懺悔
あの時の事は、たまに夢で見ます。
その時に限ってうなされるのです―――忘れたくても忘れられない悪夢に。
脳裏に焼き付いた、あの凄惨な光景に。
暗い部屋の中、魔法陣の中心でケタケタと嗤う少女。
周囲に散らばる、無数の黒魔術の本。
そうして決して癒える事の無い過去の古傷に向き合う度、私は自問自答してきました。「他の選択肢はなかったのか」、「本当にあの時の選択がベストだったのか」と。
同僚は、私の選択を認めてくれました。皆私に言うのです……『気にするな、君は最善を尽くしたんだイルゼ』……。
自分のしでかした事と、周囲からの優しいフォローの温度差に耐えきれずに、私は教会のエクソシストを退任しました。
私の信仰する宗派、エレナ教は数々の人々の傷を癒し救ってきた”救済の聖女エレナ”を英霊とし信仰の対象としている宗教です。その性質上、入信する事により使用する事の出来る魔術の大半は治療などの回復、あるいは防御に特化したものとなります。
だから私もその教え通り、そして語り継がれる英霊エレナの物語の通りに人々を癒し、心の闇を払い除けてきました。
いったい、想像できるでしょうか。
数多の人を救ってきたこの手で……救おうとしていた少女を手にかける事になるなんて。
そして目の前に現れたその少女―――デリアは、まさに私にとっては悪夢の具現のようでした。
自分を殺した相手に、呪詛を発するために地獄から蘇ってきたとでも言うのでしょうか。それとも、彼女は実はまだ生きていて……などと有り得ない事が頭の中に浮かびましたが、そんな事は有り得ないとすぐに否定します。
だってあの時、彼女の最期を看取ったのは私なのですから。
彼女の亡骸を、何本も花を敷き詰めた棺の中に収め、火葬して灰に変えたのは私と神父様なのですから。
それが、デリア・エンゲルベルトという少女の最期です。生きている筈がありません。
喉が渇き、身体が微かに震える感覚がしました。指先がぶるぶると振動して、真っ直ぐ伸ばす事さえできません。
「デリア……貴女、どうして」
「……」
死んだはずでは、という言葉は辛うじて呑み込みました。
いいえ、違います。私にはその言葉を発する勇気がなかったのです……彼女を殺したのは他でもない、この私。救えたはずの命を、私を頼って縋ってきた小さな命を救う事すらできず、止むを得なかったとはいえ手にかけたのはこの私。
耐えられませんでした。このまま彼女とこうして視線を交わしていたら、そのうち発狂してしまいそうで、この心を押し潰さんと圧力をかけてくるような重々しい空気に、私は1分と耐える自信がなかったのです。
「変わらないね、シスターは」
そう言い、デリアは金髪をたなびかせながら踵を返しました。
「待って、待ってデリア!」
歩き出した彼女を、やっと金縛りのような錯覚から解放された足を踏み出して追いかけます。
私は貴女に謝らなければならない。もっと別の選択肢があったのに、貴女を救う事が出来たかもしれないのに、けれども助ける事が出来なかった。あの時からデリアの時間は止まったまま、貴女を手にかけた私だけが歳を取る毎日―――せめて一言、謝罪だけでもしたかった。それでも赦してもらえるなんて都合のいい事は考えてはいないけれど、死者の世界に旅立ってしまった彼女に知って欲しかった。
デリアを追い、私は路地を右へと曲がりました。
そこで、足が止まってしまいます。
「……え?」
その先には、何もありませんでした。
薄汚れたコンクリートで塗り固められた塀があって、空の酒瓶が散らばる袋小路に浮浪者の男性が寝転がっては寝息を立てているだけです。
私は幻でも見ていたのでしょうか。
夏にしてはやけに冷たい風が、頬を撫でていきました。
それがぞっとするほど冷たく感じられたのは、気のせいではないのでしょう。
『ギギ……ギ』
「……」
まだ息のあったゴブリンにAK-19を向け、引き金を引いた。
パンッ、と甲高い銃声が一度だけ響いて、ゴブリンは完全に事切れる。
「……クリア」
「コレで終わり、ですわね」
「よっしゃー、早く帰ってご飯食べましょー♪」
「ちょっとモニカ、死体の処理があるんだから気を抜かないの」
仕留めたゴブリンの死体を一ヵ所に集めながらカーチャがモニカを咎める。言われたモニカはと言うと、不機嫌そうに唇を尖らせながら「へいへーい」と不真面目極まりない返事を返しつつ、乗ってきたヴェロキラプター6×6の荷台からジェリカンを引っ張り出してきた。
彼女が死体処理の準備をしている間に、胸のホルスターから信号拳銃を引っ張り出す。旧式の、騎士団から払い下げられたと思われるフリントロック式(今ではすっかり旧式になってしまった)の信号拳銃の撃鉄を親指で起こし、頭上に向けて放った。
撃鉄先端部に取り付けられた火打石から生じた火花が火皿の中へと落ち、点火用の火薬に引火。そのまま薬室内の火薬にまで一気に延焼して、薬室内の信号弾が空高く打ち上げられていく。
鈍色の空で輝く紅い信号弾を確認したのだろう、1分と立たぬうちに近隣で待機していたと思われる管理局職員を乗せたセダンが、丸くて大きなライトをこれ見よがしに光らせながらこっちに走ってくるのが見えた。
やがて近くに停車したそれの運転席から、紺色の制服に身を包んだ職員が降りてくる。敬礼してくれた彼にこちらも敬礼を返し、積み上げられたゴブリンの死体へと視線を向けた。
「規定数40体でしたが……なんか60体くらいいたのでついでに潰しておきました」
「ろ、60体!?」
「ええ」
「はぇ~……」
「あの、これって報酬金額の増額とかってクライアントに打診できます?」
「あ、大丈夫ですよ。先方とはこちらでやり取りをしておきますので」
「助かります~」
管理局の規定にもあるからね……依頼内容と現場の状況が異なっていた場合、冒険者は報酬金額の増額を求める事が出来、管理局の仲介でクライアントもそれに応じる義務を負う、という条文がしっかりと。
死体の数を数えていた職員が持参したカメラで死体の山を写真撮影、証拠を記録してからこっちに戻ってくる。
「はい、確認出来ました。では死体処理まで含めてよろしくお願いします」
「感謝します」
帰り道お気をつけて、と言い残して、その管理局職員の人は再びセダンに乗って走り去っていった。
手を振って彼を見送るミカエル君の後ろでは、クラリスとモニカの2人がジェリカンを両手に、中に入っていたガソリンを死体の山にバッシャバッシャとぶっかけているところだった。
周囲にガソリンの臭いが充満してきたところで、それを見守っていたカーチャが煙草を口に咥えてライターで火をつけた。7.62×51mmNATO弾の空薬莢を改造して自作したトレンチライター(作り方は俺が教えた)をポケットに仕舞い、煙草がある程度短くなってからそれを死体の山に放り投げるカーチャ。
ごう、と一気にゴブリンの死体の山が燃え上がった。
討伐した後の魔物の死体はきっちり処理しなければならない。そうでなければ血の臭いで周囲の魔物や猛獣が刺激されたり、疫病の温床になったり、最悪の場合はコイツらがゾンビ化して周辺の集落を襲撃するという地獄になる可能性があるからだ。実際、死体処理を怠り村落が全滅した一件は記憶に新しい。
ジェリカンを片手に、モニカがガソリンを継ぎ足して火の勢いを更に強くしていく。あそこに転がっている死体からは血抜きをしたわけではないし、人間がそうであるようにゴブリンの身体も7割が水分だ。燃やす分にはいいけどどんどん水分が溢れ出てくるので、定期的にああやってガソリンを継ぎ足してしっかり焼き払わなければならない。
「あれ、カーチャって煙草吸ったっけ」
「最近ちょっとね」
まあ、辛い事があると酒と煙草に逃げたくなるもんだよね……とりあえず、飲み過ぎ吸い過ぎにご注意を。お前の事だぞパヴェル。
パキパキ、と骨の折れるような音が聞こえてきた。燃えるゴブリンの死体たちが、まるで母親の子宮で身体を丸める赤子のように丸くなっていく。燃やされた筋肉が収縮しているのだ。時折聞こえてくるパキパキという音は骨の折れる音なのだろう。
ガソリンを継ぎ足したりして火の勢いを調節しながら焼き続ける事1時間くらい。火の勢いも弱まり、ゴブリンの死体もすっかり黒焦げになったところで、クラリスが水の入った小型タンクを抱えて水をぶっかけた。
ジュワッ、と真っ白な煙が噴き上がり、火の勢いが完全に消え失せる。
荷台に積んであったスコップを引っ張り出し、俺は穴の底に佇む焼死体の山に土をかけていった。人里の近くに住み着いてしまった哀れなゴブリンたちは、殺された挙句燃やされた後にこうして埋められ、特に何かが植えられているわけでも栽培されているわけでもない平原の一角で、無意味に土の肥料になるのだ。
残酷だという意見は悪いが受け付けない。コイツらだって人間を連れ去っては食料にしたり、繁殖のために使っているのだ。そんな連中に好き勝手にされないためにも、こうして法に則って処理しなければならない。
可哀想だとかなんだとか言う奴は、結局現場を何も知らないのだ。そんな戯言に耳を貸す必要はない。
死体の山も埋め終わり、空を見上げるともう夕方だ。
買い物が予想以上に早く終わったので、時間もあるし暇潰しと小遣い稼ぎを兼ねてゴブリン討伐に来たわけだが……討伐よりも死体処理に思ったよりも時間がかかってしまった。
「帰ろうか」
「そうですわね」
報酬も増額したとはいえ、直接契約での仕事でもないから雀の涙くらいだろう……まあいいや、帰りに書店に寄って錬金術の教本でも大人買いしよう。
たぶん、それで今回の収入はゼロになるだろうけど。
すっかり外は暗くなった。
ちょうど窓の向こうでは、本日の最終便の列車が駅のホームを出たところだった。本日の列車の運行はこれで終了した旨を伝える放送が、なんだか眠くなりそうなBGMと一緒に流れてきて、ホームから一気に人気が無くなっていく。
食堂車の一角、持ち込んだランタンで照らしながら教本を捲る。先ほどまで厨房の方にはノンナが居て、大きな包丁で切った肉を何やらタレに漬け込んで仕込みをしていたようだけど、それももう終わって部屋に戻っていった。たぶん、夜間警備に割り当てられている範三とルカ以外はみんな眠っているのではないだろうか。
根を詰め過ぎてはお身体に障りますよ、と釘を刺してからホットミルク入りのマグカップを置いて行ってくれたクラリスも部屋に戻った。食堂車にいるのは俺1人だけだ。
静かで、適度に暗くて集中できる環境。すっかりぬるくなってしまったホットミルクを口に含みながら教本を捲り、暗記したばかりの公式を頭の中で思い出してその中に数字を代入。しかし最終的な答えが模範回答欄にある数値と違う事に気付き、頭を抱えてしまう。
どこでミスったんだろ、と思いながらもう一度、公式に抜けがないかチェックを始めたその時だった。
ガラッ、と扉の開く音。夜間警備の巡回でルカか範三が来たんだろうな、と思いながら視線を向けると、しかしそこには意外な人物が立っていた。
「あれ、シスター?」
「あら、ミカエルさんだったんですね」
小さなランタンを片手にやってきたシスター・イルゼ。寝ようと思っても寝付けなかったのだろう、パジャマ姿の彼女(修道服姿ばかり見るからこういうパジャマ姿の彼女はレアだったりする)に向かいに座るように促すと、彼女は笑みを浮かべながら礼を言って向かいに腰を下ろす。
何か飲み物無かったかな、とカウンターの奥にある木箱をチェックしてみるとタンプルソーダがあったので、それを2つ引っ張り出して王冠を栓抜きで外し、片方を彼女の前に置いた。
夜中に炭酸飲料? うるせえ美味いんだから良いだろ(なおカロリー)。
「ああ、ありがとうございます」
「寝付けない?」
「ええ……ちょっと」
そっか、と言いながら教本に栞を挟んで、背伸びをしながらタンプルソーダに口をつけた。
「……ミカエルさん」
「ん?」
「……少し、私の懺悔を聞いていただけますか」
「懺悔?」
意外だった。
懺悔とか、そういうのはシスター・イルゼが悩める人々から罪の懺悔を聞くものであって、彼女が俺に懺悔するなんて思ってもみなかった。
ただそれが眠れない原因であるならば、と首を縦に振る。
「俺で良ければ」
「ありがとうございます」
そう言うと、シスター・イルゼは出だしから背筋が凍るような事を言い出して、話を始めた。
「―――昔、私は人を殺したのです」




