その名はセシリア
【お知らせ】
往復ミサイルの中の人から皆様にお知らせです。8/6日まで私用で青森まで外出する事になりましたので、申し訳ありませんがほんの少しの間だけお休みをいただきます。
戻ってきたら何食わぬ顔で再開しますのでお許しを……あ、トカレフ向けないでAKコッキングしないで。誰よ今RPKのセーフティ外したの。
……ちゃんと続き書きますので粛清だけはご勘弁を(滝汗)
『テンプル騎士団に弱者無く、故に彼ら以上の強者無し』
とある観戦武官の手記より抜粋
今回もそうだった。
今までで死にかけた回数はもう、両手では数えきれないほどだ。それほどの死線を潜り抜けてきた、という事実が今の自信に繋がっているわけだが、それらの死にかけた時でも、そして今回も……残念ながら、走馬灯とやらを目にする機会には恵まれなかった。
この程度、乗り越えずして何とするか―――姉上がこの場に居たら、きっとそう叱り飛ばしてくれた筈だ。身内の事を頭の片隅で思い浮かべつつ、剣槍を握る両手に向かって魔力を全力放射。俺の前方180度に、半球状のクッソ分厚い磁界を形成する。
2隻の空中戦艦(信じがたい事に600mはある)からスコールのように放たれる砲弾が、次々に磁界の表面を滑るように受け流されていく。明らかに口径57~75mmはあるであろう砲弾が次回の働きで遥か手前で進路を変え、上空へと逸れたり脇を掠めて貨物車両をもぎ取ったりしている。
銃弾だけでなく砲弾まで、それも空中戦艦2隻分の集中砲火まで防ぐことが可能になったのは自分でも驚いているが、しかし。
「くっ……!」
当たり前ではあるが、魔力の消費量がとんでもない事になっている。
一発砲弾を弾く度に、両足から力が抜けそうになる。両腕に力が入らなくなる。脈が乱れ、息が上がり、身体中を強烈な疲労感が苛む。
磁界魔術で消費する魔力量は、弾いた物体の重さに比例して上下する、という法則がある。軽い物体を弾いた場合はそれほどでもないが、大きな質量の物体を受け流し防いだ場合は凄まじい量の魔力を消費する、という事だ。
今までは銃弾だったからそれほどでもなかったが、今回は砲弾である。
いったいいつまで耐えられるか……!
「クラリィィィィィィィィス!!!」
腹の奥底から絞り出した声で彼女を呼ぶ。
シェリルを負ってきたのだろう、戦闘で薄汚れたメイド服姿の彼女が颯爽と現れるや、俺の傍らで倒れている範三を肩に担ぎ、一瞬だけこっちに心配そうな顔を向けるや、そのまま素早く後方へと下がっていく。
帰り際、傷だらけのリーファにも手を伸ばし、2人をまとめて肩に担いでいくクラリスのバカ力には度肝を抜かれたが、まあクラリスだし……で済んでしまうのホント草生える。
が、今は草を生やしている場合などではない。
つー、と鼻から何か熱いものが流れ落ちてくる感触を覚え、焦燥感に駆られた。鼻血だ。魔力欠乏症の症状の一つ……生命エネルギーの一部である魔力を消費し過ぎ、それを枯渇させてしまえば死に至る。それ故に魔力量の管理は基本中の基本であり、魔力欠乏症の症状が出た時点で戦線離脱を選択することが望ましい。
だがしかし、そんな事が出来る状況か?
バカスカと気前よく砲弾を撃ちまくる空中戦艦と、闇色の瞳でこんな俺を睥睨する自称魔王―――セシリアと名乗った女を睨みながら、何とかこの状況を打開する方法を模索する。
砲弾を弾く度に、瞬間的に凄まじい量の魔力を持っていかれる―――そのせいで断続的に魔力欠乏症の初期症状が出ており、今は迂闊に身体を動かせない状態だ。少なくとも磁界の展開を維持したまま回避……などという芸当は、今の疲弊したミカエル君にはできない。
回避するには磁界を解除しなければならないが、しかしそんな事をすれば解除した瞬間に無数の砲弾が飛来して挽肉にされてしまう。
こんなところでハクビシンの挽肉にされるなんて真っ平御免だが、しかしこの状況を何とかしなければ、待ち受けている結末は同じく無残なものであるだろう。
仮にもし、運よく回避する事が出来たとしてだ。
あの屋根の上でこちらを見下ろしている女―――セシリアがどう動くか。
今のところは自ら手を下す必要もない、とああやって高みの見物を決め込んでいるようだが、こちらが動いたとなれば向こうも同じく動くだろう。そうなれば今の消耗した状態で戦えるはずもなく、無残な死を遂げる事は不可避である(仮に万全の状態であってもそれは変わらない筈だ)。
イリヤーの時計を使った時間停止、僅か1秒の間に抜け出せるか……そんな案が思い浮かんだ、その時だった。
腕を組みこちらを見下ろすセシリア―――その背後で、蒼い影が踊る。
夜風にたなびくメイド服のロングスカートと、海原のように蒼いポニーテール。メガネの奥の紅い瞳はいつも優し気な雰囲気を放っていて、しかし今に限っては修羅のそれだった。
クラリスだ―――負傷し戦闘不能となった範三、そしてリーファを仲間の元へと預け、救援に駆け付けてくれたのだ。
だが……。
やめろ、と声を出す余裕もなければ、その時間もなかった。
制止する事も出来ぬ間に、猛然と飛びかかったクラリスが手にした線路のレールを振り下ろす。彼女の手にかかればどんなものも瞬く間にその腕力で凶器と化す。あの勢いで振り下ろされたレールで殴打されれば、並の人間は瞬く間に肩や首の骨をへし折られて即死するだろうし、下手をすれば装甲だってへこんでしまうだろう。
が、それがセシリアと名乗った自称魔王に通用する事はなかった。
先ほどまで腕を組んでいた彼女の手には、いつの間にか刀があった。
黒く、まるで闇を素材に鍛えたかのような、光すら呑み込む艶の無い刀身。いったいいつの間に、と目を疑った次の瞬間にはクラリスのメイド服のエプロン部分が上下に切断されていて……じわり、と玉のように、メイド服の表面に紅い雫が浮かんだ。
クラリスの腹から真っ赤な鮮血の華が咲く。
斬られたのだ―――外殻で防御する間もなく。
「く、クラリス……!」
だが、彼女もテンプル騎士団のホムンクルスの端くれ―――本人曰く能力差にばらつきが大きい第一世代、不安定な初期生産型の中では当たりであるという、戦闘タイプの個体。
腹を斬られた程度で引き下がる筈もない。
「まだ……まだぁッ!!」
「ぬ」
全身に外殻を展開するクラリス。腕も脚も、胸も背中も、そして見慣れた専属メイドの顔までもがドラゴンの外殻や鱗に完全に覆われ、さながら彼女の面影を残した突然変異のクリーチャーのような姿に変貌する。
ああ、クラリスも本気なのだ……普段では、というか今までで初めて見せる外殻の全身展開。それを目にして彼女が本気である事を自覚する。
後方へ吹っ飛ばされながらもレールを投擲、セシリアを叩き潰さんと足掻くクラリスだったが、しかし彼女が歯を食いしばりながら一挙手一投足に全力を注いでいるのと対照的に、攻撃目標たるセシリアは涼しい顔だった。
彼女の努力をあざ笑うかのように、首を微かに傾けるだけで飛んでくるレールを回避するセシリア。
そのわずかな隙を、クラリスは見逃さない。
どん、と踏み締めた足が倉庫の天井に軽く埋まるほどの力で天井を蹴り、姿勢を低くしながら突っ込むクラリス。拳を握り締め、一発ぶん殴る準備は万全―――。
そんな彼女の左目のすぐ前に、漆黒の刀の切っ先が迫っていた。
「―――」
ヂッ、とグラインダーが石を削るような音。
一瞬だけ火花が閃き、辛うじて眼球への攻撃を回避したクラリスが反撃に転じる。
左のストレートを放ち、回避されたと見るやその勢いを殺さず身体を回転、右足の後ろ蹴りを流れるように放つ。まるで馬の本気の蹴りの如きそれすらも、セシリアは紙一重で回避して見せた。
反撃はない。
貴様如き、いつでも殺せるのだ―――そう嘲笑う彼女の心境が垣間見え、俺は歯を食いしばった。
ならば見せてやろう―――窮鼠が猫を咬むように、小さな獣もまた竜を咬む事があるのだと。
イリヤーの時計に命じ時間停止を発動。空中戦艦からの砲撃も、白兵戦の応酬を繰り広げるセシリアとクラリスの動きも全てが制止した世界の中で、磁界魔術を解除すると同時に雷歩を発動。砲撃の着弾地点から十分に距離を取ったところで、右手に持った剣槍を投擲する体勢に入る。
そこでちょうど、時間停止が解除された。
土砂降りの如き集中砲火が、誰も居なくなった操車場の一角を執拗に爆撃する。
遥か後方の地面が耕される爆音を背に、俺は力の限り剣槍を投擲した。
雷歩の加速の勢いも乗った剣槍が、ミサイルさながらの勢いで投げ放たれる。大剣を思わせる穂先が空気を切り裂き、まるで腹を空かせた猛獣が唸り声を響かせているような音を発し、剣槍はセシリア目掛けて飛んでいった。
「ほう」
少しだけ驚いた素振りをみせたセシリアだったが、それは声だけだった。
仕草も表情も、全てがどうでもいい……ありふれたものを見るように起伏の無い顔で、無造作に振るった刀で剣槍をいとも容易く弾き飛ばす。
ガァンッ、と鉄パイプをバットで殴るような音を響かせ、まだ未完成の剣槍は虚しくも弾かれた。
その隙を狙うように突っ込むクラリス。スライディングでもするかのように脚を振るい相手の転倒を狙うが、しかし彼女の足がコンパスよろしく振り払われたころにはそこにセシリアの姿はない。
跳躍し、回避したのだ。
そのまま空中で刀を逆手持ちにし、落下する勢いを乗せてクラリスを串刺しにする―――そんな勝負の付け方を思い描くセシリアだったのだろうが、勝ち筋を描いてしまったのが命取りだ。
「―――人間舐めるなよ」
ピンと伸ばした人差し指を振るった。
次の瞬間だった―――先ほど弾かれた剣槍が、まるで意志を持ったかのように軌道を変えるや、その穂先をセシリアに向けて再び突進を始めたのは。
しかも今は空中で身動きが取れない状態。どれだけ強かろうと空中ならば避けようもあるまい。
クラリスの反撃はこれを見越したものだ―――あのタイミングで足を狙いに行く不自然さに気付いたからこそ成し得た、無言の連係プレイだった。
これは当たる―――その確信は、しかし次の瞬間には裏切られる事となった。
そのまま行けば問答無用でセシリアの首を撥ね飛ばすコースだった剣槍。
その横っ腹を、真下から伸びた黒い棘のようなものが突き上げ、弾いてしまったのである。
「!?」
―――それは、”影”だった。
そう、影だ。セシリアの足元から真っ直ぐに、月明かりの下を伸びる影。それが異形の如く変形したかと思いきや平面から立体的に盛り上がり、漆黒の槍の形状を成して剣槍へと牙を剥いたのである。
予想外の攻撃に驚愕するのは俺だけではない、クラリスもだった。
しかしそんな猶予すら与えてもらえないらしい。
セシリアの影が、今度はクラリスに牙を剥いたからだ。
「クラリス、逃げろ!」
「!」
無数の影が触手の如くクラリスへと迫る。ある影は刃物のように、ある影はクラーケンの触手のように、それぞれが異なる性質で、異なる軌道で襲い掛かってくるのだからたまらない。
最初の一撃を裏拳で弾き、回避していたクラリスだったが、さすがに数の暴力に抗うのは不可能だったようだ。触手に脚を絡め取られるや、次の瞬間には影の槍が身体中を覆う外殻諸共―――クラリスの腹を貫いた。
「クラリス!」
刀傷の上から腹を串刺しにされ、クラリスが目を見開く。彼女の血に塗れた影の槍、その穂先が背中から顔を覗かせた。
そしてその触手は、今度はこっちに向かってきた。
「クソが!」
磁界を操作、周囲に敷設されている線路のレールを片っ端から引き剥がして投擲、応戦するが、しかしその防衛線も数秒後にはあっさりと突破されていた。
無数の影の触手が身体中に絡みつくや、獲物を丸呑みしようとする大蛇の如く、骨が折れてしまいそうなほどの力でぎりぎりと締め上げてくる。
「が、ぁ……ぁ……!」
身体中の骨が軋み、悲鳴を上げた。
「……弱すぎる」
呆れたように―――あるいは遊びに飽きた子供のように、セシリアは吐き捨てた。
「我が軍はこんな奴らに後れを取っていたというのか?」
「あ、ぐ……っ!」
首の骨を折られそうな、じわじわと迫る激痛の中で俺は気付いた。
セシリアは戦いが始まってから、先ほどの跳躍を除いて一歩も動いていない。
動くまでもなかったのだろう。刀と、それから自在に動く影(闇属性の魔術だろうか?)。それだけで事足りたのだ……初期生産型のホムンクルス兵と、エンシェントドラゴンの首を殺した程度の冒険者を相手にするのは。
「……力は、力によって滅ぼされると知れ」
目の前にやってきた触手状の影がギラリと形状を変えた。
鋭利で薄い、よく研ぎ澄まされたナイフのような形状になるや、その切っ先を眉間へと近付けてきて―――。
こんな時でも、走馬灯は見えなかった。
「―――遊びはそこまでにしておけよ、ボス」
低い威圧的な声は、しかし戦場によく響いた。
車庫の屋根の上でこちらを睥睨するテンプル騎士団の団長、セシリア。
いつの間にかその背後に、大柄な人影が居た。がっちりした体格はヒグマのようで、眼光は肉食獣ですら裸足で逃げ出すほど鋭い。本能的に危機を感じてしまうほどの威圧感は単なる強者では発する事など到底できよう筈もない―――長年実戦に身を置いた、叩き上げのベテランだからこそ出せる貫禄だった。
そう、パヴェルだった。
いったいいつの間に現れたのか―――セシリアの背後に立ったパヴェルが、セシリアの真っ白な首筋に大きなカランビットナイフを突きつけていたのである。
首筋に突き付けられる、ひんやりとした死の感触。
それに何か懐かしいものでも感じたのだろう―――セシリアは口元に笑みを浮かべると、彼の方を振り向く事もなく頭上の星を見上げた。
そして、紡ぐ。
俺たちにすら明かした事の無い、パヴェルの本当の名を。
「第二次大戦以来か? 久しいな、”力也”……我が夫よ」




