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出発


 血と腐敗と、それから微かなお香の匂い。


 戦場で嗅ぎ慣れた悪臭と、それを覆い隠そうとするお香の匂いのブレンドというミスマッチさに、普段は表情を滅多に表に出す事の無いホムンクルス兵のミリセントは、微かに顔をしかめた。


 このお香が何なのか、彼女には分かっている。死体のゾンビ化を防ぐために祝福祈祷を施し、更に数種類の香木や薬草などを組み合わせて作られた特殊なお香だ。死体のゾンビ化を抑制する以外にも、アンデッドを遠ざける一種の魔除けとして各地にその製法が伝わっていると資料で目にした事がある。


 黒騎士たちが周囲の死体に持ってきた機器のプラグを突き刺し、降霊術の痕跡のデータを取っている間に、ミリセントは地下空間の中に堆積した微かな灰をそっと手に取った。


 それは数時間前まで、デリアという少女の魂が押し込められていた巨大な死肉の牢獄―――死体の巨人だったもの。


 シスター・イルゼの魔術を受けて完全に浄化、消滅されたそれは灰となり、床の上にただ静かに堆積するばかりだった。


「……」


 ヒトは弱い。


 隣人の死を受け入れられない者は、きっと心が弱いのだ。今まで戦場で数多の戦友の死を看取ってきたミリセントは常々そう考えている。仲間の死を受け入れられないのは心が弱いからで、そういう者は戦場には向かない。兵士という役職に対する適正が無いのだ、と。


 そして心が弱いからこそ、死者の蘇生という禁忌に手を染める。


 ちらりと黒騎士たちを見た。


 与えられた命令に疑問を抱く事もなく、ただただ淡々と任務をこなす黒騎士たち。既に残った死体を死体袋に収めたり、千切れ飛んだ死体の一部を容器に収めるなどして、搬出し母艦に持ち帰る準備を粛々と進めている。


 機械は疑問を抱かない。同胞の死を悲しむ事もないし、それで心を病む事もない。


 結局のところ、人間の弱さの源は心という不安定極まりない中枢制御装置に他ならないのだ。可能な事ならば一刻も早く切除するべきである、とミリセントは思う。


 死体の巨人だった灰を試験管に収めてから、彼女は床にこびりついた肉片に視線を向けた。


 それはこの惨事を引き起こした元凶―――幼少の頃、最愛の母の死を受け入れられずに降霊術を学び、修め、そして禁忌に触れるに至った哀れなネクロマンサー、その肉体の一部。


 最期は自ら生み出した死体の巨人に踏み潰されるという間抜けなものであったが、しかしその男の最後がどうであったとか、そういうことは重要ではない。


 必要なのは()()()の経歴などではなく、その中身が修めるに至った秘術の方だ。


 彼女らテンプル騎士団が必要とするのはまだ見ぬ技術。それを優れた技術者や魔術師、錬金術師たちが徹底的に解析し、軍事転用する―――そうやって未知の技術の簒奪と解析、軍事転用を繰り返す事でテンプル騎士団は大躍進を遂げたのだ。


 この人の心の弱さが生み出した秘術もまた、いつかは組織の糧となるのであろう。


 ピンセットを取り出し、床にこびり付いた肉片を一つ一つ丁寧に耐衝撃ガラスの容器に収めていく。容器の中には物質保存用の薄黄緑色の薬液が充填されており、内容物の状態を最善に保持することが可能となっていた。これを使えば、母艦に持ち帰るまでほぼ回収した時の状態を維持できるというわけだ。


 テンプル騎士団が持つ技術の1つである。


 筋肉繊維、骨、内臓の一部……回収してからそれぞれに立体映像のラベルを刻み、耐衝撃容器に収めていく。


 最後に脳の一部と思われるピンク色のぷりぷりした肉片を回収して、ミリセントは息を吐いた。


 こんな老人の脳味噌を欲するなど、同志団長はいったい何をお考えなのか―――ほんの少し、脳裏にそんな疑問が浮かんできたがすぐに押し殺した。


 同志団長―――セシリア・ハヤカワという指導者がどういう人なのか、彼女自身がよく分かっている事だ。


 かつて彼女らの世界で勃発した二度の世界大戦をテンプル騎士団の完全勝利に導き、祖国クレイデリアを脅かした卑劣な隣国を完全殲滅、民族浄化を成し遂げた祖国の英雄だ。力の象徴たる彼女の決定に、疑問を抱くとは何事か。


 クレイデリア人の、そして今やクレイデリアという国家の人口のうち9割を占めるようになったホムンクルスたち。その思想の根底にあるのは『力こそ全て』というシンプル極まりないものだ。


 力があれば良い。力さえあれば外敵を撃ち滅ぼし、屈服させ、自分たちに都合の良い歴史を後世に遺す権利を得る。戦争に勝利するとはそういう事だ。敗者は未来永劫、世界にとっての悪者になる。


 だからそのために、祖国が常に勝者の側でいるためにも、力は必要になってくるのだ。今回の任務はその一環、勝利のための糧を得るための重要任務である。


《同志ミリセント、回収作業が終了しました》


 テンプル騎士団正式採用の黒い戦闘コートに身を包んだ黒騎士が、無機質な男性の合成音声で報告してくる。


 噂では、その合成音声のベースとなったのはかつての組織の英雄―――”ウェーダンの悪魔”の名を欲しいがままにし、第二次世界大戦の戦地に散った同志団長の夫のものであるとされているが、真相は定かではない。


「……引き上げるぞ」


《了解》


《ナパーム爆弾設置完了。タイマーを360秒にセット》


 撤収する黒騎士たちを見守りながら、ふと思った。


 この惨状を生み出したネクロマンサー、それを死体の巨人を含めて排除したのは血盟旅団のミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。


 もはやあの転生者は、テンプル騎士団にとって最大の脅威であろう。


 シェリルとシャーロット、今のテンプル騎士団の中では上位に位置する2名のホムンクルス兵をまとめて退けたのだ。同志団長が直接出向くのならば話は別だが、そうでなければ相応の犠牲を覚悟しなければなるまい。


 相手の脅威を再認識しながら、ミリセントもまた廃病院の地下空間を後にした。









 一連の騒動の発端となった廃病院が謎の火災で完全消失したのは、それからすぐの事だった。


















 レコードから流れてくるベートーヴェンの月光を聴きながら、セシリアは報告書を表情一つ変えずに読み進めていった。


 降霊術―――テンプル騎士団が知り得ぬ技術。


 そういった技術はまだ、世界各地に遺されている。もしかしたらまだ渡った事の無いパラレルワールドにも、そういった未知の技術が眠っているかもしれない。そういう技術は間違いなく彼女らテンプル騎士団の糧となるのだ。


 自ら生み出すより、既に技術を確立させている他者から奪った方が圧倒的に早い―――それは初代団長、タクヤ・ハヤカワが実際に実践し証明している事からも明らかであろう。


 無論、その未知の技術を解析し己の力として取り込む術があるからこそ可能な事であるのだが。


「……」


「報告は以上となります」


「……苦労を掛けたな、ミリセント」


「はっ、任務ですので」


「ともあれご苦労だった、下がってよい」


「失礼します」


 敬礼し退室していく彼女を見送り、ドアの閉まる音を聴きながらセシリアは椅子に背中を深く預けた。


 降霊術―――死者の魂をあの世から呼び戻し、疑似的に蘇生させるという最大級の禁忌。


 それは生者と死者の境界線を曖昧にする行為であり、生と死、生誕と終焉、創造と破壊という一連のサイクルを乱す破壊行為に他ならない。円環の乱れはやがてメビウスの輪を生み出すに至り、そこかしこで予期せぬエラーを生む事になる。


 だからこそ神は死者の蘇生を禁じた、あるいはそういった行為が出来ないようこの世界を創ったのだと声高に主張する宗教学者も存在するが、しかし今のセシリアの思考はそんな説教じみた言説の外にあった。


 傍らの写真立てに目を向ける。


 そこには生まれたばかりの愛娘を抱き上げる最愛の夫―――力也の姿があった。その傍らでベッドに横になっているのはセシリアの姉、今は亡きサクヤ。


 姉と力也の間に生まれた娘、シズルが生まれたその時にセシリアが撮影したものだ。


 戦乱に次ぐ戦乱、渦巻く国家間の陰謀―――世界が不安定だった時代ではあったが、しかし彼女たちにとっては幸せな時間だった。姉と共に最愛の男と結ばれ、姉はその男との間に子をもうけた。戦う事しか知らず、人の愛も知らずに戦場を駆け抜けたセシリアという女が、家族に、妻になった時期だった。


 しかしそんな幸せな時間も、長くは続かない。


「……」


 降霊術の報告書をちらりと見て、セシリアは溜息をつく。


(シズルを蘇らせたら、力也は喜んでくれるだろうか)


 あれだけ溺愛していた愛娘の死、それが力也に、そして姉の心にどれだけの深い傷を穿った事か……セシリアには察するに余りある事だ。


 サクヤと力也にとっては未来を奪われたも同然なのだから。


 セシリアにだって息子がいる。力也が戦死する直前に身籠り、記録映像の中の父しか知らずに育った息子が。


 最愛の我が子を失う絶望は、決して推し量る事など出来まい。


 親にとっての我が子の死とは、それだけの絶望がある。


(……いや、やめよう)


 そんな事は、力也は望まないだろう。


 死者にとって一番なのは、天国で安らかに眠る事だ。決して現世に呼び戻し蘇生させ、途切れた人生の続きを生きさせる事などではない筈だ―――もっとも、実際に死者の意向を聞いたわけではないので生者のエゴでしかないのだが。


 だが、生きるとはそういう事であろう。


「―――まだまだ弱いな、私も」


 降霊術で死者を蘇らせる―――そんな事を一瞬でも真面目に検討してしまった己の弱さを恥じながら、セシリアは愛用の煙管キセルを咥えて火をつけた。


















《間もなく、12番レンタルホームから列車が発車致します。お見送りの方は黄色い線の内側までお下がりください。血盟旅団の皆様、お気をつけて行ってらっしゃいませ》


 駅員の放送に返事を返すように、ルカが機関車の汽笛を鳴らして応える。


 ホームの喧騒が、列車の発車を告げるメロディーで遮られた。ヒットソングをアレンジしたものなのか、それとも民謡なのか、あるいは作曲家に依頼して製作されたものなのかは不明だけど、随分と電子的で軽い雰囲気のチャイムがレンタルホームに響き渡る。


 信号ヨシ、安全ヨシ、発車ヨシ……そんなパヴェルの声が聴こえたかと思いきや、ぐんっ、と客車が前方に引っ張られ始めた。ディーゼルエンジンに変わってAC6000CWに搭載された対消滅エンジンが、重々しいモーターの駆動音にも似た唸りを発して列車をぐんぐん加速させていく。


 10番レンタルホームに停車している他の冒険者ノマドの列車の方で手を振ってくれてる人が居たので、俺も客車の上にある銃座から大きく手を振り返した。冒険者は互いに成果の奪い合いをする事も珍しくないが、こうして互いの旅の安全を祈念し合う事もまた多いのだ。


 ホームの風景が左へと流れていく。反対側にある上り線を、ごう、と凄まじい速度で特急列車が通過していった。


 俺たちが目指すは学術都市アカデムゴロドクボロシビルスク。


 あそこには帝国のあらゆる最新技術が集まると言われている。


 そして、あらゆる情報も。


 確証はないが、そこに行けば自ずと分かるかもしれない―――キリウ大公の子孫が今、どこにいるのか。


 願わくばここからボロシビルスクまでの旅路が、無駄足にならない事を願うばかりだ。







 第二十九章『葬送のエクソシスト』 完


 第三十章『過ぎ行く日常』へ続く







 

次回から三十章です……さ、三十章?(困惑)

出来れば日常回メインでこう、キャラの掘り下げとかやっていきたいなと思います。戦闘シーン多めになったら「あっ作者の野郎逃げやがったな」とでも思ってください。日常回苦手なんです


では、次回もよろしくお願いします!


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― 新着の感想 ―
[良い点] まあ直接関与しなくても観察はしてますし、事故現場の検証と資料確保は確実にやりますよね。テンプル騎士団だったら。このあたりの貪欲さは昔からですね…そして同志団長もやはり一瞬とは言え、失った姉…
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