生ゴミの日
よく異世界転生モノで敵を殺す場面あるじゃない?
魔物……まあゴブリンとか、その辺の定番の魔物であればまだ分かる。追い払ったところでまた攻めてくるだろうし、対話も出来ないので意思疎通のやりようがなく、結果的にどちらかが死に絶えるまでの殺し合いになってしまうからだ。
それに対して抵抗を感じないのは、まあ百歩譲って許そう。俺もそうだったから。
ただ―――チート能力を貰って異世界転生したばかりの転生者が、人を殺す事については賛否両論あると思う。アニオタ的に考えて。
何か葛藤があったり、咄嗟に放った攻撃が運悪く……というケースを除いて、何の躊躇もなくぶち殺したらソイツきっとサイコパスの才能あると思うんだ。
その点、俺は甘すぎた。
良く言えば「優しい」、悪く言えば「甘い」。
必要な時であっても、相手を殺す事が出来なかった。どうあっても命までは奪わず、悪人の処分は司法の判断に委ねようという日本人的な思考があったし、単純に殺しへの忌避感が凄かった。そりゃあ日常生活の中で本物の銃なんてどうあっても手に入らないし、それを用いた殺しなんて経験しようがない。日本はそれほど平和な場所で、治安も良かった。そんな安寧の傘の下で暮らしていたのだ、いきなり異世界転生して殺し合いになったら相手をすぐ殺す決断を下せるはずもない。
だから殺しに対しては最後まで躊躇していた―――腹を括ったのは転生者殺しの一件、俺のこの甘さが仲間を死なせるかもしれないという事を痛感して、覚悟を決めるその瞬間まで、俺には殺す覚悟がなかった。
このイシュトヴァーンと最初に戦った時もそうだ。殺さず、憲兵隊に突き出して然るべき裁きを受けてもらう―――しかしその結果としてイシュトヴァーンは事故に近い形で死亡、俺は随分とショックを受けたものだ。
あの時、自分の口から漏れた言葉を今でも覚えている。
―――”救えなかった”。
こんなクソ野郎すら―――愛し合った筈の女を騙し、黒魔術の生贄にしようとしていたバチクソゴミカス底辺負け犬野郎にすら、救いの手を差し伸べようとしていたのだ。
今では考えられない。
旅を続け、世界を見て、そしてヒトの営みを見て悟った事がある。
救うべき人と、殺すべき人がいるという事。
コイツは―――殺して然るべき人間だ。
首を傾け、奴が投擲した血の槍を回避。頭を動かさなければ間違いなく脳天をぶち抜いていたであろうそれを紙一重で回避し、反撃にグロック17Lカービンから9×19mm弾をばら撒く。
サーベルを縦横無尽に振るい、飛来する弾丸を片っ端から叩き落すイシュトヴァーン。しかしああいう光景にも見慣れてしまった……どうせ弾くんだろとか、どうせ効かないんだろとか、どうせ再生するんだろって思考回路が常に頭のどこかにある。
だからこそ、その不意討ちは成功した。
調子に乗って弾丸を弾きまくっていたイシュトヴァーン。しかしそんなバトルマンガの強キャラっぽくカッコいいアクションを繰り広げる彼に水を差すが如く、どこからともなく飛来したスクラップが、その脇腹を強かに打ち据える。
「―――ッ!」
元々はストーブの一部か何かだったと思われる円筒状のスクラップ。錆が浮かび、塗装は剥げ、ところどころが風化して今にも崩れ去りそうなそれがぶつかったところで大したダメージにはならないだろうが、しかしこれではっきりした事がある。
―――コイツは視野が狭い。
音速で飛来する弾丸を、こっちが引き金を引く際の指の動きと筋肉の動き、それから気配で何となくタイミングを推し量って刀剣で弾く―――常人には到底無理な芸当を当たり前のようにやってのけるのだ、イシュトヴァーンは確かに強い。
だが、それだけだ。
ハンガリアで戦った時も薄々思っていた事だ。コイツは確かに一つの事に集中すると手強いが、しかしそれ相応に視野が狭くなってしまい、他の事に手がつかなくなる。
マルチタスクが苦手なタイプだ。たった今の攻撃で、それが証明された。
さーて、メスガキの如くバチクソに煽り散らかし、敗北の屈辱と共にボッコボコに破壊された尊厳もろとも埋葬してやろうと思っていたところであるが、そうもいかない。とっととぶっ倒してシスター・イルゼと合流しなければ。
「お前、マルチタスク苦手だろ?」
「……Mi?(何だって?)」
はあ、と溜息をつきながら肩をすくめた。
「分からんかぁ、お前には」
「―――megöllek!(殺す!)」
頭に血が上ったらしい。今度はこちらの番だと言わんばかりに、サーベルを左手に持ち替えて前傾姿勢になるや、足元の石畳を抉る程の脚力を動員して、イシュトヴァーンが真正面から突っ込んでくる。
立ち止まっただけでスッ転んでしまいそうな、極端極まりない前傾姿勢。そのあまりにも低すぎる重心ゆえ、手にしたサーベルの切っ先が足元の石畳を何度も何度も断続的に擦過して、鋭い刃物特有の金属音を響かせ火花を散らす。
勢いのままに振り上げられた剣の一撃。が、その刃がミカエル君に届く事はない。
目の前にある空間―――さながらそこに位置するガラス球の輪郭をなぞるかのように、イシュトヴァーンの剣戟は俺の目の前にある何もない空間を滑り、しかし切り返す事も出来ぬまま上へと通過していった。
以前戦った時は使って来なかった技に、目を見開くイシュトヴァーンの滑稽さときたら。
磁力防壁―――俺の得意な魔術だ。
俺の立っている場所を中心に、半径20m以内の任意の座標に磁界を生成し操る魔術だ。これを使えば磁石に反応する金属類を遠ざけたり、引き寄せたり、あるいは磁力の反発を利用して撃ち出したりする事が出来る。
ちなみに磁力魔術の展開可能範囲の世界記録は半径3mらしく、さらっとミカエル君は努力の末に世界記録を超える事になったのだが、本人と世界がそれに気づくのはもう少し後の話である。
めげずに二度目の剣戟を放つイシュトヴァーンだったが、結果は同じだった。俺に得意の斬撃は当たらず、何も無い空間をサーベルが滑っていく。
斬っても、突いても、かち上げても結果は同じだった。何も変わらない。ただただ無様な空振りを至近距離で見せびらかすだけだ。
そんな滑稽な姿を嘲笑しながら、しかし一方で訝しんでもいた。
サーベルを握る、イシュトヴァーンの左手。
―――コイツ、左利きだったか?
ハンガリアでの戦いを思い起こす。イシュトヴァーンが剣を握っていたのは常に右手……まあ、要するに右利きという事なのだろうが、今の彼は左手にサーベルを握っている。しかも磁界を展開するのに動員している魔力の消耗具合から判断するに、単純な斬撃の威力であればウォーミングアップ中のクラリスといい勝負か。
しかし、解せない。
利き手が逆―――矯正した? 何のために?
イシュトヴァーンが死んだ瞬間の光景を思い出す。トンネルの入り口の壁にぶち当たって、そのまま衝撃で首が千切れて……ああ、やだやだ。思い出すだけでこっちも首が痛くなる。
いずれにせよ、少なくともあの時の戦いで利き手を矯正しなければならなくなるような、剣士生命にかかわる負傷はしていない筈。
左手を突き出し、魔力を放射した。手のひらから迸った蒼い電撃が小さな球体を成すや、さながらバックショットの如く拡散、至近距離でイシュトヴァーンの身体に牙を剥く。
「グガァッ!!」
―――拡散雷球。
本来の触媒ではなく、自作したナイフを急ごしらえの触媒とした結果著しい威力の低下が見られる。本気であればコイツの身体くらい、一瞬で黒焦げになるのだが……。
電撃を受け、身体中の筋肉が硬直を起こしているイシュトヴァーンの胸板に狙いを定め、グロックの引き金を引いた。
銃口に装着されたサプレッサーが内部で発射ガスを拡散、弾丸を亜音速まで減速させるが、しかし9×19mm弾が身に纏う運動エネルギーのドレスは、死神を魅了できるだけの威力と殺傷力を十分に保持したままイシュトヴァーンの胸板へと飛び込んでいく。
直系9mm、ごく小さな金属の礫による死の抱擁。
撃ち抜かれたイシュトヴァーンが目を見開き、そのまま仰向けに崩れ落ちていった。
「―――結局さ、歳を取るのはいつだって生者なんだ。分かるか、クソ野郎?」
まだ意識があり、何か呪詛を吐こうとしているイシュトヴァーンの頭にグロックの銃口を向けながら告げる。
「俺も歳を取った、1つくらいはな……それと同時に経験を積んで成長した。いつまでもあの頃の俺と思ってもらっては困る」
引き金を引こうとした、その時だった。
イシュトヴァーンの傷口を見て、俺は目を見開いた。
―――血が流れていない。
バカな、と口の中で言葉が乱反射する。
血が流れていない―――同じだ、さっきと。デリアを殺した時と同じ―――。
それだけではない。
イシュトヴァーンは血属性魔術の使い手。血属性の多くは自身の体内にある魔力と、身体中を巡る血液を消費して発動する魔術が大半を占める。つまり邪教に片足を突っ込んでおきながら、血属性の魔術を満足に扱えるのはれっきとした人間だけである。
それが少なくとも血属性魔術にとっての原則だ。
しかし、血が流れていない―――じゃあ、さっき投擲してきた血の槍は、あれはいったいどこで調達した?
「―――君、そこで何をしている!?」
唐突に路地に響いた中年男性の声。
視線を向けると、そこには憲兵隊の制服に身を包み警棒を手にした憲兵隊の隊員が立っていた。太り気味と痩せ気味の隊員2名、おそらく警邏中だったのを市民からの通報を受けてここに急行してきたのだろう。少々派手にやり過ぎたか……。
「武器を降ろしなさい!」
「待て、コイツに近付―――」
好機とばかりに、イシュトヴァーンが獰猛な笑みを浮かべた。
ぶんっ、と彼の手からサーベルが投げ放たれ、ブーメランのように弧を描きながら飛んでいったそれが、情け容赦もなく2人の生真面目な憲兵の生首を撥ね飛ばす。
スパッ、と斬られた物体が泣き別れになる微かな音と共に、断面からは赤ワインのような質感の血液がどくどくと溢れ出た。さすがに昔読んだバトルマンガみたく、ポンプみたいに勢いよく飛び出る事はないんだな―――そんな他人事のような感想を押し退けて、無関係の人間を手にかけたこの男への憎悪が湧き上がってくる。
なんて事をしてくれたのか。
よくも無関係の命を、そうやって奪い取れる。
歯を食いしばりながら引き金を引いたが、遅かった。
放たれた9×19mm弾。それから主を守ろうとしているかのように、足元の繋ぎ目に沿ってこっちに流れてきたおびただしい量の血液が触手のように屹立するや、イシュトヴァーンを射抜く筈だった9×19mm弾を絡め取り、そのまま呑み込んでしまう。
拙い、とバックジャンプした直後、足元の石畳が吹き飛んだ。
そこから出てくるのは血の棘だ。地獄にあるという、罪人たちを刺し貫き責め苦を与える針の山、それを彷彿とさせる。だがそれを繰り出してくるのが罪人その人であるとは、なんともまあ隠し味の皮肉が聞いているとは思わないか。
なるほど、最初に持っていた血の槍はああやって他者から奪って”調達”したものか。
まあいい、これ以上時間をかける必要もない。
息を吐き、グロックを構えた。
銃が破損する恐れがあるが―――しかし銃は銃、道具は道具。これは殺しのための道具であって、それ以上にも、それ以下にも変わる事はない。
息を吐き、銃を構えた。
「―――ぶち殺してエカテリーナ共々剥製にしてやんよォ!!」
彼の振るう腕に合わせ、大量の血が牙を剥いた。
無数の毒蛇の如く、真っ赤な鮮血で形成された蛇の群れがこっちに向かって突っ込んでくる。
そっと魔力を込める―――薬室内の9×19mm弾が、確かな熱を宿したように思えた。
磁力展開、前方十二時方向……目標距離25m、無風状態。
「―――イシュトヴァーン」
「あ゛ァ!?」
「お前はきっと、もう法では裁けない」
どんな判事だろうと、どんな法律だろうと、この男を裁く事は出来ないだろう。初めて出会った時の高潔な人格はどこへやら、今のコイツは堕ちるところまで堕ちた。
もう誰も、イシュトヴァーンを裁けない。
「だから―――俺が裁く」
「ア゛ァ!? や゛ってみろよ゛ォ!!」
目を見開いた。
グロックの引き金を引くと同時に、身体中の魔力を一点集中―――磁界をグロック17Lの薬室内、撃発位置にある9×19mm弾、そのすぐ後方へと急速展開。
雷管を殴打された9×19mm弾が、薬莢の中の装薬に押し出されて加速を開始。それと同時に薬室内に生じたごく小さな磁界から放たれる磁力を帯びた一発の弾丸は、本来想定された勢いを遥かに超える弾速で銃身の中を駆け抜けた。
強烈過ぎる圧力故に、銃身内部のライフリングを削り―――否、抉りながら超加速した9×19mmパラベラム弾は、銃口に装着されていたサプレッサーのまだ寿命に余裕のあるバッフルを根こそぎもぎ取ってサプレッサー本体を衝撃波で破断、されどまだ加速を続けながら、銃口の先に敷かれた磁力のレールの上を全速力で駆け抜けた。
瞬間的にマッハ7に達した弾丸が、ほんの一瞬だけ流れ星のように紅い光を放つ。
断熱圧縮―――音の壁を超え、熱の壁を越えた物体がぶち当たる第二の洗礼。
音の速度さえも遥か後方に置き去りにして疾駆した一発の弾丸は……いや、高熱に晒され、衝撃波に削られてただの金属片と成り果てたそれは、身に纏う衝撃波のみで迫りくる鮮血の蛇たちの群れを撃ち抜いた。
それでも運動エネルギーを殺し切るに至らなかった弾丸が、その後方で目を見開いていたイシュトヴァーンに真正面からぶち当たる。
―――リニアガン。
磁力を用いて弾丸を加速させる、SFアニメによく出てくる未来の兵器。それを9×19mm弾で、そして魔力を動力として再現したその一撃に、発射したグロック17Lは耐えきれず破損していた。サプレッサーは破断して、銃身内部のライフリングはごっそり抉れ、スライドの一部は熱で溶けている。
だが、拳銃1つを使い潰して放たれたそんな一撃を、イシュトヴァーンが絶える道理も無かった。
ギュアッ、と空気を引き裂く音を奏でながら、イシュトヴァーンの肉体をぶち抜いて大通りの上を通り抜け、そのまま空へと駆け上がっていく弾丸。
それに上半身と下半身を寸断されたイシュトヴァーンは、ほぼ即死と言っても良かった。
衝撃波で肉体を木っ端微塵にされ、辛うじて原形をとどめた部位も瞬間的に大気をプラズマ化させたその一撃で、第三度相当の火傷を負い酷く焼け爛れていたのだから。
千切れ飛んだ上半身が石畳の上をバウンド、そのまま大通りの向こうで後部のハッチを開けた状態で停車していたゴミ収集車の中へと飛び込んでいった。
パキパキ、と他のゴミと一緒にイシュトヴァーンの上半身が潰される音。うわ、とドン引きしている間にもゴミ収集車はそれに気付かずブロロロ……と走り去っていった。
何気なく視線を横に向けると、そこには『Давай вынесем мусор в среду!(生ゴミの日は水曜日!)』と赤い文字が書かれた看板があって、今日は何曜日だったか……と考えてしまう。
「……うげ、今日金曜日じゃん」
まずいゴミ出しちまったな、とちょっとした罪悪感に駆られながらも、俺は踵を返してシスター・イルゼを追った。




