()()()()()『イコライザー』、その不発弾を無事に回収するまでは。


(……で、病人からの注文は何と?)


【最近、イライナがイーランドとの接触を図っているとの事です。ご存じですね】


(ああ)


 イライナがかつてのキリウ大公の子孫を見つけ出して祭り上げ、帝国からの独立とイライナ公国復古を掲げ動いているという事は、既にセシリアの耳にも入っている。そして血盟旅団の長、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフがそのイライナ独立計画の尖兵としてノヴォシア国内で動いているとも。


 イライナはその肥沃な大地を持つことから『世界のパンかご』とも呼ばれている。帝国に併合されてからというもの、ノヴォシア国内の食料自給率は爆発的に向上したが、その6割から8割をイライナが担っているというのは有名な話である。


 それだけではない。政策を農業中心から工業中心へと強引に転換した際、マルキウやザリンツィクといった大都市に出資して大規模な工場の整備を行った事で、今のイライナは農業大国であると同時に工業大国としても成長した。


 もしここで、国家として熟し切ったイライナが独立する事になれば、ただでさえ民衆の不満が積もりに積もり革命の兆しが見え隠れしているノヴォシアがどうなるか……考えなくても分かる事である。


 だから帝室としては是が非でもイライナの独立を回避したいのだろう。飴と鞭を使い分けて巧みに独立の阻止を図っているようだが、しかしイライナ国内に潜伏している工作員からの情報を見るに全て徒労に終わっているようだ。


 元々イライナ人は誇り高い気質を持ち合わせている。戦争に敗北し、強引な形で帝国に併合された挙句、その後も奴隷同然の扱いを受け虐げられてきたのだから当たり前であろう。これがもし、帝国側がイライナを対等に扱う姿勢を見せたり、帝国の食糧事情を支える存在としてリスペクトを払っていたのであれば、彼等も態度を少しは軟化させたのかもしれないが。


 さて、そんなイライナだが最近になって独立の際、あるいは独立後の国際関係について各方面に根回しを行っている。


 ノヴォシア共産党との一時共闘を皮切りに、周辺諸国から支援の約束を取りつけたり、軍事力の整備に躍起になっているのだ。独立宣言を出せば、間違いなく帝国はイライナ侵攻に踏み切る筈だ―――『帝国の秩序を脅かす野心的な分離主義者の征伐』という大義名分と共に。


 帝国がイライナの独立阻止に躍起になっているのはそういった事情意外にも要因がある。


 不凍港の確保、だ。


 ノヴォシアは寒冷地であることは周知の事実であり、それは歴史を見ても侵略者からの守り手として機能している。フランシス王国からの侵略戦争において、徹底的な焦土戦術と組み合わせた事でナポロン将軍を惨敗に追い込んだのは今でも帝国の勝利の歴史として語り継がれている(成功体験をいつまでも引き摺っているだけとも言うが)。


 しかしその冬は、当然ながらノヴォシアにも牙を剥く。


 その煽りを最も受けるのが、おそらく海軍だろう。


 冬になれば海が凍ってしまい、保有している軍港の実に8割が利用不能となってしまうのである。冬場に海軍が機能不全を起こすとなれば、侵略するにしても国防にしても弱点となってしまうのは明白であり、故に不凍港の確保に躍起になるのは当然と言えた。


 その貴重な不凍港の1つが、イライナ南方のアルミヤ半島にある軍港である。しかしイライナの独立を許してしまえばアルミヤ半島共々()()()()()になってしまい、ノヴォシアは貴重な不凍港を1つ失う事となってしまう。


 イライナが将来的に敵国になる事を鑑みても、『自分たちは軍港が凍るせいで海軍を出せないのに、イライナは自由に海軍を季節問わず動員できる』という一方的な関係が成り立ってしまう。それだけは是が非でも防がなければならないという焦りは、部外者であるテンプル騎士団でも何となく察していた。


 ノヴォシアの弱みを握り、巧みに独立の準備を進めるイライナ独立派。そのカードの1つとして用意したのが、北海の制海権を巡ってノヴォシアと対立している聖イーランド帝国との接近であった。


 北海の海底には石油が眠っている。それ以外にも豊富な水産資源の眠るあの海を手中に収める事が出来れば、経済的な効果も決して無視はできない規模になるだろう。


 しかしイライナのアルミヤ半島には今もなお貧弱な海軍しかなく、独立戦争になれば黒海を巡る攻防戦で出遅れるのは必定だ。


 そこでイライナは聖イーランドを交渉のテーブルに呼びつけ、取引を始めた……『イライナ独立の暁には北海の権利関係においてイーランド有利になるよう取り計らう事と引き換えに、黒海で使うための軍艦を用意してほしい』と打診したのである。


 狡猾なイーランドはこの打診にすぐ飛びついた。北海での対立がイーランド優位に傾き、更に『世界のパンかご』からの食糧支援も取り付ける事が出来るとなれば、軍艦の5隻や10隻など安いもの。これから先の利益を生み出すための先行投資として、彼等はその取引を快諾したという。


 帝国としては、それが面白くないのだ。


(で、その取引を台無しにしろと)


【はい、皇帝陛下ツァーリはそのように仰っています】


(小娘め……)


 シートに背中を深く預けながら、セシリアは苛立ちを隠さなくなる。


 が、放置していれば力尽きるのはノヴォシアの方である。


(まあいい、事情は分かった。早急に手を打つ)


【同志団長のお手を煩わせてしまうのも心苦しいですが……何卒、よろしくお願いいたします】


 交信を終え、息を吐いた。


 足手まといを抱えながらの戦いが、こうも窮屈なものとは。


 心の底に沈殿するストレスに、しかしセシリアは不敵な笑みを浮かべる。


 イーランドとイライナの取引を台無しにする―――つまりはイーランドと一戦交えよ、という事だ。


 向こうにも強い敵は居るのだろう。もし機会があるならば、一戦交えてみるのも一興ではないか。


 そう思うと病人からの要求にも、なかなかどうして興が乗るというものだ。


















 聖イーランド帝国は、北海と大西洋を越えたはるか先にある島国である。


 海峡を挟みフランシス()()()やドルツ諸国と面しており、列強国の間には熾烈な戦いの歴史があった。そして今、栄えある女王陛下の帝国はその影響力を極東地域に求め、中華ジョンファ帝国やチョソン半島、そして倭国とも積極的な交流を行っている。


 特に倭国はジョンファ側でのノヴォシア帝国の影響力を大変憂慮しており、聖イーランドもノヴォシアの南下政策を阻止したいという思惑から両者の利害が一致。更に倭国側の大企業『速河重工』から、イーランドの造船業最大手『ペンドルトン・インダストリー』に長男が婿入りした事で経済界においても親密な関係となった両国はついに同盟を結ぶに至り、イーランドからは数週間ごとに軍艦が倭国へと回航されているのだという。


 確かに、実際にイーランドの帝都ロードウの地を踏んでみればそれがよく分かった。港には軍艦が所狭しと並び、街の中央を流れるエイムズ川を時折装甲艦が行き交うそれは、きっと海軍大国の日常なのだろう。


 私服姿でエイムズ川を見下ろしながらそう思う。


【どうです、同志団長】


 頭の中にミリセントの声が聴こえた。どうです、というのは調子はどうか、という意味だろうか。彼女は優秀な副官だが、時折言葉足らずになるのが玉に瑕である。


(どうもなにも)


 手に持っていた新聞紙を広げ、中にくるんであったフィッシュアンドチップスを豪快に齧った。揚げ過ぎたのだろう、衣はやや黒ずんでいて硬く、おそらく鱈を使ったと思われる中身はパサパサだ。味は悪くないのだが如何せん食感がよろしくなく、それでいて脂っこい。


 事前情報で『イーランドの飯は不味い』という情報は仕入れていたし、何なら実際に現地に飛んだ経験のあるシェリルから詳しく話を聞いた。なんでもこの程度は序の口で、「パイから魚の頭が飛び出した何か」や「生臭いゼリーの中に浮かぶぶつ切りウナギ」という、なんというか……なんだろう、力也の手料理が割とマジで恋しくなるレベルの料理がこの国にはあるらしい。


(……ごはんおいしくない)


【……資金に余裕がありますので、同志団長のお好きな稲荷寿司を用意しておきます】


(よしがんばる)


 少しだけやる気が出た。


 しかし、今は特にあの小娘を―――こんな大西洋のど真ん中に私を押しやった皇帝カリーナを恨んでやりたい。本当に何なのだこの国は。こんなに料理が不味い(※全部が全部ではないのだろうが)国に私を飛ばすとは、本当にいい度胸をしている。


 後で覚えてろ、と酢と塩で味付けされたフィッシュアンドチップスを口の中に押し込んでボリボリと咀嚼した。手元に残った脂っこい新聞紙をさてどうするかと思ったが、さすがにエイムズ川に投げ捨てるのはマナーがなっていないというものだ。


 こう見えて私はハヤカワ家9代目当主であると同時に、テンプル騎士団8代目団長。上に立つ者がマナー違反を犯していては部下たちに示しがつかないし、何よりあの世に居る父上に叱られてしまう。あの人はマナーだとか礼節に特に厳しい人だった。


 懐中時計を取り出し、時刻を確認しながら歩いた。


 今は午前10時……空は程よく晴れ渡り、海鳥たちの鳴き声と羽ばたく音、それからエイムズ川を下っていく装甲艦や駆逐艦の警笛の音が入り混じり、海洋国家に居るのだという事を痛感させられる。


 さて、その海洋国家の誇るロイヤルネイビーを支えているペンドルトン・インダストリーの造船所はどこにあるのかというと、ここから目と鼻の先にある。


 ロードウ湾の方にある巨大な屋敷がそれだ。ペンドルトン家の屋敷で裏の方が造船所となっている。情報では倭国からの発注だけではなくイライナからの発注まで受け、3番艦『エジンコート』で建造を打ち切る予定だったドレットノート級戦艦を急遽さらに一隻増産。現在あのドッグでは4番艦『アルゴノート』の建造が始まっているようだ。


 今回の目標はそれだ。建造中の造船所に潜入、建造中のドレットノート級戦艦『アルゴノート』を破壊、ないし損傷を与え建造計画に遅延を生じさせる事。破壊は無理でも建造計画に遅延くらいは与えなければ、皇帝カリーナへの手土産にはならないだろう。


 しかし警備も厳重だ。このまま真っ向から突っ込んで攻撃しても良いのだが……大事になるような真似は避けたい。こちらも秘密組織だし、ノヴォシアが仕掛けた破壊工作と勘繰られてしまっては面倒だ。


 決行はやはり今夜の方が良さそうだ。


 まあいい、近隣にミリセントが用意してくれたセーフハウスがある。


 ひとまずそこに行こう……少しは美味い保存食とか、そういうのもある筈だ。





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― 新着の感想 ―
[良い点] イライナが独立した場合、こちらで言うクリミア半島相当の土地が失われ、不凍港を一方的に入手されてしまうから助けて…ですか。内憂を山程抱えたノヴォシアにとっては切実でしょうね。ターゲットが弩級…
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