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小獣、竜を咬む

【どうでもいい話】

 後世においてミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという人物は大英雄の1人として、あるいは魔術の新たな扉を開いた人物としてイライナの偉人に数えられているが、その性別については依然として不明であり、歴史家、専門家、そして遺族の間でも結局性別がどっちだったのかについて意見が割れており、多くの書物でも性別について混乱が見られる。


「この感覚……」


 裏拳の一撃で、投擲された線路のレールを弾き飛ばしたシェリルはハッとしたように操車場の外を振り向いた。


 先ほどから肌で感じる、微弱な電流を受けているかのようにびりびりと痺れるような感覚。大規模に放射されている魔力の、特に雷属性特有の感覚だった。


 その方角は操車場の外―――シャーロットがミカエルと戦っている場所の近くからである。


(そんな馬鹿な……こんな魔力反応、ミカエルのデータには無い筈)


 そう、データはない。


 ゾンビズメイ戦において観測された、街中の電力と落雷から力を得たミカエルのデータもしっかりとデータベースに記録されているが、あくまでもそれは後天的に付与された一時的な能力アップ(バフ)の類であり、魔術師の()()としては平凡、可もなく不可もなくというのがテンプル騎士団によるミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという人物を魔術師として見た場合の評価であった。


 しかし。


(これがミカエルの力なのか?)


 信じられない事だった。


 確かにミカエルは今やテンプル騎士団にとって無視できない脅威となりつつあり、優先排除対象の中に名が挙がっている。が、だからこそ彼女の事については総力を挙げて調べており、その性別以外は概ね把握していると言っていい。


 だからこそ、信頼に足るテンプル騎士団のデータベース、そこに記載されているスペックを易々と上回っているその事実に、シェリルは混乱を隠せない。


 そしてその怪物と対峙しているシャーロットへの危惧も、だ。


 シャーロットは確かに強いが、それ以上にテンプル騎士団の技術士官でもある。万一彼女がここで倒れるような事があれば、組織にとって大きな打撃となろう。


(だから私は反対だったんだ……彼女が前線に出るなど)


 再三の同志指揮官(ボグダン)への意見具申も、しかしシャーロット本人の意向により覆された。彼女はどうあってもミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフへ復讐したいと考えており、今回の血盟旅団に対する大規模攻勢はそれが叶う絶好の機会であったためだ。


(同志シャーロット、シャーロット!)


 頭の中で、彼女を呼ぶ。


 後期生産型のホムンクルスのみが構築できる、ホムンクルスによる個体間ネットワーク。通信機器や言語を用いぬ、思考で繋がる意思疎通の手段。


 それに返答したのは、すっかり感情が昂り殺意を剥き出しにしたシャーロットの、さながら獣の如き声だった。


《邪魔を……邪魔をしないでくれないか、シェリル!》


(落ち着いてください、同志シャーロット。貴女は組織に必要な存在、こんなところで万が一の事があっては……!)


《万が一なんて無いさ! 勝つのはボクだ!!》


 くっ、とシェリルは唇を噛み締める。


 ホムンクルスの原型となったキメラという種族は、魔物の遺伝子を併せ持つが故に本能的に戦いを求める傾向がある。シェリルがクラリスを超えるべき敵として認識し、全力を尽くして戦う事にちょっとした楽しみを見出しているのもその本能故のことだ。


 しかし今、シャーロットのそれが悪い方向へと転じてしまっている。


 シェリルであればまだ良い、万一戦闘で()()するような事があっても替えは利く(スペアはある)し、最悪の場合はハイエンドモデルの戦闘人形オートマタの集中投入で穴埋めは出来る。


 だがしかし、シャーロットは特別だ。兵器の設計や改良、未知の技術の解析に軍事転用といった事は、彼女にしかできない。彼女の喪失は痛手でしかないというのに、今の感情と本能に振り回されている彼女はそのリスクを全く考えていないのだ。


「よそ見している場合ではありませんわよ!」


「!!」


 自らの内に意識を向けていたことが仇となった。


 気が付いた頃には、既にクラリスが跳躍して迫っていたのだ―――その女性としてはがっちりとした腕で、貨物用コンテナを抱えて。


 錆び付き、塗装もすっかり剥げ落ちたそれを投擲するクラリス。風を切りながら迫ってくる貨物用コンテナをジャンプして回避するシェリルではあったが、そこで彼女はそれがクラリスの思うつぼであったことを悟る。


 空中であるが故に身動きが取れない―――だから、床にめり込んだ貨物用コンテナを足場に二度目の跳躍を行ったクラリスの追撃を、避ける手立てがない。


「!」


 被弾覚悟で外殻を急速展開したのと、跳躍する勢いを乗せたクラリスのボディブローが鳩尾みぞおちへとめり込んだのは同時だった。


 ドゴンッ、と人体を殴って発する音とは思えない鈍い音。まるで巨人に殴打されたかの如き衝撃がシェリルの華奢な腹を駆け抜け、筋肉を、内臓を、そして背骨を盛大に揺るがしていく。


 肋骨が軋み、その内の何本かが衝撃に耐えかねて亀裂を生じる―――背中を操車場の天井に打ち付け、バウンドする身体を天井のクレーンのフックを掴んで止めたところで、彼女の脳へとその激痛が駆け上がってきた。


 顔をしかめつつホルスターからPL-15を引き抜き、左手でクラリスへ牽制射撃。彼女の追撃を断念させたところで足を振ってフックから手を放し、空中で回転しながら操車場で放置されている機関車の陰へと飛び込んだ。


 もう少しクラリスとの戦いを楽しんでいたい、というのがシェリルの本音ではあった。


 しかし―――シャーロットがあの状態では、放置はできない。


(シャーロット、援護に向かいます)


《無用だ! 邪魔したらボクはキミを一生恨む》


(組織のため、祖国のためです。恨んで結構!)


 ポーチから手榴弾を取り出し、追撃してくるであろうクラリスのいる方向へ投擲。背後で炸裂音を響かせる手榴弾に押し出されるように、シェリルは操車場の窓をぶち割って外へと飛び出した。


 とにかく、今シャーロットを失うわけにはいかない。


 そうなる前に―――ミカエルを殺す。


















 左の手のひらに集束した蒼い光が、さながら光線のように解き放たれる。


 世界が違うので当然の事だが、こちらの世界とテンプル騎士団本部のある世界では魔術の方式も異なるこちらの世界では信仰心や生まれつきの適正、そしてどの宗派を信仰するかで魔術に大きな差が出るが、彼女たちホムンクルス兵にそのようなものはない。


 後期生産型となり性能も安定した彼女たちであれば、そのような心配もせずに強力な魔術を連発できるのだ。


 残った左手でもはやレーザーやビームにしか見えない程の弾速でファイアーボールを放つシャーロット。しかしその蒼い熱線の先にミカエルの小さな姿はなく、熱線は線路の上に放置されていた貨物車両を融解、大きな風穴と赤々と燻るリングを生み出すばかりだった。


 ならば、と気配を察知した方向へファイアーボールを放つシャーロットだが、しかし熱線を放つ頃には既にミカエルは瞬間移動の如き速度で右へと移動しており、熱線は周囲の空気をプラズマ化させながら虚しく何もない空間を通過、そのまま夜空にかかる雲に風穴を穿ち、ノヴォシアの星空へと消えていった。


「何故だ」


 これは何かの間違いだ―――相手の動きをよく見ていれば、対処は十分に可能である。


 そう思っていたシャーロットだが、しかしそれが誤りである事をすぐに悟った。


 動きを見ていれば対処は出来る―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 理論だけは自身で確立し、しかし触媒を喪失していたが故に実践できず理屈止まりだった、ミカエルの見出した創作魔術『雷歩ライホ』。複数の磁界を生じその反発を利用して任意の方向へと高速移動する、さながら”人力リニアカタパルト”とも言うべきその急加速に翻弄され、シャーロットは先ほどから一度もミカエルに攻撃を当てられていない……いや、磁力防壁すら使わせられていない。


(速過ぎる―――!)


 ホムンクルス兵の動体視力を―――しかもハイエンドモデルの義眼を脳に直結、更に脳に情報処理装置を埋め込み処理速度を向上させたシャーロットを以てしても、ミカエルの磁界を用いた超加速は追えていない。


 ごう、と空気を切る音。


 いつの間に投げ放ったのか、足元にあった線路のレールが宙に浮かぶや、それが槍投げの如くシャーロット目掛けて一直線に飛翔してきたのである。


 ミカエルにとって、磁力に反応する金属類は友達のようなものだ。


 自在に宙に浮かせ、加速させ、減速させ……場合によっては電気を流し、その抵抗熱で融解、好きな形に空中で姿を変えさせる事が出来る。雷属性という属性を持って生まれたが故のアドバンテージは、この車両基地で遺憾なく発揮されていた。


 確かにシャーロットは強力なホムンクルス兵であろう。あらゆる技術を開発、洗練させてきたその頭脳もさることながら、自身の技術力を用いて生み出した戦闘用の機械の肉体は後発のホムンクルス兵に勝るとも劣らぬスペックを誇っている。


 だが、しかし。


 彼女に敗因があるとすれば、それは2つだ。


 1つはミカエルに、新たな触媒を手にする時間を与えてしまった事。


 そしてもう1つは―――万全の状態のミカエルを、車両基地という金属が散らばるエリアで相手にしてしまった事だ。


 今のシャーロットは無数の軍勢に包囲されているも同然なのだ。


 しかし彼女もホムンクルス兵の端くれ、反射速度は常人のそれを上回る。


 反射的に身を捩り、投擲されたレールを回避。チッ、と左の頬を掠め、じわりと紅い血が溢れ出す。


 もし今の一撃を避け損なっていれば、顔面からレールに貫かれ無残な死を遂げていたであろう。眼前まで迫り、しかし後方へと流れていった死の恐怖に背中に冷たいものを感じるシャーロットだが、しかしそれだけで終わりではない。


「……嘘」


 車両基地に放置されていた大型の蒸気機関車(SL)が、錆びた表面の金属片を剥がされながらもゆっくりと浮上して―――空中でぐるぐると回転しながら、シャーロット目掛けて突っ込んできたのである。


 磁力魔術といえど、浮遊させる物体の重量によって消費する魔力量には大きな変化が生じる。軽いものであれば少量で済み、重量物であれば莫大な消費量となる、といった具合にだ。


 大型の、それこそ重量200tを優に超えるレベルの機関車を磁力で持ち上げるなど―――ミカエルにとっては多大な負担であろう。


 だというのに、その後方で左手を頭上に掲げ、浮遊させた機関車のコントロールをしているミカエルに苦しそうな様子は全くない。


(これが……これが適正Cの魔術師なのか……!?)


 彼女は知らぬ事であった。


 魔力損失0%を誇る賢者の石をインナー及びコアとし、その周囲をゾンビズメイというエンシェントドラゴンの素材で覆った新たな触媒は、魔力の増幅装置として―――そしてその魔力を一片たりとも無駄にはしない最高の効率で、ミカエルを支えていた。


 元々ミカエルが効率的な魔力の運用方法を模索していた事もあって、その魔力消費は中級魔術を発動した程度に抑えられていたのである。


 ゴウッ、と大気がいた。


 空気を引き裂き、食い破りながら、錆だらけの蒸気機関車が投擲される。


 重量約210tにも及ぶそれは、無造作に投擲されるだけでも多大な損害をもたらす質量弾と言えるだろう。しかしそれはミカエルの魔力により形成された磁界の反発を受けて放たれたものだから、ホムンクルス兵が腕力を用いて投擲するそれとはわけが違った。


 ヒュゴッ、と迫る大型機関車。


 しかし―――シャーロットもここで意地を見せた。


 姿勢を低くして、むしろ前へと走ったのだ。


 戦闘での酷使を受け、両足の人工筋肉や人工骨格、魔力モーターを始めとする義足の駆動系が悲鳴を上げる。想定を超えた負荷がかかっている事を彼女の視界に投影するが、しかしシャーロットはお構いなしに全力疾走を続けた。踏み締めた足元のレールが大きくへこむ。


 頭上のすぐ近く、ゾッとするほどの距離を、ミカエルによって投擲された蒸気機関車が通過していった。それは大砲の砲弾のような速度で、ホムンクルス兵でも直撃すれば圧死は免れないであろう。


 しかし、これであの一撃は不発に終わった。魔力の放出直後で消耗している今ならば、と隙を突こうとするシャーロットの思考に、だがしかしミカエルの思考が流れ込む。


【いいのか? 次は後ろから来るぞ】


「ッ!?」


 今のは何かの布石か、と彼女はぎょっとしながら後ろを振り向いた。


 ()()()()()()()()()


「しまっ―――」


「―――ばーか♪」


 緊張で張りつめていたからこそ、騙された。


 背後には何もなく―――眼前には、雷歩ライホで加速したミカエルと、その右手に携えられた剣槍の穂先が迫っていたのである。


 しかもそれは、シャーロットの首を着実に跳ねるコースで―――!


 ガッ、と穂先が突き出された。


 だが、それが穿ったのはシャーロットの首でも、その柔肌でもない。


「!」


 今の一撃で殺すつもりだったミカエルは目を見開いた。


 剣槍の穂先は、しかしシャーロットに受け止められていた。


 死を目前にしたからこそ、ホムンクルスとしての―――キメラとしての本能が発露したのであろう。


 突き放った穂先は、大きく鋭く変異した、シャーロットの口から生える牙で上下からがっちりと咥え込まれ、ギリギリのところで止められていたのである。


 止めてやったぞ、と意地を見せるシャーロットの目に、ミカエルは微かに口元に笑みを作った。


(そうか……これが、強敵との戦いか)


 久しく忘れていた。


 転生前―――空手を習っていた頃、倉木仁志という少年には同格の相手がいなかった。誰も彼もが年上ばかりで、常に格上との稽古をしてきた彼が全力を動員しての死闘に楽しみを見出すようになったのはいつだったか。


 拳ではなく武器で、道場ではなく異世界の戦場で、思い出したあの時の感覚。


 多くの強者がそうであったように、ミカエルもやっとそこに至った―――新たな世界の入り口に、彼女はついに至ったのである。


 手元のスイッチを弾いた。


 ガギンッ、と柄の伸縮機構が作動して、大槍のようだった形態の剣槍が縮み大剣のようなサイズになる。


 間合いが縮むと同時に、ミカエルの左手に蒼く輝く電撃の槍が形成された。


「―――!」


 雷属性魔術『雷撃ライゲキ』。


 本来は手のひらに展開した雷の槍を投げ放つ魔術であるが、適正に恵まれぬミカエルはそれを相手に直接叩き込む事を選んだ。


 その方が、着実に相手を仕留められるから。


 そんな一撃をゼロ距離で受けられるものか、と左手を伸ばしマカロフ拳銃を構えるシャーロットだが、しかしそれは真下から蹴り上げられたミカエルの右脚に阻まれる。


 もう、防ぐ手段はない。


「―――ありがとう」


 これから殺す相手に、ミカエルは穏やかな声で礼を言った。


 いい経験が出来た。


 お前のやった事は決して許せないけれど。


 戦ってくれて、ありがとう―――。









 その背後に、迫る蒼い影。


 手には黒く、艶の無いマチェットがあった。


「その人は―――やらせはしない!」





 クラリスとの戦いを中断、シャーロットの救援に動いたシェリルだった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] パヴェル謹製の触媒が図抜けて高性能というのもあるんでしょうが、それを完全に使いこなすミカエルくんが手に負えないくらい強くなりましたね…彼にとって周りの磁力を帯びた金属は、全て飛び道具なり何…
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