ルカとノンナの訓練
一流の冒険者になるために必要なのは、腕っぷしの強さだけではない。
力任せに剣を振るう事なんて馬鹿にも出来る、というのはパヴェルの言葉だ。雄叫びを上げて武器を振るう、そんな事は原始人にだってできる事だ、と。けれどもお前たちは原始人じゃなければ馬鹿でもない、自ら戦う事を選んだ勇敢な戦士だ。だからその道にふさわしい中身を身につけろ―――彼の言葉通り、冒険者にはそれ相応の知識も必要になってくるという事は、これまでミカ姉やパヴェルと一緒に赴いた実戦で痛感している。
魔物の知識、武器の知識、戦い方の知識、そして冒険者としてやっていくべき上で遵守しなければならない法令の知識。やらなければならない事が山積みだ。
というわけで血盟旅団では週に何回か、定期的に座学の時間が組まれている。教室代わりに使われるのは1号車の1階、いつも皆がブリーフィングルームとして使っている部屋だ。そこに机を並べ、パヴェルかミカ姉、たまーにカーチャとシスター・イルゼが講師をしてくれる。
「はい、というわけで冒険者が魔物を討伐した後にやるべき事は何でしょうか。えー、ルカは分かってるだろうからノンナ」
「はーい。えっと、管理局への報告?」
「そうだね、管理局への報告だね」
そう言い、クラリスさんに目配せするミカ姉。ごそごそと何やら取り出したクラリスさんが、黒板の前で踏み台に乗ってチョークを手にしているミカ姉に古めかしいフリントロック式のピストルを手渡した。
「えー、まあ依頼内容によって異なるけど、討伐系の仕事であった場合はだいたいこのようなピストルも一緒に支給されます。中には信号弾が入っていて、討伐完了後にこれを空に向けて撃つと管理局の人がやってきて、ちゃんと討伐したかどうか、規定数に達しているかどうかを確認してくれます。この手順を踏まないと討伐していても管理局は報酬を支払ってくれないので注意しましょう」
真面目にノートを取るノンナの横顔を見て、ああ、この子本当に冒険者を目指してるんだなと痛感させられる。
ミカ姉は「可愛い子には旅をさせよってな。いいんじゃないか」って言ってたけど、俺としてはどうしても心配になる。血の繋がりはないけれども一応兄貴って立場だし、つい数年前まではスラムで一緒に残飯を漁ったり、日雇いの安い賃金で何とか一緒に食べてきた大事な家族。彼女には危険とは無縁の安全な場所で、少しでもいい暮らしをして欲しいという思いがあった。
俺が冒険者を目指したのはまあ、単純に冒険者という仕事に憧れがあったからというのが理由なんだけど、同時にそれで一山当てて彼女に良い暮らしをさせたい、危険は俺が全部肩代わりしたいという思いがあったのも事実だ。
ただこの調子だと、もうノンナは止められないだろう。
彼女は本気だ。俺が冒険者見習いになったからとか、何となく目的もなく漠然と目指しているわけではない。本気で1人の冒険者になるために、まだ見習い登録も出来ない年齢だというのに努力を重ねている。
俺も追い抜かれないように頑張らないと、と意識を隣の妹に向けていると、机の上をぽてぽてと変な生き物が通過していった。
大きさは手のひらに乗る程度。見た目は……なんだろ、二頭身のミカ姉みたいな感じというか、二頭身のミカ姉そのものだった。漫画とかの最後の方のページとかカバー裏に載ってるおまけマンガに出てくるような、随分とデフォルメされた二頭身キャラみたいなミカ姉とでも言うべきだろうか。
『ミカー?』
「え、何コイツ」
『ミカミカー』
ぽてぽてと変な効果音と一緒に歩きながら、『余所見ダメ!』と書かれたプラカードを持って机の上を横断していく二頭身ミカ姉。あ、はい……ごめんなさい。
……というか何今の。
「ルカ、余所見してる場合じゃないよ」
「ゴメンナサイ」
「常に目を光らせているからね二頭身ミカエル君ズが」
「二頭身ミカエル君ズ」
なにそれ。
真面目にノート取ろう、と鉛筆をノートに走らせる俺の視界の端では、なんか2匹の二頭身のミカ姉たちが騎兵ごっこを始めやがった。四つん這いになった片方の上に片割れが跨って、『ミカミカー!』なんて何やら叫びながら騎兵突撃の真似をやってるんだけど何だコイツら集中できねえ。
「えー、信号用のピストルは既に弾丸が装填された状態で支給されます。なので使用する際は細心の注意を払って扱う事。発砲する際は右手の親指で撃鉄を起こして、しっかりと頭上に向けて撃つようにしてください」
「はーい」
「じゃあ次、討伐を終えて確認も済んだら魔物の死体はどう処理するべきか? はいルカ」
「えーと、焼却処分!」
「本当に? 地面に埋めて処理じゃダメ?」
「土葬だとゾンビ化のリスクがあるから絶対やってはならない!」
「正解」
ミカ姉も意地悪するねぇ。
これは実戦に出た時にみんな徹底していたからよく覚えている。
魔物を討伐し職員に確認してもらったら、後は死体を焼却処分しなければならない。そうしなければ死体は感染症や疫病の温床になるし、そうじゃなくてもゾンビ化のリスクが常にある。一番怖いのがゾンビ化で、もし処理を怠り近隣の居住地が襲われでもしたら住民までゾンビ化、その近辺一帯を”汚染地域”として隔離しなければならなくなってしまう。
なので冒険者による魔物の焼却処分は義務であり、違反した場合は無期懲役や人権剥奪、最悪の場合は死刑(処理を怠り実際に死傷者が出た場合は人権剥奪以上の刑罰が確定する)になる程の重罪だ。
だからミカ姉もパヴェルも、死体の処理は徹底している。火炎放射器やナパーム弾を持って行ったり、最悪の場合はジェリカンの中にたっぷり入ったガソリンでも良い。
ちなみに死体の焼却処分をする前に素材を剥ぎ取る行為は認められているので、その間に牙とか爪とかを剥ぎ取って武器の強化に使ったり、副収入として売り払っても良いとされている。これは冒険者の当然の権利として憲法でも保証されているのだとか。
昔は素材を剥ぎ取って持っていくだけで討伐の証拠として扱われていたらしいけど、実際に討伐していないにもかかわらず別ルートで得た素材を討伐の証拠として提示し不正に報酬を得たりする事例が多発した事から、今のような職員によるチェック制になったのだとか。
やだねえ、そんな卑怯な真似はしたくないものだ。
「もっと腰入れろ! 蹴り込む瞬間に重心落として腕を振り抜け!」
乱れる呼吸を整えながら右の回し蹴りをサンドバッグに叩き込む。けれども聞こえてくるのは「ポスッ……」という弱々しい音と、サンドバッグの堅い手応えばかり。いくらサポーター越しとはいえそろそろ右の脛が痛くなってきた……うぅ……。
座学の次は格闘訓練。お兄ちゃんはこっちの方が得意みたいで、射撃訓練場の脇に障壁と隔てる形で併設された訓練場の奥の方ではお兄ちゃんがミカ姉とスパーリングをしているところだった。勢いを乗せてミカ姉に殴りかかるお兄ちゃんだけど、でもミカ姉の顔面に自慢の右ストレートを叩き込む前にあっさりと左側の足を内側から蹴り抜かれて体勢を崩し、そのままボーンって巴投げされてる。
けれども再び立ち上がり、「もう一丁!」とエキサイトしながらミカ姉に挑みかかるお兄ちゃん。普段はちょっと頼りないなあって思う事もあるけれど、こういう時のお兄ちゃんは頼もしいしカッコいいなって思う。
私もあんな風になれるのかな、と少しだけ不安になった。
呼吸を整え、左のジャブから右のストレート、そこから左足の蹴りを数発叩き込んだところでパヴェルの持っていたタイマーが鳴った。「よーし止め、インターバル30秒」という声を聴きながら身体から力を抜いて、乱れた呼吸を整える。
なんでこんな格闘訓練を重視するんだろう、という疑問は尽きない。
冒険者って人間を相手にするよりも魔物を相手にする機会の方が多いから、こんな地味な訓練をするよりも武器を持った訓練をする方が良いんじゃないかなと思う。そんな疑問をミカ姉やパヴェルにぶつけた事が何度かあったけど、2人とも口をそろえて「格闘は全ての基本だ」とか「基本が出来なきゃ応用も出来ない」って答えてくる。
なんだかはぐらかされているような感じもするけど……意味あるのかなこれ。
まあでも、軍隊にいたパヴェルが言ってるんだし間違いはないと思う。意味はまだ見出せていないけど。
インターバルの間、ミカ姉とお兄ちゃんのスパーリングをずっと見ていた。
ミカ姉は”転生者”と呼ばれる存在。この世界とは違う別の世界で生きていて、ある日突然死んでしまい、この世界にミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという1人の獣人として生まれ変わった。それでミカ姉の頭の中には前世の記憶が残っている―――そういう事らしい。
転生する前、ミカ姉はカラテっていう格闘技を習っていたと聞いた事がある。だから動きも速いし攻撃もあの小さい身体に見合わず鋭く、重い。
回し蹴りを受け流されたお兄ちゃんが足払いを喰らって転倒、その喉元にミカ姉の貫手がつきつけられると、両手を上げて降参の意を伝えた。
ミカ姉も強いけど、「上には上がいる」の言葉通り、少なくとも格闘にはもっと強い人がいる。
リーファやクラリス、パヴェル……格闘ではこの3人が今のところ最強で、それにカーチャと範三、ミカ姉が続く感じになっている。シスター・イルゼも格闘は学んでいるけれど、彼女はアンデッドと戦ったりサポートするのが専門だからあまり得意ではないんだって。
モニカはというと、毎回パヴェルに稽古をつけてもらう度に巴投げで吹っ飛ばされてるイメージがある。
インターバルが終わり、再びサンドバッグに向かって構えた。
3分間のラッシュ、これをあと5セット。
終わった頃には筋肉痛凄そうだなぁ、と思いながら、私はボクシンググローブで覆った拳をサンドバッグに叩きつけた。
人型の的の頭に、5.56mm弾が突き刺さる。
ヘッドショット―――人間の兵士を確実に殺す一撃。
カスタムしたAK-102に装着したPDWストックにしっかりと頬をつけ、ストックを肩に食い込ませながらPK-120を覗き込む。紅いレティクルが人型の的にぴったりと重なっている事を確認し引き金を引くと、5.56mm弾の反動がストック越しに肩へとめり込み、同時にドットサイトの向こうで人型の的の眉間に風穴が開いた。
今のでマガジンは空だ。
ライフルをスリングと左手で一旦保持、そのまま右手を腰のホルスターへと伸ばしてグロック17を引き抜き安全装置を解除。左手もライフルから離して両手でグロックを保持し引き金を引く。
パンパンッ、と軽い銃声が何度か響き、人型の的に9×19mm弾が着弾した。
そこで訓練終了を告げるブザーが鳴り響き、そっと銃口を下げる。マガジンをグリップから抜いてスライドを引き抜弾、薬室内に弾が残っていない事を確認してから銃をホルスターに戻す。
AKも同様だ。マガジンを抜き、コッキングレバー(コッキングしやすいよう大型化してある)を引いて薬室内をチェック、残弾がない事を確認してから安全装置をかける。
手持ちの銃器が完全に安全になったことを確認してやっと、肩に溜まっていた力が抜けたような感じがした。
射撃訓練のスコアは最高を更新、今回の記録が自己ベスト。
今はまだ見習いの立場ではあるけれど、来年になれば俺も17歳。晴れて冒険者見習いから冒険者へと本登録できる年齢に達する。
この2年間の下積み期間は決して無駄ではなかった。苛酷極まる訓練も、苛烈極まる実戦も、全ては今後の糧となるための一環。
道は出来上がりつつある。後はそこを、脇目も振らずに駆け上がるだけでいい。
「ミカ姉、俺先に上がるね」
「はいはい、お疲れ様。ゆっくり休めよ」
「は~い」
射撃訓練場を後にした。
訓練で使った武器を武器庫のロッカーに返却し、チェックリストの欄に武器を返却した事を意味するチェックをつけてから、自室のある1号車へと向かう。
途中にある2号車を通過する際、厨房の方をちらりと見た。2号車は1階の前半分がシャワールーム、後ろ半分が食料品倉庫で、その上に食堂が配置されている構造になっている。1階は通り抜けできる構造ではないので通過する際は2階の食堂車を嫌でも横切らなければならず、今の時間であればパヴェルかノンナのどちらかが朝食の仕込みをしている時間帯だった。
訓練が終わった胃袋に、明日の朝食の仕込みの風景は飯テロも良いところである。それが肉類とかだと特に。
けれども今日に限って厨房は静かだった。今日は早く仕込みが終わったのだろうか。
あくびをしながらシャワールームに立ち寄り、パパっとシャワーを浴びた。汗と火薬の臭いをボディソープの香りで洗い流し、ドライヤーでもっふもふの髪を乾かしてから部屋へと向かう。
俺とノンナが2人で生活している部屋だ。
ノックしても返事がないので、もしかしてトイレかなと思いつつドアを開けた。
「ノンナ……」
部屋の中にある休憩用のソファ。
そこではきっと訓練で疲れたのだろう、すやすやと寝息を立てる妹の姿があった。
「……まったく、風邪ひくっての」
そっと彼女を抱き上げ、ベッドに寝かせた。
夜のノヴォシアは昼夜の寒暖差がとにかく大きい。昼間の感覚で半袖でいると風邪をひきそうなので、そうしないためにもノンナにそっと毛布をかける。
何度か頭を撫でてから、俺も自分の寝床に転がり込んだ。
今夜は良い夢を見れるといいな……。
ルカの装備
AK-102(メインアーム)
・PK-120(ロシア製ドットサイト)
・30発入りプラスチック製マガジン
・フラッシュライト
・アングルド・フォアグリップ
・PDWストック
グロック17(サイドアーム)
・フラッシュライト
・拡張マガジン(エクステンション装備で弾数脅威の43発)
列車の警備を主にこなすルカの場合、車両内での取り回しがしやすいようメインアームに短銃身タイプのAK-102を選択している。また使用弾薬が5.56mmNATO弾であるため他の仲間(パヴェル除く)とも弾薬の互換性があるほか、列車外での戦闘でも十分な精度とストッピングパワーを維持できる装備となっている。
装備の提案はミカエルが、セットアップの助言はパヴェルが行った。




