黒い針
「―――」
呼吸を止めた。
吸って、吐いて、また新鮮な酸素を肺いっぱいに吸い込んで―――あらゆる生命が当たり前のように繰り返すサイクルを、私は一時的に放棄する。
生物の在り方から逸脱しようとしている私へのペナルティなのか、肺が締め付けられるように苦しくなる。けれども今は、それで良かった。息を吸って吐く、そんなサイクルの際に生じる己の身体の微かな揺れすら、今の私にとっては障害だったから。
引き金を引いた。
シュカッ、とサプレッサーで減速させられた7.62×54R弾の風変わりな銃声が、けれどもストック越しに確かな反動を残して真っ直ぐに駆け抜けていく。
狙うは列車を襲撃するテンプル騎士団の黒騎士―――おそらくは連中の戦闘人形。
こちらの世界の戦闘人形と比較すると性能に優れるその側頭部に、ガァンッ、という金属音と共に風穴が穿たれたのはその直後だった。頭を大きく揺らし、撃ち抜かれた部位からまるで安っぽい塗料のような質感の、半透明の人工血液を吹き上げて、列車のドアガンで応戦するモニカへと銃撃を集中させていたRPK-16装備の戦闘人形が機能を停止、崩れ落ちていく。
《サンキューカーチャ!》
「お礼は一杯のブラックコーヒーで」
倒れた戦闘人形は瞬く間に漆黒の装甲表面に錆色の斑点を出現させると、その斑点はあっという間に全身へと広がっていった。
メタルイーター、と呼ばれる微生物の作用。その名の通り、金属を捕食して錆びた金属粉に変えてしまう微生物たちが、不活化された状態であの機体に内蔵されているのだ。そしてそれは機体の機能停止を検出すると直ちに活性化、爆発的に増殖して機能を停止した戦闘人形を喰い尽くし、証拠の隠滅を図る。
ああすることで自分たちの関与した証拠を消す事が出来るし、技術が外部に流出する事を防ぐのだ。
おかげでテンプル騎士団の情報を集めるのは本当に苦労する……実体のない都市伝説を追いかけているようなもので、毎日が苦労の連続だった。無数の一見すると関係なさそうな情報を1つ1つ精査して、関連の在りそうな情報をピックアップして他の情報との関連を検証、何時間も何日も、時間とお金をかけてそういった情報を収集していた苦労、その恨みを弾丸に乗せ、私は2体目の黒騎士をドラグノフ狙撃銃で射抜く。
分隊支援火器を撃ちまくっていた黒騎士が倒れたところで、連中も狙撃手への対処を優先するべきという結論に至ったらしい。モニカを集中的に狙っていた銃撃がこちらを向くや、私が隠れていた車両倉庫の壁面に無数の5.45mm弾が飛来。パチンパチンと枯れ枝を踏み折るような甲高い音のシンフォニーを奏でる。
ちょっと欲張りすぎたかな、と思いながら床を転がり、そのまま匍匐異動で貨車の下を潜り位置を移動。少し体を起こして転車台の上を通過、その向こうに放置されていた貨車の上から再度狙撃を試みる。
テンプル騎士団の奇襲には驚かされたけど、全体的に見て奇襲の衝撃はかなり薄れている事が窺い知れた。
聴こえてきた通信内容を総合するに、敵戦力の中核はこの黒騎士と2体のホムンクルス兵―――そして連中の最高戦力であろう2体のホムンクルス兵はというと……。
ズズン、と重々しい音を立てながら、操車場の方にある倉庫の傍らで、あろう事か貨物車両が宙を舞った。まるで投石器から放たれた巨岩よろしく宙を舞うや、バックジャンプで回避したホムンクルス兵の傍らに落下。そのまま何かのモニュメントの如く地面にぶっ刺さる。
「……」
正直、ちょっと引いた。
一番ヤバいホムンクルス兵2名は、向こうでクラリスとミカの2人が引きつけてくれている。だからこっちはこうして動きの単調(とはいえ訓練を受けたベテラン兵士くらいの技量はあるから油断ならない)な黒騎士の相手をするだけで済んでいるんだけど……。
私、あんなのに殴られたんだ……。
ミカと初めて出会い、そしてミカの暗殺をクラリスにワンパンで止められたあの時の事を思い出す。もちろんクラリスも本気ではなかっただろうけど、改めて目の前でクラリスの本気を見せつけられるとなんだかこう、力の差を思い知らされる。
ヤバいわねぇ、なんて他人事のように考えながら呼吸を止め、意識を狙撃に集中
―――させる寸前に、ライフルを投げ捨てながら右へと飛び退いた。
「!」
ドンッ、と何かが私の手放したドラグノフ諸共、コンクリートの床を思い切り踏み抜いた。
足だ。人間の足がある。
相手の正体を把握するよりも先に、ホルスターに仕込んでいたPL-15を引き抜いた。そのまま引き金を引き、マズルガード付きの銃口から9×19mm弾を相手に至近距離で浴びせかける。
必中の間合いだった。外すはずがない。
けれども弾丸を撃ち込まれた相手は、平然と立っていた。
弾丸が跳弾するような音を高らかに響かせて、爬虫類のような瞳でこちらを見つめながら、獣のようにギザギザした牙を見せつけている。
「まさか―――」
―――3体目のホムンクルス兵!?
間違いない、目の前に現れたその兵士は確かに、テンプル騎士団のホムンクルス兵としての身体的特徴を多く備えていた。
海原のように蒼い髪と、頭髪から伸びるブレード状の角。爬虫類のような形状の瞳は血で染め上げたかのように紅くて、腰の後ろからは蒼い鱗で覆われた尻尾が伸び、まるで獲物を狙う大蛇の如くゆらゆらと揺らめいている。
身に纏う黒い軍服には、赤を背景に鎌と金槌が交差して、その周囲に星を散りばめたようなエンブレムがある―――テンプル騎士団のエンブレムだった。
「へえ、今の避けるんだ」
そう呟くなり、そのホムンクルス兵は両手を外殻で覆って硬化させた。
パキパキ、と薄氷に亀裂が生じていくような音を立てながら、真っ白な肌が蒼い外殻に覆われていく。指先には鋭い爪があった。
「―――面白いじゃん」
「!」
姿勢を低くして、真正面から突っ込んでくるホムンクルス兵。
その瞬発力と身体のバネは、人間のそれではなかった。まるでカタパルトから撃ち出されたかのような速度で瞬間的にトップスピードへと到達、一気呵成に攻め込んでくる。
肉食獣が可愛く思えるほどの超加速に、反撃する暇すらなかった。
右へと転がり込むように回避。ビッ、と左肩に鋭い痛みが走る。
完全に回避する事は出来なかった―――左肩が浅く裂け、そこから紅い血が溢れ出ているのが見える。けれどもまだ、ギリギリ掠り傷の範疇だった。回避がもう少し遅れていたら、今頃はあの腕力だけで身体をズタズタにされていただろうから。
全く、化け物よねホムンクルス兵って。
こんなのが量産されているなんて……!
PL-15を撃ちながら後方へと後退、とにかく距離を取る。
狙撃手にとって敵兵との遭遇はすなわち死を意味する。近距離用のバックアップ装備も携行しているけれど、狙撃手の優位性は敵の射程外から一方的に狙撃する事であって、真っ向からの撃ち合いは想定していないし可能な限り回避するべき事だった。
しかも相手は、よりにもよってテンプル騎士団のホムンクルス兵―――銃を使わず肉弾戦を挑んできたところを見るに、近接戦を得意とするタイプ。
弾丸は蒼い外殻に命中こそしていたけれど、そこで弾かれてしまう。
ホムンクルス兵の外殻は戦車並み―――打ち破るならば対戦車ミサイルか、戦車砲のような重火器が必須となる。それも、肉食獣以上のスピードで走り回る人間サイズの標的にぶち当てなければならないのだから、ホムンクルス兵を撃破するハードルは相当高い。
「無駄無駄ァ!」
弾丸を避けようともせず、そのホムンクルス兵は三日月のような口を歪めて笑った。
「何発撃っても、お前にアタシは殺せないよ」
「……そう」
なら、試してみる?
息を吐き、マガジン内の残弾を頭の中でカウント―――その最後の一発の狙いを定め、引き金を引いた。
撃針が9×19mm弾の雷管を殴打して、短い薬莢の中で眠る装薬を目覚めさせる。一気に燃焼したそれは猛烈なガスで弾丸を押し出すや、後退したスライドから火薬の臭いを纏った薬莢が躍り出る。
そして発射された弾丸はホムンクルス兵の外殻―――ではなくて。
―――銃で自分は殺せない、と高を括るホムンクルス兵の眼球、その左目を撃ち抜いた。
「―――ア゛!!」
濁った悲鳴。
予想外の被弾に、彼女の顔の表情は暴走していた。ありえない、という驚愕がベースになっているようだけど、痛みに苛まれる苦悶の表情がそこにじわりと広がって、うっすらとちらつく憤怒がアクセントを加える。
まあ、相手を舐めるような奴にはお似合いの顔ね。
「あ゛あああああっ……目っ、目っ! あたしの目ェ……っ!!」
「メーメーうるさいわね。あなた羊さん?」
「このアマぁっ!!」
血まみれの片目を庇いながら、再び正面から突っ込んでくるホムンクルス兵。
やっと本気になったのか、その右手にはナイフがあった。刀身は黒塗りで艶は無く、まるで悪の刀鍛冶職人が闇を材料に鍛えたかのよう。
けれど怒りを剥き出しにした分、彼女は視野が狭まったみたい。
再び右へと飛んだ。
健在な右目が、回避した私の姿を追う。そのまま突進の勢いを乗せてナイフを突き出してくるけれど、はっきり言ってそれは素人同然の動きだった。
怒りと痛みによる同様で余裕がないうえに、今の彼女は隻眼。人間は両目から得られる視界で距離感を図っているのだけれど、それが片目のみとなると正確な距離感が掴み辛くなる上に視野も狭くなり、死角が増える。
ナイフは私の遥か左を、けれども恐ろしいほどの風を切る音を立てて突き抜けていった。ボッ、という空気の断末魔に肝が冷える。
回避と同時に、両手の中指にはめた【黒い指輪】―――その内側にある小さなスイッチを弾く。
音すら立てず、”それ”は指輪の中から姿を現した。
黒く、小さく、細い”針”だった。
ミシンの針ほどの大きさのそれ。指輪に折り畳んだ状態で仕込まれていたそれが展開するや、そこから更に伸びて―――血のように紅い針の先端部を露出させる。
まったく、パヴェルは恐ろしいものを私にくれた。
私、魔術の適正はないって言ってたのに……『だったら武器でも作ってやる』ですって。
で、それで用意してもらったのがこの仕込み指輪―――中には黒く、先端部の紅い針が仕込んである。
ゾンビズメイの素材と賢者の石を使い、パヴェルが拡大鏡を使ってピンセットで組み立てた精巧なそれを、私は容赦なくホムンクルス兵の胸元―――心臓へと、思い切り突き立てる。
握った拳、その先端から伸びる針がホムンクルス兵の身体へ突き刺さった手応えはあった。
「この!」
「ッ!!」
振り払われた腕に吹き飛ばされ、地面へと叩きつけられる。背骨が悲鳴をあげ、身体中の骨が軋んだ。衝撃という見えざる矛に貫かれ、ありとあらゆる内臓が痛覚という形でその苦悶を私に伝えてくる。
息を吸いたくても吸えない―――痛みに加えて一時的な呼吸困難まで牙を剥き、いよいよ万事休す。
拙いわね、とは思ったけれど、敗北を確信したわけではなかった。
だって、勝負はもうついたから。
「……?」
異変を感じ取ったのは、ホムンクルス兵の方だった。
鋭い爪の生えた、外殻に覆われた腕。その指先が痙攣を始めたかと思いきや、まるで貧血にでもなったかのようにふらつき、足をもつれさせてそのまま地面に崩れ落ちる。
「!?」
何とか必死に立ち上がろうとするホムンクルス兵。けれどもあの超人的な身体能力を誇った身体は、もう既に彼女の命令を聞き入れられる状態ではない。
踏ん張る足にも、地面についた腕にも力が入らず、ホムンクルス兵は目を見開きながらこちらを見上げてきた。
やがて苦しそうな呻き声を上げ始めるホムンクルス。彼女の苦しむ声と嘔吐する音を聴きながら、私は指輪から伸びた針を収納する。
もちろんこれはただの針などではない。
ゾンビズメイの鱗を丸めて円錐状に伸ばし、その先端部に賢者の石を限界まで細く、小さく加工し研ぎ澄ました針。そこに塗布されているのは恐るべき毒ガス―――『ノビチョク』、その原液。
一突きするだけで標的を確実に死に至らしめる針―――それはもはや、暗器の類だった。
まあ、あながち無用の長物でもない。私の血盟旅団での役割は狙撃と、平時では諜報活動。今後は潜入だとか先行偵察だとか、場合によっては要人の暗殺もしなければならない事があるかもしれない。きっとこの仕込み針は、その時に役立つはずだ。
パヴェル曰く『ゾンビズメイの鱗はあらゆる毒物と親和性が高い』とのこと。その中で私が選び、テンプル騎士団との戦闘で役に立つだろうなと思って針に塗っておいた毒物がこのノビチョクの原液だった。
口からよだれと胃液の混じった液体を垂れ流し、目を見開いて、筋肉の硬直でまともに機能しなくなった身体を痙攣させながらもがくホムンクルス兵。どうやらノビチョクは、ホムンクルス兵に対しても致命的な殺傷力を誇るみたい。
なるほど、良いデータが取れたわ。パヴェルが喜びそうね。
「おしゃべりは趣味じゃないけど、言っておくわ」
泡を吹き、目を見開いて段々と動かなくなっていくホムンクルス兵に背を向け、私は告げた。
彼女の敗因を。
「―――相手を舐めたのが貴女の敗因よ。覚えておく事ね」
カーチャの仕込み針
ゾンビズメイの素材と賢者の石を使い、パヴェルがカーチャのために用意した武器(というか暗器)。普段は指輪に擬態した状態で収納されており、内側の小さなスイッチを操作する事で針を展開、伸縮させる。針のサイズはミシン針程度で、先端部からは賢者の石で作られている。拡大鏡を使いながらピンセットで製作したらしい。
ゾンビズメイの素材はあらゆる毒物を受容、その毒性を損なわず保存し増幅する特性がある事に着目し、使用する際は主に毒物を塗布して使用する(今回カーチャはノビチョクの原液を使用)。




