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死闘が終わって


 目を覚ますと、どこからかピアノの優しい旋律が聞こえてくる。


 天井に埋め込まれたスピーカーからだ。ノイズが一片たりとも含まれぬ澄み切った音は、意識が戻ったばかりのシェリルの鼓膜から身体中へと染み渡っていった。


 団長であるセシリアが音楽を嗜むように、一部のホムンクルス兵も音楽を楽しむ事がある。シェリルはボグダンやセシリアとは違って音楽を嗜む趣味などなく、楽器の織りなす旋律に美しさを見出す感性も持ち合わせてはいないが、しかし今ばかりはこのピアノの音色が愛おしくてたまらなかった。


《個体識別番号:LCQ-40/887 個体識別名『シェリル』 覚醒しました》


 脳内に響く電子音声。どこかの誰かの声をサンプリング、それを加工したものなのだろう。若い女性の声という事だけが辛うじて分かる程度にまで加工されたその音声は、テンプル騎士団のあらゆる機器が発する電子音声として幅広く採用されている。


 身体を起こした彼女は、すうすうと寝息を立てるもう1人の人物の存在に気が付いた。


 ”パンゲア級空中戦艦”の二番艦『レムリア』の医務室、そこに置かれたベッドに突っ伏して寝息を立てている、小柄な人影。傍から見ればそれは年端もいかぬ少女のようで、しかし身に纏う上着は大人用の戦闘コートだ。ただしもちろんサイズは合っておらず、手が袖の中にすっぽりと隠れてしまう萌え袖状態になってしまっているが。


 同じホムンクルス兵の同胞、シャーロットだった。


 なぜ彼女がここに、と思い至ったところで、むくりとシャーロットも身体を起こす。きっと彼女の脳内にも、さっきの電子音声が流れたのだろう。


 袖で目元を何度か擦ったシャーロットの紅い瞳と、シェリルの紅い瞳が合う。


 ぱちくりと瞬きをするシェリルだったが、次の瞬間胸へと飛び込んできたシャーロットに、思わずシェリルは目を丸くしたままフリーズする羽目になった。


「シェリル!」


「は、はい」


 いったいこれはどういう事か。


 よかった、よかった、と涙声になりながら何度も繰り返すシャーロット。いつも高圧的でプライドが高く、相手が何だろうと人体実験の材料にしてしまう冷酷無比なあのシャーロットが、まるで親と再会した迷子の子供のように泣きわめきながら抱き着いてくるとは、一体どういうことなのか。


 明日は大雨かな、と真面目に考えたところで、シェリルは自分の右腕の感覚がない事に気が付いた。


「ぁ……」


 そうだ、自分はあの時彼女を救おうとして……。


 死を直前にしたシャーロット。


 そこに割り込んだ自分。


 迫ってくる雷の槍。


 灼熱。


 激痛。


 痺れる感覚。


 感覚がフラッシュバックしてくると同時に、ずきりと右腕が―――千切れ飛んだはずの腕が、痛んだような気がした。


「キミは……キミは本当になんて無茶をするんだ」


 ぐすっ、と鼻をすすりながら抗議の声を上げるシャーロット。


 確かにあの時、シェリルがクラリスとの戦いを中断してシャーロットを助けに行っていなければ、今頃はこうして泣き顔のシャーロットが胸に飛び込んできて喚き散らす事もなかっただろうし、こうして彼女の見た事もない感情に困惑する事もなかっただろう。


 残った左手で、シェリルはそっと彼女を抱きしめた。


「ごめんなさい」


「ごめんなさいで済むか! キミは腕が……腕が……ぁ……!」


 この人は―――シャーロットという人間はこんなにも、仲間を想う人だったのか、とシェリルは思った。テンプル騎士団には色んな同志が所属しているが、片腕を失った仲間のためにここまで涙を流すホムンクルス兵は他にいるだろうか。


 千切れた腕ならば、機械の腕を移植すればいい。幸い、”同志大佐”が大戦中に蓄積していた義肢のデータは豊富にあり、それが現在の義手や義足の高性能化に大きく貢献していて、今では生まれ持った手足よりも高性能な義肢など珍しくもない。


 だから手足ならばいくらでも替えが利く(スペアがある)


 そう言って彼女を安心させようとしたシェリルだったが、しかし言葉が詰まった。


 シャーロットが悲しんでいるのは、そういう問題ではないからだ。


 自分を守るために、右腕を犠牲にした―――彼女はその事で、自分自身を責めているのだ。戦いに夢中になる余り周りが見えなくなってしまい、結果として仲間の右腕切断を招いてしまった自分を赦す事が出来ず、今の彼女は自分で自分を罰している。


 それがあまりにも痛々しくて、シェリルの目にも涙が浮かんだ。


 けれどもそうしなければ、ここに彼女はいなかっただろう。


 任務のため、そして組織への打撃回避のため―――そして今は、シャーロットという”戦友”のため。


 確かに痛みは残ったし、消えない傷も刻まれた。けれどもそれを対価として差し出した事で、彼女の命は無事なのだ。今はそれを喜ぶべきであろう。


 理性では分かっていても、しかし素直に喜べるはずもない。


 機械のように振舞っていても、やはり自分も人間なのだ―――そう自覚しながら、シェリルはぎゅっとシャーロットを抱きしめる腕に力を込めた。


















 時折、適度なノイズもまた音楽に彩りを与えるものではないだろうかと考える事がある。


 雑音もなく、澄み切った旋律もまた美しいものであろう。しかしどこまでもどこまでも不純物を削ぎ落したものに味気無さを覚えるように、雑音ノイズを徹底して取り除いた音楽にも味気無さを感じるようになったのは、きっと力也が買ってきた古めかしい蓄音機でレコードを聴くようになってからだろう。


 艦内に持ち込んだレコードの奏でる、ショパンのノクターンOp.9-2を聴きながら、愛用品の煙管キセルから煙を吹かすセシリア。夫を失い、姉との死別までもを経験した彼女に残った癒しはそれだけで、人生全てを戦いと復讐に捧げてきた自分の存在の虚ろさを殊更意識させられる。


「……少々、ノイズが酷いのでは」


 副官のミリセントが堅い声で言いながらマグカップをそっと傍らに置いた。中には東洋から取り寄せた緑茶が入っていて、香りと共に湯気を発している。


「分からんか、これもまた味だよ」


「そういうものですか」


「そういうものだとも」


 礼を言い、マグカップを受け取るセシリア。煙管を灰皿の縁に乗せてマグカップの取っ手を掴み、ちらりと視線を机の上にある写真に向けた。


 小さな写真立ての中には、生まれたばかりの愛娘を幸せそうに抱き抱える彼女の姉―――サクヤと、そんな彼女に付き添うセシリア、そして力也の4人が写っている。


 今思えば一番幸せだったのはこの時だった。結婚して、家庭ができて、子供も生まれた。全てを奪われ、地獄のような戦場でいつ死ぬかもしれぬ毎日を乗り越えて、ようやく掴んだ人間としての幸せ。


 しかしそれが開花する事はついになかった。


 ―――奪われたのだ。


 ”勇者”と呼ばれた、ある転生者の手によって。


 子を、未来を奪われる事が一体どれだけの苦痛であったか。


 腹を痛めて生んだ子の死は、親にどれだけの絶望を与えるか。


 決して譲れない大切なものを奪われるだけで、ヒトはいとも容易く悪魔に身を落とすのだ。


 しかしそれも、もう過去の話。


 勇者は死んだ―――夫、力也の命を懸けた特攻を受けて。


(よもやこんな世界の片隅で出会うとはな……力也よ)


 今は”パヴェル”という名だったか。


 血盟旅団の一員としてミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフと行動を共にし、テンプル騎士団にも牙を剥いた夫。果たして彼は過去の家族と今の仲間、そのどちらを選ぶのか。


 きっとそれは、彼にしてみれば苦痛を伴う選択であろう。今、こうしている間にも彼は苦しんでいるかもしれない―――家族への愛情と、仲間たちへの信頼の間でもがき苦しみ、心を削っているのかもしれない。


 夫に苦痛を強いてしまった事を、セシリアは申し訳なく思った。


 きっと今の彼は壊れかけだ。復讐を終え、生き甲斐までもを失った空っぽの人間。そんな彼がやっと生きる意味を見出す事が出来たのは、他でもないミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフとの出会いなのだろうから。


 どちらを選んでも、その半身は引き裂かれる事となろう。


 どっちも、という選択肢などあり得ない。


 だが、彼ならばその苦痛すらも乗り越えてくれるだろう―――最愛の夫を信じ、緑茶を口に含んだその時だった。


 ごしゃあっ、と金属がひしゃげるような音が扉の向こうから聞こえてきた。傍らに控えていたミリセントが、反射的に腰に提げていた剣を引き抜き臨戦態勢に入る。


 まあ彼女だろうな、と思いながら腕を組むと、執務室の扉がゆっくりと開き始めた。


 扉の向こうに居たのは予想した通りの人物―――シャーロットだった。


「貴様、錯乱したか」


 剣の切っ先を向けながら、ゾッとするほどの冷たい声で問うミリセント。しかし今のシャーロットには、きっとその言葉は届いていない……むしろ、彼女の存在自体が眼中にないのだろう。その証拠に、シャーロットの真っ赤な義眼にはセシリアしか映っていない。


「同志団長、どういう事ですか」


「やあ、同志シャーロット。君なら来ると思っていたよ」


 口元に笑みを浮かべながら言うと、シャーロットはミリセントが突きつけてくる剣を意に介さずにずんずんと前に出るや、バンッ、と両手をテーブルに叩きつけながら抗議した。


「この局面でボクたちを……同志ボグダンの部隊を後方に下げ予備役とするなんて!」


「不服か?」


「当たり前です!」


 まあ、それもそうであろう、とセシリアは思う。


 先ほどの血盟旅団との一戦は、初期の奇襲こそ上手くいっていたものの、戦闘の結果は双方の痛み分けという何とも煮え切らないものであった。


 シャーロットからすれば、血盟旅団に……というより、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフから受けた屈辱を晴らしたいに違いない。それだけではなく、共に戦ったシェリルの右腕の借りも返さなければならないのだ。今すぐにでも実戦に出たい気持ちは、セシリアには痛いほどわかる。


 だからこそ、此度の戦闘結果を受けての配置転換の決定には納得しないだろうし、感情的な一面を見せたシャーロットであれば直訴しに来る筈だ―――予想できた結果だったからこそ彼女を説き伏せる言葉は用意しておいたし、勝ち筋も見えるというものである。


 返答次第では団長だろうと牙を剥く、と言わんばかりの剣幕で迫るシャーロットを前にして、しかしセシリアは涼しい顔をしている。というよりも、むしろその剥き出しの感情を愛おしく思っているようにすら見えた。まるで親が怒る子供をみて可愛らしいと思っているようにも、あるいはマッドサイエンティストが自らの造り上げた殺人マシーンに感情が宿った事を喜んでいるようにも思える。


「お願いです、今すぐにボクを前線へ配置してください! 次こそは、次こそは必ず!」


「落ち着け、同志シャーロット」


 愛用の黒い鉄扇を広げながら、セシリアは告げた。


「君たち”第三十一任務部隊”は実によくやってくれている。同志諸君らの働きが無ければ資金繰りにも苦労したし、ノヴォシア帝国を丸め込む事も出来なかった。諸君らの活躍には感謝している」


「団長、ボクが言いたいのはそういう事では―――」


「―――だが同時に、損害も大である……私はそう判断した」


 そっと席から立ち上がり、テーブルを回り込んでシャーロットの前に立つセシリア。小柄なシャーロットが憎たらしそうに睨んでくるが、しかしセシリアの目にはレッサーパンダの威嚇にしか映っていない。


「成果は出しているが、損害も大きい。これ以上前線で酷使すれば徒に損耗が大きくなる……だから君たちを一旦後方へと下げる決定をした。シャーロット、君だけではない。シェリルやボグダンを失わないため、同志諸君らの人命を優先した決定だ」


「理解できません! この命は組織と祖国に捧げたものです! 今更惜しくは―――」


「―――私が惜しい」


 彼女の言葉を遮って繰り出された言葉に、シャーロットは言葉を詰まらせる。


 彼女にはセシリアの思考が見えている―――ボグダンと同じだ、嘘偽りが全くない。言葉と同じ思考が頭の中へと流れ込んできて、さながらリフレインしているかのよう。


「キミは同志シェリルが片腕を失った時、どんな気持ちだった?」


「……辛かったです」


「そうだろう。私も君たちを失うのは辛い……ヴァネッサを失った時もそうだった」


 今回の戦いで最も大きな損害と言ってもいいだろう―――ホムンクルス兵の1人、ヴァネッサの喪失は。


「仲間の腕の仇と、その屈辱を打ち果たしたい気持ちはよく分かる。だが、今はキミも万全な状態とは言い難い。今はその屈辱に耐えてほしい。耐えて、万全の状態になったらまた君たちを前線に配置すると約束しよう。今はその傷を癒す充電期間と考えてほしい。分かるな?」


「……は、はい」


「うん、それでよし」


 そっとシャーロットを抱き寄せたセシリアは、彼女の頭を優しく撫でた。


 かつて幼かった我が子にそうしたように。






 


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 弱ったなあ。この家族と部下への情の厚さと優しさは、間違いなくセシリア本人のそれです。カーネルに非情な選択を強いていることに、かなり罪悪感を抱いていること。姉、子供の一人、夫を失った空虚さを…
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