過去は闇の中からやってくる
ディーゼル機関車(※対消滅機関に換装されているので”対消滅機関車”とでも呼ぶべきだろうか)に機関車が変わって良かったことを上げろと言われたら、客車や火砲車の砲塔と銃座の掃除が楽になった、という点を第一に挙げたい。
雑巾でブローニングM2重機関銃の銃身に付着した汚れを拭き取りながら、そう思った。
蒸気機関車だった頃はとにかく煙突から濛々と噴き上がる黒煙のせいで煤の付着が酷く、銃座ところか車両の屋根に座ったりするだけでお尻が真っ黒になるレベルだった。そういった汚れは機銃の性能低下や動作異常を招いたりするので特に清掃には気を遣わなければならない(メンテナンス不要の銃など存在しないのである)し、頻繁な掃除が必要でとにかく手間がかかっていた。
けれども機関車が変わってからはどうだろうか。
多少煙は出る……と言っても排気程度のもので、屋根の汚れは一気に減った。今までは毎日行っていた銃座清掃も、チェックリストが更新されて5日に一度(※試射や実戦での使用後は必ず清掃を行うのは変わりない)の清掃で十分になったし、天井に座ったりしてもお尻が真っ黒になる事が無くなったのは純粋に嬉しい。
そして何より、パヴェル的には『機関車の煙でこっちの位置が特定される事が無くなった』という点が喜ばしいらしい……うん、位置バレを嫌う特殊部隊らしい意見です本当に。
まあでもそれはそうだろう、あんなに派手に煙を噴き上げていたら敵対勢力にこちらの居場所を教えるようなものだ。それが無くなった、というのは大きな利点だろう……テンプル騎士団があのタイミングで攻勢を仕掛けてきたのはまあ、俺たちが足を止めて作業するという隙を晒していたからなのだろうが、仮に逃がしてしまったらそれで居場所の特定が難しくなるのを嫌った、というのは考え過ぎだろうか。
汚れが減ったとはいえ、濡れた雑巾の裏面を見ていると、だいぶマシにはなったが黒く染まっている。
しっかり洗っておかなければ。いざと言う時に動作不良なんて起こしたら笑えない。
そろそろ機関部を拭いておくか、とチェックリストとバケツを片手に移動して、銃座に設けられた椅子に座りながら各所の点検を始めたその時だった。
獣人としての鋭敏な聴覚が、そして嗅覚が、風上から流れてくる血生臭い風と唸り声を察知する。
スマホを取り出し、連絡先から『発令所』を選択した。
発令所は1号車の1階、ブリーフィングルームを兼ねた部屋となってる。戦闘時はそこから指示を出す事になっているのだ(以前まではパヴェルが自室でPCを使いながら指揮を執っていた)。
しばらくすると、備え付けのスマホに誰かが出た。
《もしもし?》
「ルカか?」
《どうしたのさミカ姉?》
「11時……いや、10時方向から何か来る」
《分かった》
短く返事をし、電話を終えた。
それから5秒も経たぬうちに、車内から警報が聴こえてきた。低く伸びた音に、甲高く感覚の短い電子音を被せたような警報音。「不明勢力接近警報」だ。敵っぽいが敵とも断定できない勢力が接近しているため警戒、戦闘に備えよという意味合いの警報で、これが最初から敵であると断定できる勢力であった場合はもっと音圧のヤバい警報で「総員戦闘配置」が発令される。
掃除中だった2号車の第二銃座にそのまま腰を下ろし、防盾付きの銃座を10時方向へと急速旋回。コッキングレバーを左右両方とも引いて初弾を装填している間に、1号車の屋根の上にある第一銃座にクラリスが、3号車の屋根にある第三銃座にモニカが上がってきた。
何となく敵の気配を察知し銃座を旋回させるクラリスは良いとして、モニカは敵の位置を特定し損ねていたようで、どっちよ、と言いたげな顔でこっちを見てきた。大きく10時方向を指差して警戒を促し、彼女もやっとその気配に気付いたところで、俺は視線を正面へと戻す。
蜘蛛の巣のような形状の対空照準器の向こうに、豆粒のような黒い点がぽつぽつと2つ、確かに飛んでいるのが見えた。
あれなんだ、と思いながらスマホを取り出してカメラアプリをタップ、倍率を最大まで上げてその豆粒みたいな飛行物体を確認してみる。
どうやら飛竜のようだ。両足にはどこかの農村から奪ってきたのだろう、ぐったりして動かなくなっている大きな牛を掴んでいて、それを横取りしようとしているのであろう2体の飛竜に後を追われながらこっちに向かって飛んでくる。
襲ってくるようなら撃つが……ここで下手に刺激して、要らん戦闘に発展する事だけは避けたい。
まだ撃つな、とクラリスには目配せを、モニカにはハンドサインを送って警戒を続けること十数秒後。列車に接近してきた飛竜へ、後続の飛竜が飛びかかった。
抱えている牛を狙って噛み付いたのだ。バッ、と空中で真っ赤な血飛沫が舞う。
ごとん、と列車の屋根の上に何かが落ちた。牛の首だ。今ので噛み千切られてしまったのだろう……短い角の生えた立派な牛の首が屋根の上に落下するや、そのままゴロゴロと転がって線路に落下。走行するチェルノボーグから一気に置き去りにされていく。
飛竜たちの唸り声がすぐ近くまでやってきた。飛竜たちを追うように銃座を旋回させて警戒するが、しかし飛竜たちの唸り声はそのまま後方へと流れていき、やがて完全に聴こえなくなってしまう。
どうやら仕留めた獲物の奪い合いが白熱していて、俺たちに狙いを定めるどころではないらしい。
そのまま飛竜たちの獲物の奪い合いが遥か彼方に置き去りにされたところで、車内から聴こえていた不明勢力接近警報のサイレンはぶつりと途切れた。
警戒解除を意味する短いブザーが鳴り、そこでやっと肩から力が抜ける。
「……ふう」
それなりに戦いはこなしてきたし慣れたと思いたいが、しかしやはり接近してくる敵に銃口を向けたまま待機、というのは戦闘配置が発令された時とはまた違う緊張感がある。これには全然慣れない。
映画とかアニメでその緊張感や恐怖に屈してしまい、命令を無視する形で発砲してしまう兵士のシーンとかそれなりに見た事があるが、あれの気持ちがよく分かるというものだ。本能的に「殺られる前に殺る」と考え、引き金を引く指を軽くさせてしまっているのかもしれない。
警戒解除を受け、クラリスとモニカも銃座から離れた。戦車のハッチみたいな客車天井のハッチを開け、車内へと続くタラップをするする滑り降りていく。
俺も息を吐き、チェックリスト片手に機関銃の点検を再開するのだった。
お昼までには終わらせないと。
10分ほど信号待ちをさせられてから、列車が12番レンタルホームへと滑り込んでいく。ホームのはるか向こう、進行方向の線路にはうっすらと立ち昇る煙が見え、先ほどまでここに別の冒険者の列車が停車していた事を覗わせる。
チョリュビンスク駅は随分と規模の大きな駅だった。
在来線の線路が駅中央に、それ以外のレンタルホームが在来線のホームを左右から挟み込む形で展開しており、駅は真上から見るとまるで貝殻のような形状をしている。在来線ホームには通過線も用意されていて、今しがた豪華な装飾の貴族御用達の特急列車が凄まじい速度でホームを通過していった。
上り線と下り線でチャイムが異なるのだろう、先ほどから最近のヒットソングをアレンジしたチャイムや民謡をアレンジしたチャイムが入り乱れ、そこに何番線からどの列車が出るとかそういった案内放送も入り混じって、ホームは都会の駅特有の喧騒に包まれていた。
結構大きな駅なんだな、と思いながら自室へと戻り、グロック17L(ブレースとフラッシュマグ付きのピストルカービン仕様)をホルスターに収めた。ポーチにはマガジンエクステンションの搭載で44発まで増量した、分隊支援火器みたいな弾数と化したマガジンを5つ収めておく。
それとは別に、グロックシリーズで9×19mmパラベラム弾を使用する超小型モデルの『グロック43』も用意。ピストルカービン仕様のグロック17Lをメインアームとし、こっちをサイドアームにする感じだ。マガジンは共用出来ないので、こっちはシングルカラムタイプの専用マガジンを使用する。
ホルスターに収めてから、後はテーブルの上にある自作ナイフを取って腰に提げた。
さすがにあの新しい触媒―――全長2m越えの剣槍を常に持ち歩くわけにはいかないので、魔術の弱体化を承知の上で鉄屑から自作した自作のナイフに触媒化の祈祷を施しておいた。まあ、無いよりはマシだ。
こんなに武装を用意しておくのはもちろん、いつ敵に狙われても反撃できるように備えるためだ。テンプル騎士団の攻撃を受けるかもしれないし、可能性は低いが帝国側の刺客に襲われるのも否定できない。
とはいえ帝室と明確に敵対してから大きな街に立ち寄るのはこれが初めてなので、今回はとりあえずあまり目立たない程度の武装を携行し、今回の外出時の結果を見て今後どういう装備で外出するかを決定する事になる。最悪の場合は剣槍とAKを担いで買い物に行く羽目になるが……。
「参りましょうか」
「ああ」
メイド服姿のクラリスを連れて外に出ると、買い物かごを手にしたシスター・イルゼもやってきた。
「あら、ミカエルさん」
「お買い物?」
「ええ」
「気をつけて。最近物騒だから」
「ええ、ありがとうございます。では私はお先に」
にっこりと笑みを浮かべ、小さく手を振ってから先にレンタルホームへ降り立つイルゼ。腰のホルスターにはグロック17が、背中にはスリングで下げたAPC9Kがある。彼女もなかなか重装備だった。
こうして見てみると、日本って本当に治安の良い国だったんだなってつくづく思う。
クラリスと一緒にレンタルホームに降り、階段を上がって連絡通路を経由、改札口へ向かう。普通の駅は在来線のホームから上がってくる連絡通路とレンタルホームから続く連絡通路は共用となっており、途中までは民間人と冒険者が一緒に歩く風景が見れたのだが、どうやらこの駅はレンタルホーム行きの連絡通路と、在来線行きの連絡通路がしっかりと分けられているらしい。
珍しいなと思いつつ改札口で冒険者バッジを提示。チェックを済ませ駅の外へと足を踏み出す。
さて、何事も無ければいいんだが……。
買っていく品のリストを確認し、購入済みの食品にはチェックを入れてから、次はどれを買っておくべきかと考えを巡らせます。
冒険者の仕事をしてから分かった事なのですが、冒険者は食料の消費量が凄まじいのです。それはもう、身体を動かす仕事なのでカロリー消費も激しく、その分たくさん食べて補充しなければやっていけないというのも大きな理由なのですが、ウチのギルド―――血盟旅団に限って言うと、食費がかさむ理由の7割はクラリスさんでしょう。間違いありません。
あの人の食欲は凄まじいのです。パヴェルさんが気合を入れてカレーを山盛りにしても、次の瞬間には食べている過程をすっ飛ばしたかのようにお皿が空になっていておかわりをねだり始める始末。今ではもうみんな慣れてしまいましたが、ギルドに加入したばかりの頃はあの早食いと食べる量には驚かされたものです。
まあ、クラリスさんは竜人のホムンクルスだそうですので、身体の造りが普通の人間とは色々違うのだそうです。あの身体能力のせいだからなのでしょう、体温も高く38℃が平熱なのだとか。
なのでちょっと多めに買い込んでもいいかな、と思いながら道を歩いていると、視界の端に何か、古い記憶を呼び起こしそうな何かがちらついたように見えて、私の視線は反射的にそちらを向いていました。
「え?」
人気のない路地へ、金髪をたなびかせながら入っていく少女の後ろ姿。
風で揺れ、一瞬露になったうなじにはホクロがありました。
「まさか……」
まさか、そんな。
ありえない、とは頭で理解していました。
彼女には見覚えがあるのです。昔、私がまだエレナ教のエクソシストだった頃に知り合った少女―――彼女に瓜二つな後ろ姿と、彼女の特徴でもあったうなじのホクロ。見間違う筈もありません。
もしかしたら偶然、同じ場所にホクロがある人だったのかもしれません。けれども私の身体は言う事を聞きませんでした。気が付くと私はその場から走り出し、彼女を追って路地へと足を踏み入れていたのです。
「―――デリア?」
名を呼ぶと、買い物袋を抱えていた少女はゆっくりとこちらを振り向きました。
やはり、見間違いではありませんでした。
ぱっちりと開いた蒼い瞳にキツネの耳。小動物のように愛らしい雰囲気を纏った彼女は、間違いなく私が良く知る人物その人だったのです。
「え……まさか、シスター・イルゼ?」
彼女との再会―――懐かしい、という感情よりも表面に出たのは、まるで幽霊と出くわしてしまったような、恐怖にも似た感情でした。
それもその筈です。
彼女は、私が殺したのですから。
クラリスの体温
クラリスの体温は平熱が38℃と、常人よりもやや高くなっている。これは極めて高い身体能力を誇るホムンクルス兵が莫大な消費カロリーに対応するため食欲旺盛である事と関連があると思われる。
事実、機械の身体であるシャーロットを除き、同じホムンクルス兵のミリセントやシェリル、キメラのセシリアなども体温が常人よりも高い38~39℃となっており、これらの体温には若干のばらつきが見られる。




