久しぶりの銀行強盗
【豆知識】
昔、長野県ではハクビシンは天然記念物だった(のちに指定解除、害獣に格下げ)
ドパパパパッ、と銃声が響き渡るや、豪華な装飾の施されていた天井から吊るされていた瀟洒なシャンデリアが破片を散らした。
床に落ちる金属薬莢の音と、シャンデリアの破片の音。鉄琴を思わせる美しい金属音のコントラストも、しかしその場に居合わせた客たちの悲鳴に脆くも塗りつぶされていく。
ぎゃあぎゃあと喚く客たちを黙らせるために、俺は天井に向けて一発だけグロックの引き金を引いた。
パァンッ、と響き渡る甲高い音。まるでそれは喚き散らす猛獣たちを調教する鞭の音にも似て、叫び声をあげていた客たちがぴたりと一斉に口を噤む。
『Если ты сделаешь, как мы говорим, мы не причиним тебе вреда(こちらの言う通りにして頂けるならば、皆さんに危害は加えません)』
標準ノヴォシア語―――若干のイライナ訛りがあったかもしれないが、これがミカエル君にとっては”第二の母語”だ。祖国を侵略し一方的に併合した、侵略者の言葉。
イライナ人の多くは2つの言語を操る。誇りと共に口にする母語と、憎悪と共に口にする侵略者の言葉。
他者に無理矢理押し付けられた言葉を口にしながら、俺は銀行のロビーのカウンターの上に立ち、床に這いつくばる人質たちの顔を見渡した。
口座の開設に来た者、現金を預けに来た者、あるいは引き落としに来た者……いずれも富裕層の客だという事は分かる、身なりがしっかりしているからだ。あのスーツは、ドレスは、一体どれだけの金がつぎ込まれているのだろう。あの老人の腕時計は、あの老婆の片眼鏡はいったいどれだけの値打ちがあるのだろう。
―――いや、くだらない。
俺たちは単なる略奪者ではない、義賊だ。盗みを働く時は悪人だけを狙うと決めている。
汚れた金だけを盗んで、とっととトンズラするのが一番だ。もたもたしていると憲兵隊が駆けつけてくる。
『……バレット』
『了解』
マスクに搭載された変声装置越しの、まるでモザイクがかかったような声。若者か老人か、男か女かすら判別できない加工された声でバレットを呼ぶと、ドラムマガジン付きのMP5を腰だめに構えたモニカが銃口を人質に向けながらゆっくりとこっちにやってきた。
『……なるべく殺すな』
『分かってる』
ギルドの方針だ。
殺し屋とかテンプル騎士団とか、こちらの命を狙って攻撃してくる襲撃者は容赦なく殺して良い。俺もいつまでも昔の、よく言えば慈悲深く、悪く言えば覚悟の決まっていない臆病なミカエル君ではないのだ。
もう腹は括った。大義のためにこの手を血で汚す覚悟は出来ているし、通過儀礼も済んでいる。
全ては俺が決めた事―――だから呪詛も怨嗟も、全ては俺のものだ。
ただしかし、強盗をする時は止むを得ない場合を除いて殺してはならない。
それはただの、理由の無い暴力と何も変わらないからだ。
MP5を肩に担ぎながら歩き、両手を結束バンドで縛られ無力化されている警備兵にMP5の銃口を突きつけた。
『Пожалуйста, скажи мне свой пароль(金庫の番号を教えていただきたい)』
「Ты, ублюдок, иди к черту(クソ野郎、地獄に落ちろ)」
『У тебя плохой язык(躾がなってないな)』
肩をすくめながらおどけた調子で言うと、傍らに控えていたバウンサーがこれ見よがしにでっかいボウイナイフを引き抜いた。艶の無い黒い刃が眼前に迫り、警備兵は目を見開きながら息を呑む。
『Вам следует быть осторожным в том, как вы говорите. Я не убью тебя, но без колебаний выколю тебе глазные яблоки(口の利き方には気をつけた方がいい。殺しはしないけど、そのクソみたいな目玉を抉り出す事に躊躇はないよ)』
旅を始めてからというもの、裏社会に片足を突っ込むようになってから何というか、恫喝のコツが分かってきたような気がする。パヴェルからも演技指導を受けた事もあり、それなりにドスの効いた声で喋ったからなのだろう。罵倒の言葉を発する度胸のあった警備兵は心が折れたようで、言葉を詰まらせながらも10ケタの暗証番号を口にした。
「……6・8・8・4・7・9・2・1・4・9」
『Спасибо(ありがとう)』
頼む、とクラリスに目配せすると、彼女は金庫の扉に向かうや暗証番号入力用のダイヤルを回し、今聞いた暗証番号を入力し始めた。
脇にある決定ボタンを押すと、巨大な城壁にも見える金庫の扉に変化が生じる。プシュー、と蒸気が配管から漏れたかと思いきや、壁面に埋め込まれた圧力計の針が一気に振り切れ、蒸気の圧力によって巨大なメカニズムが駆動を始めたのだ。
扉が開き始めたのを確認してから、俺はポーチに入れておいたチョコバーを警備兵の懐に忍ばせた。
『Вам не нужно стесняться. Поддаваться угрозам вполне естественно(恥ずかしがらなくていい。武器をちらつかせた恫喝に屈するのは当然の事だ)』
ぽんぽん、と警備兵の肩を叩いてから、MP5を肩に担いで金庫の中に足を踏み入れた。
それなりの規模の銀行だからなのだろう、金庫もそれなりの規模だった。金庫内は半円状で、壁面に沿ってずらりとロッカーのような扉が並んでいる。それぞれにロックがかかっていて、金庫番号の記載されたプレートもある。
この中身前部を頂戴できれば一体どれだけの額になる事か。バスタブ一杯の札束では足りない、大浴場一杯の札束になるだろう。もちろん、一生遊んで暮らせるだけの金が手に入る。
何とも魅力的な話だが、目標はこの中の1つだけだ。
『733だ』
『はい、グオツリー』
これか、と壁面に沿って配置された金庫の番号を確認してから、肩から下げたダッフルバッグの中から電動ドリルを取り出す。これを金庫の扉に押し当ててドリドリすればあら不思議、中に入った汚れたお金とご対面できるという寸法だ。
しかしミカエル君がドリドリしようとしたところで、クラリスの右ストレートが火を吹いた。
ボゴン、と鉄板に穴が開く音を響かせて、彼女の右ストレートがロッカーみたいな扉に大きな風穴を穿つ。
『……』
『この方が早いですわ♪』
『ソーデスネー』
《お2人とも、憲兵隊が動きました》
『了解、急ごう』
べりべりと扉を剥がすクラリス。その向こうから覗いたのは、情報通りの札束の山だった。
悪徳貴族の裏金だ。もちろん汚れた金だし表向きには存在しない事になっているから、盗まれても被害者は文句を言えない。泣き寝入りするしかない、というわけだ。
何とも心躍る話だね、と思いながら札束を掴み、ダッフルバッグの中へと次々に詰め込んでいく。俺の分のダッフルバッグがいっぱいになると次はクラリスが、自分のダッフルバッグの中へと札束を詰め込んでいった。
金庫の中身がすっからかんになったところで、ダッシュで金庫を飛び出す。床に倒れて芋虫みたいになっている警備兵にガスマスク越しのウインクをプレゼントし、ロビーへと出た。俺たちの姿を見たモニカも人質に銃口を向けながら後ずさりし、俺たちへと合流してくる。
これで全員だ、忘れ物もない。
『Благодарим вас, дамы и господа, за сотрудничество. Хорошего дня(紳士淑女の皆様、ご協力に感謝する。それでは良い一日を)』
それだけ言い残し、踵を返して銀行の正面玄関から外に出た。
さーて、ロビーに居た頃から聴こえてきていたパトカーのサイレンの音だが、ドアを開けた途端に一気に大きくなりやがった。キキィッ、とブレーキの音を高らかに、パトランプを紅く点滅させながら駆け付けたパトカーが数台、銀行正面で急停車。中からリボルバー拳銃やレバーアクションライフルで武装した憲兵隊が飛び出してきて、パトカーを盾にこっちに銃口を向けてくる。
ちょっと時間かけすぎたかな、とモニカとクラリスの2人に視線を向けると、指揮官と思われる中年の男が拡声器を片手に、俺たちに呼びかける。
《Вы полностью окружены! Спасаться некуда!(強盗犯に告ぐ、君たちは完全に包囲されている! 逃げ場はどこにもないぞ!)》
『Действительно?(さて、どうかな?)』
バキャッ、とパトカーのパトランプが割れた。
それが狙撃だと気付いた憲兵隊の数名が、大慌てで身を屈める。
逃げ場はない……あるじゃねえか、穴だらけだ。
MP5を腰だめで構え、70年代のアクション映画よろしく豪快にぶっ放した。装填されてるのは9mmゴム弾―――命中すれば悶絶する事になり、当たり所が悪ければ死に至る低致死性の弾薬。
ドガガガガガ、と派手にぶっ放して憲兵隊を制圧。彼等にとっては手回し式のガトリング砲か水冷式重機関銃くらいしか知らないであろう連発式の銃による弾幕に、憲兵隊の全員が完全に制圧される。
やはり相手の士気を挫くには弾幕が一番だ。ベテランの兵士でも、弾幕で制圧すれば士気を挫いたり削ったりする事が出来る。戦場においては火力こそが王者なのだ。
行け、と指示するよりも早くモニカとクラリスは動いていた。俺が憲兵たちを制圧している間に左にある道へと移動、傍らにあったポストを遮蔽物代わりにして、そこから援護射撃をお見舞いし始める。
丁度MP5が弾切れになったところで、俺も動いた。
中には果敢にリボルバーを撃ってくる憲兵もいたが、ちゃんと狙いもつけずに撃ちまくるものだから命中精度は悲惨の一言で、次の瞬間には後方に控えた俺たちの仲間―――狙撃手、シャドウの放った弾丸で拳銃を弾き飛ばされ、手を押さえながらパトカーの影にずるずると転がり込む事になった。
一瞬だけ雷歩を発動。目立つ触媒無しでの発動だったから距離は大幅に縮んだが、それでも遮蔽物の影に滑り込むまでの時間短縮にはなった。
路肩に乗り捨てられた車の陰に隠れつつ、ボルトハンドルを引いてマガジンを交換。引っかけて止めていたボルトハンドルを叩き落すようにしてボルトを先進、初弾を装填する。
ガガン、ガンガン、と短間隔で射撃を続け、憲兵たちを牽制。その間にクラリスとモニカもこっちに移動し、再装填を素早く済ませる。
路地裏に続く道をちらりと見た。その奥では真っ黒なバンが、後部のドアをぱっくりと開けて俺たちを待っている。
『行け!』
マガジン内の弾丸を全部ぶちまける勢いで弾幕を張った。息を吹き返しかけていた憲兵隊たちが9mm弾の豪雨に完全に抑え込まれ、反撃の無い空白の時間が生まれる。
その間にモニカとクラリスが走った。路地の奥で口を開けているバンの後部座席に飛び込んだのを確認し、俺も断続的に射撃をしながら猛ダッシュ。両足に力を込めながらジャンプして、板の後部座席に転がり込んだ。
バンバン、と床を叩くと、ハンドルを握る仲間―――リーファがアクセルを目一杯踏み込んだ。
「さあ、帰るネ! お金待ってるヨ!!」
「大漁だな、今回も」
いったいどれだけ懐に入るのか。
……まあ、今回も大半は俺たちの懐には入らないのだが。
ノヴォシアの冬は涼しい。
気温がもともと低い事もあるが、それ以上に空気が乾燥しているのだ。日本みたくじっとりした湿度がないので夏は快適、冬は地獄という何ともまあ両極端な気候となっている。
だからそんな夜空の下で待つことは苦ではなかった。
指定された廃工場で待たされること30分。取引の時間に大幅に遅刻してやってきたのは、テントウムシの背中を思わせる丸っこいセダンだった。同じく丸みを帯びたボンネットとクロームカラーのグリルが高級感を漂わせる中、後部座席のドアには真っ赤な星のマーキングがあって、なんとも不穏な空気を醸し出している。
ノヴォシア共産党の車だった。
ゆっくりと停車したセダンの運転手が後ろのドアを開けると、まるで大物俳優みたいなゆったりとした動作で小柄なハクビシンの獣人が姿を現す。
レフ・トロツキー……共産党幹部の1人でハクビシン獣人のメスガキ。共産主義者という点を除けば、ミカエル君とキャラが被りまくっている実質ミカエル君2号である。
キャラとしての特徴をつけるためにこんな属性モリモリになったミカエル君だが、それにキャラを被せてくるってコイツマジでキャラデザミスった説があると思うのだがいかがだろうか。
だが俺がコイツに言いたい事がある。
「……お宅、時間厳守って聞いた事ない?」
「ごっめーん☆ トロちゃんねぇー、ちょっとお洋服選びにぃ、時間かかっちゃってぇー☆」
「きゃはっ、そーなんだぁ☆ 時間も守れないざこざこ脳味噌だもんね、仕方ないよねぇー☆」
大本営発表。我、第一次メスガキ大戦ニ参戦ス。
「ざぁーこ♪ 命懸けで奪ってきたきったなーいお金☆ 平伏して受け取れ♪」
「きゃはっ、ありがとー☆ もっと貢いでもいいよぉ~?」
「自力でお金も用意できないなんてぇ、雛鳥みたいだよねぇ~☆ お口パクパクして送金されるの待ってろざぁーこ♪」
「あ゛?」
「あ゛?」
「殺されてえのかトロちゃん2号」
「あーそれ俺のネタね。二番煎じって事はお前二番手って認めたもんだけどこれで閉廷?」
「は?」
むっふー、と腕を組みながらふんすふんすと鼻息を荒くして勝利を確信するミカエル君。
とりあえずクッソ汚い金は渡したので、後は連中で資金洗浄するなり何なりしてまあ、軍資金に変えるのではないだろうか。知らんけど。
帰ろうか、とクラリスに言って後ろに停めてあるバイクのサイドカーに乗り込んだ。クラリスもバイクにまたがって、エンジンをかけ始める。
振動するサイドカーの上でトロツキーに中指を立てながら、俺とクラリスはその場を走り去った。
ほとんど懐に金が入って来ない理由―――それは一時共闘の関係にある、ノヴォシア共産党への資金提供のためだ。連中はイライナ独立のために必要な駒で、こちらが独立する前にぶっ倒れられては困る。適度に粘ってもらわなければならないのだ。
だから現地調達した資金を、こうして不定期的に提供しているというわけである。
しかしまあ、面白くないな。
巨額の金が懐に入るからこそ盗みにもカタルシスがあるというのに。
「こういう日もありますわ、ご主人様」
「……それもそうだな」
まあいいさ、連中とは今回限りの関係だ。
そのうちこっちも甘い汁を啜れるだろう。その日までの辛抱だ。
強盗時のみんなのTACネーム
ミカエル→グオツリー(中国語でハクビシンを意味する”果子狸”の中国語読み)
クラリス→バウンサー(英語で”用心棒”)
モニカ→バレット(英語で”弾丸”)
イルゼ→ララバイ(英語で”子守歌”)
リーファ→ターシオン(中国語で”大熊”の中国語読み)
範三→ヤシャ(夜叉)
カーチャ→シャドウ(英語で”影”)
パヴェル→フィクサー(英語で”黒幕”)




