蒼い兵士は夜闇に踊る
実戦ほど胸が高鳴るものもあるまい。
装備をチェックしながらシェリルはそう思う。生物にとって食事や睡眠、もっと言えば呼吸が当たり前であるように、彼女たちホムンクルス兵……いや、その原型たるキメラには戦が当たり前の事だった。
キメラの祖先は戦に生き、戦で栄達を重ね、戦に死んでいった傭兵だ。それが遺伝子レベルで刻まれ、世代を重ねるうちにいつしか本能として刻まれていったのだろう。
ゆえにテンプル騎士団の歴史は、また戦と破壊、殺戮の歴史でもある。
シェリル自身はそれを恥だとも、おぞましいとも思わない。
なぜなら人類の歴史もまた、破壊と殺戮に満ちた血生臭いものに他ならないからだ。猿が武器の扱いを覚え、縄張り争いから始まり、石の棍棒が剣に、マスケットに、自動小銃に代わり、最近ではドローンを始めとした無人機に変わろうとしている。
結局のところ、モラルに多少の変化はあれど、手に持つ玩具が変わっただけで本質は何も変化していないのだ……石器時代から一歩たりとも、である。
人類全体がそれなのだから、テンプル騎士団だけを人類のカテゴリから切り抜いて糾弾するなどナンセンスの極みではなかろうか。自らの行いを棚に上げ、よくもまあそんな事が言えたものだ―――シェリルにはそう思えてならない。
それと同時に、自分たちほど世界平和という概念から遠い場所に立つ存在もないだろう、という自覚もある。
だがそれで良い。
弱肉強食……地球に生命が誕生したその日から始まった生命のサイクルこそ自然の摂理なのだから。
【降下2分前。艦底ハッチ解放】
脳内に響く無機質な機械音声。それを合図に目の前のハッチが解放され、星空と純白の雲海が眼前に広がった。艦内に吹き込んでくる風に煽られながらも規定の位置に立ち、降下に備えるシェリル。
【コンテナ投下、投下】
降下に先んじる形で、装備品の収まったコンテナが滑り落ちるように格納庫から投げ出されていった。円筒状の対衝撃コンテナが雲海に呑まれるや、今度は自分の番が回ってくる。
【降下開始】
ビー、と響き渡るブザーに背中を押され、雲海へと身を投げた。
吹きすさぶ猛風の中、しかしパンゲア級空中戦艦『レムリア』の威容はそこにはない。何もない星空の中、透明な"何か"がそこにあるだけだ。
光学迷彩システム『ラウラフィールド』と呼ばれる装備による効果だった。艦首にある発生装置から微細な氷の粒子を散布、光の屈折を利用して対象を透明にするという代物で、その名はテンプル騎士団創設メンバーの一人であり【鮮血の魔女】の異名を欲しいがままにした氷の魔術師、『ラウラ・ハヤカワ』に由来している。
母艦の気配も遥か頭上に去り、始まるのは高度1万mからの自由落下。雲海を突き抜け、重力が導くままに降下していくシェリルの眼下にやがて広がったのは、学術都市ボロシビルスクの規則正しい夜景だった。
ノヴォシア帝国の科学技術の象徴、最先端技術が集まる街。しかしその夜景も視界の右へと去るや、暗黒の地表がぐんぐん迫ってくる。
そろそろか、とシェリルは両手両足を大きく広げながら、身体中を外殻で覆う。右腕以外の生身の部位がパキパキと音を立て、青い外殻に包まれていった。
空気抵抗を受けた手足が、暴力的な待機の圧力を受け後方へと押し流されそうになる。空気抵抗を受け減速したとはいえ、落下傘を利用した空挺降下と比較するとそのブレーキ効果は微々たるものだ。
しかしそれで十分だった。彼女たちホムンクルス兵は、高度1万mからの自由落下で死ぬほどヤワではない。
隕石、あるいは高高度から投下されたレーザー誘導爆弾にでもなった気分だった。視界いっぱいに広がった地面と激しい振動。脳を揺さぶる衝撃に頭がくらりとするが、しかしこれにももう慣れっこだ。
起き上がり、土を払い落としながらクレーターの底から這い上がる。
手早く装備を探さなければならない。さもなくば、先程の爆音を聞き付けた周辺住民からの通報を受け、憲兵が駆け付けてくるかもしれないからだ。
一応は秘密組織としてやっている以上、軍事作戦が白日の下に晒される事だけは避ける必要がある。
一足先に投下された円筒状のコンテナはクレーターから10mほど離れた場所に突き刺さっていた。コンテナを引っこ抜き、コンソールにアクセス。指紋認証と暗証番号を入力し、ロックを解除する。
中には1丁のアサルトライフルがあった。訓練でも使用した、中国製のQBZ-191だ。それと30発の5.8×42mm弾を装填したマガジンが11個、しっかりと収まっている。
各種手榴弾と一緒に装備を回収してから、再びコンソールにアクセス。今度は別の暗証番号を入力すると、途端に円筒状のコンテナがボロボロと崩れ始めた。
内蔵されたアンプルが割れ、内部に充填された微生物『メタルイーター』が活性化し解き放たれたのである。
休眠状態から目覚めた微生物たちは瞬く間にコンテナを構成する金属やプラスチック類を食い尽くすや、対衝撃コンテナを単なる錆びた金属粉へと変えた。
事後処理はこれでよし……と思ったところで、頭の中に声が響く。
【無事に降下したようだねぇ】
シャーロットの声だった。
【腕の調子はどうだい?】
(問題ありません。相も変わらずよく動く)
【それはよかった】
時間を問わず、シャーロットが付きっ切りで義手の調整してくれたのは、自分の弱さのせいで隙を晒し右腕切断に至った事を負い目に感じていたからなのかもしれない。あんなにも他人に無関心で、あるいは実験動物を見るような目で接していた彼女が、あそこまで親身になってくれたことにシェリルは少しばかり困惑していた。そしてまた、シャーロットにも人間らしい感情があったのだと安堵していた。
マッドサイエンティストにも、人間らしい一面は備わっていたのであろう。
スリングを腕に通してライフルを背負うと、がさりと近くの茂みが揺れ動いた。
野生動物でもいた……にしては、やけに茂みの立てる音が大きい。おそらく動物ではなく人間サイズ、そうでなくともクマなどの大型の動物であろう。
発達したホムンクルスの聴覚は鋭敏に聞き取っていた。
乱れる呼吸と足音の重み。目では見えなくとも他の五感から感じられる情報が、対象の正体をことごとく暴き立ててしまう。草と擦れ合う繊維の音からして、おそらくはこの辺を偶然通りかかってしまった農民であろう。
ホルスターからサプレッサー付きのQSZ-92-9(※中国製拳銃、92式手槍の9mm仕様)を引き抜いた。安全装置を解除し引き金を引くと、『ギャアッ……!』と短い悲鳴と共に、草むらの上に体重60~70㎏相当の肉の塊が転げ落ちるような音が聴こえ、やはり人間だったのだと確信する。
【見られたようだねぇ。処理したまえ】
(了解)
何と面倒な、と思いながらも歩みを進めた。
血の臭いがどんどん濃密になってくる。茂みを進んでいくと、やはりそこには左の太腿の辺りから血を流し、呻き声を発しながらも地面を這って逃げようとする中年の獣人男性の姿があった。
服装からして農民か労働者か、いずれにせよそういった身分の者なのだろう。たまたまボロシビルスク郊外にあるこの道を通り、シェリルの空挺降下を目撃してしまった―――そのまま通り過ぎればいいものを、好奇心からここにやって来てしまったのが運の尽きだ。
「Ой, подожди, подожди!(ああ、待って、待ってくれ!)」
男が何か命乞いじみた事を言う前に、シェリルは翻訳装置のスイッチを切った。途端に聞き慣れた母語から、全く意味の分からぬ未知の言語へと、男の発する言葉が一瞬で変わる。
表情からそれはおそらく命乞いか、それに似た意味の言葉なのだろうとは何となく想像がついた。が、ここで逃がして何になるというのか。男が律儀にこの一件を黙っているという確証はどこにもなく、いっそここで殺して口を永遠に封じてしまった方が機密保持の観点からもベストというものであろう。
躊躇は無かった。
パスッ、と眉間に9×19mm弾がめり込んだ途端、男は急に大人しくなった。
物言わぬ肉塊と化したそれに近付き、更に心臓に2発撃ち込んでおく。眉間を撃ち抜いた時点で即死は確定だろうが、念のためだ。
目撃者を消去したところで、シェリルはそっと拳銃をホルスターへと収め、ナイフを引き抜いた。逆手に持ったそれを死体と化した男の喉元に突き立て、一気に切り開く。
まだ息絶えて間もない死体から、バッ、と一気に鮮血が迸った。雨上がりの土の匂いが、一気に鉄臭い血の臭いに上書きされていく。
基本的に、魔物は夜になると凶暴化する。あるいは夜行性の種も多いため、夜間に人間の居住地を離れるような者は自殺志願者でもない限りほとんどいない。
がさり、と茂みが音を立てた。濃密な血の臭いに誘われて、早速食欲旺盛な魔物か肉食動物がやってきたのだろう。
そっとシェリルがその場を離れて1分も経たぬうちに、背後から肉を食いちぎる音、骨を噛み砕く音、臓物を啜る湿った音が聴こえてきた。
こうすれば夜中に出歩いた酔っ払いが、運悪く魔物に襲われたようにしか見えない。死体の放置は疫病の蔓延やゾンビ化による地域一帯の汚染地域化へと繋がるが、近隣に肉食性の魔物の生息地があるならば話は変わってくる。
死体は魔物や猛獣が適切に処理してくれるから、シェリルとしてもやりやすい。
(……すみません、無駄な時間を食いました)
【タイムスケジュールに乱れが生じた。少し急いでくれたまえよ】
(了解)
余計な手間が増えてしまった、と自分の迂闊さを恥じ、シェリルは暗い大地を駆ける。
目的地は闇の向こう、夜景の輝きを煌々と放つ学術都市。
【同志シェリル、作戦内容についてもう一度確認する。そのまま聞いてくれ】
(了解)
今度は指揮官であるボグダンの声が響いた。
【作戦目標は学術都市、帝国魔術学園で勤務している”ソルドロフ教授”……まずはこの男に接触しろ。目標は学園に残り、明日の授業の準備に精を出しているようだ……】
作戦内容ならば把握している。
アンドレイ・コンスタンティノーヴィッチ・ソルドロフ教授―――学術都市の誇る魔術教育専門機関、帝国魔術学園に勤務する教授の1人であり、水属性の適正Aを誇る優秀な魔術師。
実家はモスコヴァの由緒正しい魔術師の家系、ソルドロフ家。帝国中枢に対し一定の発言力を持ち、特に魔術分野においては大きな影響力を持つことから、テンプル騎士団による戦闘人形へのすり替え対象となった人物だ。
今頃は自分の正体にも気付かず、自分を他でもない本物のソルドロフであると信じ込み疑いもせず、せっせと明日の講義の準備をしているのだろう。
彼の目を、耳を通して情報を収集し、時折遠隔操作で命令を転送する事で帝国の軍事分野に影響をもたらしつつ情報を集めていたテンプル騎士団にとって不都合な問題が発生したのは、つい先日の事だ。
制御ユニットの不調なのか、ソルドロフがテンプル騎士団側からの命令を一切受け付けなくなったのである。
彼の目を通し情報を集めることはできるが、命令通りに動けない傀儡はもはや不要である。糸の切れた人形を、いつまでも傍らに置いておく人形師はいるまい。修繕の見込みがないのであればとっとと適切な処置を下し、新しい個体に交換する必要がある。
シェリルの任務内容は2つ。
まずはソルドロフ教授と接触し強制停止コードを使用、教授を強制停止させる。
その後異常の原因を確認し、手持ちの修理キットを使って異常を除去できるのであれば除去。不可能であれば回収し、新しい個体をソルドロフ教授として学園内に置いてくるというものだ。
後方任務とはいえ、最近はこの手の任務が増えている事にシェリルは少々辟易していた。
確かにこれも組織のため、そして祖国のための任務に繋がる。戦に勝利するためには諜報ネットワークの構築が欠かせず、正確な情報は相手に先んじる有効な一手となる事は歴史が証明している。
だからこの任務もその一翼を担うためのもの―――しかし彼女としては、そろそろ強敵との戦いが恋しくなってくる頃だった。
また、戦いたい。
クラリスという個体と、もう一度。
あの身体中の細胞が湧き立ち、滾るような感覚はシェリルの中に根付き、そして飢えにも似た感触を残し続けていた。
帝国魔術学園―――ノヴォシア帝国における魔術師の専門教育機関であり、その探求により魔術の新たな扉を開く事を目的とした研究機関。
国中から、そして海外からも留学生として優秀な魔術師が集まるここは、まさに帝国魔術界の中枢と言ってもよい。そしてそれらを指導する教授たちもまた、一流の人材ばかりとなっている。
今の時刻は23時。傍から見れば宮殿か、あるいは大貴族の屋敷にも見えるほど豪華で瀟洒な造りの巨大建造物。教員室にはまだ明かりがついていて、暗くなった廊下を警備員が巡回しているのがここからでも見える。
正門には2名の警備兵がランタンを片手に、最新鋭のレバーアクションライフルを背負いながら直立不動で仁王立ちしている。敷地内には両手にブレードを、そして頭部に水冷式重機関銃を1門備え付けた戦闘人形の巨大な影が、太古の恐竜さながらに浮かんでいる。
それだけではないな、と考えたシェリルは、そっと目を細めた。
途端に彼女の紅い瞳、その表面に紫色の幾何学模様が浮かび上がる。
―――戦術機眼。
眼球に、コンタクトレンズのように装着する事で立体映像を網膜上に投影する装備品だ。これも元は”同志大佐”が使用していた戦術義眼をベースに、目を失っていない兵士でも運用できるようにと改良を重ねた代物である。
サーマルに切り替え、続けてX線―――そこまで調べて異常が無い事を確認してから、最後に魔力探知モードに切り替える。
蒼く染まった視界の中、浮かび上がるのはゆらゆらと波打つウェーブ状の光だった。
結界である。
魔力式のセンサーで、触れればそのまま焼き焦がされるか、あるいは魔術師に探知されるか―――いずれにせよ、接触しても何も良い事が起こらない事だけは確かであった。
(面倒ですね)
【任せたまえ、今術式をハッキングしている】
シャーロットの声と共に、視界の端に何かをロードしているようなバーが表示された。凄まじい速度で左から右へと伸びていくバーが100%で停止すると、蒼く染まった魔力探知モードの中に浮かんでいた結界が次々に半透明になり、そのまま波が引くかのように消えていった。
(いったいどうやって)
【教授の目を通して学園の術式を見ていたからね、全て解析済みさ。魔力関係のトラップ解除はこのボクに任せたまえ。キミは大船に乗ったつもりで任務を遂行すると良い】
(……ありがとう、シャーロット)
【照れるじゃあないか】
これで仕事がやりやすくなった。
結界を回避する算段を全てかなぐり捨て、シェリルは夜景の浮かぶ闇の中へと身を躍らせた。




