唐突な別れ
その日から、私は孤児院に行くのがちょっとした楽しみになりました。
行く度に孤児のお世話をしながら、デリアちゃんとの交流を続けたのです。私物の小説を貸したり、デリアちゃんからおすすめの本を教えてもらい、教会の宿舎へ帰る前に書店に立ち寄って購入したり。激務なのは変わりませんでしたが、私たちにとってはデリアちゃんや他の子どもたちとの交流が、心の癒しになっていたのかもしれません。
任務が終わり、教会で報告書を書いてから孤児院へと向かいました。今日は午後から私に孤児院のお手伝いが割り当てられています。午後は子供たちの遊ぶ時間の監督と絵本の読み聞かせ、それからおやつの時間もあります。
デリアちゃんから借りていた推理小説は任務の合間に読んでいました。時間がなかなかないのでちょっとずつ読み進めていましたが、やはり読書好きな人のおすすめというのもあって面白い作品でした本当に。序盤の伏線を終盤の、全くノーガードなタイミングで回収するものですから、中盤の急展開以降からずっと驚きっぱなしでした。
終盤の怒涛の伏線回収、あのあたりがやはり読んでいて面白かったですね。犯人も意外でした……まさか探偵の傍らにいたあの人だったなんて。
孤児院の門をくぐり、お世話係の人に挨拶してから足を踏み入れると、ちょうどお昼ご飯が終わって小さい子はお昼寝の時間になった様子。静かな孤児院の部屋の中からは、小さなベッドで横になりながら身を寄せ合う子供たちの寝息が聞こえてきました。
寝付いた子供を撫でていた世話係のシスターに会釈して、隣の部屋へ向かいます。
孤児院にいる子供の年齢はバラバラです。下はまだ赤子と言っていいほどの年齢から、上は15歳くらいまで。先任のシスターから聞いた話ではこの孤児院にもルールがあり、15歳になった子供は職を探してここから巣立っていく事になるのだそうです。
15歳といえば騎士団の入団可能年齢ですし、体力に自信のある子は憧れを抱いて騎士団の門を叩くと言います。そうでなくても職人のところに弟子入りしたり、あるいは信仰心に目覚め教会で神や英霊に仕える道を選んだり……中には冒険者のところに弟子入りして、冒険者見習いとして旅に出る子もいるのだそうです。
ちょうど今、ここで育ったと思われる子が旅立つところでした。
「シスター、お世話になりました」
「身体に気をつけるのですよ、フランツ」
「はい。シスターもお元気で」
笑みを浮かべながらそう言った少年―――フランツ、と呼ばれた彼は、涙ぐむ世話係のシスターと固い握手を交わしてから踵を返し、孤児院の門から出ていきました。
動きやすい革製の防具を私服の上から身に付け、腰には”グロスメッサ―”と呼ばれる剣を提げた彼。装備品が真新しいところを見るに、おそらく買ったばかりのものなのでしょう。私服の襟には冒険者見習いのブロンズ色のバッジがあって、彼も無事に冒険者のところに弟子入りできたのだという事が覗えました。
冒険者は危険な仕事だと聞いています。中には魔物に襲われたり、成果の横取りを狙う同業者との殺し合いに発展して命を落とす可能性もある、苛酷極まりない職業なのだと。
ただその分見返りは大きく、一攫千金を夢見て冒険者を志す人は多いのだそうです。
「あの子も……冒険者になったのですね」
ハンカチを取り出して涙を拭っている世話係のシスター・ヘルガに問うと、彼女は頷きながら笑みを浮かべた。
「フランツも立派になりました……ここに来た時は仔犬に吼えられて泣いてるような子でしたが、今はもうあんなに逞しく……」
「そうだったんですか……」
「ええ。でも、お金とかそういうのはどうでも良いのです……シスター・イルゼ、私はここから巣立っていく子供たちが無事で、幸せに暮らしてくれればそれでよいのですよ」
それもそうです。
一攫千金とはいえ、常に命の危険に晒される職業、冒険者……仕事で手に入るのはお金か、それとも墓石か。
願わくば、彼には成功してほしいものです。
孤児院のシスターたちが旅立つ子供たちに願うのは、普通の母親が独り立ちする我が子に抱く願いとそう変わらないのかもしれません。
シスター・レーネが言っていた『子供の世話をするコツはママになる事』とは、きっとそういう事なのかもしれないと思ってしまうのは考え過ぎでしょうか?
シスター・ヘルガも別れを繰り返してきたのでしょう、泣き崩れるような事はなく、「さあ、子供たちのお世話をしなきゃ」と逞しい笑みを浮かべながら部屋へ入っていきました。
私も彼女の後を追い、部屋に足を踏み入れました。
部屋の中には昼食を終えた子供たちが居ました。ここにいるのは概ね5、6歳から10歳までの子供たち。昼食後の自由時間を各々自由に過ごしていて、静かに本を読んでいる子たちや仲のいい子と雑談に花を咲かせる子供たちの姿が目につきます。
中には木の棒を剣に見立てて冒険者ごっこをする子供たちも居ましたが、隣の部屋で小さい子たちが寝てるから静かにね、と注意すると、みんな素直に従ってくれました。
みんないい子たちです。
「シスター!」
そんな私に声をかけてくれたのは、やはりあの子でした。
そう、デリアちゃんです。
「こんにちは、デリアちゃん。借りてた本読ませてもらいましたよ」
借りていた推理小説を取り出して彼女に差し出すと、デリアちゃんは嬉しそうに笑みを浮かべました。
「どう、どうだった?」
「中盤の急展開から終盤の伏線回収まで本当にすごくて……あと意外でした、犯人あの人だったんですねぇ」
「でしょ? 今度ね、これ舞台公演されるんだって!」
「まあ、それは楽しみですね。もしよければ劇場に足を運んでみましょうか」
シスター・ヘルガから聞きました。
私と話をするようになってから、デリアちゃんは明るくなったそうです。他の子と遊んだり、読み書きのできない子に文字の書き方や読み方を教えたり、たまに小さい子に絵本を読んであげたりと、他の子よりも恵まれた知識を生かして存在感を増してきている、と。
そんな彼女が本当に楽しそうで、私は安心していました。
初めて出会った頃は本当につまらなさそうで、孤立していましたから。
他愛のない話をしながらも、私は脳裏でふと思っていました。
デリアちゃんもいつかはこの孤児院を巣立っていく事になります。先ほど別れの言葉を告げていたフランツ君のように。
そうなったら、私はもしかしたら泣き崩れてしまうかもしれません。
「え、デリアちゃんが?」
別れは思ったよりも突然にやってきました。
任務を終え、割り当てられた時間に孤児院へ足を運んだ私を待っていたのは、余りにも唐突過ぎるデリアちゃんとの別れだったのです。
なんでも、午前中にデリアちゃんの母親を名乗る女性が孤児院にやってきて、「娘を育てられる環境が整ったから引き取りたい」と申し出てきたのだそうです。デリアちゃん本人もその女性を自分の母親だと言い、特に嫌がる素振りも見せず、母親と一緒に孤児院を出ていった、と。
そういえばデリアちゃん、読み書きはお母さんから教わったと言っていましたね……。
この孤児院にやってくる子供たちは、病気や戦災などで両親を失い身寄りのない子供たちだけではありません。両親が存命中でも家庭環境が劣悪で、とても子を育てられる環境ではないが故に孤児院に預けられる子供も一定数存在するのです。
デリアちゃんもそうだったのでしょう。
お母さんが迎えに来てくれただけ、彼女は恵まれた方と言えるかもしれません。
中には親からの虐待に耐えかね家を出て、孤児院の門を自ら叩く子もいると聞きます。各々抱えている問題もありますから、ここの子供たちに「何でこの孤児院に来たの」とか、そういう家庭環境を深堀するような質問はタブー。そんな暗黙の了解もあって、私もデリアちゃんの事については「少なくとも母親がいること」、「読み書きは母親から教わったこと」くらいしか知りませんでした。
「そう、ですか……」
事情を教えてくれたシスター・ヘルガの言葉に、心の奥底で咲いていた花が急速に枯れていくような、そんな錯覚を覚えました。
彼女との交流が、いつの間にか心の支えになっていたのでしょう。
寂しいものですね、と呟きながら、カバンの中に入っていた一冊の本に視線を落としました。
デリアちゃんは喜んでくれるでしょうか、と思いながら自室の本棚から持ってきた恋愛小説。花畑の中、2人の男女が互いを抱きしめ合うカバーイラスト(パヴェル・タクヤノヴィッチ・リキノフというイラストレーターさんだそうです)の描かれたそれを見て、無駄になっちゃったな、と心の中で言葉を漏らしました。
でもまあ、彼女にとってはそれが幸せなのでしょう。血の繋がった親と一緒に暮らすのが普通なのです。いつまでも孤児院に居てはいけません、いつかはここを巣立って行かなければならないのですから。
何気なく窓の外に視線を向けました。
外は曇り空。今にも雨が降りそうな気配に、下の階にいたシスターたちが大慌てで洗濯物を取り込んでいる姿がここから見えます。
けれども何だろう……この言いようのない不安は。
この胸騒ぎは。
「あ……」
孤児院の前に、見覚えのあるセダンが急停車しました。助手席のドアを蹴飛ばすほどの勢いで折りてきたのはエクソシスト分隊の切り込み隊長ことシスター・ヒルダ。後部座席からはシスター・カトリン……ではなく、なんとルーデンシュタイン神父が降りてきました。
え、神父様?
エクソシストの総司令官でもある神父様が、なぜ?
『イルゼ! シスター・イルゼはいるか!』
「あっ、はい!」
雷のような怒鳴り声に思わず背筋をまっすぐに伸ばしながら、階段を駆け下り玄関へ。
今は幼児たちのお昼寝の時間という事もあって、大きな物音を立てたり怒鳴り声を発するのはご法度です。玄関へ降りていくと他のシスターたちが、シスター・ヒルダを咎めているところでした。
「シスター・ヒルダ、今は子供たちのお昼寝中です」
「そうですよ、大声を出されては困ります」
「やかましい! あ、イルゼ!」
「シスター・ヒルダ、あの……一体何が」
問いかけると、口を開いたシスター・ヒルダの肩に大きな手が置かれました。
微かに皺の浮かんだ手には老い始めたばかりのような雰囲気が漂っていますが、真っ黒な修道服に身を包んだその肉体はがっちりとしていて、今もなお第一線で活躍する戦士そのものです。正直言って、信者たちに説法をしたりしているよりも、大斧を手に鎧を身に纏っている方が似合っているように思えます。
けれどもその肉体の持ち主の顔つきは、近所にいる優しい子供想いのおじさんそのものでした。
ルーデンシュタイン神父はシスター・ヒルダの肩に手を置くと、大きな声で子供たちを起こしてしまいそうな彼女に変わって口を開きました。
「―――黒魔術の魔導書取引を追っていたシスター・カトリンから連絡があってね、買い手の家を特定したそうだ。これから摘発に行くから、君も来てほしい」
「わ、分かりました」
黒魔術の魔導書……そのようなものの取引をする人が、まだこの国に居たとは。
言われるがままに2人の後に続き、セダンに乗り込みました。シートベルトを締めている間に、ハンドルを握るシスター・レーネがアクセルを踏み込みました。安全運転を第一に考える彼女とは思えぬ急発進に少しびっくりしつつも、今回の案件はそれだけの非常事態なのだという事を確信します。
走っている間に、助手席のシスター・ヒルダがダッシュボードを開けるや、中に入っていたピストルと予備の弾丸、火薬袋を私にくれました。
「イルゼ、相手が黒魔術の信奉者である以上は容赦するな。可能であれば拘束して宗教裁判にかけるが、抵抗する場合は―――」
分かってるな、と言外に告げながらこちらを見つめるシスター・ヒルダ。私は無言で頷きながら、心なしかいつもよりずっしりと重いピストルを受け取りました。
黒魔術―――各宗教において”禁術”に指定されている魔術の総称です。そしてその多くは悪魔召喚に関連する危険なものであり、そのリスクと単純に悪魔を現世に召喚してしまう危険性から、宗教施設以外での保管、宗教関係者以外の所持、及び正当な理由の無い閲覧の全てが禁じられている危険なものなのです。
そんなものを買い求めるとは、やはり。
車がやがて、とある一軒家の前に停まりました。
ピストルを片手に後部座席を降りた私は、その家の表札を見て凍り付きました。
そこには『エンゲルベルト』という記載があったのです。
エンゲルベルト―――デリアちゃんのファミリーネームです。
そして今日、彼女を引き取っていった母親……あまりにも、タイミングが良すぎるとは思いませんか。
まさか、そんなまさか。
嫌な想像ばかりが、頭の中を駆け巡りました。




