クラリスの剣
「コイツは驚いた」
3号車の1階、パヴェルの研究室の中。何やら複数のケーブルとかオシロスコープのような装置が繋がれた巨大な解析装置に真っ黒な外殻をセットして分析していたパヴェルが、モニターに表示された計測結果を見て目を丸くした。
意味の理解できない文字や数値、記号の羅列。彼にとっては驚くべき計測結果を叩き出したそれは、ゾンビズメイの死体から剥ぎ取られた1枚の外殻だった。
ゾンビズメイ討伐後、その死体はすぐさまイライナへと運ばれ解析にかけられた後、使えそうな素材を摘出して残った部位は焼却処分、あるいは薬液で不活化した状態で凍結、封印という措置が取られている。
摘出された素材は姉上率いるイライナ独立派と、メスガキ博士ことフリスチェンコ博士の研究所、それから血盟旅団という3つの勢力で山分けする事となった。俺のあの剣槍も、その際に割り当てられた貴重な素材をふんだんに利用してパヴェルが製作してくれたものである。
「何か分かったのか?」
スマホを弄る手を止めて彼の方を振り向くと、測定結果を見ていたパヴェルは「道理で硬いわけだ」と言葉を漏らした。
「ゾンビズメイの外殻は複数の層になってる」
「戦車の複合装甲みたいにか?」
「そんな感じだ」
最新の戦車に用いられている複合装甲もそんな感じだ。堅い層と比較的柔らかい層を組み合わせることで、突入してくる砲弾の勢いを殺してから堅い層で受け止める……という装甲同士の連係プレイで攻撃を防ぎ、衝撃も極力殺すという仕組みになっている。
ゾンビズメイの外殻もそうなっているのか、と思い立ったがあれだけの防御力であれば納得だ。戦車どころか戦艦でも相手にしているような威圧感だった。
「一番表面のここ、この層。ここが一番堅い」
「表面が?」
「そう。ここで攻撃を弾いて、中にある柔らかい外殻の層で衝撃を吸収しているんだ。複合装甲みたいとはいっても一番表面が防御を、中身がショックアブソーバーの役目を果たしてるって事だな」
そんな生物が居て良いのか、と改めて古い時代の竜に驚かされる。
「知っての通り、竜の外殻ってのは鱗が何枚も何枚も重なって、長い年月を経て圧着される事で形成されるものだ。だから一番外側の層が堅いってのも頷ける。順番的には一番最初に生えてきた古い鱗の層だからな……」
「なるほど」
「で、鱗の方なんだが」
ごそごそと保管ボックスの中を漁り、中から真っ黒な鱗を取り出すパヴェル。正確には4分の1に切断された鱗のようだが、それでも大きい。ミカエル君の胸板くらいのサイズがある。
歪な鉄扇のような形をしているそれの断面は極めて鋭利で、素手で触ったらバッサリと指を持っていかれそうなほどである。
「これ、信じがたい事に単分子で出来てるみたいなんだ」
「単分子……?」
つまり、この鱗の全体が同一の分子で構成されているという事だ。他の分子は含まれず、構造も極めて堅牢になる。
その鱗が重なる事で外殻が形成される―――何が言いたいかというと、ゾンビズメイの鱗は単分子構造。そしてそれが古い順に表面から重ねられる事によって年齢が古く堅い層と、年齢が若く比較的柔らかい層で複合装甲にも似た役目を果たしているという事なのだ。
あの常識外れた防御力に、やっと説明がついた。
確かに俺たちは竜殺しの英雄になった。遥か昔から、竜殺しは戦士にとって最高の栄誉とされている。それに名を連ねたのだからこれ以上ないほどの名誉であろうし、自分たちもここまで来たのだと成長を実感する事も出来よう。
けれども、きっと血盟旅団でいつまでもゾンビズメイ戦での勝利に酔っている者はいないだろう。皆、もう既に先を見据えているのだ。
俺たちが倒したのはゾンビズメイ―――ノヴォシア、イライナ、ベラシアに多大な爪痕を残し、今なお邪竜として恐れられている最強のエンシェントドラゴン『ズメイ』。俺たちが死に物狂いで討伐したのはその3つある首のうちの1つにしかすぎず、残る2つの首を備えた本体は今なお存命中。アラル山脈に施された封印の石碑の中で、復活の時を虎視眈々と狙っているのだ。
いずれ、この邪竜と―――ノヴォシアの伝説、歴史そのものと対峙する事となるだろう。
果たしてそれが俺たちとなるか、それとも子供たちの世代か―――はたまたはるか先、子孫の世代になるかもしれないけれど。
その時に備え、知っておく必要があるのだ。
竜の力を。
そして、その殺し方を。
「これは……」
クラリスの自室に届けられた金属製のケース。何故かミカエル君の薄い本(オイちょっと待て)と一緒に届けられたそれの中身を取り出したクラリスは、それを見て息を呑む。
中に収まっていたのは剣だった。柄から鞘に至るまで、真っ黒に染め上げられた闇色の剣。それが二振り。
片方を鞘から抜いて剣身を検めるクラリス。すらりとした、それでいて一切の無駄がないシンプル極まりない二振りの剣には装飾の類は一切なく、柄と必要最低限の鍔、それから反射を防止するためなのだろう、艶のない影のような剣身があるだけだ。
以前、パヴェルは言っていた。『ゾンビズメイの素材を使って全員分の武器と触媒を用意する』と。
既に俺とカーチャの分は完成しており、刀を折られてショックを受けていた範三の分と並行してクラリスの剣も作っていた、という事なのだろう。
それにしても範三のへこみっぷりはすごかった。あんなにテンションがガタ落ちし、周囲の空気をことごとくどんよりさせていた範三は見た事がない。まあ、それほどまでに彼にとって刀は大切なものだったのだという事だろう。単なる武器以上の何か―――つまりはそういう事だ。
パヴェルの話では俺の触媒を最優先で作ってくれていたらしい。ゾンビズメイ戦で触媒が壊れてしまい、弱体化していたからという理由だそうだが……なんか他の仲間に申し訳ない気もする。
ちなみにカーチャの分が完成したのは単純に、彼女用の武器が小型で使う素材の量も極めて少なかったからだそうだが……カーチャに彼女の武器、毒針を仕込んだ指輪を見せてもらった事があるが、時計職人みたいなデリケート極まりない作業を要求される代物を平然と作っておいて『すぐパパっと作った』は起用が過ぎるというものだ。
「余計な仕掛けは一切ない」
武器を持ってきてくれたパヴェルは、部屋の入り口のドアのところで腕を組みながら説明を始めた。
「クラリスにとって必要な要素だけを備えてある」
「クラリスにとって必要なもの……」
《間もなく”ガリスタ村”、ガリスタ村です。お降り口は左側です》
「……ちょうどいい。ミカ、次の村で何か仕事でも受けてきな。クラリスの剣の試し斬りにちょうど良さそうなやつ」
「お、おう」
クラリスの武器、ねえ。
正直言わせてもらうと、クラリスは武器なんか使わなくても十分強いのではないかという思いがある。素手で殴るだけでも平然と魔物を殴り殺し、金庫の扉はぶち破るし壁は破壊するしで、徒手空拳でも怪獣が暴れ回るような破壊を周囲にばら撒く戦闘マシーンとでも言うべき存在なのだ、彼女は。
果たしてそんな彼女に武器を持たせて”鬼に金棒”となるか、それとも無用の長物となるか。
パヴェルが丹精込めて鍛えた逸品、無駄にならない事を祈るばかりであるが……。
レンタルホームが上り下りで1本ずつしかないクッソド辺境の村でも、ちゃんと仕事はあるらしい。いや、そういう辺境だからこそ仕事があるのだろう―――冒険者にとって大都市のような場所は逆に治安が良すぎて仕事がなく、旨みがない傾向にあるからだ(直接契約で大口の依頼が舞い込んでくれば話は別だが)。
さて、そんな辺境の村の管理局で引き受けたお仕事はクラリスの希望で『オークの群れの討伐』というとんでもない難易度のものだった。
依頼主は村長。郊外にオークの一団が住み着いたかと思いきや、近隣のゴブリンの巣を喰い尽くしてしまったらしく、最近では人里に降りてきて家畜にも被害が出ているから駆除してほしい、との事だった。
オークはヒグマよりも巨大で、それに比例し食欲も旺盛……おまけに性欲もだ。村民に人的被害が出ていないのがせめてもの救いではあるのだが……。
「……来た」
陸上自衛隊で採用されている迷彩服3型、それをミカエル君サイズにオーダーメイドで作ってもらいフードも追加してもらったそれに身を包み、草むらに隠れながら三脚の上に設置した潜望鏡を覗き込んで待つこと数分。
草原のど真ん中に置かれた鹿肉と血の臭いに、腹を空かせたオークの群れがまんまとおびき出された。その数なんと5体……そのうち2体は他の個体と比較すると身体が小さい事から、まだ子供か成長途中の未成熟個体(亜成体とでも言うべきか)であることが分かる。
それなりに力は付けてきたつもりだが、しかし獰猛な魔物を前にすると身体の芯に冷たい感覚が走り、手のひらにじんわりと汗が滲む。きっとこれは本能的に感じている恐怖なのだろうな、と克服を諦めつつも、潜望鏡から視線を外して持ってきたAK-308を構え、機関部上にマウントされたスコープを覗き込む。
300mの距離でゼロインしてあるが……今回の目的は俺が戦う事ではない。
念のため、いつでも支援に動けるように備えつつ、クラリスにハンドサインを送った。
オークの数は5体、規定数通りだ。おそらくあの一団は家族なのだろう。
ハンドサインを確認するや、草むらに潜んでいたクラリスはそっと腰に提げていた二振りの剣を引き抜いた。鞘と剣身のこすれ合う金属音が、暖かい風の吹く草原に響いては消えていく。
次の瞬間だった―――ドン、と腹の奥底に響き渡る程の音を発し、踏み締めた地面を大きく抉り飛ばしながらクラリスが駆けたのは。
静止状態から一瞬足らずでトップスピードに達するクラリス。獲物を狙うチーターが鈍足に思えてしまうほどの急加速は見慣れているが、しかし相変わらず常軌を逸した走りには度肝を抜かれてしまう。
地面を抉った第一歩、その爆音が宣戦布告を意味する咆哮となった。餌につられ、中には鹿肉に手を付け始めていたオークたちが一斉にクラリスの方を振り向くや、鋭い牙が不規則に並ぶ口を大きく開いて咆哮。そのまま手にした棍棒(仕留めた獲物の骨で自作したのだろう)と思われるそれを振り上げてクラリス目掛けて突進していく。
オークには原始人並みの知能があり、ああやって武器を自作したり、殺した冒険者の武器を鹵獲して使ったりといった行動が見られる。それも連中の脅威度を高めている一因なのだが、最大の要因はその怪力である。
グリズリーを素手で捻り殺すレベルと言えば、北海道に住んでいる皆さんにはそのヤバさがお分かりいただけると思う。
そんな化け物が、黒豹みたいな瞬発力で、原始人並みの知識を持ち、武器を手に集団で襲い掛かってくる―――だからオークは多くの冒険者にとっての脅威足り得るのだ。
が、しかし。
オークの首が宙を舞った瞬間に、形成は一気に逆転する事となる。
ズパンッ、と空気が弾けるような乾いた音。銃声か、と疑ってしまうほどの爆音は俺が発砲した音でも、クラリスが撃った音でも、ましてや第三者が発砲し戦闘に介入してきた音でもない。
無造作に剣を振り上げた―――それだけの動作で生じた衝撃波、振り上げられた剣に蹂躙される空間の断末魔そのものだった。
クラリスの怪力と遠心力を乗せて振り上げられた剣の一撃はオークの太い首筋に飛び込むや、分厚い表皮と脂肪、そしてそれだけ大きな身体を支える丸太の如き強靭な骨をも寸断して、首から上を刎ね飛ばしてしまう。
ごろり、と断面から血を滴らせながら地面を転がるオークの首。身体の方はやっと首から上が切断された事に気付いたのだろう、クラリスの隣を通り過ぎると自分が死んだ事に気付いたかのようにごろりと地面に転がり込み、そのまま動かなくなった。
同胞の呆気なさすぎる死に、他のオークたちが怯え始める。
が、言語による意思疎通ができない以上は容赦のしようもない。彼等は一度家畜の、そして人間の肉の味を覚えれば何度でも人里に降りてくるだろう。この問題を永久的に解決するためには徹底的な駆除、これ以外の選択肢はないのだ。
その道理に従い、クラリスが姿勢を低くしてオークの群れへと斬り込んだ。
クラリスに必要なもの―――パヴェルの言っていたそれを、俺はもう見抜いていた。
すなわち『耐久性』である。
あれだけの馬鹿力で何度も何度も振るわれれば、敵も壊れるがそのダメージは武器にも蓄積されていき、やがては想定していた寿命よりも遥かに長い段階で壊れてしまう。特に素手で金庫の扉を破壊するクラリスの場合はそれが顕著である。
そこでパヴェルは考えたのだろう―――クラリスの武器に必要なのは優美な装飾でも致命的な切れ味でも何でもなく、『どれだけ使っても壊れない、武器としての機能を当たり前に保証する根本的要因』、すなわち耐久性への特化である、と。
あれ自体も優秀な切れ味だろうが、そこまで特化しなくとも使い手側の馬鹿力と膂力で押し切れる。ならばとにかく折れず、とにかく刃毀れせず、とにかく鈍らぬ剣さえあればよい―――その結論に至るのは当然と言える。
『壊れない剣』、その目標を達成するために不要なものを一切廃した剣。それがクラリスに与えられたあの2つの剣なのだ。
左右の剣を縦横無尽に振るったクラリスが、オークをサイコロステーキさながらに細切れにする。バラバラと崩れていくサイコロ状の肉片を踏み締めながら本気で剣を投擲すると、まるで戦闘機が発する衝撃波のような渦輪を生みながら真っ直ぐに飛んでいったそれが、逃げようと踵を返したオークの亜成体の後頭部を無慈悲にもぶち抜いた。
我が子の死に激昂した母親と思われる個体がクラリスを背後から叩き潰そうとする。
しかし―――そうはならなかった。
空いた右手を左手の剣の柄に添え、両手で剣をしっかりと握ったクラリス。
腕2本分の膂力を乗せた強烈極まりない斬撃が、砲弾の爆音のような音を発しながら振り下ろされたのである。
オークの脳天から股下まで赤い線が刻まれたかと思いきや、次の瞬間にはそのオークの身体は左右に一刀両断されていた。断面から零れた大量の血と臓物が、草原の一角を真っ赤に染め上げる。
僅か30秒―――オーク5体、一家を全滅させるまでの時間は1分にも満たなかった。
「す……っげぇ……」
やっとの事で絞り出した声がそれだった。
パヴェルの奴……なんつーものを作りやがった。




