違和感
【お知らせ】
いつも小説を読んでくださってありがとうございます。往復ミサイルの中の人です。
現在、家庭内でコロナの感染が進行しており、家族の中で無事なのは祖父と自分だけという状態です。二度目の感染も時間の問題となりつつあります。
感染対策を万全にしながら過ごしておりますが、万一更新が2、3日途絶えた時は「あ、ミサイルも感染するんだ……w」とでも思ってくださいませ。
なんかまたコロナ感染が増えているそうなので、皆さまも身体にお気をつけてお過ごしください。
熱中症対策と感染対策の二正面作戦とか地獄だろコレ←本音
蒼い空間が目の前に広がっていた。
半透明の、まるでサファイアの塊から削り出して作ったような蒼い六角形をハニカム構造に組み合わせた足場。頭上には夜空が広がっていて、無数の星々がそこで光を放っている。
蒼い星に紅い星、キラリと瞬く流れ星。
宇宙の刀で瞬く星たちの光に照らされ、夜空のど真ん中には白銀の満月が浮かぶ。
そんな幻想的な空間からうっすらと聞こえてくるのは、ピアノの優しい旋律だった。
儚く、人間の感情に直に訴えてくるようなその曲は聞いた事がある。ドビュッシー作曲の『月の光』だ。満月が浮かぶ星空の下で流す曲としてはベストな選曲と言える。ピアノの旋律と一緒に聴こえてくるのはレコード特有のノイズだろうか。
クラシックをわざわざレコードで聴くとは、随分と良い趣味をした人物も居たものだ……そう思いながら、しかし流れてくる音楽に誘われるように歩いていくと、やがてどこまでも続く蒼い世界の中にポツンと、椅子とテーブルが置かれている事に気付いた。
テーブルの上には随分と古くなった蓄音機が置かれていて、そのラッパのような形をした蓄音機からは例のドビュッシーの月の光がノイズと共に聴こえてくる。
そしてそれの傍らで椅子に背中を預け、ゆったりとしながら音楽を聴いている人物にも、俺は見覚えがあった。
黒い軍服姿で、闇色の長い頭髪をポニーテールにしている。上着の上に羽織っているボロボロのマントのようなものは、よく見るとかなーり使い古されたフード付きの黒いロングコートのようで、袖や裾はすっかり擦り切れボロ布同然になっていた。
『―――久しいな』
振り向きもせず、かつて俺が異世界転生した際に力を与えてくれた”自称魔王”―――いや、テンプル騎士団団長セシリア・ハヤカワその人はどこか楽し気に言った。
『……あんた、どういうつもりだよ』
『どう、とは?』
振り向きもせずに言いながら、ぱちんと指を鳴らすセシリア。カチカチとガラスを積み上げるような音を奏でながら、何もなかったはずの空間に木製の椅子が生成される。
座りたまえ、と言われたので、俺は言われた通りに椅子に腰を下ろした。
『俺に力を与えて、異世界転生までさせたかと思えばテンプル騎士団を率いて殺しに来る。俺にはアンタの真意が全く読めない』
『真意?』
はて、と首を傾げてから、セシリアはやっとこっちに顔を向けた。
そこで少し、違和感のようなものを感じた。
あの時―――操車場で出会ったセシリアと目の前にいるセシリアは、顔つきは全く同じだ。闇色の鋭い瞳に左目を覆う大きな眼帯と、それですら隠し切れていない大きな古傷。
けれども傍らにいる彼女に、あの時敵対したセシリアのような威圧感は感じられない。まあ、俺を殺す目的で目の前に……というか、こうして人の夢の中に出てきている以上はそうなのだろうが。
しかしなんだろう、今のセシリアには何というか、あの時戦ったセシリアからは想像もつかないような、他者を優しく見守るような雰囲気が感じられて、イメージと現実のギャップに盛大に戸惑わされている。
『私はただ、お前をこの世界に送り込んだだけさ。ちょっとした贈り物と一緒に、な』
『じゃあ何でテンプル騎士団を率いて俺たちを殺しに来た?』
『……』
腕を組んだセシリアの目が、少しだけ鋭くなった。
『俺だけじゃない。クラリスだって、リーファだって、範三だってそうだ。危うくアンタに殺されるところだった。こうなる事が分かっていたならなんで俺をこの世界に―――』
『―――そんなはずが無かろう』
俺の言葉を遮って、セシリアは少し強い口調でそう言い切る。
それがいったいどういう意味なのか、理解できなかった。
だって、だってあの時―――俺たちの前に立ち塞がったのは、確かに彼女ではないか。
息を吐き、何かに勘付いたように瞼をピクリと震わせ、セシリアは鉄扇を広げた。
『……なるほど、ままならぬものよのう』
メキ、と音を立てて、彼女の頭から生えている角が伸びた。
古木のように、あるいは木の根のように―――またあるいは、伝承に伝わる悪魔のように捻じれ、長さも不揃いな黒い角。それが彼女の頭の左半分を中心に、何本も不規則に頭髪の中から顔を出す。
今の彼女の眼光からは、微かな怒りを感じられた。
その感情が伝播したのだろう。美しい旋律を奏でていた蓄音機がノイズばかりを発するようになった。
次の瞬間、足元の足場が音を立てて割れた。そのまま宙に投げ出され、眼下の深淵にまで広がる星空へ、吸い込まれるように落ちていく。
とっくにセシリアの居た足場も、蓄音機が発するドビュッシーの月の光も、遥か彼方へと去っていた。
目を覚ますと、ぷにぷにと柔らかい感触があった。
温かくて、つるりとしていて、しかしまるで大蛇の表面に触れているような、けれども不快感はない不思議な感覚。
瞼を開けた先には蒼い鱗に覆われたホムンクルス兵の尻尾があった。
ああ、クラリスの尻尾か。
いつもご主人様の事を抱き枕にして眠るクラリス。今夜も例外ではなかったが、しかし尻尾を俺の首の周りに巻き付けているせいで、まるで丸呑みする前の獲物を締め付けている大蛇のようにも思える。
でもまあ、嫌な感触ではない。
視線をちらりと枕元の目覚まし時計に向けた。もう既に6時を過ぎていて、ヤバいそろそろ起きないとと思ったけれど、よくよく考えてみれば今日は日曜日。訓練もないし銃座の掃除当番でもなく、駅に着いたわけでもないので二度寝が許されている。
「んっ……」
ぺちぺち、と尻尾の先端がミカエル君の頭を軽く叩いていく。どんな夢を見ているのかは分からないが、普段大人びているクラリスの寝顔は無垢な子供そのもので、彼女も小さい頃はこんな感じだったのかな、と少し思いを馳せてしまう。
ぎゅ、と彼女を抱きしめ、再び瞼を閉じた。
どくん、どくん、と微かに聞こえるクラリスの心臓の音をBGMに、ミカエル君は休日の二度寝という権利を行使した。
だばー、と洗面所の蛇口を思い切り捻り、顔中に付着した血を洗い流す。
顔を上げて鏡を見てみると、そこにはまるでスペインのトマト祭りにでも参加してきたんかと言いたくなるほど真っ赤になったミカエル君の顔があって、何というか諦めに満ちた目をしていた。
なんかこんな顔になるのも久しぶりだな、と思う。
屋敷に居た頃、何度か部屋を抜け出そうとしてレギーナマッマに連れ戻された事があった。その時はこう、上着の襟首のところを手で摘ままれてひょいっと持ち上げられ、親犬に咥えられる仔犬よろしくそのまま部屋に連行されるのだが、鏡や窓ガラスに映った連行中のミカエル君もこんな感じの諦めに満ちた顔をしていた。
なんだろう、本能なのだろうか。今でも襟首をひょいっと摘まみ上げられるとあんな感じの無抵抗になってしまうミカエル君。あ、コレ悪用厳禁ね。
でもまあ、今回諦めに満ちた顔をしているのはそうじゃなくて。
顔だけじゃなく髪まで洗ってから部屋に戻ると、半ギレになりながら床にブラシをかけるパヴェルと、鼻にティッシュを詰め込みながら申し訳なさそうな顔で壁を磨くクラリスの姿があった。
「お前さ、どういう事よ?」
「いえ、本当申し訳ございません」
「あのさ、いや、ミカだって年頃だしお前もいつもあんな感じだからいつか部屋でR-18な事やっちゃったりするんじゃないかと思ってたさ。近藤さんだって準備してんのよこっちは。でもさ、何コレ。何で朝っぱらから部屋が血の海になってるのコレ」
「ごめんなさい……その、ご主人様が寝言でにゃむにゃむ言いながら抱き着いてきたり、クラリスの指を甘噛みしてる姿が尊くてつい……」
「あー、それは分かる」
分かってたまるか。
クラリスが鼻にティッシュを詰め込んでいる事からも分かる通り、部屋一面に広がる血やミカエル君の顔が真っ赤に染まっていた原因はズバリ、クラリスの鼻血である……。
致死量超えてるけど大丈夫なんだろうか。クラリスはなんかけろりとしてるけれども。
おいおい、と部屋の中に足を踏み入れ、クラリスの鼻血(いったい何リットル出したんだコレ)で真っ赤になったベッドのシーツを持って洗面所へ向かう。
今日の選択当番誰だっけ、と思いながら廊下を歩いていると、範三とリーファの部屋から範三のすすり泣く声が聞こえてきて、何事かとついつい部屋の中を覗いてしまう。
ドアの窓のところから背伸びして中を覗いてみると、床の上にぺたんと座った範三が、いつぞやのセシリア戦でぶち折れた満鉄刀(しゃもじから貰ったものだ)を見下ろしながら肩を震わせて泣いており、そんな彼をリーファが宥めているところだった。
やっぱりショックだったのだろう……武士にとって刀は命、とよく言うし、範三も大事に手入れしていたようだから。
パヴェルが賢者の石とゾンビズメイの素材で何やら全員分の武器やら触媒やらを作っているところだし、範三用の得物に期待するとしよう。彼が立ち直るにはきっとそれしかないと思う。
洗面所に戻ってくると、シスター・イルゼが洗濯籠(※自作らしい)いっぱいの洗濯物を、パヴェルお手製の洗濯機にぶち込んでいるところだった。
「やあシスター」
「あらミカエルさn……え、何ですそれ?」
「クラリスが」
「あっ……」
クラリスって名前出すだけで全部を察するシスター・イルゼ有能過ぎる。というか名前出すだけで全てを理解できるだけのイメージ持たれてるクラリスはもっと危機感持ってもろて。
「え、ええと、それは私が洗っておきますのでそこの流し台のところに置いといてください」
「ありがとうシスター」
「ええ、どういたしまして……これ落ちるかなぁ」
真っ白だったベッドのシーツが真っ赤に……殺人事件でもあったんじゃないかというレベルの赤さである。もしくは革命でも起こったか。共産主義者が見たら大喜びしそうだが(?)、これワンチャン新しく買い直した方が早いのではないか?
ひとまずこの場を彼女に任せて、俺は洗面所を後にした。
この列車で落ち着いて勉強できる場所は、意外にも食堂車だったりする。
自室でも別に構わないし、同居人のクラリスは俺が集中している時とかは空気を読んでちょっかいを出してくる事はないのだが、しかしお隣さんのモニカがね、よくマンガを借りに来る関係でちょっかい出されたり後ろからケモミミ弄ってきたり、時折ASMRの如くと息を吹きかけて来たり甘嚙みしてきたりと、まあ来訪者次第ではあるがあまり集中できる環境ではない。
その点、皆が夕食を終えて各々自由時間となっている食後の食堂車は落ち着いて勉強ができる。席が広くてゆったりしているし、ここに来る人もまずいない。強いて言うならばパヴェルかノンナのどちらかが食器を洗ったり、明日の食事の仕込みのために厨房に詰めているくらいか。
今日はパヴェルがいた。洗い終えた食器を拭いて元の場所に戻したかと思いきや、大きな大きな、それこそ成人男性を煮込めそうなほどのサイズの寸胴鍋に水を入れ、そこに骨ごとでっかいブッチャーナイフで叩き切った鶏肉の塊をぶち込んで、刻んだネギと一緒に煮込み始める。
ぐつぐつと鶏肉が煮込まれていく音とすっげえ美味しそうな香りの中、錬金術基礎の参考書を読み進めながら公式を色鉛筆でノートにメモ。暗記した化学式を頭の中で反芻してから、参考書に栞を挟んで息を吐く。
ごめん、食堂車全然集中できねえわコレ。
何なのこの美味しそうな香り。夕食を終えて少し時間が経ち、小腹が空いてきたかな、ってタイミングでこれをお出しするのホント反則じゃない???
なんですかそれ、明日の食材ですか?
「おう、あまり根を詰め過ぎるなよミカ」
「はいよ」
頑張り過ぎと言われても、仕方がない理由がある。
とにかく今は錬金術を習得しなければならない。そのためにも公式やら化学式やら、複雑な法則を頭に叩き込む必要があるのだ。基礎的な術式を組み、錬金術の発動ができるようになるのはまずそれらをクリアしなければならない。
この時点で、多くの錬金術師志望の人間がふるい落とされる。
「……夢にさ、アンタの妻が出てきたよパヴェル」
何気なく呟くと、おたまで寸胴鍋をかき混ぜていたパヴェルが少しだけ戸惑ったような感じがした。
「……夢?」
「ああ。前にも言ったろ、俺をこの世界に送り込んだのは―――」
「―――セシリアの奴、何やってるんだろうな」
「……それでさ」
「んぁ?」
夢の中で見たセシリアの顔を思い出し、言葉を選びながら言った。
「……その、あの時俺たちの目の前に現れたセシリアと夢の中のセシリア、なんか雰囲気が違うんだよな」
「雰囲気が違う?」
「うん。なんというかこう、夢の中に出てきたセシリアは優しそうだったというか、全く敵意を感じなかったというか」
「まあ、夢だからな」
所詮は生理現象さ、と言いながら寸胴鍋の中の灰汁を取り除くパヴェル。
本当にそれだけの事なのかな、と思いながら、俺はそんな彼の後ろ姿をじっと見つめていた。
錬金術
魔術とは似て非なる術。魔術が『過去の英霊や神を信仰し、その力の一部を借りて発動する奇跡』であるのに対し、錬金術は『魔力を用いて物質の分子構造を書き換える事で変質を促す術』である点が大きく異なる。
魔術に対し錬金術は素質や適性といった要素がなく、習得する事さえできれば誰にでも扱える代物であるが、習得するためには複雑な公式や化学式、化学変化などを覚えなければならず難解である事もあって、多くの錬金術師志望者たちが挫折していった。
なお、最も挫折者が多いのは『ホーエンハイムの物質変換第八法則』らしい(※ミカエル談)




