死者には永劫の眠りあれ
クラリスの投擲したミカエル君の触媒→マッハ7
倭国の力也さんが本気で振るう刀の速度→マッハ7.5
結論:上には上がいた
「あ、あぁ……ぁ、ぁ……!」
床の上にへたり込みながら、今の心境を理性というフィルターを介さずに発したような声を出す老人。
苦労して集めた冒険者たちの死体と、努力して修めた降霊術。死者を使役し力を我が物とする力が、唐突に頭上から降ってきた一本の槍に根こそぎ吹き飛ばされればそうもなるだろう。
ぶっちゃけ俺もそんな感じだ。触媒を届けてくれ、と支援をリクエストするつもりで鳴らした防犯ブザーがよもやこんな結果をもたらすなんて誰も予想できないだろう。何だこれ、どうせクラリスが思い切りぶん投げたんだろう。その結果俺の触媒は音の壁どころか熱の壁を超え、断熱圧縮の際に生じる熱を纏いながら超加速。その質量と突入の勢いを以て地盤を貫通、実質的な地中貫通爆弾と化したに違いない。
バンカーバスター(人力)とか笑えない……というか俺も人の事言えないけど、レールガン(人力)といい今回のバンカーバスター(人力)といい、何でもかんでも人力で解決してしまうウチのギルドほんとマジで何なんだろう……?
磁力魔術を発動、魔力と共に磁界を形成すると、ぶすぶすと燻る音を発しながら周囲の大気を焼き焦がし続けていた俺の触媒がぶるぶると痙攣を始めた。やがて磁力の見えざる手に長い柄を鷲掴みにされ、ボゴンッ、と派手な音を発しながらめり込んでいたクレーターの底から引き抜かれる。
ふわりと浮かびながら俺の傍らにやってきたそれは、まるで限界稼働し終えたばかりの工業用大型コンプレッサーみたいな熱を発していた。
断熱圧縮によりうっすらと赤熱化した剣槍の穂先が、レーズンみたいな顔に更に皺を寄せたアルティメットレーズンジジイ(仮名)を睨む。
「……これ以上、抵抗はしないでほしい」
優しく諭すように言うと、老人は困惑したまま目線をこっちに寄越した。
現実は認められなくとも言葉を聞き、理解する余裕はまだあるのだろう。意志の疎通はまだ可能であると踏むや、シスター・イルゼが前に出て老人に武装解除を訴える。
「あなたがやったことは決して許されない行為です。ですが、人間誰しも死者の蘇生を夢見るもの……あなたの気持ち、私には分かります。ですがどうか、もう死者の尊厳を踏みにじる行為はやめてほしい」
嘘偽りはなかった。
紛れもない、シスター・イルゼの本心。
彼女自身も過去に大切な人を失っているからこそ、その言葉には説得力という重みが宿る。上辺だけの綺麗事のような薄っぺらい言葉ではなく、実態を持った重い言葉。それは誰の心にも染み渡っていく確かな強さを宿しているが、しかしそれをどう受け取るかは相手次第だ。
頼む、これ以上戦わせるな―――そう祈らずにはいられない。
宗教裁判は全体的な傾向として、通常の裁判と比較すると重罪が下りやすい傾向にある。帝国の刑罰が犯罪者の更生も考慮したものであるのに対して、宗教裁判における裁量は宗教関係者に一任されており、異端者に対する更生というよりは”道を踏み外した者を粛清する儀式”としての意味合いが強く、見せしめの意味も兼ねて重い罰が下されるからだ。
本人が反省の意思を見せていても、火炙りや磔といった無慈悲な罰が下る事も多い。
もし降伏するならば、エレナ教上層部に俺もかけ合おうと思う。どうか寛大な処遇を、と。本人が高齢者である事も考慮すれば、いくら無慈悲な罰を下す傾向がある宗教裁判でも少しは慈悲を見せてくれるかもしれない。
しかしそんな祈りも、老人の口元に浮かんだ笑みによって虚しく裏切られる。
「ふ、ふふ……ふふふ」
「……」
下ろしかけていたヴェープル12モロトの銃口を、無言で老人に向けた。
シスター・イルゼも哀し気な表情を浮かべながらAPC9Kを老人に向け、引き金に指をかける。
「……70年……70年だ」
笑みの中に、悔しさが滲む。
「母の死、人間の死の克服……その探求に努力を費やし、70年……やっとここまで漕ぎつけたのだ」
閉じてしまいそうなほど小さかった目が、唐突に見開かれた。
あの老人もジャコウネコ科の獣人なのだろう、大きく見開かれ、加齢により視力が落ち一部は白濁したその目は、しかしビー玉のように丸くくりくりとしていた。
自らの野望が今、潰えようとしている―――70年間も努力を続けてきたそれが水泡に帰そうとしているところで、老いさらばえたその野心に火がついたのだろう。
それはまるで、袋小路に追い詰められたネズミの最後の足掻きにも思えた。所詮は最期の抵抗、と断じる事も出来ようが、しかし『窮鼠猫を噛む』という言葉を先人が残している通り、追い詰められた人間は時として恐ろしい力を発揮するものだ。そうでなければそんな言葉が後世まで教訓として語り継がれよう筈もない。
何か秘策があるのか、と警戒する俺とシスターの前で、老人は翡翠のような小さい宝玉が埋め込まれた杖を床に思い切り突き立てた。カァンッ、と円筒状の空間に、堅い床にぶち当たる杖の音が響き渡る。
変化が生じたのは、すぐだった。
「!」
ぴく、と傍らに転がっていた死体の一つ―――先ほどのバンカーバスター的な剣槍のデリバリーで吹っ飛ばされ、そのまま動かなくなっていた死体の指先が動いた。風や地震などではない、確かに動いたのだ。とっくに魂が抜け、神経も筋肉も動かなくなって久しい死体の指先が、確かに。
するとその死体がゆやりと身体を揺らしながら起き上がり始めた。
その1体だけではない。
クレーターの周囲や壁際に倒れていた死体たちが、ゆらりと立ち上がって自分の意思で歩き始めたのだ。下半身が無かったり、足が欠損している死体は腕で床を這い、最初に起き上がった死体の元へぞろぞろと集まっていく。
しかしその歩き方は人間のそれではない。
まるでゾンビのようだった。
腐敗した肉体に、怨霊の類が憑依して動き出す”歩く死者”たち。肉体に腐敗は見られないが、挙動は確かにゾンビのそれだった。しかし生者たる俺やシスター、それからあの老人に襲い掛かる様子もない。ゾンビならとっくに襲い掛かっているであろう生者には目もくれず、最初に起き上がった死者を目指して死体たちがぞろぞろと集まっていく。
「何だ……何をした、ジジイ!?」
「クックックックックッ……我が秘術の神髄、とくと味わうがよかろう! これぞ死を使役せし者、ネクロマンサーの真の力なりィ!!」
なるほど、多くの宗教がこれを黒魔術と断じるわけだ。
死者の蘇生、死体の再利用―――倫理的問題もそうだが、生と死の均衡が崩れ去る危うさが確かにこの手の術にはある。生者と死者の在り方を歪め、その境界線を曖昧にしてしまう。それがどれだけ恐ろしい事なのかを、きっと大多数の人間が正しく理解していない。
俺もそうだ、完全に理解ているわけではない。が、何となく分かるのだ。生命を終えて天に召される筈の魂が、死者の肉体を依り代に召喚され運命を歪める。やがてそれは生と死、あらゆる生命に定められていた円環に捩れをを生み出して、やがては数多のエラーを抱えたメビウスの輪へと至る。
それが何を生み出すのか、俺には分からない。ただ決していい結果ではない事は確かだ。
これは摘み取らなければならない―――あの老人を射殺する決断を下し、ショットガンの銃口を老人へと向けるミカエル君だったが、しかし一ヵ所に集まった死者たちに生じた変化が引き金を引く筈の指を凍り付かせる。
始まったのは、何ともおぞましい光景だった。
最初に立ち上がった死者の周囲に集まった死体たち。すると彼らの身体が唐突に崩れ、まるで子供が適当にこね回した粘土のように身体の輪郭がどっと崩れたかと思いきや、最初に起き上がった死者の身体へとそれが吸収され始めたのである。
肉の潰れる音、攪拌される音、骨の組み替えられるパキパキという音。生者も、死者も、いや……人類という種族全体に対する冒涜的な光景が、目の前で繰り広げられている!
肉が、臓器が、骨が絡み合い、肥大化し、どんどん巨大な姿に生まれ変わっていく。多数の死者を材料にして作られた巨人、とも言うべきだろうか。推定で5m強はありそうなサイズにまで巨大化したそれは、しかしそこから更に変化した。
いかに巨大な肉体でも、中身たる魂が無ければ動かない。動かせたとしてもそれはアンデッド同然で、動く死体に変わりはないのだ。
あの老人自身も言っていた―――我が秘術の神髄、と。
死体を動かすだけが秘術の神髄ではないだろう―――言葉の通りであれば、そこに魂を降ろす事で奴の秘術、降霊術は完結する。
空気の体積が一気に増えるあの錯覚に、目を見開いた。
それはまるで死者の世界から現世に迷い込んだ魂が生み出す波紋のようで、あるいは生者の世界のあらゆる概念が魂の降霊という異常事態に混乱しているようにも思えた。
バキバキ、と死体で出来上がった巨人の骨格が組み変わっていく。無数の死体を組み合わせて作り上げた5m強の巨人、複数の成人の顔を繋ぎ合わせたような有様のそれが整い、黄金の頭髪も伸び始めた段階で、その異形を見上げていた俺とシスター・イルゼは息を呑む。
「―――デリア、ちゃん?」
見間違えよう筈もない。
死体の巨人の顔、それは紛れもなくシスター・イルゼが過去に手にかけた少女、デリアのものだった。
降霊術においては、定着した魂が肉体よりも強ければ肉体は魂に引っ張られるという。強い方が主導権を握り、弱い方を取り込んでしまうというわけだ。
では、この複数人の死体から主導権を奪い去った魂の正体は……やはり……。
「ジジイ、てめえ……やりやがったな……!」
銃口を老人に向けると、老人は畏れる様子もなく両手を広げ、死体の巨人の主導権を奪い去ったデリアを見上げながら言った。
「ハッハッハッハッハッ! 見たか、これこそが我が降霊術の―――」
ずん、と振り下ろされた足が、その言葉を遮った。
血の気のない真っ白な足。5mの巨人の質量を、老いさらばえた1人の老人の筋力で支えられる筈もない。死肉の鉄槌を真上から振り下ろされた老人はあっさりとその質量の暴力に屈し、ぐしゃあ、と人体が潰れる音を広間に響かせた。
床を踏み締めるデリアの足の下から、真っ赤な血が滲み出る。
『―――きゃは』
デリアの口から漏れたのは、邪悪な笑い声だった。
「……シスター」
「……はい」
「デリアは……彼女は、悪魔に身体を奪われかけた状態で殺してくれと懇願したんだよな?」
「……はい」
「じゃあ……じゃあ、降霊術で呼び出されたのはデリアの魂だけじゃあ―――」
答え合わせは、デリアの口から漏れる邪悪な笑い声で終わった。
きゃは、きゃは、と子供の狂ったような笑い声を発し、巨大なデリアと化した死体の巨人が両手を広げる。
かつてデリアは悪魔召喚の依り代となった。
悪魔に肉体を奪われた人間は、悪魔の魂に己の魂も精神も内面的な全てを吸収され、やがては消え果てるという。そして悪魔の糧となった魂は神の祝福を受けることはなく、天国で安らかに眠る事もない。文字通りの完全消滅を果たすのだ。しかしデリアは悪魔に魂を吸収されかけながらもその支配に抗い、イルゼに自分の始末を託して死んだ。
それはつまり、悪魔に魂を吸収されつつも辛うじて自我が残った状態―――完全に魂が吸収されていなかった、という事。
「最悪だ」
あのジジイ、とんでもねえ置き土産を遺していきやがった。
―――消えかけのデリアの魂とセットで、悪魔の魂まで降ろすとは。
今ならば納得がいく。あの時、尾行中の俺に気付いて襲ってきたデリアの異常な戦闘力。それはその身の内に悪魔の魂を宿していたからだというならば、あの強さにも説明がついてしまうのだ。
よもや二度も同じ魂を召喚するとは。
デリア、おまえとんでもねえジジイに好かれたな。
「はは……マジかよ」
ちらりとシスター・イルゼの方を見た。
狂ったような笑い声を発するデリアの姿をした死体の巨人。シスターが何を考えているのか、今ならば手に取るように分かる。
死体でできた肉の牢獄から、苦しむデリアの魂を解放する方法はただ一つだ。
「―――シスター・イルゼ」
「はい」
息を吐き、死体の巨人を見上げながら俺は告げた。
「―――俺が囮になる。デリアは、アンタが救ってくれ」
「え」
悪魔の魂を宿した5m強の死体の巨人―――悪魔の魂が宿っていると考えるだけでも面倒なのに、それに加えてあの質量だ。全くもってふざけてやがる。
あんな奴の攻撃を喰らえば、俺たちもあの潰れたレーズンみたいなジジイの後を追う事になる。そうならないためにも狙いを分散させて、シスター・イルゼが何とかする隙を作らなければ。
「……分かりました」
意を決したように、イルゼは頷く。
それはいつものように慈愛に満ちた彼女の顔ではなく―――現役だった頃のエクソシストに戻ったような、”戦う女”の顔だった。
「さあて、行きますか」
悪魔祓いの始まりだ、クソッタレ。




