心の枷
動画配信を始めた世界線のミカエル君
ミカ「こんミカー☆」
クラ「はーちゅき(鼻血)」
ぽつり、と窓の向こうに透明な雫が付着したのを見て、ああ一雨来るか、とぼんやり思う。
テンプル騎士団との戦闘から一夜明け、列車は順調にモスコヴァを離れて、当初の目的通り学術都市『ボロシビルスク』へと向かっている。
あそこはノヴォシアの最先端技術が集まる場所であると同時に、情報もまた流れ着く場所だ。もしかしたらそこに行けば、俺たちの今の目的が―――イライナ公国を治めていた一族、キリウ大公の子孫の居場所が判明するかもしれない。
もちろんそんな確証はなく、あくまでも”もしかしたら”という域を出ないというのは事実だ。しかしパヴェルやカーチャが諜報の網を張り巡らしてもあまり情報が集まって来ない以上、一縷の望みをボロシビルスクでの情報に頼るほかないだろう。
場合によっては情報屋から情報を購入する事も考えている……無論、信用できる奴か否かはしっかり査定にかけるつもりだが。
偽の情報掴まされたり、敵対勢力にこっちを売られたらたまったもんじゃない……ノヴォシアとイライナの対立が水面下において決定的となった今、ここは敵国として見るべきだ。
「ご主人様、あまり根を詰め過ぎてもお身体に障りますわ」
コト、と傍らにココアの入ったマグカップを置いてくれるクラリス。湯気と共に甘い香りが舞い上がり、ついつい糖分を求めたミカエル君の指がそっちに伸びて行ってしまうが、それよりもだ。
「ありがとう。でもそういうクラリスこそ大丈夫なのか? 身体の方は」
「ええ、こう見えて頑丈に造ってもらいましたので」
テンプル騎士団のホムンクルス兵は伊達ではありませんよ、と胸を張るクラリス。腹を思い切り刀でぶち抜かれたりしてませんでしたっけあなた、とは思ったが、まあ……シャーロットとかシェリルがそうであるように、ホムンクルス兵は総じて頑丈なのだろう。
負傷しにくく、メンタルも戦闘向きで不調を起こしづらい兵士―――なるほど、戦争の駒としてはうってつけなのかもしれない。
「ところでご主人様、何を読んでいますの?」
「ん、錬金術基礎」
ドン、と電話帳を3冊くらい束ねたような厚さの本を彼女に渡すと、クラリスは数ページぺらぺらと捲ってからそっと机の上にそれを置いた。
「ご主人様は学問に精通していらっしゃるのですね~」
「なんだろ、お前の背後に宇宙が見える」
宇宙クラリスと化した専属メイドに苦笑いしつつ、再び錬金術基礎の教本を開いて、ココアをちびちびやりながら文字の羅列と公式をひたすら頭に叩き込んでいく。
ごらんの通り、次にミカエル君が手を出そうとしているのは錬金術である。
錬金術は魔術と比較すると似て非なるものだ。この世界の魔術が『信仰対象の英霊・精霊・神から力の一部を借りて発動する』という宗教やら信仰心がダイレクトに影響するものであるのに対し、錬金術は根本から大きく異なる。
『魔力を用いて物質の構造を変質させる』というのが、錬金術だ。
信仰心も生まれつき持つ適性などの素質も関係なく、錬金術を修めた者であれば誰でも使える力。門の入り口は広いが、しかしその多くは己の限界に達して脱落していく……。
理由は単純明快、錬金術は信仰心や素質があれば使える魔術とは違って単純に難解極まりない分野であるからで、信仰心や適性の一切絡まない純然たる学問である。
物質の構造がどうとか、原子記号がどうとか、中学校や高校で習う理科の内容は序の口だ。その手の分野の専門書に、魔力という新たな要素が加わった混沌極まりないあらゆる法則を頭に叩き込み、理解しなければ錬金術は発動できない。
だから錬金術は誰にでもその戸口を開くが、しかしマスターして錬金術師を名乗る事が出来るのは一握り……というわけだ。
正直言うと、ミカエル君は過去に一度習得を目論んで挫折した。『ホーエンハイムの物質変換第二法則』辺りで。
だって何だよノート3ページ分の変換式って……挫折するわあんなん。
ただ何というか、ミカエル君にも負けず嫌いというか意地のようなものはあったらしい。いつか習得して自分の力にしてやる、という気持ちは再燃していたし、何よりも今は手に入る力は全部手に入れなければならない状況にある。
遥か格上の敵―――テンプル騎士団団長、【セシリア・ハヤカワ】との遭遇。
上には上がいる、なんて言葉もあるし常に肝に銘じていたつもりではあるが、しかしあんなにも隔絶した実力差がある相手との遭遇はさすがに自信を無くすレベルだ……俺とクラリス2人がかりでも手も足も出なかった。
しかし、今後も彼女と再び激突する事になるだろう。テンプル騎士団と敵対している以上は、絶対に。
それに裏を返せば、あのレベルの実力者が出てきたという事はテンプル騎士団も相当切羽詰まってきているという事に他ならない。切り札を投入して巻き返しを図ったのではないか、という見方もできそうだ(まあパヴェルには「楽観視が過ぎる」と言われそうであるが)。
とにかく、彼女を超える……最低でも互角に戦えるレベルになるのが当面の目標になるだろう。
そのためにも錬金術の習得は必須、二度目の挫折は許されない。
元々俺はアナスタシア姉さんやジノヴィ兄さんのように才能があるわけではない。適正にも才能にも恵まれなかった以上は、後天的要素、つまるところ努力で選択肢を増やしつつ技を磨いて対抗するしかないのだ。
マグカップの中身が空になったところで、教本に栞を挟んで椅子の背もたれに小さな背中を預けて息を吐いた。
これでまだ基礎だ……ここから更に応用編が続くわけだが、ミカエル君が挫折したのはこの基礎編。何とか物にしなくては……どこかの街に着いたら書店で応用編の参考書買ってこないと。
席から立ち上がり、部屋を後にした。
「どちらへ?」
「ちょっと機関車に」
新しい機関車を見てみたいんだよね、と続けて部屋のドアを閉め、廊下を歩いて外に出た。
テンプル騎士団との戦闘中も、パヴェルはディーゼル機関車『AC6000CW』の魔改造作業と並行して、今までお世話になったAA20の解体作業を並行して行っていたらしい。血盟旅団の仲間たちとテンプル騎士団の黒騎士が激突し、銃弾飛び交う戦場のど真ん中で、だ。
しかもシスター・イルゼの目撃談では『作業の片手間に黒騎士しばいてた』という、出来れば嘘だと思いたくなるような格の違いを見せつけるパヴェル氏。
相変わらず腕が立つというか、そろそろ人類というカテゴリーに辞表出してるレベルの力を見せつけるパヴェルだが、「まあパヴェルだしな」で大体納得できるのホント何なんだろうか。
ディーゼル機関車……というより、動力機関をディーゼル機関から”対消滅機関”に換装したコレはもうディーゼル機関車とは呼べないナニカなのだが、それはさておきドアの向こうに背中合わせに連結されたAC6000CWの前部がデデンと佇んでいるのはなかなか大迫力である。鉄オタの人喜びそう。
魔改造に伴って追加されたキャットウォークを踏み締め、機関車の側面を回って先頭の機関車へ。
先ほどまで降っていた雨はいつの間にか止み、周囲を湿った空気が駆け抜けていく。
現在、この列車の機関車は2両での重連運転を行っている。片方が前向き、もう片方が後ろ向きという背中合わせの状態での重連運転。何か意味があるのかと最初は思ったが、パヴェル曰く『後進用と回転台に機関車を乗せる手間を省くため』なのだそうだ。
こうする事で複線さえ用意できれば列車の進行方向を簡単に変更できる、というわけだ。蒸気機関車ではできない芸当……というわけでもないが、なるほど考えたものである。
キャットウォークを歩いて先頭の機関車の運転室へと足を踏み入れた。真新しい運転室の中はまだ金属とオイルの臭いがして、そこら中に見た事もない機材が所狭しと並べられている。
対消滅機関のステータスを表示するためなのだろう、オシロスコープのような機材まで持ち込まれていて、運転室の中はさながらレトロフューチャーの世界のようだ。
そんな場所に詰めているのが、ツナギ姿のヒグマのようなガタイの巨漢。ツナギの背中には自作したものなのだろう、手榴弾の安全ピンを咥えるヒグマの顔のイラストがプリントしてある。
「パヴェル」
「よう、来ると思ってたよ」
カーブを抜け、速度を調節しながらこっちを振り向くパヴェル。運転台の上にはイクラとサーロの缶詰があった。
食うか、とサーロ(※脂身の塩漬け)の缶詰をこっちに差し出すパヴェル。小腹が空いていたのでサーロの缶詰を受け取り、手慣れた手つきで蓋を開け、中身をパクつきながら彼の隣に立った。
運転しながら片手間でルカやノンナのためのマニュアル(分かりやすくするためなのだろう、手書きのマニュアルでは要点を二頭身ミカエル君が解説している)を作成し、運転中はずっとここに居なければならないので食事は持ち込み。なかなかハードな業務を、テンプル騎士団との死闘が明けてからたった1日でやってるコイツマジで何なんだろう。
仕事中毒というやつか。
「大方アレだろ、昨日の件」
「……全部お見通しか」
新しい機関車を見たいから、という名目でここにやってきたのは、他でもない彼の件だ。
テンプル騎士団団長、セシリア・ハヤカワとの遭遇―――ナイフを彼女に突き付けたあの時、パヴェルは彼女と何やら言葉を交わしていた。
断片的に聞こえた内容と、あの2人の唇の動きから察するに内容は『テンプル騎士団に来ないか(要約)』的なものなのだろう。
聞く話によると、セシリアはパヴェルの妻の内の1人、2人居る妻の内の片割れなのだという。
そして2人の美女を妻として迎えた幸運なパヴェルは、しかし我が子を身籠ったセシリアを戦場から逃すため殿を引き受け―――”勇者”と呼ばれた転生者を道連れに、壮絶な戦死を遂げた。
これが彼の口から聞いた、パヴェルの前の職場での事の顛末……すべてを失い、復讐のため悪魔に身を堕とした哀れな男の復讐劇、その終幕である。
戦死し、三度目の異世界転生を遂げたパヴェル。そんな彼の前に、次元の壁を越え別の異世界に居た筈の妻が姿を現した。それも、敵対組織の総大将として。
そんな最愛の妻に誘われ、パヴェルの心は大きく揺れ動き、葛藤している事だろう。
彼が俺たちと妻、どちらを選ぶのかはもちろん気になるが―――それ以上に彼のメンタルが不安だった。だって敵対組織の総大将が死別したはずの妻で、仲間を裏切るか家族を裏切るかの選択を突きつけているのである。こんなん歴戦の猛者でも情緒ぶっ壊されるに決まっている。
「どうなのさ、今のところ」
「さあねェ……」
冷静な感じで、パヴェルはポケットから葉巻を取り出した。それを12.7mm弾の薬莢を使って自作したトレンチライターで火をつけようとするが、彼は相当動揺しているらしい……葉巻の向きが逆だ。
「……逆だよ、葉巻」
「……おっと」
こいつはいけねえ、と言いながら葉巻を咥え直し、パヴェルはライターで火をつけた。
「正直言うとさ」
「うん」
「俺……アイツとの間に生まれた子供の顔、見た事ないンだわ」
パヴェルが戦死したのは、セシリアが子を身籠っている間だ。以前は確かに『子がいるらしいが男か女かもわからん』と発言していたのを思い出す。
父として我が子に会いたい、という気持ちは今の俺には理解できないけれど、きっとそれは強い衝動にも似たものなのだろう。兵士として戦場に赴き、我が子の顔を見る事無く名誉の戦士を遂げたのならば猶更である。
「じゃあアレか、向こう行く感じで考えてる?」
「いやぁ、でもお前らの事も好きだしなぁ……」
右の義手で鼻の下を擦り、パヴェルは言った。
「お前らとこうやって旅して、色々造って、飯食って馬鹿やってるのすんげえ楽しいんだわ」
「そりゃあ嬉しいね」
「言っておくがマジだぞ、本心だ。こっちの世界に来てから家族も知り合いもいなくてな……ウォッカ飲んで機械弄って寝てっていう堕落した毎日だった」
そういや彼と初めて出会った時も酒に溺れてた気がする。今でも酒は飲むし酒豪と言っていいレベルだけど、だいぶ加減というものを覚えた感じがするのは気のせいではないだろう。
「お前らのおかげだ、何も無い俺の心を埋めてくれたのは。だからいくら相手が妻と子だからといって、お前らも簡単には捨てられねえ」
「……そうかい」
その言葉を聴けて安心したよ……あんなクッソ強い奥さんに加えて、パヴェルまで敵に回ってしまったら勝ち目が無くなってしまう。
「まあ安心してくれ、今のところは味方だ」
「……ありがとう、パヴェル」
「いいって」
「俺たちで良ければ、相談とか乗るからさ」
「おう」
言葉を交わし、サーロ缶の中身を平らげてから俺は運転室を後にしようとする。
ドアに手をかけた俺の背中を、運転台に向かっていたパヴェルが呼び止めた。
「ミカ」
「んぁ」
「…………ありがとな」
「……どういたしまして」
にっ、と笑顔を浮かべながら振り向いてそう言い、俺は機関車を後にした。
願わくば、少しでも彼の心の枷が外れますように、と頭上の星空に祈りながら。
第二十八章『帝都モスコヴァを目指して』 完
第二十九章『葬送のエクソシスト』へ続く
創作魔術
各宗教の宗派、信仰の対象となる英霊や精霊、神の力の一部としてではなく、それらの力を参考に魔術師自らが編み出した魔術の総称。
多くの場合、これを編み出した魔術師は死後に英霊としてその生涯が物語として語り継がれつつ祀られ、新たな宗派の起源となる。




