CQB
報告書に記載されている文字の羅列に目を通しながら、彼―――”ダニール・イザーコヴィッチ・アサエフ”はそっとコーヒーのマグカップに手を伸ばした。中には卵黄とウォッカを混ぜたコーヒーが入っていて、温かそうな湯気を発している。
ノヴォシア帝国は極寒の地だ。10月になれば気温は氷点下に達するほどで、それが11月になれば更に冷え込む。十分な量の薪を溜め込んでいるものの、果たしてこれが雪解けまで残っているものか不安になるほどだ。
そんな地獄のように寒い冬の朝はこれに限る。
コーヒーを口に含みながら報告書に目を通していると、デスクの上にある黒い電話が喧しい音を響かせた。せめて朝くらいは、出勤してから30分くらいは静かに仕事をさせてくれないものかと思うが、ダニールの立場上そんな事は許されない。
顔をしかめながら受話器を持ち上げ、「はい、ダニール」と短く返答すると、若々しい女性の声が返ってきた。
《朝から失礼します、支部長。報告書は御覧になられたでしょうか》
「今確認しているよ。大方、冒険者の昇級についての件だろう?」
《ええ、”血盟旅団”の》
血盟旅団―――最近になって、報告書にちらほらと名前が載り始めた冒険者ギルドだ。こうした勢いのある冒険者ギルドが報告書に記載されるまでになるのは珍しい事ではない。が、その勢いは長くは続かない。大概は調子に乗って身の丈に合わぬ依頼を受けて全滅するか、分け前の件で仲間割れを起こして解散するか。そういうケースもあり、最終的に上位にまで上り詰めていくギルドというのはなかなか稀になりつつある。
冒険者管理局では、ギルドランクやメンバーのランクに応じてギルドに序列を付けている。こうして他者との比較を公開する事で、彼らの競争心を刺激し冒険者という職業を活性化させていくのが目的だ。
しかし、下位では序列の変動が激しいものの、上位ではこの十数年間全くと言っていいほど序列の変動がなく、とにかく風通しが悪い状況が続いている。
彼らならば、このギルドならば、と密かに期待を寄せるギルドが内輪揉めや仕事中の”不慮の事故”で脱落していくのを何度も見ていれば、勢いのある新興ギルドへの期待も冷めてしまうというものだ―――今のところ、冒険者管理局イライナ支部を預かるダニールの、血盟旅団への評価もそんなものだった。
どうせ長続きしない。そのうち報告書に名前が載らなくなり、そのままフェードアウトしていくのが関の山であろう、と彼はコーヒーを飲みながら考える。
「エルダーハーピーと遭遇しこれを撃破、か」
《通常、下位の冒険者であれば十分な準備が無ければ討伐の難しい相手です。しかし彼らは想定外の遭遇戦でこれを撃破しています。特にEランクの2名……ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフとクラリスには、昇級試験を与えても良いのではないでしょうか》
「……まあ、それが妥当だろう」
《随分と冷めてらっしゃいますね》
「今までこういう冒険者は何度も見てきた。そして彼らがこの業界から消えていく様もな。そういうのを何度も目にしていれば、期待など抱けんよ」
《そうですか》
「ああ。しかし、せっかく頑張っているのだ。昇級試験の件、明日の会議で議題として取り上げてみよう」
《ありがとうございます。では、私はこれで》
そっと受話器を置き、ダニールは考えた。
彼らは果たして期待するべき人材か否か?
(それにしても……”リガロフ”か)
イライナ地方出身でリガロフという事は、キリウの没落貴族であるリガロフ家の出身という事なのだろう。あそこには4人の子供が居り、それぞれ騎士団や法務省へと巣立っていったと聞いているが、噂では”第5の子供”が居るという。
当主とメイドの間に生まれてしまった庶子―――当主ステファンが隠し続けた、リガロフ家の恥部。
父親の制止を振り切って家を出たその庶子は冒険者になったと聞いているが、まさかこの子ではあるまいか。
ダニールはそんな疑念を抱きながら、マグカップの中のコーヒーを飲み干した。
いずれにせよ、冒険者は実力が全ての世界。身分や性別、文化、言語の違い……そんなものは言い訳に過ぎない。強ければ生き残り、弱ければ淘汰される。それが当たり前の弱肉強食の世界なのだ。
そんな過酷な世界に、貴族という立場から飛び込んできたのならば、その覚悟は本物と見るべきだろう。
少しばかり、期待しても良いかもしれない―――すっかり冷めきったダニールの胸中に、ふとそんな思いが静かに灯った。
パパンッ、と室内で弾けるような爆音が響いた。
スタングレネードの炸裂音。閃光と爆音が、範囲内に居る相手の全ての感覚をぐっちゃぐちゃにかき乱す。どれだけ鍛え上げられた兵士でも、その影響下でいつも通りの行動をとるなど不可能だ。
そんな隙だらけの相手に、躊躇なく引き金を引いた。パパパパパンッ、と5.56mm弾の鋭い銃声が弾け、被弾した対象がぱたぱたと後ろへ倒れていく。
室内のクリアリングを済ませ、再び通路へ。曲がり角からいきなり出てきた相手にも5.56mm弾を叩き込んで黙らせ、通路の安全を確認してから先へと進む。
発砲した回数は頭の中で記憶していた。27回―――30発入りのマガジンで27回の発砲だ。残弾は僅か3発、これで次の部屋を制圧するのは少々心許ない。
腹の前にあるチェストリグから予備のマガジンを引っ張り出し、残弾3発のマガジンを外してダンプポーチへ。30発入りのマガジンを装着し、弾丸をたっぷり叩き込める体勢を整える。薬室の中には既に1発入っているから、コッキングレバーを引く必要はない。
次の部屋へ静かに忍び寄り、ちらりと中を確認。まるで機械がスキャンするように、1秒にも満たぬ間だが室内の様子を把握。敵は3名、人質は無し。
先ほど室内を覗いた時よりも姿勢を低くし、ハンドガードをしっかり握る姿勢で躍り出た。パパンッ、と銃声が響き、被弾した相手が次々に崩れ落ちていく。
最後の標的が後ろへパタンと倒れたところで、訓練終了を告げるブザーが鳴った。
《訓練終了、訓練終了だ》
「ふーっ」
張りつめていた空気が一気に軽くなり、身体から力が抜けるような錯覚を覚えた。頭の中が戦闘モードから通常モードへとシフトしていくのを感じながら、弾倉を外してコッキングレバーを引き、薬室から装填済みの弾丸を排出する。
それをキャッチしてから安全装置を解除、AK-19を完全に発砲できない状態へ。これでこのライフルは意図的に装填して安全装置を解除するか、銃そのもので殴り掛からない限り人を傷付けられなくなった。
AKを肩に担ぎながら戻ると、PCの画面でさっきの訓練の様子を見ていた仲間たちが出迎えてくれる。
「おつかれ。まだ甘いところがあるが、だいぶキレ良くなったな」
「そりゃどうも」
元特殊部隊のパヴェルからのお墨付き。とはいえ、まだまだ甘いところがあるのは自覚がある。彼が言う”甘い”には、色んな意味が含まれてそうだ……標的に命中させた部位の件も含めて。
「ご主人様、上達されましたわね」
「ちっこいのによくやるわ、アンタも」
「ちっこいは余計じゃ」
こちとら背を伸ばす努力を日々行ってるんだ……半ば諦めてるけど。でも、毎日欠かさず牛乳飲んだりしてた努力が無駄になったとは思っていない。少なくともミカエル君の骨はオリハルコン並みの硬度になってる筈だ。ごめん嘘、見栄張りましたごめんなさい。
でもさ、俺牛乳キライなのに毎日ちゃんと飲んでたんだよ? えらいでしょ褒めて褒めて。ミカちゃん褒められると伸びるタイプなの。
「さて……じゃあ次は俺が行ってきますかね」
「え、パヴェルが?」
やってやりますか、と言わんばかりに肩を回しながら立ち上がり、傍らに立て掛けてあったライフル―――AK-15(AK-12の7.62×39mm仕様)を拾い上げる。
随分と年季の入った銃であることは一目で分かった。ちゃんと整備されているが、それでも落としきれない汚れや傷跡がいたるところに残っている。彼の愛用の得物として、主人と共に数多の戦場を渡り歩いてきた老兵と言っていいほどの貫禄がある。
が、一番特異なのはそのカスタムだった。
「待てお前なんじゃそりゃ」
「あ」
パヴェルのAKなんだが、一言で言うと「重装備」だった。
機関部上部にはPK-120とブースター、それは俺と変わらない。しかし彼の場合は更にハンドガード下部にM203をマウント、ハンドガード上部にはレーザーサイトを装備し、右側面にはライトまで乗せている。しかも銃身は長銃身に換装、室内での取り回しなんぞ知った事かと言わんばかりだ。
あんな装備で重くないのだろうか。明らかにフロントヘビーが過ぎるカスタマイズである。室内戦では取り回しの良さが最も重要視されるのだが、その定石をあからさまに無視しているかのようだ。
「いいんだよ、これで」
むしろこれがいいんだ、と続けながら、パヴェルは訓練開始位置へと歩いていった。
彼が準備を終えたのを確認し、俺は訓練開始のボタンを押す。ビーッ、と訓練開始のブザーが鳴り、PCの画面に映るパヴェルが手慣れた動きで走り出す。
そこから先はもう―――圧巻、としか言いようがなかった。
あんなクッソ重そうなアサルトライフルを持っているとは思えないほど軽やかに、かつ無駄のない動きで室内を索敵。的確に敵の人数を確認したかと思いきや、まるで人間ではなく最高精度のセンサーを内蔵したサイボーグなのではないかと思ってしまうほどの動きで、あっという間に標的を全員ヘッドショット。何事もなかったかのように次の部屋へと向かってしまう。
さながら西部劇に出てくるガンマンだ。あれに最新鋭の装備を渡したらどうなるか―――その答えが、目の前で実演されている。
やがて全ての的を撃ち抜き、全ての部屋を制圧したパヴェルが、特に喜んでいる様子もなく戻ってきた。既にマガジンは外され、薬室の中の弾薬も排出したAKを担ぎ、まるでいつものルーティーンを終えただけだと言わんばかりにPCの前に腰を下ろす。
「え、ええ……?」
「上には上がいる、とはよく言ったものですわ」
「はっや」
「お前らもこのレベルを目指しなさい?」
無理です。
何なんだマジでこの男。ただの飲酒常習犯じゃないんか。
「よーし、今日の訓練はこれまで。休むなり仕事行くなり好きにしてくれい」
あのレベルを目指せ、か……今でもだいぶ上達したという自負はあったが、ああも上の領域を見せつけられると自分の無力さを痛感させられる。
唯一パヴェルのレベルに追い付きそうなのはクラリスか。彼女ならワンチャン……?
そんな事を考えながら薬莢を全部回収し、外に出た。
訓練に使っていたのは、ザリンツィクのスラムにある建物の1つ。周辺に住んでいるスラムの住民たちからこの建物を”借りる”形で内部を改装、CQBの訓練施設に作り変えて使っている。
もちろん建物の持ち主や周辺住民には”レンタル料”を毎週支払っている。彼らもおかげで食費には困らないと大喜びだ。壁も防音仕様だから騒音被害も今のところは無い。
外に停まっている、随分とレトロなデザインのバンに乗り込んだ。丸みを帯びた車体に広いフロントガラス、そして車体正面にある魚の目みたいに丸っこいライトが古めかしさと愛らしさを放っている。
『UAZ-452』、通称”ブハンカ”と呼ばれるソ連時代の車だ。転生者の能力で召喚した車両である。
俺が”自称魔王”から与えられた能力は、どうやら武器だけを召喚できるというわけではないらしい。正確には”兵器を召喚する”能力のようで、その範囲には戦車や装甲車といった軍用車両、ヘリや戦闘機などの航空機、戦艦やイージス艦などの艦艇も含まれている。
が、運用するにはそれなりの設備が必要になりそうだ。兵器単体で召喚しても、動かす人員も居ないし設備も無い状態ではただの棺桶に過ぎない。
なので設備的に運用が可能で、長距離の移動にも耐えうる車両としてこれを選んだ。ノヴォシアの気候はロシアやウクライナに近い(というか明らかにあっちより苛酷だ)ので、ソ連製のこれであれば運用条件的に間違いは無いだろう、という判断だ。
追加のカスタマイズとしては、物資を乗せるためのルーフラックの追加に運転席上部へのフォグランプの追加、何かに突っ込むつもりかと勘違いされそうなデザインの、随分とゴツいグリルガードの搭載が挙げられる。
冒険者ギルド”血盟旅団”の社用車のようなものだ。車体側面にはこれ見よがしに血盟旅団のエンブレムが描かれている。
運転席に乗り込んだパヴェルは、俺たちが全員乗り込んだのを確認してからシートベルトを締め、エンジンをかけた。
訓練施設と列車はほんの少し離れている。列車の留守番はルカとノンナの2人に任せているんだが、大丈夫だろうか。
「やっぱり心配?」
あの2人の事を思い浮かべていると、それを見透かしたようにモニカが言った。
「ああ」
「大丈夫よ、アンタの愛弟子でしょ?」
愛弟子って……。
ルカの奴、血盟旅団に入ってからいつも『俺にも戦い方を教えてくれ』と迫ってくるのだ。さすがに銃を持たせるにはまだ早い、と何度も言っているんだが……ならばせめて魔術を教えてくれ、ときたもんだ。あの意欲には頭が下がるが、出来れば危険に晒したくないという思いもある。
「銃の使い方でも教えてあげたら?」
「だってさ、まだ14だぞ? 思春期真っ只中の男子にそんな……」
「俺の息子なんか6歳で銃を使ってたんだぞ? それに比べりゃ十分じゃねえか、年齢的に」
英才教育ってやつだ、といいながら呑気にブハンカを運転するパヴェル。いやいや、そりゃあお前の息子が異常なだけだって。まさか6歳児にAK持たせたんじゃないだろうな? どこの少年兵だよまったく……。
でもまあ、いつかはそういう日が来るのかもしれない。それに万一、俺たちが不在の間に列車を襲撃される事があったら……それもそれで怖い。
ホームディフェンスの一環で銃の使い方くらいは教えた方が良いのかもしれないな、それなら。
少し考えてみよう。




