エクソシスト
6年前
ドルツ諸国 グライセン王国 王都ベルリウス郊外
シスター・イルゼ、当時15歳
「おめでとう、シスター・イルゼ」
笑みを浮かべた神父様は、まるで新しい家族を迎え入れるかのように両手を広げ、私を祝福してくださいました。
その言葉を合図に、整列する他のシスターたちの拍手が礼拝堂に響き渡ります。礼拝堂の一番奥に安置されている救済の聖女エレナの象が見下ろし、その後ろに配置されたステンドグラスからは日の光が差し込んでいました。
皆さんだけではなく、天にいる聖女エレナが、そして我らの主までもが祝福してくれているようで、今までの努力が報われた晴れ晴れとした気分でした。
「これで君もエレナ教のエクソシストの一員となった。その清い心で迷える人々を導き、安寧をもたらしたまえ」
「はい、神父様」
ルーデンシュタイン神父の傍らに控えていたシスターが、笑みを浮かべながら私に黄金のロザリオを授けて下さいました。燦然と輝くそれは、エレナ教のエクソシストのみが身に付けることを許された象徴であると同時に、魔術の触媒としても機能する装備品です。
それを首から下げ、神父様の顔を真っ直ぐに見つめました。
これまでの努力は報われましたが、これで終わりではありません。むしろこれは始まりに過ぎないのです。
この国には……いえ、世界には苦しんでいる人々が大勢います。病に苦しむ人、過去の罪に苦しむ人……そういった人々に救いの手を差し伸べ、心の闇を払い、そして悪魔の誘惑から人々を守るのが我々エクソシストの役割。
救済の聖女エレナを信仰すると決めた時、かの英霊の如く人々を救うと心に誓っていました。一片の迷いも私の心にはありません。
こうして私は、エレナ教のエクソシストとなりました。
ガァンッ、と剣がぶつかり合う音が墓地に響き渡りました。
錆び付き、劣化し、ボロボロになった剣を打ち払ったのは、銀で作られたロングソードの剣身。それにはエレナ教で用いられている聖句の一文が刻まれ、月の光を受けて鋭い光を放っていました。
銀の剣の担い手―――私の先輩、『シスター・ヒルダ』が前に出ます。
狙うは剣を打ち払われ、丸腰となったゾンビの心臓。呻き声を発する腐敗した死体が尚もシスター・ヒルダを喰らい仲間に加えんと手を伸ばしますが、そうなる前に振り払ったシスター・ヒルダの銀の剣が右下から左斜め上へと振り上げられ、次の瞬間には身体から切り離されたゾンビの腕が宙を舞いました。
「シスター・ヒルダ!」
「了解!」
私の呼び掛けだけで察したシスター・ヒルダが、右へと大きくジャンプして飛び退きます。
射線上の安全を確保した事を確認してから、右手で首から下げた黄金のロザリオを握り締めながら左手を突き出しました。
光属性の魔力が三日月形の光波と化し、ゾンビへと向かって飛んでいきます。逃げたシスター・ヒルダを追おうと顔を向けたゾンビの右肩に、その光波が命中しました。
三日月形―――傍から見れば斬撃のように見えますが、この光波はそういう殺傷力の高い魔術ではありません。エレナ教が信仰対象とする救済の聖女エレナは、人々を救い苦しみを取り除いてきた癒しの聖女でもあります。信仰対象がそういった人物だからなのでしょう、エレナ教の魔術は大半が回復や治療、防御用のものばかりで、攻撃に使える魔術はごく一部に過ぎないのです。
この光波もその数少ない攻撃型魔術でした。
被弾したゾンビの肉体が、次の瞬間には崩れ始めました。腐乱し、変色した体液でぬるりと湿っていた体表が灰色に変色したかと思いきや、次の瞬間には風を受けた砂山が崩れ去るかの如く、ボロボロと灰になって崩壊を始めたのです。
ゾンビのうめき声がやがて小さくなり、墓地の一角に小さな灰の山が出来上がるまで、そう時間はかかりませんでした。
肺の山の前で、ロザリオを握りながらそっと目を瞑ります。願わくばあの肉体の持ち主が、これで心置きなく安らかに眠ってくれますように―――そしてあの肉体に入っていた怨霊たちも安らぎを得られますように、と。
「アンタも真面目だねぇ、イルゼ」
銀の剣に付着した体液を振り払い、鞘に戻しながらシスター・ヒルダは言いました。
「まあ、でも気持ちは分かるよ。あたしも昔はそうだったし」
「そうだったんですか」
「ああ。ま、激務の中でそんな余裕もなくなっちゃったけど」
確かに激務が続いています。
今日だけで出動要請は3件目……これでも少ない方で、シスター・ヒルダ曰く『繁忙期は教会の礼拝に参加する余裕すらない』との事でした。
「どう、エクソシストは? ぶっちゃけ教会で信者の懺悔を聞いてた方がよっぽど―――」
「いえ、でもやり甲斐があります」
「ホント、あんたって真面目だねぇ」
ぽん、と私の頭に手を置きながら快活な笑みを浮かべるシスター・ヒルダ。
彼女は私の先輩です。教育係という事で私を担当する事になったそうですが、本人がその……色々と豪快と言いますか、大雑把な性格である事と現場主義者であることもあって、本来であれば着任したばかりの新人エクソシストは後方に控えて見学したり先輩の補助を行うものなのですが、私はこうして着任初日から実戦に駆り出されているというわけです。
でもまあ、おかげさまで経験を積めるのでありがたい話ではありますが。
「さ、帰りましょうか」
「はい」
彼女に促され、廃村の一角にある墓地を離れました。
ボロボロの墓地の柵の向こうに停まっているセダンのドアを開けると、既に中には2人のシスターが乗っていました。2人とも首にエクソシストの証である黄金のロザリオを提げています。
後部座席に乗り込んでシートベルトを締めると、隣でフリントロック式のピストルに銀の弾丸を装填していた先輩―――シスター・カトリンは少しめんどくさそうな表情を浮かべたまま私を出迎えてくれました。
「お疲れ様、イルゼちゃん」
「ど、どうも……その、なんでピストルに弾を込めてるんです?」
シスター・カトリンが持っているピストル―――銀の銃身を持ち、エレナ教の聖句が刻まれたそれを見下ろしながら問うと、運転席でハンドルを握っていたシスター・レーネが諦めを漂わせた笑みを浮かべながらバックミラー越しに私の方を見ました。
なんでしょう、帰り道が明らかに教会や宿舎のある方向と違うのは気のせいでしょうか。いいえ、気のせいではありませんねコレ。何だか郊外の方に進んでいるような気がするんですが気のせいじゃないですよねコレ。現実ですよねコレ。
「うふふ~♪ 新しいお仕事ですよ~♪」
「ウッソだろオイ」
本日4件目のお仕事を受け、助手席で煙草を咥え火をつけようとしていたシスター・ヒルダが思わずそう漏らします。
いえ、仕方がないのです。エクソシストはそういう部署なのです。冒険者とも国の軍隊とも異なる、宗教勢力が持つ実働部隊―――対アンデッド戦闘に特化した私兵部隊というのがエクソシストの実情なのです。
「他の部隊回せないの? あたしそろそろ寝たいんですけど」
「うふふ~♪ ダメっぽいですね~♪」
「諦めなさい、シスター・ヒルダ。どこの部隊も出動しっぱなしでパンク状態よ」
「うへぇ……マジ?」
エクソシストがこんなに多忙なのは理由があります。
10年前まで、ドルツ諸国では黒死病の流行がありました。ドルツ諸国での死者数は5万人にも上り、東部の人口はそれで激減……今ではフランシス共和国から追放された人々を受け入れて人口回復と産業の立て直しを図っていると聞きます。
それだけ死者が出たものですから、墓地もパンク状態になりました。死者の埋葬も全て教会が管理出来ていたわけではなく、一部では義務化されている火葬すら怠り(あるいは諸事情でできず)、止むを得ずにそのまま土葬にするケースが続出したというのです。
結果、ドルツ諸国各地でゾンビを始めとするアンデッドが出現して人々を襲い、村落が既に丸ごとゾンビの村と化してしまうケースも確認されています。
そんな社会的不安や信仰心の陰りから、悪魔信仰や黒魔術に手を出してしまう民間人も増え……とにかく、しばらくエクソシストに安息の時は訪れないでしょう。
大変な時期に入隊した私ですが、信仰心と、それから人々を不安から救い出そうという使命感には未だ陰りはありません。
微力ではありますが、私も人々を安寧へと導きたいのです。
救済の聖女エレナのように。
「こりゃあ酷いね」
うっ、と口元を押さえ、嘔吐しそうになっている私の隣でシスター・ヒルダはさらりと言いました。彼女もこういう現場を見慣れているのでしょう……全く動じない彼女の様子から、その経験の豊富さが窺い知れます。
私はついに我慢できず、部屋の片隅まで走って先ほど車の中で食べた干し肉とパンを吐き出してしまいました。シスター・レーネが「大丈夫ですか~?」と心配そうに背中をさすってくれたおかげで、少しだけ気分が楽になりました。
はあ、はあ、と呼吸を整え、もう一度部屋の中心へ視線を向けました。
それはなんともおぞましい光景でした。
床には幾何学模様と円で囲まれた魔法陣が描かれていますが、通常、こういった魔法陣はチョークや祝福の祈祷を施した水銀などで描くのが一般的です。しかしその魔法陣はどこか赤黒く、鉄臭いものでした―――血で描いているのです。
血で描いた魔法陣は召喚者への贄を意味し、黒魔術や悪魔召喚の特徴とされています。
おそらくここで、この部屋の住人は悪魔を召喚しようとしたのでしょう……そしてその悪魔召喚を目論んだ張本人というのは、その魔法陣の中心で奇妙な姿勢で事切れている人物に違いありません。
身体を大きく背中側に逸らしながら、足と頭頂部で身体を支えた状態で―――分かりやすく言うと、両腕を使わず頭でブリッジをしているような体勢で目を見開き、その男性は力尽きていました。
そしてその奥にある部屋の壁には、彼の奥さんと娘さんと思われる2人の女性が、実に無残な姿を晒していました。首を斬り落とされた状態で両手と両足を大きな釘で壁に縫い付けられ、足元に出来上がった血の海の中に生首が転がっています。
「生贄はあの2人か……妻と娘を生贄にして悪魔召喚を試みたが失敗した、そんなところか」
「ひどい……」
「よく見ておきな、シスター・イルゼ。あれが悪魔召喚をしようとした人間の末路さね」
悪魔は時に、甘い言葉を囁きながら人に忍び寄ると言います。そして人知を超えた絶大な力を与える代わりに、大き過ぎる対価の支払いを強要して、一切合切を奪い去っていくのだと。
シスター・カトリンが躊躇なく魔法陣の中に足を踏み入れました。そのまま中心部で事切れている男性の遺体を調べ始めます。
「歯の変形、爪も伸びて瞳の形状もヒトのそれではない……この男の身体に悪魔が憑りついた形跡がある」
「この様子じゃ適合できず失敗したって感じ?」
「おそらく」
時折、召喚した悪魔は肉体を要求する事があると言います。そして大概の場合、その要求してくる肉体は召喚した者のものを欲し、奪おうと憑りついてくるのだと。
しかし悪魔に憑りつかれた肉体がその絶大な負荷に耐えきれず、変異の果てに崩壊してしまう事もまた多いのです。
こうなってしまっては悪魔もたまったものではありません。余程高位の悪魔でもない限り、人間界は己の魂を擦り減らす危険地帯でもあるのです。だから肉体を得られなかった以上は魔界に逃げ帰らざるを得ないのです。
ポーチからペンチを取り出したシスター・カトリンはそれを男の口の中へ躊躇くなく差し入れました。そして変形した歯をぐりぐりと捻りながら強引に抜歯、その調子で変形した歯(肉食獣のように尖っています)を小瓶に収めるや、今度は注射器を取り出して男の腕から血液を採取し始めました。
死体から色々と採取し終えたシスター・カトリン。彼女が指をパチンと鳴らすや、どこからともなく建物の中に入り込んできたフクロウが彼女の肩に降り立ちました。
シスター・カトリンの使い魔です。
「急に呼び出してごめん、コレ教会に届けて」
そう言いアンプルと小瓶をフクロウに預けるや、フクロウはそれを足で掴んで開け放たれている窓の方へと飛んでいってしまいます。
エクソシストによるこうした証拠の採取は、法律でしっかりと認められているのです。だから警察がやってくる前のこうした調査は合法ですし、死体の損壊についても罪に問われる事はありません(※とはいえ教会と警察への届け出が無い場合は違法になります)。
黒魔術や悪魔召喚の現場を見たのは、この時が初めてでした。
なんて悲惨なのでしょう、とも思いましたが……私はそれ以上に、この一家が哀れでなりませんでした。
いったい何が、この家族を追い詰めたのか。
なぜ神ではなく、悪魔に縋ってしまったのか。
哀れな3人の魂に救いがありますように、と祈る事しか、今の私にできる事はありませんでした。
エクソシスト
一部の宗派が保有する、対アンデッド戦闘に特化した教会の実働部隊。規模や練度は宗派により大きくばらつきがあるが、アンデッドの駆除や黒魔術の摘発、悪魔召喚の阻止などが主な業務内容となっており、平時は通常のシスターと同じように礼拝への参加や信者から懺悔を聞くなどの仕事をしている。
エレナ教においては4人で一個分隊となっている。
シスター・ヒルダ
豪快な性格のエクソシストの1人、24歳。ハイイロオオカミの第二世代型獣人。イルゼの教育係に任命されたが、本人が色々と雑である事と現場主義的な考えを持っている事もあり、教え子は着任初日から実戦参加させるスパルタ教育を行っている。
エレナ教は戒律で飲酒が禁止されているが、煙草は特に禁止されていないので思い切り喫煙している。
シスター・カトリン
エクソシストの1人、22歳。コアラの第二世代型獣人。銃の使い手である他、黒魔術や悪魔召喚などに専門知識があり、そういった現場では鑑識の如く調査を行う事が多い。
眠る時は部屋の柱にしがみついて眠る変な人。
シスター・レーネ
エクソシストの1人、25歳。フェネックの第二世代型獣人。「うふふ~♪」が口癖の女性で新人を甘やかす事が多く、シスター・ヒルダ曰く「赤ちゃん製造機」、「母性の擬人化」。主に車の運転や教会との連絡などを担当する。
前職は保育園の先生だったらしい。




