マチェスキー温泉 前編
「温泉?」
「うむ」
自室を訪れ、人の部屋で胡坐を掻きながらマンガを読み漁る範三がそんな事を言ったので、思わずオウム返しに聞き返してしまう。
範三がパヴェルから又聞きした話によると、この先にある”マチェスキー”という小さな町の外れに温泉があるのだという。なんでも郊外で石炭の採掘場を造ろうと掘削作業をしていた最中に偶然にも温泉を掘り当ててしまい、せっかくだから町興しの一環として温泉を前面に押し出しアピールしているのだとか。
温泉か……最後に行ったの転生前だなそういえば。夏のボーナスで母さんと祖母ちゃんと祖父ちゃんと弟連れて群馬まで温泉旅行行ったのが最後だった気がする。岩手から群馬まで車で移動するのは地方民にはなかなか骨の折れる仕事だった。
またボーナス出たら行こうな~とかって家族と話をしていた矢先に交通事故で異世界転生なのだからホント笑えない。親孝行第二段やりそびれたので、その分は弟に頼むとしよう。頼んだマイブラザー。
しかし、意外だな。ノヴォシアにも温泉ってあったんだ……。
「いや、皆長旅で疲れも溜まっているし、温泉に入ってこう……疲れを吹き飛ばすのはいかがなものかと思ってな」
「それはそうだけど……」
でもなあ、と心の中で思う。
今の俺たちは何となくふわっとした目的で各地を旅している状態ではなく、姉上から『キリウ大公の子孫を探してほしい』と頼まれている状態。一刻も早く子孫を、そうでなくともそれに繋がる情報を見つけ出してイライナに持ち帰らなければならない。
いつノヴォシアで共産党の革命が始まるのか、あるいはイライナ独立戦争が始まるのか分からないというのに、悠長に温泉に入ってる暇なんてあるんだろうか。確かにあまり根を詰め過ぎてもアレだしほのぼの日常回も欲しいなとは思うけれども……。
「いいんじゃない、たまには」
心の中を見透かしたように、俺の隣に座ってマンガを読みながら人の尻尾の毛を指先でくるくるしていたカーチャがぽつりと呟くように言う。
「人間だって機械じゃないもの。たまには休息も摂らないと壊れちゃうわよ?」
「……それもそうか」
確かにそれもそうだ。
ちょっと焦っていたのかもしれない。使命のために焦り、周りを見失っていた―――無意識のうちに余裕がなくなっていたことに気付き、息を吐く。
カーチャは冷静だな、と思いながら彼女を見上げると、カーチャは口元に大人びた笑みを浮かべながらマグカップを口元へと運んだ。
温泉か……まあ、たまにはリフレッシュするのも悪くない。
《間もなくマチェスキー、マチェスキーです。お降り口は左側です》
明るい車内チャイムの後に、スピーカーから慣れた感じのルカの声が聴こえてきた。その放送を合図に列車も減速を始めたようで、足元からは重々しいブレーキの音がうっすらと聞こえてくる。
スピードを緩めていくにつれて、窓の向こうの景色もゆっくりと流れていくようになった。広大な農地の中に疎らに家屋が見えるようになり、やがてその家屋の密度が上がっていく。間もなく駅のホームに入る事を意味する標識がいくつか流れていくや、見張り台のところで接近中の列車を誘導する戦闘人形の姿が見えた。
見張り台から上半身を生やし、本来戦闘用のブレードが搭載されている両腕は手旗信号用の旗に置き換えられているようだ。
それもよく見るとその旗に実体はない。肘から先に搭載された発振器から魔力によって形成される”マジックフラッグ”だ。布製の旗と違って雨天時でも関係なく振える事から各地で手旗信号用の旗として採用が進んでいると聞いたが、こんな辺境にも……いや、帝都モスコヴァと学術都市ボロシビルスクの中間に位置する場所だからなのだろう。
さらに減速した列車が、滑らかにマチェスキー駅のレンタルホームへと滑り込んでいった。
マチェスキー駅はそこそこの大きさの駅のようで、在来線のホーム8本、レンタルホーム6本の合計14本のホームを持つ。時刻表を見せてもらったが、在来線も特急もこの駅を通過する列車はおらず、観光客はそれなりの数は居るようだ。もちろんお目当ては温泉なのだろうが。
「温泉っ♪ 温泉っ♪」
スキップしながら部屋から出てくるモニカ。ガラッ、と勝手に人の部屋のドアを開けるや、猫の如きしなやかな動きでベッドの上へと転がり込み、座って荷物のチェックをしていた俺の尻尾を吸い始めた。うん、なんで?
「うふふ~楽しみねぇミカ?」
「せやな」
「うふふ。じゃあ今日はモニカお姉さんが背中流してあげよっか?」
ぷにゅ、と背中に何かが当たる。いや見なくても分かる、モニカのおっぱいだ。
一応彼女の名誉のためにも言っておく。モニカはこれでもCカップくらいはあるし、形も良い非常にバランスの取れたスタイルをしている。ただちょっとその、クラリスといいイルゼといいリーファといい、周りにおっぱいがでっかい女の子(※クラリス:Gカップ、イルゼ:Iカップ、リーファ:Fカップ)がたくさんいるせいで相対的に貧乳にカテゴライズされているが、モニカも十分スタイルが良い方であると擁護しておきたい。
それともう一つ。
モニカは胸より太腿とお尻だと思うよミカエル君的に。
さて、そんな彼女の擁護はそこまでにしておいて、と。
「モニカ?」
「なあに?」
ぷにゅぷにゅと胸をわざとらしく押し付けてくるモニカに、俺はすっごい冷静で諦めを含んだ声で告げた。
「……俺男だから男湯行くよ?」
「「???」」
部屋でタオルの準備をしていたクラリスまで、モニカと一緒に真顔で首を傾げた。
どうせこういうリアクションが返ってくるんだろうなぁ、と予想していたしいつもの事だから別に気にしないけれども、何というか……うん。
「何言ってるの、ミカは女の子だから女湯でしょ?」
「いや俺男」
「またまたぁ~。こんなに可愛いし良い匂いするんだから男なわけないじゃないもふぅ」
「喋りながら吸うな」
「いけませんわご主人様、そんな可憐なお姿で男湯に入ったら他の殿方に押し倒され、サウナであーんなことやこーんなことを……でゅふふ」
「されてたまるか」
「マジレスするけど、ミカ男湯入ったら胸元にずっと謎の光貼り付けてる事になるんじゃない?」
「どうせ円盤なら取れるから大丈夫」
というか何、俺この世界にも女だと判定されてるのコレ? それとも「コイツ女っぽいし見えたら拙い雰囲気醸し出しそうだしとりあえず修正しとこwww」ってなってんのコレ?
荷物をまとめ、仲間と共に外に……と思ったところで、1階の部屋から短パンにアロハシャツ、おまけにサングラスといういかにもいかつい格好をした筋骨隆々の巨漢が上がってきて、温泉だ温泉だとはしゃいでいた仲間たち全員が凍り付く。
「……んぁ、どしたんお前ら」
「あれ、この列車に麻薬の売人なんて乗ってたっけ」
「どちらのカルテルの方ですか?」
「失礼な、人を何だと思ってる」
「ヤバい人」
「裏社会の人」
「マフィアの幹部」
「エロ同人作家」
「ベッドの上では無敗」
「サキュバスが泣いて逃げ出す男」
「オイ最後誰だwww」
ブフッ、と吹き出しながら腹を抱えて笑うパヴェル。いや、皆ボロクソに言ってるけどこの人アレだからね? テンプル騎士団団長の夫で特殊部隊の指揮官だった人だからね? 普段の行動がアレだけども。
「まあいいや、トラックで行こうぜ」
「そういや列車の警備とかどーすんのさ?」
帰ってきたら泥棒入ってて貴重品無くなってました、なんて事になったら笑えない。ノヴォシアやイライナは平和な国ではあるが、さすがに日本ほど治安がいいわけではないのだ。鍵をかけ忘れれば泥棒が入るのは当たり前、落とした財布は基本的に帰ってこないし、雑踏を歩いていればいつの間にか財布を抜かれているなんて日常茶飯事。酷いところなんか街中を歩いているだけで暴漢に襲撃されて……なんて事もあるのだとか。
いくらレンタルホームの中とはいえ、警備要員を誰も残さずに温泉に行くのは無防備が過ぎるのではないか。
たぶんコレ二手に分かれてローテーションになるんだろうなぁ、と思う。片方が温泉入ってる間にもう片方が警備、そして温泉入ってたチームが帰ってきたら交代して第二陣が温泉に……みたいな。
しかしパヴェルはチッチッチと舌を鳴らしながら指を振る。何だコイツ腹立つな。
「ミカエル君ミカエル君? この俺を侮ってはいけないよ?」
「というと?」
問いかけると、パヴェルはポケットから折り畳まれていた機械を引っ張り出した。手のひらに乗っていたそれは勝手に変形するや、小さなローターの音を発しながらふわりと彼の傍らに舞い上がる。
ドローンだ。以前、パヴェルが見せてくれた自立型ドローン。あの時に見た試作型よりもさらに小型だ―――おそらく完成品、量産タイプなのだろう。よく見ると機体の下部にはグロック17がレーザーサイトと共にぶら下げられており、マガジンはマガジンエクステンションの増設で多分40発くらい入ってる殺意の塊(おそらく俺のと同じだから43発か)となっている。
最初の1機が起動したのを皮切りに、どこから出現したのか、パヴェルの背後からさらに追加で5機のドローンが起動し周囲を舞った。
「コイツらに留守番を任せよう」
「これって例の自立型か?」
「そうそう」
「それはいいけど……バッテリーとか大丈夫?」
「それは問題ない。いつぞやの恒久汚染地域でお前が拾った”魔力循環式発電機”を小型化して搭載しているから、電力に関しては無尽蔵だ」
「……ぁ、あの時のやつか」
以前、恒久汚染地域に行った時の事を思い出した。そうだ、あの時に拾った魔力循環式の発電機―――大気中の魔力の残りカスを収集して加圧、利用可能な魔力としてそれを利用する事で130年間もメンテナンスフリーで動き続けていた発電システム。パヴェルはそれを解析し、こんなにも小型のドローンに搭載したという事か。
確かにそれなら稼働時間は気にしなくていい。
「今はまだこれだけだけど、他にも色々と兵装の異なるタイプとか派生機増やしていこうと思う」
「カオスになりそう」
絶対さ、1つは変な奴出ると思うんだ。パイルバンカーぶら下げてる奴とか。
まあいいや、これなら警備はドローンズに任せられそうだ。頼んだよドローンたち。
パヴェルを先頭に軽装甲車両の格納庫へと向かう。停車しているウラル-4320(※キャビンを延長し5人乗りとし、更にルーフに連装M2重機関銃を乗せたガントラックとした血盟旅団仕様。後輪も6輪になっている)に乗り込んだ。荷台に乗ろうと思ったんだけどクラリスに連行されキャビンの後部座席へ乗り込むや、ルカが慣れた手つきでハッチを解放してくれた。
がごん、と大きな音を立ててスライドしていくハッチ。戻ってきた彼が荷台の方に乗り込んだのを確認してから、運転席に座るパヴェルはアクセルを踏み込んだ。
ブォンッ、と重々しいエンジン音を発しながらウラル-4320が飛び出す。レンタルホームから線路沿いに進み、最寄りの踏切から車道へと躍り出たロシア製のトラックは、そのままマチェスキーの郊外にあるという温泉へと向かって突き進んでいった。
「ここっぽいな」
「はぇー……」
マチェスキーの町からトラックを走らせ、道中飛び出してきたゴブリンを轢き殺しながら突き進むこと15分。あの撥ね飛ばされたゴブリンも今頃は異世界転生を果たしているんだろうよと思っているミカエル君たちの前に姿を現したのは、それなりに年季の入った木造の建造物の群れだった。
その後方に見えるのは露天風呂だろうか。山の斜面に沿うように階段状に露天風呂が配置されていて、熱そうな湯気を発している。建築様式こそ異なるものの、日本の温泉街を彷彿とさせる風景に懐かしい子持ちにさせられる。
年季が入り黒ずんだ看板には『Мачески-Хот-Спрингс(マチェスキー温泉)』としっかり記載されていた。
駐車場にトラックを止め、警備用のドローン2機を展開するパヴェル。荷物を持ってトラックから降りると、確かにただのお湯を張った風呂とは違う温泉特有の匂いと熱気が風に運ばれて鼻腔をくすぐっていった。
あーいいね、この感じ。
最近は戦ったりトラブルに巻き込まれたり、色々と気を張っている日が多かったからな。
たまにはリフレッシュしてもいいだろう。




