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『ミスターX』


 すっかり手慣れたものだ。


 ライブル紙幣の札束がどっさりと収まったダッフルバッグの重みを肩に感じながら、銀行の正面玄関のドアをそっと開ける。


『―――Благодарим вас, дамы и господа, за сотрудничество. хорошего дня(紳士淑女の皆様、ご協力に感謝する。良い一日を)』


 ノヴォシア語でそう言い残し、クラリスとモニカ、銀行強盗をするにあたってすっかり馴染みのメンバーとなった2人を引き連れて、片田舎にある小さな銀行を後にした。


 大都市の銀行と比較すると、こういう田舎の銀行は儲けが少ない―――というイメージが常に付きまとうが、今回に限っては違った。


 規模の小ささゆえに目立たない、そのイメージを逆手に取って裏金の隠し場所にしていた悪徳貴族がパヴェルの調べによって浮上したのである。言うまでもないが俺たち血盟旅団は、強盗行為を働きこそするものの基本的に義賊であれと決めてある。奪うのは悪人からだけ、善人や弱者からは決して奪わず手にかける事もない。


 だからこそ、この銀行も標的となった。それにしてもあんな小さな金庫に、よくもまあダッフルバッグちょうど3つ分の札束の山が眠っていたものである。


 裏金だから存在を公表する事も出来ない。悪徳貴族は泣き寝入りする他なく、そんなクソ野郎の悔しがる顔を想像するだけでご飯3杯は余裕でイケる。今夜の夕飯はきっと最高だろう。


 正面に堂々と停めてあった逃走用のバンに乗り込むや、クラリスはアクセルを踏み込んでバンを急発進させた。


 強盗を実行に移すにあたり、近隣のギャングのアジトから拝借した車両だ。ナンバープレートもそのまま、塗装もそのままとなれば当然当局の疑いの目は連中に向く。無料でギャングの宣伝にもなるし、こちらとしても巨額の富が得られるのだからWin-winではないか。


 しかしさすが片田舎のチンケなギャングの車だ。回転数のぐんぐん上がっていくエンジンからは時折ガラガラと外れたボルトが荒ぶるような異音が聞こえてくるし、ブレーキも微妙に効かず、極めつけはルカの股関節よりも固いサスペンションだ。揺れに揺れ、その度にシートが尻を突き上げてくるものだから乗り心地もクソもあったものではない。


 タイヤのついた土台にエンジンを載せたナニカ、三輪車以上車未満とも言うべき酷い乗り心地のこれは明らかにリソースの無駄遣い。さっさと分解して資材にでもした方がまだ経済的価値があるというものだ。


 さて、社会のド底辺とその車を散々罵倒したところで、今になって追手のパトカーのサイレンの音が聴こえてきた。


 なんと対応の遅い警察だろうかと思ったが、まあ辺境の警察組織とはこういうものだろう。普段から対応する事件もなく、逃げ出した家畜の捕獲が主な業務内容という何とも平和な憲兵たち。実弾を用いた射撃訓練意外に訓練らしい訓練もしていないのが対応の遅さから見て取れる。


 憲兵隊のパトカーが見当違いの場所を探している間に、俺たちは村を離れ、あらかじめ決めておいた合流地点へと向かっていた。村の外れにある廃墟、昔は家畜の牛とか馬でも飼っていたのだろう。今となっては牛も馬も人の気配もないただのあばら家、よほどの物好きでもない限り訪れることのないであろう場所だ。


 そこに突入するなり、木製の柵をぶち破って納屋の中に車を頭から突っ込む形で停車。まるで銀行強盗の犯人が、逃走に使った車の発見を少しでも遅らせようとしているように見せかけておく。それもまるで、それが本来のプランであるかのように本腰を入れて、だ。


 ぬかるんだ地面にくっきりと刻まれたタイヤの跡も消したところで、踵を返して風車の根元へ。そこにはデジタルフローラ迷彩で塗装されたでっかい6輪のドイツ車が停車していて、俺たちの帰りを待っているところだった。


 『メルセデス・ベンツ G63AMG6×6』。ドイツ製の6輪大型オフロード車で、角張った車体とどっしりとしたフォルム、そしてそれを支える6つのタイヤが醸し出す威圧感は荒々しい猛牛のそれだ。立ち塞がる者全てを跳ね除けて我が道を征く、そんな力強さがある。


 防弾用の装甲を追加装備、パヴェルの手によってエンジンにも手を加えられた血盟旅団仕様のそれに乗り込むなり、車内に用意されていた靴に履き替えた。ぬかるんだ地面に刻まれた足跡も証拠となってしまう。残念だが、それを処理している時間もない。


 俺たちがシートベルトを締めたのを見るや、G63AMG6×6の運転席でハンドルを握っていたシスター・イルゼがアクセルを踏み込んだ。


 ブロロロロ、と廃墟を離れていくG63AMG6×6。はるか遠くの牧場では首にベルを下げた牛たちが、もっちゃもっちゃと呑気に牧草を食べたり草むらの上に寝転んだりと、随分と自由気ままな生活を送っている姿が見える。


《お疲れ、憲兵隊を完全にまいたな》


 列車で指揮を執っているパヴェルが、どこか嬉しそうな雰囲気を滲ませながら無線越しに言った。


《しかし手慣れたもんだ。今やノヴォシアの犯罪史に残る大泥棒だぞお前ら》


「そしてお前はその”黒幕(フィクサー)”だよ、パヴェル」


 裏で全てを操る男にはうってつけのTACネームだな、えぇ?


 ははは、と無線機の向こうで彼の笑う声が聞こえてきた。


 シートに背中を預け、ふう、と息を吐きながらガスマスクを外す。顔を隠す目的と、それから肉声を隠すためのボイスチェンジャー機能を持つこれは、強盗に踏み込む際の必需品だ。アリクイとかそういう動物を思わせる形状のキャニスターと、大きく丸い2つのレンズ。ちょうど眉間から鼻先にかけて真っ白な線が塗装されているが、それは後になって俺が描いたものだ。


 もちろんハクビシンっぽく見せるための塗装だが、我ながらなかなか洒落てると思う。


 スーツのネクタイを緩めると、先ほどまで感じていた息苦しさが少しだけ和らいだ。


 今回の強盗は随分と楽だった。踏み込んだ直後、客や警備員を脅して制圧するために天井に向かって発砲した以外では弾丸を消費していない。歯向かう警備員もおらず、MP5のフルオート射撃を見せつけるだけで大人しく降伏したのだからちょろいもんだ。


 もちろん死者はゼロ、そして怪我人もゼロである。


 毎回こうだと楽でいいんだがな、と思ってると、助手席のモニカがダッシュボードを開けた。何か飲み物とか食べ物でも入ってないかなと物色したのだろうが、中から出てきたのは非常用のサバイバルキット。MP7と予備マガジン3つ、M9バヨネットに手榴弾3つ。万一敵の勢力圏内や魔物の生息地で車がスタックしてしまった際の自衛用装備の数々だった。


 うげ、と嫌そうな声を発するモニカ。ぱたん、とダッシュボードを閉じた彼女に、そっとキャンディを手渡す。


「ありがとミカ」


「どういたしまして。イルゼとクラリスは? チョコレートもあるけど」


「ではクラリスはチョコレートで」


「すみません、ではキャンディを1つ」


 仲間たちにお菓子を手渡し、俺もストロベリー味のキャンディを口へと運んだ。


 甘いものが好きなので、ミカエル君はいつもお菓子を常備している。こうすれば口が寂しくなった時に色々と楽しめるし、スラムを訪れた時に飢えている子供たちも喜んでくれる。


 この世界に必要なのは優しさだ。それと口いっぱいの糖分、これだけできっと世界は平和になる。


 しばらく走っているうちに、G63AMG6×6は廃工場の敷地に入りつつあった。錆び付いた金属製のフェンスをグリルガードで豪快に薙ぎ倒し、今となっては従業員の姿もなく、稼働を停止して久しい廃工場のど真ん中に車を停める。


 既にそこには先客がいた。角張った車体に流線型のシャーシ、丸くて大きなライト。一般的なブラウンの落ち着いた雰囲気のセダンだった。


 ガスマスクで顔を隠してから車外に降りると、向こうからもスーツ姿の狐の獣人たちが3人ほど降りてきて、俺たちの姿を見るなり目を細める。


 クラリスに目配せすると、彼女は大量の札束の入ったダッフルバッグをそのまま彼らに手渡した。


『―――Будь ласка, з’їж цей подарунок від бабусі, поки не охололо(お婆ちゃんからの差し入れだ、冷めないうちにどうぞ)』


 慣れ親しんだイライナ語で言うと、狐の獣人の男性は頷いてから同じくイライナ語でこう返す。


「Це добре. Давайте вип'ємо його з чаєм(それはいい、紅茶と一緒に頂こう)」


 間違いない、姉上が送った使いの者たちだ。


 リーダー格の男が合図するや、後ろに控えていた部下が別のダッフルバッグをクラリスに手渡す。中身は見なくても分かる、今回の強盗の成果、その分け前だ。


 奪った金は彼らが幾重にもペーパーカンパニーを挟んで資金洗浄(マネーロンダリング)し追跡できないようにしてから、使()()()()()()()して祖国独立のための軍資金となる。


 俺たちは強盗をビジネスの1つにしているが、その商売相手はその辺のクライアントや共産主義者たちだけではない。イライナ独立の悲願達成のためにも金はかかる―――だから姉上からこう注文されているのだ。「可能な限り軍資金の調達を頼みたい」と。


 結局、戦争するも独立するも金がかかる。世の中は金じゃないとか、金では買えないものがあるなんて理想論を語るボンクラは定期的に湧くが、ありゃあ大嘘だ。少なくとも人間社会においては金こそが全てで、富は余裕を生み、その余裕は更にあらゆるものを生み出す。


 金で買えないものがあるなんてのは、金を金としか見ていない貧乏人の発想なのだ。


 ともあれ、これで少しは独立運動の足しになるだろう。ライフルでも弾薬でも、サーベル(シャシュカ)でも何でも買い揃えてほしい。


 取引を終えた後はお互いすぐにその場を離れた。おしゃべりをしている余裕はない―――彼らはこの後、あの汚れた金を使える金に加工する仕事があるし、それをイライナ本国へ無事に送り届ける大仕事も控えている。


 だから彼等とのやりとりは、事前に取り決めた合言葉だけで良いのだ。


 ブロロロ、と彼らを乗せたセダンが足早に去っていく。俺もG63AMG6×6の後部座席に腰を下ろし、クラリスも乗り込んだことを確認すると、シスター・イルゼは車をゆっくりと走らせ始めた。


















「ミカ、新聞見た?」


 朝食の時間、ハムエッグをもぐもぐしていたミカエル君に、コーヒーの入ったマグカップを片手にカーチャが新聞紙を渡してくる。カーチャはマグカップが似合うな、なんて思いながら新聞紙を受け取って紙面を広げてみると、白黒写真の中に見覚えのある銀行の建物が写っていた。


 間違いない、昨日襲った銀行である。


【昨日、リュブール村の銀行に3名の強盗が押し入る事件があった。この白昼堂々行われた卑劣な犯行により、ベルレスキー家で預けていたと思われる資産が根こそぎ盗まれる被害が確認されており、憲兵隊当局は犯人の行方を引き続き追っている。また、村の郊外にある廃墟で反社会組織『ホワイト・コヨーテ』の車が乗り捨てられていたことから、当局は事件との関連性を視野に―――】


 見事にこっちの欺瞞に引っかかってるな、と思いながら読み進めていくが、しかし新聞記事の終盤にはこんな一文があった。


【しかしホワイト・コヨーテがこのように強引な強盗に手を染めるとは考えにくいという意見もあり、また犯行の手口がイライナ地方でも確認されている”ミスターX”のものと酷似している点から、憲兵隊当局は慎重な捜査を―――】


 ほう、少しは冷静な奴が居たか。


 それにしても、だ。


「……ミスターX?」


 聞き慣れない名に、思わず疑問が言葉として漏れた。


「アンタら、イライナでも派手にやったんでしょ?」


「……まあ、ね」


「憲兵隊の内部調査で判明したんだけど……一連の強盗犯、名前も正体も不明である事から憲兵隊内部では”ミスターX”って呼ばれてるそうよ。国籍、人種どれも不明。分かっているのは先進的な銃を持っている事と、恐ろしく腕の立つ強盗である事」


「……ちょいと派手にやり過ぎたか?」


「まあ大丈夫よ、そういう裏での情報操作はパヴェルから散々仕込まれたし、後始末は私がやっておくから」


「助かる」


 でしょ、と言いながら席に戻るカーチャ。彼女はやっぱり、そういう裏方での仕事に適性があるようだ。


 にしても、強盗の方でも異名がついてしまったか。


 まあいいさ。どうであれ、俺たちは成すべき事を成すだけだ。





 第三十章『過ぎ行く日常』 完


 第三十一章『闇より黒く、闇より深く』へ続く




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― 新着の感想 ―
[良い点] すっかりGTAめいた立ち回りが板についてきましたね、5で汚職警官御用達の地方銀行を襲ったミッションを思い出しました。同時に札束を焚き付けにして船を動かすような総力戦では、これほどの大金も一…
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