デリア・エンゲルベルト
ガキン、と撃鉄が打ち下ろされました。
先端部に取り付けられた火打石が火花を生じ、緋色に輝くそれが火皿の上の点火用火薬に落ち込むや、瞬く間に白煙が生じ、薬室内まで炎が走ります。
薬室に詰め込まれた火薬が点火、装填されていた銀の弾丸がピストルの銃身から解き放たれ、凄まじい反動が右手に牙を剥きました。
教会で祝福の祈祷を施した銀を溶かして作られた弾丸は、シスター・ヒルダがかち上げた剣の一撃で粗末な盾を吹き飛ばされたスケルトンのこめかみを正確に撃ち抜きました。ガァンッ、とスケルトンの頭蓋骨が砕けるや、そこからキラキラと輝く何かを含んだ煙が溢れ出て、恐ろしい骸骨の兵士の身体が崩壊、瞬く間に灰へと姿を変えていきます。
きっとあの光は、人間の魂の輝きなのでしょう。
発砲したピストルを投げ捨て、左手を腰のホルダーに伸ばしました。引き抜いたのは銀の投げナイフ―――ピストルの聖銀弾と同じく、教会で祝福の祈祷を施してあります。アンデッドが相手である場合に限り、絶大な効果を誇る装備品です。
投げナイフのブレード側を指で挟むように持ち、そのまま腕を振り払って投擲。ドッ、と銀の投げナイフがシスター・ヒルダの死角から襲い掛かろうとしていたスケルトンの眉間に吸い込まれるや、また1体のスケルトンが灰の山へ姿を変えました。
「Gut!(ナイス!)」
短く言いながら、腰を低く落として猛然とスケルトンの懐へ踏み込むシスター・ヒルダ。スケルトンの薙ぎ払った剣を潜り込むようにして躱すや、槍のように構えた聖銀の剣をスケルトンの眉間目掛けて突きあげました。
ガッ、と眼孔へ吸い込まれるように切っ先が突き入れられ、鋭い一撃が頭蓋骨を貫通します。聖銀に施された祝福祈祷を直に受けたスケルトンが崩壊、シスター・ヒルダの目の前で人間1人分の体積の灰が舞い散りました。
ゲホゲホと咳き込みながら後ろに下がるシスター・ヒルダ。周囲にアンデッドの影はなく、これで打ち止めでしょうか、と気を緩めた次の瞬間でした。
タァンッ、と聞き慣れた銃声が響き渡るや、廃屋の屋根の上に潜み矢をつがえていたスケルトンが被弾、灰へと姿を変えていきます。
「やべ、油断してた」
「あら……」
ちょっと気を抜くのが早かったですね、と己の未熟さを反省しているところに、長大なマスケットを肩に担いだシスター・カトリンがやってきます。狙撃を想定しているのでしょう、手入れが施された銀の銃身を持つそれには望遠鏡のような長さのスコープが取り付けられていて、コアラの獣人であるが故に小柄なシスター・カトリンが持つと異様に大きく見えてしまいます。
「お疲れ様、イルゼちゃん」
「あ、ありがとうございます、シスター・カトリン。助かりました」
「エクソシストに慣れたのは良いけど、ちょっと油断するの早過ぎ」
「う゛っ……ゴメンナサイ」
「あとヒルダ、アンタもだよ」
「へいへーい」
「イルゼちゃんみたいな新人ならともかく、アンタみたいなベテランまで油断するってどういう事?」
「煙草切らしてなければもっと警戒してたさ」
はぁ、と溜息をつくシスター・カトリン。指摘されてもどこ吹く風のシスター・ヒルダ。この2人のやり取りにちょっと一触即発っぽい雰囲気を感じて気まずくなる私でしたが、いつの間にか後ろに回り込んでいたシスター・レーネが肩に手を置きながらいつも通りの笑みを浮かべてくれたおかげで、そんな気まずさもすぐにどこかへ吹き飛んでいきました。
「うふふ~♪ 大丈夫よ、あの2人はいつもこうだから」
「いつもなんですか」
「ええ、イルゼちゃんが来る前なんか殴り合いの喧嘩になった事もあったわね~♪」
「あの時は私の勝ちよねレーネ?」
「何言ってんだ、あたしの圧勝だろ」
「うふふ~♪ 2人ともルーデンシュタイン神父の拳骨で撃沈してなかったかしら~???」
「「う゛」」
え、えぇ……?
あの、あのあの、ルーデンシュタイン神父ってそんな強いんです……? あの、あの人いつもニコニコ笑ってますし孤児たちからも慕われてる人なんですけども……?
なんでしょう、全然そんなイメージがありませんでした。何というか、近所にいる優しそうなおじさんといった感じの雰囲気を醸し出しているお方なので、あんなに腕の立つ2人のエクソシストを拳骨で喧嘩両成敗なんてするイメージが全然ないのです。
「うふふ~♪ とりあえず、早く帰りましょう? 孤児院のお手伝いにもいかないといけないし」
そう言いながら手招きするシスター・レーネ。廃村の外れに停めてあった教会の公用車に乗り込むや、ハンドルを握ったシスター・レーネがシスター・ヒルダに煙草を渡しながらエンジンをかけました。
エクソシストになって今日で1年、この激務にも慣れてきました。
毎日のように言い渡されるアンデッド駆除。時折、黒魔術の摘発任務が入るのですが、とにかくそれらは時と場所を選びません。食事中だろうがシャワー中だろうが、就寝中だろうがお構いなしです。食事昼夜シャワー中ならばまだしも、就寝中はちょっとやめてほしいですね……。
けれどもやり甲斐と信仰心には、未だ陰りはありません。
これが私の成すべき事なのです。
さて、教会のエクソシストの仕事はアンデッド討伐や悪魔召喚阻止だけではありません。
それは任務を言い渡された時の仕事で、では平時は何をしているのかと言うと、業務内容はだいたい普通のシスターと同じです。教会や地域の清掃への参加、近隣の墓地の手入れに礼拝への参加、あとは信者の懺悔を聞いたりといった感じです。
そういったごく普通のシスターの仕事をこなしながら、任務が入ると分隊一同現場にすっ飛んでいくわけです。だから兎にも角にもやることが山積みで、慌ただしい毎日を送っています。
「あー! シスター、アロイスがにんじん残してるー!」
「こら、だめでしょうアロイス? 好き嫌いはいけませんよ」
嫌いなニンジンをお皿の片隅に退けてやり過ごそうとしているアロイスを優しく咎めると、アロイスは「はぁい……」と嫌そうにフォークでニンジンの塩茹でを口へと運びました。
エレナ教の教会―――私の所属している第四エレナ教会には、孤児院も併設されています。流行した黒死病や事故で身寄りを亡くした子供たちや、経済的な事情で子育てができなくなり捨てられてしまった子供たちを保護しているのです。
最近では社会の混乱から孤児の数も右肩上がりで、ここの孤児院もパンク寸前です。今のところ保護している孤児たちの人数は30人弱ですが、このペースで増えていけばそろそろ部屋も足りなくなってきますし、孤児院の運営費も嵩む事になります。王国は補助金を出すと表明してくれていますが、それが実行に移されるのはいつになる事やら……。
というわけで、孤児院のお手伝いも私たちエクソシストに回ってくる事があります。今日は私とシスター・レーネの2人が孤児院のお手伝いに割り当てられ、こうして子供たちの面倒を見ているわけです。
「はぁい、あーん♪」
「あー」
「おいしい?」
「んー!」
「うふふ~♪ 野菜もちゃんと食べてえらいわね~♪」
小さい子に野菜を食べさせてあげながら、好き嫌いせずに食べた子の頭を優しく撫でるシスター・レーネ。エクソシストになる前は保育園の先生だったそうです。だから小さい子供の扱いには慣れているんですね……何というか母性が、母性が凄まじすぎますあの人。
シスター・ヒルダ曰く『赤ちゃん製造機』だの『母性の擬人化』だの言っていますが、赤ちゃん製造機はともかく母性の擬人化って……。
さて、ご飯の後は絵本の時間です。今日は図書室からシスター・レーネが持ってきた絵本を読む事になっていて、私は彼女のサポートに徹する事になります。小さい子と接するのはまだ不慣れですので、今後の事も考えてシスター・レーネの母性を見習って頑張らないと。
今朝、シスター・レーネには『子供と接するコツはね~、ママになる事よ~♪』なんて言われたんですが、あの人そんなだから”母性の擬人化”なんて言われるんじゃないでしょうか???
ママ、ママですか……ママ……うーん。
悩んでいる間にも絵本の朗読が始まりました。小さい子が前に、少し大きい子が後ろに並んで、シスター・レーネの声に耳を傾けます。
読んでいる絵本はドルツ諸国に伝わる大英雄ジークフリートの物語でした。懐かしい、私も小さい頃に近所の教会のシスターに読んでもらいましたあの絵本。
懐かしいなぁ、と幼少期の記憶を思い起こしながら何気なく子供たちを見守っていると、絵本を読むシスター・レーネの周りに集まる子供たちから距離を置くように1人だけ、ぽつんと孤立している女の子の姿が目に入りました。
どうしたのかな、と思いながらその子の傍らに歩み寄り、しゃがみながら声をかけます。
「どうしたの?」
「……」
この子は確か、デリアちゃん……でしたか。
先週この孤児院に保護された子です。今で9歳、確かに小さい子供たちと一緒になって絵本を読んでもらう年齢ではなく、一般的な家庭であればもう働きに出ていてもおかしくないくらいです。
小さい子扱いされるのが嫌だったのか、はたまた孤児院の環境に馴染めていないのか……多分両方でしょうね、と思いながら彼女を見つめていると、デリアちゃんは傍らに置いてあった小説を手に取りました。
推理小説のようです。文字が読めるという事は、彼女の両親は教養のある人たちだったのでしょう……今のドルツ諸国では、ある程度大きくなった子供は働きに出されますが、親から受ける教育は家庭ごとにばらつきがあります。
簡単な計算や読み書きをきっちりと教える家庭もあれば、何も教えず、あるいは両親に教養がないばかりにそういった知識を与えられず、文字を読む事も出来ずに育った子供も多いのです。
だから小説を読んで理解できるという事は、少なくとも彼女の両親は教養のある人たちで、家庭環境は多少は恵まれていた方なのではないかと推測できますが……ここでは子供たちの家庭環境に土足で足を踏み入れるのは禁忌です。特に、孤児たちと信頼関係を築けていない段階では。
「それ、推理小説?」
「……うん」
「へぇー、難しそうな本を読めるなんてすごいですねぇ」
「……お母さんが読み書きを教えてくれたの」
「そうだったんですね。そういう知識は貴重ですよ」
「……うん」
「どういうお話なんでしょうか? もしよかったら聞かせてもらっても?」
「異国から来た探偵が、連続殺人事件を解決する話」
「あら、面白そうですね。後で書店で買ってみようかしら」
この子、本が好きなんでしょうか。小説の内容に触れたら心なしか饒舌になった気がします。
活路を見出せたような気がしますが、あまりガツガツ行くのは鬱陶しいと思われてしまいそうですので、とりあえず控えめに。
推理小説以外にも好きなジャンルとかあるんでしょうか……恋愛小説だったら私物があるのでそれを貸してあげてもいいかなと思うのですが。
しばらく読書をする彼女の隣で見守っていると、ぱたん、とデリアは推理小説を閉じて私に差し出してきました。
「ん」
「え?」
「シスターに貸してあげる」
「え、いいんですか?」
「うん、この作品おすすめだから」
「ありがとうデリアちゃん。あ、そうだ。私も恋愛小説だったら持ってるんです。もし興味があったら今度持ってきますよ」
「え、本当?」
「ええ、本当です」
「ん、約束!」
差し出された小さな小指に指を絡め、彼女と小さな約束を交わします。
なんだか彼女と打ち解ける活路が見出せましたね……やっぱり孤立しているより、共通の趣味を持つ人がいた方が毎日の生活が楽しくなるのではないでしょうか。
なんて思っているところに、ドアの開く音が響きました。子供たちの視線が向かった先には腰に銀の剣を下げたシスター・ヒルダと、背中に銀の銃身を持つマスケットを背負ったシスター・カトリン、それから交代要員のシスター3名が立っていました。
ああ、任務の時間なんだなと理解できました。そうでなければ、休憩中だった2人がわざわざ交代要員を引き連れて、私たちを呼び出しに来るなんて事は無いでしょうから。
頷いて立ち上がると、デリアちゃんは「もう行っちゃうの?」と言わんばかりに私の顔を見上げてきました。
「ごめんなさいね、ちょっとお仕事が入っちゃいました」
「……そう」
しょんぼりする彼女の頭に手を置き、笑顔で言いました。
「大丈夫、また会えます。その時は約束通り、私の恋愛小説を貸して差し上げますね」
「うん、待ってるよシスター」
「はい、約束です」
デリアちゃんの顔に笑みが浮かび、私は安堵しました。
やっぱり彼女も笑うんだな、と。
「少しは時間を選んでほしいもんだよなぁ」
「仕方ありませんよ、役目ですから」
シスター・ヒルダと合流するなり彼女はそう言いましたが、私もそう返します。
これがエクソシストの役割なのです。
アンデッドが駆逐され、人々の心に安寧がもたらされるその日まで―――エクソシストに休息は無いのです、きっと。




