クレイドル計画
「なぜ沈めなかったのです?」
パンゲア級空中戦艦の一番艦、ネームシップ『パンゲア』の薄暗い艦橋の中。最高司令官たるセシリアと、その副官ミリセントの2人以外には誰もいない艦橋は閑散としていて、時折何かを読み込むような駆動音ばかりが断続的に響いている。
この艦に乗っているホムンクルス兵は、ミリセントも数に含めたとしても30人もいないのではないだろうか。
全長500mにも達する巨大な空中戦艦の運航には、人間の乗員など不要だ。運行、攻撃、被弾した際のダメコンに至るまで、全てを機械とその頭脳たるAIが完全にカバーしてくれる。だから彼女たち人間がやる事と言えば、椅子に座って茶でも啜りながら、時折AIが提案してくる意見具申に対し承認か拒否かのどちらかを選択するだけだ。
この艦橋も例外ではない。指揮を執るセシリアと、副官ミリセントの2人以外には誰もいない。本来そこに居る筈の艦橋要員の座席にはドーム状のつるりとした黒い制御ユニットが合計で7基ほど置かれており、細かいスリットから紅い光を漏らしている。
艦の中枢たる艦橋でそれなのだ。持ち込んだアンティークな蓄音機から、大音量でドビュッシーの月の光を流しても、誰も咎める者はいない。この艦橋はセシリアにとっての第二の自室のようなものだ。
大きな座席、そこから伸びるアームレストで頬杖をつきながら退屈そうにしていたセシリアにミリセントが問うと、闇色の瞳がそっとミリセントの方を見た。
「……あれは脅しだ」
「であれば、撃沈でも良かったのでは。帝国の最新鋭戦闘艦が消息を絶ったとなれば、イーランドの三枚舌共も少しは弁えるでしょう」
ミリセントの言う事も最もだ。
それが彼女たち、テンプル騎士団のやり方だった。テリトリーに侵入してきた外敵は、警告なしに撃沈ないし撃墜するのが当たり前。それがたとえ、民間の航空機や豪華客船であったとしてもだ。
例外はない。
テンプル騎士団の栄達は、殺戮と共にあるのである。
が、しかし。
「まあそうだ。しかし我らテンプル騎士団単独で戦うわけではない―――北方の病人も同伴なのだ、不本意ながらな」
北方の病人―――今のテンプル騎士団は、ノヴォシア帝国と一種の共生関係にある。
活動資金や活動が容易になるよう政治工作などで手を回してもらう見返りに、テンプル騎士団側もまた帝室のために暗躍する。しかし傍から見れば蜜月のようにも見える関係は一方的で、そして恐ろしいほど脆いものだ。薄氷が防弾ガラスに思えてしまうほどに。
テンプル騎士団が単独でイーランドと戦うのならばそれでいいだろう。いつも通りに皆殺しにすればよい。しかし、国内に不満の種を幾重にも抱え、いつ爆発するかも分からぬ不安定なノヴォシアを庇いながら戦うとなれば話は別だ。
「面倒だが、まあそういう事だ」
「それは仕方ありませんね」
少しばかり、ミリセントの無機質な声に苛立ちが滲んだのをセシリアは鋭敏に感じ取っていた。
腹立たしいのであろう。弱い味方に足を引っ張られ、全力で戦えない現状が。
仕方のない事だ―――オリジナルの血脈に連なるセシリアも、そしてホムンクルス兵たちも、本能で戦いを欲してしまう。極限状態での殺し合いに楽しみを見出し、それを求めてしまう。
戦いたいのだろう、彼女も。
今までは格下相手の、弱い者いじめのような戦いばかりだった。はっきり言ってこの世界には、全力で戦えるほど強い相手がいない。
艦橋のドアが開き、向こうから黒い骸骨のような姿の戦闘人形が顔を出した。騎士の甲冑のようなアーマーを身に付けていない、裸の状態の戦闘人形だ。あるいはあのフレームの表面を人工筋肉や人工皮膚で覆う事で、特定の個人に擬態する事も出来る。
艦橋を訪れた戦闘人形は、人間と変わらぬ滑らかな足取りで2人の傍らにやってくるや、ぺこりと一礼してから片手のトレイに乗っていた水の入ったコップと栄養サプリメントを差し出す。
今の彼女たちに、かつての栄華を極めた頃のテンプル騎士団のような、潤沢極まる資金はない。不要な部分は切り詰め、排除しコスト削減を図り、何とか今の状態を維持している。
真っ先に排除の対象となったのは趣向品や食事だった。兵士のメニューからレトルト食品やレーションと言った類の食品が姿を消し、一粒で必要な栄養素とカロリーを摂取できるこのサプリメントが支給され始めて久しい(中にはこれ以外の味を知らない兵士もいるほどだ)。
「ああ、ありがとう」
《失礼シマス》
やや違和感のあるクレイデリア語で言い、戦闘人形は踵を返して艦橋を出ていった。
この楕円形のカプセルを口へと運ぶ度に、セシリアは幸せだった昔の事を思い出す。
戦争が一段落し、最愛の夫と共に購入した一軒家。そこに自分と夫、それから一緒に結婚した姉のサクヤと3人で暮らし、やがてサクヤと力也の間にシズルという愛娘が生まれた。
やはりあの頃だろう、セシリア・ハヤカワという人間が、最も人間らしく振舞っていた時期は。
夫の力也は料理が上手で、特に彼の作る油揚げをたっぷり使ったちらし寿司や稲荷寿司はセシリアの好物だった。ちょっとした夫婦喧嘩があっても、好物を見れば笑顔が戻る程単純な性格だったという事もあって、ハヤカワ家の食卓には油揚げが並ぶことが多かった。
(もう戻れないのか……あの頃には)
ふう、と息を吐いた。
「……航行ルート再設定。ノヴォシア本土へ進路を取れ」
《了解しました 航行ルート再設定 ノヴォシア本土へ進路を取ります》
合成音声の復唱を聴きながら、セシリアは懐中時計を取り出して時刻を確認した。そろそろか、と目を細め、ミリセントと共に艦橋を後にする。
パンゲア級は、極端に言えば人間が乗り込む必要はない。最悪の場合、遠隔地にある拠点からAIに命令を送るだけでも運用ができるほどに自動化された兵器だ。
だから艦橋を無人にしたところで何ら問題はない。1900年代初頭レベルの、航空機すら持たない技術水準の原始人がどうあがいたところで、この空中戦艦は落とせまい。
原始人がどれだけ犠牲を払い死に物狂いでかかってきたところで、石と棍棒では戦闘ヘリを撃墜する事など到底不可能なのだ。
エレベーターに乗り上階を選択する。パンゲア級の艦橋は艦首下部にある。
エレベーターを降り、薄暗い通路を進んでいくと、やがて流れてくるひんやりとした空気に薬品臭が混じるようになった。名も知らぬような化学薬品の刺激臭。それは通路を進む度により濃密になり、ついにはセシリアの種族でもある”キメラ”の嗅覚ではその不快感に顔をしかめてしまうほどとなってしまう。
薬品臭の発生源は、艦内に設けられた培養装置からだった。
広間には壁際に3つ、大きなガラスの柱と制御ユニットで構成された培養装置がある。その中にはケーブルに繋がれた肉片が浮かんでおり、段々と赤子の形になりつつあった。
赤子未満の、ホムンクルスの胎児。その頭部には既にキメラの特徴でもある角らしきものが見えており、ケーブルを通じて栄養素や酸素を送り込まれる度にびくりと震えている。
一番奥の培養装置の中には、他2つよりも成長した赤子が身体を丸めた状態で収まっていた。
「これはこれは、同志団長」
制御装置を操作していた白衣姿のホムンクルス兵―――”兵士製造担当”の『ブリジット』は、ミリセントを連れてやってきたセシリアを見るなり笑みを浮かべた。
「そろそろ生まれる時間だと聞いている」
「ええ。見てくださいこの子の目元。昔のミリセントにそっくり」
ミリセントがこうして培養装置から生まれてきた時、ブリジットはホムンクルス製造担当補佐官だった。少なくともミリセントが立って歩けるようになるまで、彼女の母親であったのはこのブリジットである。
培養装置の中で何かを蹴るように足を延ばす赤子を見て、セシリアは目を細めた。
ホムンクルス兵は皆、こうやって機械から生まれてくる。大量に保管され、培養されているホムンクルスたちのオリジナル―――タクヤ・ハヤカワの細胞。それに特殊な措置を施し培養することで、ホムンクルス兵という造られた生命が生まれてくるというわけだ。
そういう特殊な出生だから、ホムンクルス兵の多くは「母親」という存在を羨ましがるのだという。
あの赤子を見ても、やはりホムンクルス兵も人間なのだと思う。常人よりはるかに短い染色体を持ち、平均寿命が50~60年という短命であっても、身体の、心のどこか―――本能的な部分では未だに人間としての自覚があるのかもしれない。
今しがた足を延ばしたあの赤子だってそうだ。まるで子宮を蹴る人間の赤子そのものではないか……。
そっと手をお腹に当てた。
セシリアにも、子供がいる。
最愛の夫―――力也が死地へと赴く前、彼女に託した命。
ブリジットがパネルを操作すると、培養装置のポンプが作動した。黄緑色の培養液が排出されるにつれ、水位の下降と一緒に赤子も下へと下がってくる。
やがて培養液が完全に排出され切ったところで、ブリジットが培養装置を解放した。ガラスの柱、あるいはショーケースを思わせるそれが上へとスライドしていき、猛烈な刺激臭と共に赤子の泣く声が広間に響き渡る。
手慣れた手つきで専用工具を手に取るブリジット。生まれたばかりの赤子のお腹に、へその緒代わりに繋がれているケーブルを切り離した彼女は、清潔なタオルに赤子を包み込むと、優しく抱き上げて笑みを浮かべた。
「よしよし、良い子でちゅね~♪ ほーら、団長さんでちゅよ~♪」
さあどうぞ、と言わんばかりに赤子を差し出すブリジット。遠慮しながらも生まれ落ちたばかりの赤子を受け取り、かつて我が子にそうしたようにセシリアもホムンクルスの赤子を抱き上げる。
脳裏に、そして心の奥底に電撃が走ったのはその時だった。
―――生まれたばかりの小さな命。
―――両親の未来、家族の希望。
―――隣国の戦闘員によるテロ。
―――回収された小さな右手。
―――娘の死。
それを全て、間近で見てきた。
大切な愛娘を、自分自身の未来を失い、心を壊された姉の姿。
父親から復讐の鬼へと戻っていった、最愛の夫。
全てはあの時からだ―――あの時から、全てが完全に狂った。
ぺた、と頬に触れる小さな感触。
見ると、まだ目も開いていないホムンクルス兵の赤子が小さな手を振り回すや、セシリアの頬にペタペタと触れていた。
本能で母の温もりを求めたのだろうか―――羊水代わりの培養液に塗れたその手には、微かにセシリアの瞳から溢れた熱い雫の感触があった。
「……団長?」
「……すまない、昔を思い出した」
皆、知っている。
セシリアの過去に何があったのかを。
だから昔を思い出した、というだけで大抵は全てを察してくれる。
「ともあれ、この子が無事に生まれて良かったです」
「この子の生産ロットは140か?」
「はい、フライト140。身体に異常なし、健康で頑丈な身体のいい子です」
「それは良かった」
「ではこの子……【製造番号:QGL-140/660-30】は保育施設に回します。お名前はどうしましょう?」
「……それは後で考えておく」
「分かりました」
後は頼んだ、とブリジットに言い残し、広間を後にする。
そんなセシリアの背中へ、生まれたばかりの赤子は手を伸ばしていた。
「……」
どうしても、心が覚えているのだ。
失ったものの感触を、ずっと。
写真立ての中にある、家族の集合写真。生まれたばかりの愛娘を抱き抱える力也の目元には涙を流したような跡があり、それを見て笑うのは姉のサクヤ。そんな両親の腕の中ではシズルが大きく口を開けて泣いていたのは今でもよく覚えている。
幻肢痛というものがある。
手足を欠損すると、夜な夜なその失った筈の部位が痛み出すというものだ。吹き飛んだはずの腕が、千切れた筈の脚が痛みを訴える―――その喪失を忘れるな、と戒めるかのように。
きっとこれもその一種なのであろう―――そう思いながら、自費で購入してきたウォッカをグラスへと注いで一気に飲み干した。夫が、力也が好んでいた品種の酒。とにかくキツく、高濃度のアルコールをそのまま飲んでいるような感覚に喉が焼けそうになる。
(この計画さえ……これさえうまく行けば)
アルコールが回り、うっすらと赤くなった顔で写真立ての中の力也を見た。
(もう何も失わずに済むのだ……ずっと、ずっと)
それこそが、彼女たちの一族が抱いた夢。
―――ハヤカワ家100年の理想、『クレイドル計画』。
一度は凍結された”武力の揺り籠”ともいえるその概念は、しかし未だ息づいていた。
セシリアという、1人の女の中で。
キメラ
セシリアの種族。この世界とは異なる異世界で誕生した新人類であり、『人間の遺伝子と魔物の遺伝子を併せ持つ』事が定義となる。人間の知能と魔物のパワーを併せ持つ戦闘に特化した種族であり、獣人とは似て非なる存在。
セシリアの祖先は初めてこのキメラとなった最強の転生者であると言われており、彼女の肉体には祖先の代から受け継がれてきたサラマンダーの遺伝子が宿っている。とはいえ遺伝子的に不安定なキメラは『突然変異の塊』と言われる程変異を起こしやすい一面も持っており、彼女もその例に漏れず何度も変異を起こしているため、祖先の頃とはもはや別種と言っていいほど。
ちなみにクラリスを含むホムンクルス兵はセシリアの祖先、二代目当主『タクヤ・ハヤカワ』がオリジナルであり、言うなればクラリスの種族も厳密にはキメラである(キメラのホムンクルス)。




