努力者たち
憧れ、そしてその力に畏怖し、されどいずれは越えてみせようと誓った背中は、未だはるか遠くにある。
某には剣しかない。その一本槍だけでここまで至った。家族が皆殺しにされ、復讐を誓ったあの日から努力の全てをそれに費やしてきた。
何度手に肉刺ができ、何度それが潰れた事か。
何度血反吐を吐き、その茨の道に耐え兼ね挫折しそうになった事か。
それだけの苦行を続けてもなお、しかしその背中は遠い。
あの男―――薩摩式剣術を修めた最強の男、速河力也という男の背中は、底が見えぬ奈落の遥か対岸にある。
「相変わらず仕事熱心ネー……」
パヴェルが休んでいるところはあまり見た事がない……と思う。この人、気が付くといつも仕事してるから。
機関車で運転してるか、厨房で料理したり仕込みをしているか、工房で何か変なものを作ってるか、あるいは研究室で何かの研究に精を出しているか。そうじゃないときは部屋でミカの薄い本を書いてたりとか。
仕事中毒というやつなのか、それとも彼にとっては仕事こそが休息なのか、それは本人にしかわからない。ミカ曰く『頼られるとその気になる奴』らしいけど……。
そんなパヴェルがゾンビズメイの素材を使って全員分の武器や触媒を用意してくれるという話を聞いていたので、私の分はどうなってるのかなー、と進捗を確認しに覗きに来たんだけど、彼は真剣そのものだった。ツナギ姿で作業台に向かい、何やら大きな刀に仕上げを施しているところだった。
武器の製作には優先順位が付けられている。ゾンビズメイとの戦闘で触媒を喪失したミカを最優先とし、後は実質的に徒手空拳か銃を使って戦っているクラリスを第二……でも素材の使用量と工程数が少なかったカーチャのものが二番目にできたらしいので、この辺はちょっとアレだけど。
そして今製作されているのは、範三のための刀のようだった。
「……」
あの時……テンプル騎士団と本格的に戦ったあの時の敗北を、嫌でも思い出してしまう。
―――全く手も足も出なかった。
あの黒い女、テンプル騎士団団長『セシリア・ハヤカワ』を相手に、私も範三も攻撃を当てるどころか触れることすらままならなかった。
後から聞いた話では、ミカもクラリスもセシリアに2人がかりで挑み、手も足も出ずに敗北したのだという。
上には上がいる、という言葉はジョンファにもある。強い者にはそれよりも強い者が必ずいる。だから鍛錬を怠るなかれ、現状に満足するなかれ―――幼少の頃からお世話になっていた拳法の師匠は、いつも口癖のようにそう言っていた。人生は常に鍛錬を重ね、それを止める時は棺の中で眠る時だけなのだ、と。
だから努力を重ねてきた。実戦で腕も磨いてきた。
けれどもその全てが、あの女には通用しなかった。
あんな無様な姿、宮廷の皆には絶対に見せられない。
そしてその敗北の屈辱は、範三も味わっている。
だからなんでしょうね、あの敗北から何かに憑りつかれたように鍛錬を続けているのは。
「―――リーファ」
「ン」
「これ、範三に届けてくれないか」
いつの間にか、パヴェルの仕事が終わっていた。
言いながら刀を差し出すパヴェル。黒塗りの、それでいて艶も無ければ過度な装飾もない、「相手を斬る」という目的にのみ特化した実用性特化の大太刀。
パヴェルの作る武器は奇妙なものも多いけれど、しかし一貫している事がある。
それは『本来の目的にのみ特化したものである事』。
極端すぎるまでに本来の目的に特化した武器、それが彼の作るもの。
鞘に収まった大太刀を受け取った私は、返事を返してから範三のところへと向かう事にした。彼の事だから、どこにいるかは想像がつく。
パヴェルの工房を後にして階段を上り、3号車の2階へ。防音性の扉を開けて中に入ると、やはりそこに彼は居た。射撃訓練場に併設された訓練場、筋トレとか格闘訓練など、射撃以外の訓練ができるようレーンと障壁で隔てられたスペースに、上着を脱いだ状態で汗だくになりながらも刀を振るう範三が。
暑苦しいなと思いつつも声をかけようとして―――やめた。
目を見れば分る、今の彼は集中の極致にあると。
私も経験があるから分かる。集中して一つの物事に打ち込みたい時や、周囲の全てが全く頭に入って来ない時。今の範三はきっと、そんな状態にある。
だから黙って待っていた。彼の素振りが終わるその瞬間まで。
「……」
ブォン、と風を切る音が、段々と変質し始めたのを私は感じ取った。
空気を裂く音が段々と甲高くなっていって、まるで空間そのものが斬りつけられ、悲鳴を上げているかのような音になる。
”切り裂く”が”引き裂く”へと変質していくその瞬間。
微かな熱気を感じた。範三が暑苦しいからとか、彼の体温が上がっているせいで周囲の空間まで暑くなっているとか、そういうのではない。
刀だ。
彼の握る鍛錬用の打刀が熱を発しているようにも思えた。
次の瞬間だった―――ギャォゥッ、と今までに聞いた事のない音が聴こえたのは。
とても刀が発する音とは思えないそれにぎょっとしていると、丁度今のが最後の一撃だったのか、素振りを終えた範三がそっとこちらを振り向いた。
「おお、リーファ殿。いたのか」
「パヴェルから預かりものネ。範三に」
「む? おぉ、完成したか!」
刀を鞘に収めるや、目を輝かせた範三はこっちに駆け寄ってきた。筋肉凄い。
暑苦しさにちょっと引きながらも、彼に大太刀を渡す。
パヴェルやクラリスよりも大柄な彼には、大太刀ですら「ちょっと大きな刀」くらいのサイズ感なのかもしれない。手慣れた手つきで片手を受け取るや、鞘に収まったそれを細部に至るまでまじまじと検める範三。
収集家とは違う、実際にそれに命を預け得物として振るう剣士だからこそ、今の彼は真剣だった。
「実に良い……無駄がなく簡素、だがそれが逆に美しい」
そう感想を漏らすや、範三はやっと鞘から刀を拭いた。
ミカの背丈(※全長150㎝、つまりあの大太刀は実質ミカを振り回すようなもの)とそう変わらないサイズのそれは、刀身までが真っ黒だった。
反射し敵に位置が露見したり、自分の視力を潰すような事を回避するためなのか、それとも素材に使ったゾンビズメイの黒い外殻が影響しているのか―――刀身に至るまで、艶のない黒に染まり切っている。
それでいて刀身の反りは緩やかだ。見た目に反して刀身が短く見えてしまうのは、きっと両手で振るいやすいよう柄が長くなっているからなのかもしれない。
刀身と柄の付け根、鍔のすぐ近くには【宵鴉】と刻まれている。あの刀の銘なのだろうか。
鞘を傍らに置き、大太刀を上段に構える範三。
目を瞑り、呼吸を整えた彼は、目を見開くと同時に刀を振り下ろした。
また同じだった。
ギャォゥッ、と空気の断末魔のような音がして、それなりに離れた位置に立っている私のところまでびりびりと振動が走ったような、そんな錯覚を覚えるほどだった。
「……パヴェル殿、そしてリーファ殿、感謝する」
そう告げるや、範三は満足したような笑みを浮かべて大太刀を鞘に収めた。
大太刀の製作者、パヴェルに礼を言いに行くつもりなのだろう。訓練場を、大太刀を背負ったまま後にしていく範三。彼の何かが変わったような気配を感じつつも、私もせっかくだし鍛錬していこうかな、と思ったその時、それの存在に気付いた。
「ン?」
範三が先ほど刀を素振りしていた辺りに、小さな金属片が落ちている。
天井が落ちてきたのかな、と一瞬思った。もしそうならまたパヴェルが半ギレになりながら補修することになる。その時は手伝おうかな……これでも私、中華帝国の皇帝の娘だし(末席だけど)。
そう思いながら天井を見上げてみたけれど、特に天井の一部が剥離した様子もない。元気に回る換気用のファンと、汚れ一つない天井がそこにあるだけだった。
じゃあこれは何かしら、と手を伸ばす。
「……熱っ!?」
火傷するかと思った。
思わず破片から指を放し、ふーふーと息を吹きかける。
高温に晒されたそれは、よく見てみると刀の刀身の一部であることが分かる。
艶がある事を考慮すると、おそらく新しい刀を受け取る前の範三が振るっていた打刀、その刀身の破片。
しかも断面はただ単純に剥離しただけというわけではないらしい。
何か、高熱に晒されて溶けたような痕跡があった。
これはいったい……?
「申し訳ないな、ミカエル殿。付き合わせてしまって」
「良いって、仲間だろ?」
そう言いながらミカエル殿は目を細め、持っていたAK-19の安全装置を解除した。
学術都市への旅路の途中、食料の補給のため立ち寄った村で受けた依頼。近隣の洞窟に住み着いたゴブリンたちを殲滅してほしいという内容の仕事を、某とミカエル殿は2人で受けることにした。
ゴブリン(倭国では小鬼だの餓鬼だのと呼ばれている)の巣を潰すのは、倭国でもそうだが一苦労だ。油を流し込み火を放つという手もあるが、結局は中に突入して掃討しなければならない。そして大概、そこでおぞましいものを目にするのだ。
奥へと進むと、やがてモグラの掘った穴のようなそれは広い空間へと変化した。天井から氷柱のように垂れさがる鍾乳石。そこから垂れ堕ちてくる水滴が、微かに溜まった水溜りに落下して湿った音を奏でる。
バシャ、とそれを無粋に踏み締める音に、某は咄嗟に反応した。
腰に提げた鞘から大太刀―――宵鴉を引き抜いた。薄暗い洞窟の中、艶すらない漆黒の刀身が鞘から抜き放たれるや、そのまま身体を回転させる勢いを利用して右斜め上へと振り抜く。
バッ、と鉄臭い飛沫が噴き上がり、ごろりと足元にゴブリンの生首が転がった。
これで先ず一体。
「……ミカエル殿、某にやらせてはくれまいか」
「……了解した」
無茶すんなよ、とだけ言って後ろに下がるミカエル殿。
かたじけない。
先ほどの鍛錬の最中、少しだけ、ほんの少しだけ……あの男の背に、手が届いたような感覚がしたのだ。
それを忘れたくない。
全てを押し流す激流の中、咄嗟に掴んだ藁の一片のような頼りない感覚ではあるが―――これを忘れたらきっと、もう二度と高みには至れなくなるような、そんな感じがする。
先ほどの血の臭いが引き金となったのであろう。広間の奥にある虫食い穴のような横穴から、ぞろぞろと餓鬼共が姿を現した。倭国の連中とは違って頭に角のない餓鬼共は鋭い牙の生えた口を大きく開けて吼えるや、棍棒やら錆び付いた剣を片手に一斉に飛びかかってくる。
息を吐き、目を見開いた。
大きく踏み込みつつ刀を振り下ろす。バッ、と頭上で咲き乱れる鮮血の華。その下を潜り抜けるように前に出ながら身体を回転、力任せに右へと大きく薙ぎ払う。
足元に転がる餓鬼の生首や上半身。
斬っているのだ―――確かに斬り捨てている。
だというのに、何だこの手応えは。
まるで何もない空間を、霞でも切り裂いているような手応えの無さは、一体なんだ?
刀の切れ味もそうだが……何かが違う。
「……!?」
ゴブリンを斬り捨て、首を刎ね、両断しながら気付いた。
刀を振るう度に香る、血の焦げる臭い。
はて、某は火の魔術など使えただろうか。幼少の頃、寺の住職に適性がない事を突きつけられ、それ以降は神仏への信仰心は捨てず剣の道へと進んだのだが。
数えて17となるゴブリンを縦に両断し、気付いた。
漆黒に染まった刀身を持つ大太刀、宵鴉。
その刀身が、うっすらと朱色に染まっている事に。
返り血……ではない。
これはまさか……!
脳裏に蘇る速河力也の剣。師範をして「油断すると殺される」と言わしめた最強の男。彼も真剣を振るう時、こうしてその刃を熱に晒されたかのような朱色に染めていた。
ついに、ついにか。
心の奥底、身体の芯から湧き上がる歓喜に、笑みを浮かべずにはいられなかった。
前に出る。
重心を落とし、そのまま上へと押し上げる勢いを乗せたかち上げでゴブリンを3、4体まとめて葬り去る。刀身に触れた玉のような鮮血の雫が、じゅう、と音を立てて蒸発した。
某も至ったのだ―――あの男の剣に。
無駄ではなかった。
今までの鍛錬が、努力が、ついに実を結んだ瞬間。
ドン、と岩盤を吹き飛ばすようにして、随分と大きなゴブリンが姿を現す。
おそらくこの巣の親分なのだろう。エルダー固体、という奴か。年齢を重ねより危険となった個体をそう呼ぶとの事だが、痩せ細り腹だけが膨らんだそれは、幼少の頃に見た寺の屏風に描かれた地獄の餓鬼そのものだった。
『ギシャァァァァァァァァァァ!!』
「……」
エルダーゴブリンが前に出た。
おそらくは仕留めた獲物の骨を繋ぎ合わせたものなのだろう、大きな棍棒を手に某を叩き潰さんと真正面から突っ込んでくる。
あんな一撃を受ければひとたまりもあるまい。全身の骨を打ち砕かれ、死に至るであろう―――無残な死は容易に想像できるというのに、どういうわけか全く怖くなかった。むしろ、やれるものならばやってみせよという気すらあった。
地面を踏み締め、前に出る。
最強の一撃、それこそ薩摩式剣術の極致。
ご照覧あれ、と心の中で唱えた。
棍棒が振り下ろされるそれよりも先に―――腰を落とし、余分な力を抜いた小隊で刀を振るう。左から右へと振るった刀がエルダーゴブリンの首筋へと打ち込まれるや、じゅう、と肉の焼けるような臭いと共に表皮を寸断、そのまま首の骨まで容易く切り裂いてしまう。
振り抜いた刀には返り血すらない。
まだうっすらと朱色に染まる黒い刀身を、静かに鞘に収めた。
パチン、と鞘に収まる音。
それが合図だったかのように、ごろりとエルダーゴブリンの首が地面へと転がった。
首を失った巨体が崩れ落ち、動かなくなる。
「範三……?」
「……ようやく、ここまで来た」
心配そうに声をかけてくれたミカエル殿の方を振り向き、笑みを浮かべる。
高みへと至った―――だがまだここは、通過点に過ぎない。
まだ先へ、更なる高みへ。
この命ある限り、上へ上へと上り詰めるのみだ。
大太刀『宵鴉』
範三のためにパヴェルが用意した大太刀。全長150cm。刀身は光の反射を抑えるため艶のない黒で染まっており、素材にはゾンビズメイの堅牢な鱗を幾重にも重ねたものを使用している。特に刃の部分は場所によって硬度の異なる鱗を繋ぎ合わせ、何層も重ねて鍛えるという手間のかかったものとなっており、それ故に切れ味と耐久性においては右に出るものはない。
耐熱性にも優れており、斬撃の速度がついに熱の壁を突破し断熱圧縮を引き起こすまでに至った範三の攻撃にも耐えており、そう簡単に折れる気配はない。
名前の由来はその特徴的な黒い刀身から。




