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鉄血女帝

【どうでもいい話】

 実はパヴェルはミカエル君の薄い本に勝手にカーチャを出そうとして半殺しにされた事がある。


 腰を入れ、肩を捻り、理想的な体重移動を経て突き放たれた掌底が、ロングソードを両手に携え突っ込んできた黒騎士の腹に突き刺さった。


 リーファの修めた中華ジョンファ式の拳法の神髄は”衝撃”にある。如何に堅牢な鎧を幾重にも着込もうと、攻撃を受けた際の痛みを消す事は出来ても衝撃までは完全には殺せない。ならば相手に衝撃を与える事に主眼を置いた拳法であれば、小柄で体格に恵まれぬ者でも大柄な相手を薙ぎ倒す事ができるのではないか―――そこに着目した創設者の思想は、四千年の時を経て1つの拳法として昇華していた。


 掌底を受けた黒騎士の内部では、撃ち込まれた衝撃が乱反射を繰り返していた。突き抜けるような衝撃ではなく、相手の体内で意図的に拡散するよう調整された一撃は、衝撃の乱反射と衝突を誘発し、相手の肉体を内部から破壊するのである。


 それが人体であろうと機械であろうと、関係はなかった。


 腹部の魔力コンデンサを破壊された黒騎士の動きが目に見えて鈍る。が、しかし彼らはあくまでも機械の兵士である。()()()()()()()()()()()()()()()への対策として、生身の兵士を完全に代替しうる戦力として製造された彼らに自我はなく、また恐怖を始めとする感情もない。自らの主たる人間の命令を聞き入れる以外には何もないのだ。


 次の瞬間、魔力コンデンサを破壊されてもなお戦おうとする黒き傀儡の首から上が吹き飛んだ。


 相手は機械、人間と違って痛みも恐怖もなく、それを起因とした戦術的撤退という選択肢も無いのであれば慈悲をかける必要もまた存在しない。鞭の如く振り払われたリーファの回し蹴りで首から上をもぎ取られた黒騎士は、断面からコード類や人工筋肉、人工骨格の断面を覗かせながら人工血液を吹き上げて、そのまま崩れ落ち動かなくなる。


 これで何体仕留めたか、とリーファは視線を戦場となった車両基地の倉庫の一角に向けた。


 埃が堆積し、放置された車両が未だ残るそこには、さながら何かの儀式のように錆びた金属粉の山がいくつも出来上がっている。あれがこの黒騎士たちの墓標だ。戦地で己の誇りを懸け、栄誉ある戦死を遂げた者たちの墓標にしては酷く寂しげで、戦とはこんなにも無機質で淡々としたものであったか、とリーファはそれを見る度に思う。


「!」


 車両の陰から感じた無機質な殺気に、咄嗟に身体を捻った。次の瞬間、頭のあった場所を一発の弾丸―――5.8mm弾が通過、風を切る音とコンクリートの壁面に命中し弾ける音を残していく。


 ヘッドショットが外れたと察するや、放置された貨物車両の影から1体の戦闘人形オートマタが飛び出してきた。黒い戦闘コートを羽織った黒騎士の手には剣や棍棒の類ではなく、中国製アサルトライフルのQBZ-95がある。


 ブルパップ式であるが故の取り回しの良さと、使用弾薬の命中精度と貫通力が脅威となる代物だ。


 さて、どうするか。


 貨物車両の影に滑り込みながら、あの黒騎士を仕留める算段を頭の中で考え始めた次の瞬間だった。


「―――バンザァァァァァァァァァァイ!!!」


「!?」


 いったいどこから現れたのだろうか。


 三十年式銃剣を着剣した九九式小銃を構えた範三が、半ば裏返った声を迸らせながら猛進してきたのである。リーファを仕留めるべく距離を詰めていた黒騎士は唐突の銃剣突撃に対応する事が出来ずに突撃を許し、黒く艶の無い三十年式銃剣の切っ先を喉元に受ける羽目になった。


 範三の背後に日章旗の幻影が見えたのは、決して気のせいではあるまい。


 銃剣突撃を受け、そのまま押し倒される黒騎士。


 銃剣で主要な回路を切断されたのだろう、その動きはまるで死にかけの人間のようで、傷口からは安っぽい塗料を思わせる半透明の紅い人工血液が、ポンプで押し出されているように溢れていた。


 まだ死なぬか、と呟きながら左手を拳銃嚢へと伸ばす範三。その手が拳銃嚢から引っ張り出したのは、これまた日本軍が運用していた拳銃である”十四年式拳銃”。大柄な範三の手にはやや小さなそれをしっかりと握るや、死にかけの武士を介錯するかのようにバイザーに押し付け、ただ一度引き金を引いた。


 威力の低い8mm南部弾であってもバイザーの間をすり抜けたそれは頭部の制御ユニットを見事に撃ち抜き、黒騎士はだらりと手足から力を抜かれたかのように動かなくなる。


「ふう……怪我はないか、リーファ殿?」


「まあネ」


 まだ無傷ヨ、と言いながらリーファは息を吐いた。


 範三もかなりの数の黒騎士を倒してここまでやってきたのだろう、特徴的な朱色の袴はところどころ硝煙で薄汚れ、人工血液の返り血を受けたと思われる痕も見受けられる。


 仲間たちは無事だろうか、とリーファは他の場所で戦っているであろう仲間たちの身を案じる。通信を聞いている限りでは、ミカエルとクラリスでホムンクルス兵を引き受け、他の仲間たちが黒騎士を相手にしそれぞれ押し返し始めているという。詳細な情報は入って来ないものの、全体的な戦局は血盟旅団優位に傾きつつあると考えて良いだろう。


 ここは片付いた。後は他の仲間たちと合流し、黒騎士を駆逐してホムンクルス兵の撃破に移るべきか、と考えを巡らせたその時だった。


 リーファと範三、2人の本能が同時に危機を察知した。


 まるで背骨へ直接ドライアイスを浴びせかけられたかのような、ゾッとする冷たい感覚。2人がそれを感じたのと、頭で考えるよりも先に身体が動き、その場を飛び退いたのは同時だった。


 次の瞬間だった。倉庫の天井が唐突に吹き飛んだかと思うと、鉄骨で覆われた分厚い天井(道が埋まるほどの降雪量に耐えられるよう天井は堅牢に設計されているのが一般的だ)が、さながら厚紙をピストルで撃ち抜いたかのようにぶち破られ、天井を突き破った何かがそのままコンクリートの床に落下、堆積していた埃を盛大に巻き上げながら大きなクレーターを生み出してしまう。


 放射状に亀裂の生じた床の上で咳き込みながら、リーファと範三はクレーターの中心を見下ろした。


 隕石でも落ちてきたのか、それともテンプル騎士団の新兵器か。


 否、どちらでもない。


 先ほど感じたあの冷たい感覚―――その発生源こそが、このクレーターの中心へと落下してきた”何か”なのだから。


 その冷たい感覚が、次の瞬間には顔色を変えた。


 冷たく、命の危機を本能的に訴えてくるようなそれが、唐突に重々しく、その場に居合わせるだけで身を磨り潰してくるような、まるで絶対に勝てない相手と相対した時のような威圧感へと変貌したのである。


(何だこれは……い、いったい……?)


 いつの間にか、自分の息が上がっていた事に気付いた範三は、それを自覚できるようになってやっと十四年式拳銃を握る手が震えている事にも気付いた。


 こんな感覚は初めてである―――故郷をマガツノヅチに焼き払われた時や、薩摩の道場で速河力也という最強の剣士と戦った時の比ではない。それに、以前遭遇したホムンクルス兵の1人……”ボグダン”という男性のホムンクルスに敵意を向けられた時であっても、まだマシであった。


 いったいなんだというのか。


 これは人の発する殺気なのか。


 仮にそうなのだとしたら、一体どんな人物が発しているのだろうか。


 まるでこの世全ての戦争で戦死した者たちの無念が、人間の肉体という依り代を得て蘇ったかのような……半ば怨念に近いものを感じる。


 本能が叫ぶ。「引き返せ、逃げろ、今ならまだ間に合う」と。


 それはリーファも同様だった。


 いや……彼よりもそういった感覚に鋭敏であった分、リーファの方が受けた衝撃は大きかったかもしれない。


 彼女にはそれが、無数の怨念の塊に思えたからだ。老若男女問わず、あらゆる死者の怨嗟が1つに塗り固められたかのような、そんな混沌が自分たちのほんの3mほど先に存在している。直視するだけで気が狂ってしまいそうな感覚に、彼女はただただ圧倒されていた。


 煙が晴れた。


 そこに佇んでいた人物の姿を見て、範三とリーファは息を呑む。


 




 ―――そこに居たのは、黒髪の女だった。






 闇のように黒く、艶のある髪。


 前髪の下からは左目を眼帯で覆われた、同じく闇色の鋭い瞳が覗く。左目を覆う大きな眼帯からは微かに古傷のようなものが覗いていて、片目は負傷し視力が無くなっている事を覗わせる。


 肌は対照的に雪のような色合いで儚く、顔立ちは東洋人と西洋人の混血のようだ。東洋の基準から見ても、西洋の基準から見ても美しく、それでいて浮世離れした印象を抱かせるのは混血であるが故なのかもしれない。


 だがしかし、そんな美女が身に纏っているのは着物でもドレスでもない。


 軍服だ。


 真っ黒な、テンプル騎士団の軍服だった。


 腰には刀を2本提げ、拳銃のホルスターらしきものも装備している。小銃の類はなく手榴弾も無し、ポーチ類は必要最低限という軽装で、軍服の上には黒いマントのようなものを羽織っている。


 いや、マントではない。


 フードのついた黒いロングコートだ。


 長年使い込んだのだろう、そのロングコートはボロボロになっており、端がズタズタになったそれをマントのように羽織ったその姿は、お伽噺に登場しては勇者の前に立ちはだかる悪の化身―――そう、”魔王”を思わせる。


 闇色の瞳が、そっと2人の方へと向けられる。


 目が合った途端、範三とリーファは死を覚悟した。


 勝算が、ない。


 武術に精通した2人であるからこそ、何となく分かってしまうのだ―――『この間合いに入ったら確実にられる』という、生と死の境界線が。


 だが、しかし。


 十四年式拳銃と九九式小銃を投げ捨て、満鉄刀を引き抜きながら範三は腹を括った。


 あの軍服と肩のワッペンは紛れもなくテンプル騎士団の所属を意味している。つまるところ彼女は敵であり、おそらくは戦闘の劣勢を受けてテンプル騎士団側が投入した”切り札”のような存在なのであろう。


 ここで彼女をみすみす見逃し……いや、()()()()()()()()()()()()()ともなれば武士の名折れであるし、それ以上に味方に危害が及ぶであろう事は想像に難くない。


 ならばここで彼女に挑まない理由はない。勝てなくとも時間を稼ぐことはできる筈だ―――同じ結論に至ったリーファも腹を括り、踵を浮かせながら構える。


「―――やめておけ」


 物静かな声で、その黒い女―――”魔王”は告げる。


「命を無駄に散らす必要もあるまい」


 貴様らでは勝てない―――そんな警告で武士の覚悟を穢すな、と憤った範三が、リーファに先んじて前に出た。


「きえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいッ!!!」


「―――所詮は獣か」


 範三に一歩遅れて、リーファも大きく跳躍し頭上から”黒い女”に飛びかかる。


 直後、金属のぶち折れる音が倉庫の中に響き―――血飛沫が舞った。







 

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