潜入、帝国魔術学園
この世界の魔術は、彼女たちの世界の魔術と根本から異なるものであると聞いている。
シェリルたちの世界の魔術は術式を設計図とし、それに魔力を流す事で発動するシンプルなものだ。術式次第で魔力消費量も、最終的な出力も変化するから創意工夫が重要であるとされ、そしてもちろんそのスタートラインは個人差が大きい。
素質や生まれつき持つ魔力量に左右され、中には生まれ落ちた時点で魔術師への道を閉ざされてしまう者も決して少なくなかった。
それに対しこの世界では、魔術は宗教と密接な関係にある。
英霊や精霊、神といった存在に対し信仰心を持つ事で、その力を借りて発動する太古の英雄たちの奇跡―――それがこの世界の魔術である。
そしてそれもまた、生まれつき個人が持つ適性と魔力量に左右される―――結局のところ、完全な平等などと言うのは夢のまた夢であり、不平等の是正など上辺だけの綺麗事、現実を知らぬ人間の言葉でしかないのだろう。
ともあれ、そういう背景もあってか学園内には教会のようなステンドグラスや、昔に活躍したという英霊の彫刻、肖像画の類が多く展示されていて、特に1階は美術館のような有様だ。
曲がり角を曲がる前に聞き耳を立てる。カツ、カツ、と近付いてくるブーツの音。足音の重さから察するに体重70㎏程度、筋骨隆々の格闘家のような体格といったところか―――接近してくる警備員の体格を推し量り、まあいけるであろう、と頭の中で結論を出したシェリルは、ライフルの保持をスリングに預けて両手をフリーにする。
ランタンの灯りがすぐ脇を通過した。聞こえてくるのは陽気な鼻歌……この世界の流行歌か何かだろうか。あまり音楽を嗜むことなく、芸能面にも疎く、娯楽に興じることもあまりないシェリルには無縁な世界の、無縁なメロディーだ。
警備兵はその瞬間、何が起こったか理解できなかったに違いない。暗闇から急に華奢でしなやかな2本の腕が伸びてきたかと思いきや、獲物を絞殺さんとする毒蛇の如く首に絡みついていたのだから。
声を発したり、暴れる暇などあろう筈もなかった。ぎょっとしながらランタンから手を放し、シェリルの腕を振り解こうとその柔肌を掴もうとするよりも先に、そのすらりとした腕からは想像もつかない銃器のような力で、強引に首の骨をへし折られていたのだから。
コキュッ、と小気味の良い音を断末魔に、警備兵の巨体から力が抜けた。
ナイフや銃で殺す、という選択肢はなかった。可能ならば彼女がここに居た事を指し示す痕跡は残してはならない。テンプル騎士団とはそういうものだ。常に闇に紛れ、その関与を表沙汰にはしない―――特にテンプル騎士団最強と謳われる【特戦軍】であれば特に。
とにかく、標的に文字通り出血を強いてしまう殺しはこういう状況において極力避けるのが賢明だ。やむを得ない場合を除き、首の骨を折って始末するのがベストであろう。
ランタンの灯りを消し、死体を肩に担ぎながら、さてどこかにこの巨漢を隠すいい場所はないかと視線を巡らせるシェリル。そんな彼女の思考がシャーロットにも共有されていたのだろう、ポン、という電子音が脳に響いたかと思うと、戦術機眼の表面に紫色のマーカーが表示された。床を這う蛇のように、紫色のホログラムが矢印の形にハイライト表示される。
それを辿っていくと、倉庫のような部屋が見えてきた。普段はあまり使っていないのだろう、ガラスから覗く室内には埃が溜まり、天井には蜘蛛が大きな巣を作っているのが見える。
ドアノブを握ったが、当然ながら鍵がかかっていた。
ポーチからピッキングツールを取り出し、針金状の工具を鍵穴へと差し込んでいく。カチカチと何度か弄り回しているうちに、ガギン、と鍵の外れる音が聴こえてくる。
部屋の中に死体を隠し、ドアを閉めた。
死体を放置すればゾンビ化の恐れがあるが、ここであれば問題はないだろう。あまり使っていない部屋とはいえ異臭ですぐに気付く筈だし、後で死体に気付いたところで帝国中枢は既にテンプル騎士団の掌握下にある。警察組織への根回しも容易いし、中には組織に対し随分と従順になった飼い犬もいる。
ありがとう、と心の中で言葉を思い浮かべると、【どういたしまして】というシャーロットの楽しそうな声が聴こえてきた。
魔力通信とは便利なものだ。いちいち言葉を発しなくても、頭の中に思い浮かべた思考を直接ホムンクルス兵の同胞と共有する事で、遠隔地でも意思の疎通ができるようになる。後期生産型のホムンクルス兵のみが持つ個体間ネットワークであり、ジャミングの影響も一切受け付けない事から全ての通信機器を時代遅れにした代物だが、しかし誤って変な思考まで共有してしまう可能性がある事だけは気をつけたい。
昔、同僚から『上官の悪口を思い浮かべたら魔力通信で本人に全部筒抜けで、後で殴り倒された』という笑えない話を聞いた事がある。願わくばそれがフィクションか、あるいは尾鰭がついた話であって本当は幾分かマシである事を願いたいものだ。
足音を立てないよう細心の注意を払い、教員室のある3階へ。どの教室もすっかり閉まっており、当たり前だが学生の姿はない。それもそのはず、今は誰も彼もが学生寮に戻って宿題をするか、少ない自由時間を謳歌するか……今はそういう時間だ。
シャーロットが作成してくれた特注のステルススーツのおかげで、ブーツは全くと言っていいほど足音を発していなかった。
ゴムなどの素材をベースに特殊な処置を施す事で、生じるであろう足音に真逆の位相の音を生じてぶつけて発生する物音を無音とする……もっとぺらぺらと、専門用語を交えて長ったらしく説明していたが、要約するとそういう原理であるらしい。
また身体から生じる体温が外部へ流れることを防ぐのでサーマルでの探知も難しく、魔力を用いた結界でも探知は簡単ではないという、潜入向きの装備品と言えよう。
こういった肌にぴったりと張り付いてボディラインが浮き出るような類のスーツは装備した事がないが、今後の任務で役に立ちそうなのは明らかだった。それにこれも組織のため、そして祖国のため。恥ずかしいなどと言っている場合ではない。
警備兵も居ない事を確認し、シェリルは教員室のドアにある窓から中を覗き込んだ。暗い廊下の中、まだ明かりがついている教員室の中では、ターゲットであるソルドロフ教授がカバンに魔導書を詰め込んでいるところだった。これから教員宿舎に戻るところなのだろう。
ドアを開け、教員室の中へと踏み込んだ。
こんな時間にやってくるはずのない訪問者に、ソルドロフ教授はぎょっとした面持ちで振り向く。明らかに警備兵でも、学園の関係者でもなく、武器をこちらに向けているとなれば外敵と判断するには十分で、その判断に従い教授は傍らに立てかけていた魔術師の杖を素早く掴み向けようとする。
が、魔力が杖に流し込まれるよりも先に、シェリルの構えたQBZ-191が小さな銃声と共に火を吹いていた。中国独自規格の5.8×42mm弾は西側の5.56mm弾や旧ソ連圏の5.45mm弾と比較すると質量が重く、そして貫通力に優れる。生半可な遮蔽物ならば諸共にぶち抜いてしまうほどだ。
そんなもので撃たれた杖が、真っ二つにへし折られて床を転がる。おそらくは教授の触媒だったのだろう―――戦闘中における触媒の喪失は、魔術師にとっては切り札の喪失を意味する。
目を見開きながらも抵抗を続けようとするソルドロフ教授。しかしその懐から小型のペッパーボックス・ピストルが引き抜かれるよりも先に、肉薄したシェリルの振るったライフルのストックが教授の右肩を殴打していた。
ピストルを握る前に肩を打ち払われ、大きく体勢を崩す教授。そんな隙を晒した彼の顎に、無慈悲な銃床のかち上げが叩き込まれたのは直後の事だった。
「あぐ―――」
仰向けに床に倒れ込んだ彼の眉間に、サプレッサー付きのQBZ-191が突きつけられる。
教授の蒼い瞳は震えていた。
「な、何者だお前は!? か、金が目的か!?」
「―――使えない男」
呆れたように、シェリルはそう言葉を漏らす。
ライフルから手を放し、ナイフを引き抜いた。そのまま教授の上に馬乗りになる格好で、片手で彼の右手を、そして両足を自分の両足でしっかりと抑え込みながら、ナイフの切っ先を教授の首筋へと近付けていく。
騒ぎ出す前にその切っ先を軽く表皮に潜り込ませた。シリコン製の、精巧に作られたシリコン製の表皮はあっさりと切り裂かれ、中からメンテナンス用のプラグが顔を出す。
ドン、とナイフを教授の顔のすぐ近く、床のタイルに突き立てた。騒いだら殺す、という意思表示に教授は震えながらも黙り込み、大人しくなる。
ポーチからメンテナンスキットを取り出し、プラグへと差し込んだ。
教授の瞳から、光が消えた。
虚ろな操り人形のような目に変わる―――本人を模倣した自我が一時的に殺され、メンテナンス用のスリープモードに入ったのだ。
【―――入った】
(どうです)
【……ふむ、脳内の命令受信プログラムにバグが見られる。珍しいねェ……ここ、こういうバグり方するんだ。ふーむ興味深い】
(手早くお願いします)
【ああ、すまないね同志。初めての症例だからつい】
申し訳なさそうに言うと、咳払いをしてからシャーロットは続けた。
【このプログラムをアップロードしてくれたまえ、たった今作った修正パッチが入ってる】
たった今―――症例を確認してから10秒足らずである。
本当に10秒以内に修正用のプログラムを組んだのかと驚きながらも、言われた通りにメンテナンスキットのコンソールを操作して修正パッチをアップロード。バーが100%まで移行したのを確認してからプラグを外し、切り裂いた人工皮膚を静かにつなぎ合わせる。
教授の上から退くと、虚ろな目でぼんやりと天井を見ていた教授がむくりと起き上がった。まだその瞳に光はなく、作り物のような雰囲気を醸し出している。
スタンバイモードだ。初期設定や再設定を言語によって行うためのモードで、擬態している本人になりすますための自我はこの時点では封印されている。
「個体識別番号TEG-667、修正パッチを適用」
『インストール開始……正常にインストールされました。システム立ち上げ中』
これでいい。
任務完了です、とシェリルは踵を返し、教員室を後にした。
ドアを閉めたところで教授に自我が戻ったらしい。折れている自分の杖を見るなり「あ゛ァー!? わ、私の杖がァー!?」という悲壮な叫びが背後から聞こえ、シェリルは少しだけ申し訳ない気分になった。
【うん、いいぞいいぞ。異常なし……クックックッ、これならば期待通りの仕事をしてくれそうだ】
(それは良かった)
【今回も完璧な仕事だったよ同志シェリル。後でこのボク特性の栄養ドリンクをあげよう】
(遠慮しておきます)
栄養ドリンクとはアレではなかったか……以前、色々と素材を調合し化学変化に化学変化を重ねて製造したあの紫色の粘液のような……。
それが発する有毒ガスを受けた実験用のマウスが全滅してしまい、同志指揮官から厳重注意を受ける羽目になったというアレだ。なんでも、ガスを吸い込んだ実験用のマウスは呼吸器系が溶け、爛れていたのだという。
ホムンクルス兵でも吸ったら死ぬレベルの毒物だ。そんなものを飲ませようとしてくるとは何事か。さすがに冗談であると信じたいシェリルであったが、しかしすぐに意識を切り替える。
学園を出て、塀を飛び越え、そのまま車道の向かい側にあるアパートの壁に張り付く。窓枠と壁の微かな凹凸に手をかけてそのままよじ登り、屋根の上まで上り詰めてから学園の方を振り向いた。
殺害したのは警備兵1人のみ。まずまずの結果と言えるだろう。
これならば同志団長もお喜びになる―――そう思いながら屋根の上を走り、回収予定ポイントまで急いでいたその時だった。
(……)
……つけられている。
言うまでもなく、シャーロットは気付いていたようだ。視界に『Дas faigs au memяer tha maous jevan?(仕事増えちゃったねぇ?)』とクレイデリア語でおちょくるようなメッセージが表示され、頭の中で「うるさいですよシャーロット」と彼女への思いをイメージする。
さて、これで真っ直ぐ直帰というわけにもいかなくなった。
尾行してくるという事は、先ほど学園内でやっていたことを見られていた可能性がある。そうでなくともテンプル騎士団へと至ろうとする部外者は全力で排除しなければならない。
足をぴたりと止め、そっと後ろを振り向いた。
三日月を背景に、アパートの煙突の上に人影が立っている。
「―――学園内に潜入して、一体何をこそこそやっているのか」
―――やはり、見られていた。
面倒な、とシェリルは目を細める。
そこに居たのは学園の制服に身を包んだ獣人の少年だった。手には触媒と思われる魔術師の杖が、腰には非常用と思われる短剣が鞘に収まった状態で下げられており、制服の上からマントを羽織っているところを見るに学園の中でも優秀な魔術師である事が分かる。
そして確証はないが―――このやけに自信に満ちた声、というよりもイキっているような声音から、シェリルは仮説を立てていた。
この少年は転生者ではないか、と。
転生者―――彼女たちの世界にも存在した。
いわゆるチートじみた力に酔い、一部の者はその力を悪用して私利私欲のために使い、そして最終的にはハヤカワ家の始祖により絶滅寸前まで追い詰められた。
この世界にもそういう輩が居たのか、とシェリルは少し感心する。
よくもまああそこまで慢心できるものだ、と。さぞ周囲に甘やかされ、囃し立てられながら挫折を知らずに育ってきたに違いない。
「やれやれ、だんまりか? だったらボコして身体に聞くしかないな?」
「……」
出てこなければ、殺される事も無かったものを。
自分の力を見せつけたいがために出てきた―――そんな雰囲気を隠さぬ転生者の少年に辟易しながらも、シェリルは頭を戦闘モードに切り替える。
いずれにせよ、少しは戦える。
定時退社に失敗した憤りも、少しは晴らせるというものだ。
テンプル騎士団特殊作戦軍
テンプル騎士団内部の部署の一つ、通称『特戦軍』。各部署から選抜された優秀な兵士のみが所属する特殊部隊のみの部署であり、部署内にはそれぞれ『陸軍スペツナズ』、『空軍スペツナズ』、『海軍スペツナズ』が存在する。
従来の特殊部隊の指揮系統では陸軍や空軍へ本部を介した要請が必要であり、迅速な支援が不可能という点は特殊作戦の遂行において致命的であったことから規模を拡充、部署内に陸、海、空の三軍を持つに至った。
当然ながら兵士の練度は高く、世界最強と謳われるテンプル騎士団内部において『化け物』呼ばわりされる兵士ばかりが所属している組織の切り札。
なお、パヴェルはその中の陸軍スペツナズ、数ある中で最強と言われた『第1分隊』で”アクーラ1”のTACネームで活動していた。
スペツナズ指揮官就任から戦死するその瞬間まで直属の部下を1人も死なせていない事で名高く、様々な戦果からアクーラ1のTACネームは永久欠番扱いされている(後に撤回)。




