魔族襲来アゲイン
【どうでもいい話】
実は、パヴェルは血盟旅団の作戦用スマホに催眠アプリをインストールしようとしてシスター・イルゼに全力で阻止された事がある。
1889年 7月15日 22時37分
ノヴォシア南西部 チョリュビンスク
高度1万メートル
その日、夜空に紅い星が瞬いた。
「う゛ぁ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ帰゛っ゛で゛来゛だ゛ぁ゛ぁぁぁぁぁぁぁ!゛」
久しぶりに胸いっぱいに吸い込む地球の大気。そう、これ。これよ……この夜空と空気の流れ。風の、空の、大地の鼓動が感じられる環境。私の生まれ故郷。
帰ってきたのね、私は……。
私たち魔族の故郷、地球に……。
まったくとんでもない目に逢ったわ。ちょっと童貞で可愛い感じの男の娘に手を出そうとしたら、隣で寝てたでっかい馬鹿力メイドに顔面パンチ(信じられる? 私みたいな美女相手に躊躇なく顔面いったのよ?)で列車の窓をぶち破り、そのまま殴り飛ばされた哀れな私は成層圏を突破して大気圏を離脱。そのまま星になるかと思いきや気が付いた頃には想像もつかないほどバチクソのドチャクソにうっっっっっっすい大気の中、岩しかない大地でウサギさんと一緒にお餅をぺったんぺったん……見上げる先には蒼く輝く美しい星、地球。
そう、私ったら月まで吹っ飛ばされたの。
そこからは大変だったわ。ウサギさんとコミュニケーションを図るために、お餅と一緒にぺったんぺったんされそうになりながらもウサギ語を習得して、お餅を分けてもらって元気満タンになってから頑張って地球まで戻ってきたのよ。死ぬかと思ったわ割とマジで。
え、酸素もなく宇宙線が飛び交う宇宙空間で生きていられるわけがないですって?
あなた頭堅いわね。もしかして現実の道理をフィクションにまで当て嵌めて粗探ししちゃう人? まあ1人で楽しむ分にはいいけれど、そういうの周りから見てると痛いだけだからやめた方がいいわよ割とマジで。今は良くても後から見返して一生の黒歴史になるやつだから引き返すなら今の内よ、いいわね?
第一、私魔族だもん。人間とはそもそも身体の造りが違うし、そもそも前回はギャグ補正入ってたからそんなの関係ないのよ、分かる?
というわけで命からがら地球への帰還を果たしたサキュバスちゃんはお腹がぺこぺこ。ウサギさんがくれたお餅は美味しかったけれど、やっぱりサキュバスの主食は新鮮な人間の欲望よね。やっぱりアレがないと生きていけないし、サキュバスって感じがしないもの。
さーて何か獲物はいないかしら、と視線を巡らせた私の視界の中を列車が横切っていったのを、この私は見逃さなかった。
重連運転で、やたらと重装備の列車。軍用の列車ではないみたい……冒険者ギルドの列車かしら。あんな軍用列車じみた列車を用意できるなんて、よっぽどお金に余裕のあるギルドなのね。
まあいいわ、手始めにあのギルドの男から欲望を頂きましょう。
え、女しかいなかったらどうするのかって?
そこは大丈夫、無問題。基本は男を狙うけど、私女でもいける人だから。
さーて列車の天井に取り付いたところで……ちょっと待って、何か既視感が。
気のせいかしら。客車の上になんか、バリスタっぽい武器が据え付けられてて、遥か後ろには大きな大砲が備え付けられた車両も見えるんだけど……何だろう、著しくトラウマを刺激されているような感じがするのに、頭と理性がそれを全力で拒否しているような……。
まあいいわ、とっとと欲望貯め込んだ男を襲ってスッキリしちゃいましょう。
天井のハッチを開け、車内に入った。
そしてその中を見て、全てを察する。
あ……私前にこの列車襲った事あるわ、と。
機関車が全然違ったから気付かなかったけど、よく見たらこれアレじゃん。ほら、アレアレ。例の可愛い男の娘が乗ってた列車じゃん。そしてその子襲おうとしたら「サキュバスって性病ヤバそうだからやだ」って拒否られ私の尊厳を完膚なきまでに破壊された挙句、隣で寝てた馬鹿力メイドに顔面殴り飛ばされて月面ツアー確定したアレじゃん。あの時のアレじゃん。
うわー、何で今気付くかなぁ???
やっぱやめとこ、と思って頭上のハッチに目を向けるけど、けれども下の階から随分とまあ欲望を貯め込んだ男の気配がしたので、ちょっと私の中で逃げるべきか食事をしていくべきか揺らいだ。
まあ、今回はあのショタ君狙わなければ大丈夫よね……あのメイドもショタ君専属のメイドっぽいし、そっちに行かなければワンパンで月まで吹っ飛ばされることはないでしょう……たぶん。
さーて、そうと決まったら今夜のディナーは決まりね。
この気配、多分相手は20代後半の男性で筋骨隆々、おそらく既婚者で相手とはしばらく会っていない……出稼ぎで来てる冒険者かしら?
じゃあそんな彼の孤独を、私のナイスバディで癒してあげないと。
私は男から欲望を、相手は一時の快楽を得られるんだしWin-Winよね?
楽しくなってきたわ。ふふふ……。
テンプル騎士団との一戦、そしてセシリアとの遭遇以降、酒の量が増えたという自覚はある。
葉巻の本数もだ。テーブルの上の灰皿には、既に吸い終わった葉巻の山が出来上がっていて、これが血盟旅団の列車の中でなかったならばすっかり堕落しきった冴えない男の住まう一室のような、そんな有様だ。
仕事用のPCが置かれたテーブルの片隅にある写真立てには、懐かしい写真が張られている。
まだ生まれたばかりの愛娘を抱き上げる妻の1人、サクヤと、その隣に立つ俺。そして俺の隣には少し後ろに下がったところにセシリアが居て、人生の幸福を噛み締める姉の姿を見守りながら笑みを浮かべている。
手元にある、数少ない家族の臭写真。
サクヤは今頃どうしているだろうか―――愛娘を失った心の傷を癒し、社会復帰できているだろうか。セシリアは自分の姉と仲良くやっていたのか。そして俺とセシリアの間に生まれたという子供は、ちゃんと元気に育っているだろうか。ちゃんとご飯食べてるだろうか。
夫として、父親として、向こうの世界に残してきた家族の事が気がかりでならない。
そして、いつかは選ばなければならない。
ミカか、妻か。
どちらを選んでも、きっと俺はその決断を下した自分を赦す事はないだろう。何なら生涯、戦場で戦死するまで、あるいは天寿を全うし老衰でこの世を去る瞬間まで、きっと自分を赦さないと思う。
今のために過去を捨てるか、過去のために今を捨てるか。
どちらだろうと、きっとそこに未来はないと思う。
酒瓶に残ったなけなしのウォッカをぐいっと煽り、空になった酒瓶をテーブルの上にどっかりと置いて、まるで冬眠を始める熊みたくそのままベッドにゴロンと転がり込んだ。
とにかく、朝は早い。
今夜はルカとノンナがマニュアルを読みながら機関車の運転をしてくれている。夜行列車の時刻表も渡したから、とりあえず既定の時間通りに待避所に入ってくれさえすれば問題はない筈だ。明日の昼間まで、しばらく停車駅はない。
明日朝起きたらやる事を頭の中で反芻しながら、俺は瞼を閉じる。
閉じた瞼が重くなり、意識が柔らかくて暖かい微睡の海へと潜航していくその刹那―――ふわりと漂った花の香りに、あるいは濃厚な蜜を思わせる蠱惑的な香りに、意識が支配されかける。
この快楽に身を委ねる事が出来ればどれだけ心地良いだろう。叶う事ならばこの誘惑の誘うままに、全てを投げ打って奥深くまで沈んでみたい、思い切り溺れてみたい―――そんな欲求が頭を過るが、しかし兵士として戦場で戦ってきたからこそ、その裏に潜む危険な気配にはいち早く気付いていた。
まるで食虫植物のようだ。甘い香りで昆虫を誘惑し、近付いてきた昆虫に喰らい付き養分とする食虫植物……なるほどサキュバスか、とこの気配の正体を看破しつつ感心する。
確かにこの誘惑、並の人間であればあっという間に陥落してしまうだろう。彼女らが人間の欲望を喰らう色欲の化身と言われる所以、神話の時代から世界の裏で暗躍する悪魔の一団―――まさか”ウェーダンの悪魔”ともあろう者が、マジモンの悪魔と遭遇する日が来ようとは。
瞼を開けると、確かにそこには美女が居て、蠱惑的な笑みを浮かべながら俺の上に跨っていた。
磨き抜かれた刃を思わせる銀髪と、月明かりを思わせる黄金の瞳。肌は雪のように白く、頭髪の中から覗くのはエルフのように長い耳だ。笑みを浮かべる口の中からは人間の者とは思えぬほど長い牙が覗き、背中からは悪魔のような黒い翼が生えている。
正真正銘の悪魔、サキュバスだ。
しかも露出の多い服装に引き締まったウエスト、そしてでっかいOPPAI。それもアンバランスな巨乳というわけではなく、引き締まった肉体の均衡を崩さない程度のもので、その芸術的なバランス配分は確かに見る者の目を釘付けにするだろう。
ああそうだ、俺も今そうなっている。
いや、だから俺こういうのあるから現役時代に娼館とかキャバクラとか、そういう店は避けてたんだ……ハヤカワ家の女は、というかサクヤ・セシリア姉妹はそういう他の女の気配に鋭敏だ。ちょっとした香水の香りとか服に着いた女の髪ですぐに機嫌を悪くしてしまう。
夫婦喧嘩を全力回避するために、そういう店に誘われても絶対に行かなかったのだよパヴェルさんは。そりゃあ愛妻家だからな、女遊びなんかはせず妻の相手をする。家事も基本的に俺がやる(というかサクヤとセシリアにやらせると仕事が増える)し子育てにも積極的。我ながら理想的なパパだったと思うよ俺は。
気のせいだろうか、写真の中のセシリアがすっごい目でこっちを見ているように思えるのは。いや気のせいじゃない、絶対気のせいじゃない。写真立てからどす黒いオーラっぽいものが立ち上ってるんだけど何アレ、あの写真そんな曰く付きの代物だっけ???
「ハーイお兄さん♪」
「……はあ、どうも」
「あら、意外と落ち着いてるわね?」
「落ち着いてるというか、なんというか」
「ふふふっ、おもしろーい♪」
ニコニコしながら、サキュバスは胸を押し付けるように俺の上にのしかかってきた。
「ねえお兄さん、私が何者か……わかる?」
「サキュバスでしょ? 薄い本で散々描いたわ」
「薄い本」
クラリスから注文受けて5作くらい描いてる……サキュバスにミ〇エルくんがたっぷりあーんな事をするおねショタ本とサキュバスのコスプレをしたクラリスらしきデカ女とミカエル君らしき男の娘があーんなことやこーんなことをするえっち本とか、サキュバスのコスプレをしたミカエル君がクラリスとバチクソにえっちなことをする本とか。
ちなみに収入は全額血盟旅団の運営費に充てています。ギルドの健全な運営のため、日夜ミカエル君の尊厳が尊い犠牲になっているのです。合掌。
「まあ、なんだかわからないけど……私の正体が分かってるなら、これから何をす・る・か……分かるわよね……?」
「……あの、やめといたほうがいいと思うぞ」
「ふふっ、なんで?」
「いやあの……多分ね、無理だと思うよ。俺の相手するの」
「へえ、お兄さん自信あるんだ」
「自信あるというか何というか、ベッドの上では妻に連戦連勝だったというか」
「あ~ら、それは楽しみね。うふふっ、今夜は楽しみましょ?」
「いやだからやめた方が―――」
俺の制止に耳も貸さず、サキュバスのえっちなお姉さんはパヴェルさんのズボンを下げ始めた。
「―――そんなおっきいの無理ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
ぱりーん、と窓をぶち破り、私は列車の外に飛び出した。
何よアレ、何よアレ!? え、アレ人間……え、え?
ちょっと待って、アイツ既婚者よね? え、という事はあのお兄さんの奥さん、毎晩あんなのの相手をしてたって事で……?
いやいやいや、アレは無理だわ。奥さんたち人間なのかしら???
あの、えっちな意味のR-18がグロテスクな意味のR-18になるところだったわよアレ。
身の危険を感じながら全力で空を飛び、廃墟と化した村の風車の上に降り立った。
本当に危なかった。この界隈でこういう活動してそろそろ1000年くらい経つけど、ホント生まれてはじめてよ……ベッドの上で命の危険を感じたのは。
うぅ……何なのよあの列車。可愛くて美味しそうなショタがいると思って寄ってみれば馬鹿力メイドに月まで吹っ飛ばされるし、じゃあ他の男ならいいかと思って既婚者を狙ったらバケモン出てくるし……本当何なのアイツら。
というか何、私の行く先々にエンカウントしてこないあの列車の連中?
ぐぅぅ、と鳴るお腹を手で押さえながら、私は泣きわめく事しかできなかった。
「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!!! もう既婚者なんてこりごりよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」
翌朝、瞼を擦りながら目を覚ましたミカエル君が見たのは通路側の窓に開いた大穴と、それを半ギレになりながら貼り換えるパヴェルの姿だった。
昨晩何があったのか……それはパヴェルと、妖艶な訪問者にしか分からない。
【どうでもいい話】
パヴェルさんのパヴェルさんは超弩級戦艦。




