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魔王の選択




 『どうやらこの世界の神(この物語の書き手)は、俺を死なせる(退場させる)つもりはないらしい』



 パヴェル・タクヤノヴィッチ・リキノフの手帳、古い日付の殴り書きより


 

 
















 昔話をしよう。


 これはある日、全てを失い復讐を誓った1人の女の話だ。


 ソイツは信じていた筈の国に、女王に父親を忙殺され、亡命先のクレイデリアでは突如として襲撃してきた転生者たちに母とまだ幼かった弟、そして慕っていた姉を殺された。


 まだ子供だった彼女が、家族全員を奪われ、全てを踏み躙られた絶望と怒りは察するに余りある。


 その日からその女は、復讐を誓った。


 家族を奪った女王と、転生者の軍隊を率いる1人の男―――『勇者』と呼ばれていた男に。


 のちに衰退していたテンプル騎士団を世界最強の軍隊に育て上げ、その頂点に君臨する事となる正真正銘の『魔王』―――セシリア・ハヤカワという女の復讐劇は、血塗られた凄惨な経験から始まったのだ。


















「第二次大戦以来か? 久しいな、”力也”……我が夫よ」


 首にカランビットナイフを突きつけられているというのに、全くと言っていいほど動じる様子を見せない彼女に、しかしまあ当たり前だろうな、という諦めにも似た思いが浮かんだ。


 それもそうだろう、仮にもテンプル騎士団の頂点に君臨している女だ。力で全てを叩き潰し、彼女に意見する身内に対しても絶対的な結果を叩き出してそれを全て黙らせ、組織を、そして国家を掌握した存在。


 一部の連中は彼女を『魔王』だなんて呼んでいるが、確かにそうだ。彼女の夫として、戦死するまでの間添い遂げ続けた身から見てもあの女は正真正銘の魔王……お伽噺に出てくる魔王が可愛く見えるような、そんなレベルだ。


 はっきり言うが、こないだ戦ったゾンビズメイには驚かされたが―――アイツよりもセシリアを相手にする方が、俺はよっぽど怖い。こうして背後を取り、ナイフを突きつけているという絶対的に有利な状況からスタートしたとしても、彼女に勝利するビジョンが全く見えてこないのがその証拠だ。


 ゆっくりと、セシリアがこちらを振り向いた。


 ああ、やっぱりだ。


 セシリアだ。


 彼女が……俺の妻が、目の前にいる。


 あの時と何も変わらない。ベインブルク高地の凄惨極まる地獄で、最期に見た彼女の顔と―――あの時と何も、変わらない。


 何度会いたいと思った事か。


 何度抱きしめたいと思った事か。


 死別した妻たちが夢に出てきて、朝になって枕を濡らした状態で目を差した事など一度や二度ではない。


 ()()()の異世界転生、次元の壁を隔て、もう二度と会う事は叶わぬと頭では理解していても、心が最愛の妻を求めた。家族を欲した。もう一度セシリアに逢いたいと―――彼女を抱きしめたいと。


 そんな思いがあったから、まだ結婚指輪を肌身離さず持ち歩いている―――教会で誓いのキスを交わし、愛し合った女はもうこの世界のどこにもいないというのに、だ。


 これは夢だろうか―――そう思ってしまうほど心を揺さぶられたものだから、彼女の動きには何一つ対応できなかった。


 ぽんっ、と全く本気とは思えぬ掌底に、ナイフを突きつけていた手を弾かれる。弾く、というよりは小突かれた程度のものだが、それでも刃の切っ先は大きく逸れ、俺は彼女の眼前でこれ以上ないほどの隙を晒してしまう事になった。


 ぐっ、とセシリアの手が伸びてきて、胸倉をつかむ。


 ああ、やられる―――こっちがこの有様でも、向こうまで同じとは限らないのだ。


 しかし死は訪れなかった。


 ふわりと香る石鹸と、それから煙草の臭いが混じり合ったような彼女の匂い。


 顔がすぐ近くまでやってきて、最愛の妻の温もりを感じられるほどの間合いになると同時に押し付けられる、柔らかい唇の感触。ぬるりと入り込んでくる舌の感覚に、頭が一瞬真っ白になった。


 絡み合わせていた舌を放し、唇が離れていく。


「―――まったく、お前はダメな男だ。妻を泣かせるとは何事だ?」


「……面目ない」


「あれから泣いたんだぞ」


「すまん」


「いっぱい泣いたんだぞ」


「ごめん」


「息子に”パパはどこ?”って言われた時すごく困ったんだぞ」


「ホントごめん」


 息子、という言葉に、あの時彼女が身籠っていたのは男の子だったのか……と納得する。


 結局俺は子供を身籠っていた彼女を逃がすために戦場に残り、そして戦死したわけだから、我が子の顔を見た事が無ければ抱いた事もなく、名前も知らないし男の子なのか女の子なのかすら知る由もなかった。


 疑問の1つが解消され、心の奥にあった重石が少し外れたような、そんな気がした。


「力也、もう一度私の元に来ないか」


「……」


 俺の顔を見上げながら、セシリアが言った。


「一緒に戦おう。そして計画成就の暁には祖国クレイデリアに戻って、一緒に息子を育てよう。きっとあの子も喜ぶ……私はな、あの子に『この人がお前のパパだぞ』って紹介するのが楽しみでな」


「セシリア、俺は……」


 ちらり、と視線をミカの方へと向けた。


 セシリアの闇属性の魔術で拘束されていたミカは、今は術が解除されたせいで自由の身だ。しかし相当ダメージを負ったようで、地面に片膝をついて呼吸を整えながらこっちをじっと凝視している。


 きっとこの会話も、断片的にだがミカの耳に届いているだろう。


「もう戦争も終わった……この任務さえ終われば、私たちも普通の家庭を持てるのだ」


「……」


 どうすればいいか、分からない。


 本音を言えば、今すぐにでも彼女の元に戻りたかった。【パヴェル】という偽りの姿ではなく、【速河力也】という本当の姿に戻りたかった。


 そうすることが許されれば、どれだけ幸福だっただろう。再び彼女と愛し合い、まだ会った事もない息子を抱きしめ、一緒に子供を育てる事が出来ればどれだけこの心が満たされた事だろう。


 しかしそれは―――この世界で築き上げた繋がりを、仲間との絆を全て棄てる、という事。


 ミカもクラリスも、モニカもイルゼも、リーファも範三もカーチャも……ルカとノンナも。


 血盟旅団の旗の下に集まった仲間たちを、ここまで旅を共にし死線を潜り抜けてきた仲間たちを裏切り、彼女と共にあの世界に―――クレイデリアに帰還する、という事。


 なあ、神様。


 これが罰だというのか?


 復讐のために全てを破壊し、殺し尽くした”ウェーダンの悪魔”に対する罰がこの苦悩であれという事か?


 天秤は揺るがない。


 死別した妻子の元に戻るか、仲間と共にこの世界に残るか。


 力也(悪魔)に戻るか、パヴェル(天使の助力者)としてこの世界を生きるか。


 選択せよというならば、なんと残酷な事だろうか。


 答える事も出来ず、ただただ言葉を詰まらせるばかりだったその時、遠くからサイレンのような音が聞こえてきた。


 パトカーのサイレン―――廃線となった路線、その中にある廃棄された車両基地とはいえ、あれだけ派手にやり合えば近隣住民の通報で憲兵隊が動いてもおかしくはないだろう。


 チッ、とセシリアが舌打ちした。


「……まあ、よい」


 どう、と頭上からロケットモーターの音が響く。


 彼女の頭上に浮かぶ2隻の空中戦艦(テンプル騎士団はこのサイズの空中戦艦の量産化に漕ぎ着けていたのか?)。その片割れの船体側面から火の手が上がっていた。側面にあるウェポンベイが開き、そこから一発のミサイルが発射されていたのだ。


 やがてそれはスラスターを吹かしながら姿勢制御するや、パトカーのサイレンが聞こえてくる方角へと真っ直ぐに飛翔していき……カッ、と瞬く閃光に遅れて遠雷のような爆音が轟き、サイレンの音はぴたりと聞こえなくなる。


 やりやがった、とは思わなかった。


 俺の女なら、このくらいはやる。そういう女だと俺は知っているから。


「少々派手にやり過ぎた。今回はこのくらいにしておく」


「……お前、本気を出せばアイツら含めて皆殺しにできるだろ。なぜそうしない?」


 セシリアの本気は、俺もよく知っている。


 信じるかどうかは分からんが、かつてコイツは1人で国を滅ぼした事がある……というより、1人で国を1つ()()()()()()()()()()


 その力があれば、この場に居る全員を喰らう事など容易い筈だ……何故そうしないのか。


「最愛の夫を手にかける妻がどこにいる?」


 私はそんな女だったか、と両手を広げながら言うセシリア。


「それに、仮にあのミカエルとかいう転生者たちをここで皆殺しにすれば……お前は私を殺すだろう?」


「……多分な」


「だからお前に、お前の意思で、お前の未来を選択してほしい。血盟旅団はいずれ潰すが、私はお前だけは殺したくない。お前は私にとっての”特別”だ」


「……」


「まあいい、時間はある」


 バババババ、とヘリのローターが回転する轟音が、頭上からゆっくりと近付いてきた。


 頭上から降り注ぐサーチライトの光。機首のターレットに連装23mm機関砲を搭載した、ずんぐりした形状の戦闘ヘリがホバリングしていて、こっちを睥睨している。


 黒と灰色の迷彩塗装に、胴体側面には赤い星のマーキング。テンプル騎士団の識別表だ。


 戦闘ヘリ―――テンプル騎士団仕様のスーパーハインド(よく見るとキャノピーは装甲で塞がれており、自立AIの制御で飛行するUAV化が施されているようだ)はふわりと降り立つや、兵員室のハッチを解放してセシリアに乗るよう促し始める。


「―――色よい返事を期待しているよ、力也」


「……」


 ハッチが閉じた。


 スーパーハインドが、その鈍重な機体には似合わぬパワーで一気に加速、高度を上げて空中戦艦の艦底部にあるハッチのところへと飛んでいく。推定全長600m弱の空中戦艦が豆粒のような戦闘ヘリを収納するや、頭上に浮遊する巨体にも変化が生じ始めた。


 ステルス機の機首を思わせる舳先に紅いスパークが生じたと思いきや、周囲の気温がさらに下がって―――推定全長600mの巨大空中戦艦が、艦首側から段々と()()()()()


 隣を航行する同型艦にも同じ現象が生じており、10秒も経たぬうちに2隻の空中戦艦は完全に姿を消して―――夜空にはただの静寂が、再び宿り始めた。


 『ラウラフィールド』と呼ばれる、微細な氷の粒子を用いた光学迷彩システム。テンプル騎士団で開発、実用化された代物だが、あの質量の物体を完全に覆い隠すほどの出力とは……。


 俺の知っているテンプル騎士団よりも遥かに技術が進んでいる事に驚くが、しかしそれ以上に動揺していた。


 セシリアが突きつけてきた選択。


 妻のために仲間を裏切るか、仲間のために妻を裏切るか。


 力也に戻るか、パヴェルとして生きるか。


 俺は……かつて”ウェーダンの悪魔”なんて呼ばれた男は今、最大の選択を迫られていた。


















「急ごう、憲兵隊がいずれやってくる」


 いつもと変わらぬ口調で言いながら、パヴェルは列車に連結されたディーゼル機関車(魔改造済み)、AC6000CWの運転席へと乗り込んだ。当然ながら運転方法はAA20とは全く違うだろうから、最初はパヴェルが運転を担当しつつマニュアルを作成、ルカやノンナにも運転方法を教育していく流れになるだろう。


 それはいい、彼にもぜひやってもらいたい事だ。


 だが……。


「……」


 気を失っているクラリスをシスター・イルゼと2人がかりで運びながら、俺はパヴェルの後ろ姿をじっと見つめていた。


 テンプル騎士団が撤退する直前、アイツはセシリアと名乗った女と何かを話していた。それは随分と仲が良さそうな感じで……しかしパヴェルの方はと言うと、何かを思いつめたような顔のままだったのはよく覚えている。


 子供がどうとか、そういう断片的な単語は聞こえてきた。


 だから彼が今、ああしていつも通りに振舞っている裏側で抱えている苦悩も何となく分かる。


 パヴェルは―――彼は今、最大の選択を迫られている。


 俺たちを選ぶか、それとも自分の妻を選ぶか。


「……」


 順風満帆、とはいかないらしい。


 旅路の先に立ち込める暗雲に言いようのない不安を抱えながら、俺たちは列車へと乗り込んだ。






パンゲア級空中戦艦


全長

・600m

全幅

・76m

重量

・88000t(推定)

搭乗員数

・不明


同型艦

・パンゲア(一番艦)

・レムリア(二番艦)

・ムー(三番艦)

・アトランティス(四番艦)


武装

・57mm機関砲システム(船体各所)

・85mm速射砲塔群(艦底部各所)

・20mm防空機関砲システム(船体各所)

・対艦ミサイルシステム

・対地ミサイルシステム

・対空ミサイルシステム

・■■■■■《※検閲により削除》


 血盟旅団とテンプル騎士団との交戦中、突如として上空に出現した超大型空中戦艦。そのサイズはテンプル騎士団が過去に運用していた空中戦艦や空中空母を上回っており、新型艦である可能性が高いが詳細は不明。

 セシリアやボグダンたちの母艦であり、船体各所の自動化による省人化が成されている他、長期の作戦行動のために居住性に気を使っている模様。


 更には氷の粒子を散布する事により光の屈折角を変更し姿を消す光学迷彩システム『ラウラフィールド』による高いステルス性を持つほか、次元の壁を越え他のパラレルワールドとを行き来する事が可能な『次元転移システム』も持つ高性能艦。

 しかし現時点では情報が少なく、これ以上の詳細は不明である。


 艦名の命名規則はどうやら大陸の名称のようだ。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 仲間を裏切ってでも夫として妻子のもとに戻るか、妻の手を振り払っても「パヴェル」として仲間と旅を続けるのか…幾らヴェーダンの悪魔と恐れられ、スペツナズを率い幾度も死線を経験した彼でも、重すぎ…
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