月下来襲
ブレーキ音を高らかに響かせながら、列車がゆっくりと停車した。
砲塔内で立ち上がり、頭上にそのまま残された砲手用ハッチを開けて身を乗り出す。防盾とセットになったMG3汎用機関銃の向こうに聳え立つのは、すっかり錆び付き風化してボロボロになった建物の壁だ。窓はいたるところが割れていて、それがヒトの手による管理を離れて久しい事を覗わせる。
周囲には他にも複数のレールがあって、それらの上には打ち捨てられ、同じく錆び付いた無数の貨物車両や機関車がそのまま放置されていた。
ここはモスコヴァと、”ミジミ・ノーゴロド”の中間に位置する廃線となった線路―――その最中に存在する車両基地だ。今ではこちらの旧路線が丸ごと廃止、アラル山脈にトンネルを掘って完成した新路線が使用されるようになってからは放棄されている。その道中にある車両基地も同様で、使い道のない旧式の車両もそのまま放置されている。
隠れ蓑にも、そして機関車を更新する場所としてもうってつけだった。
《各員警戒態勢を維持、B装備で待機》
B装備―――通常装備だ。アサルトライフルにハンドガン、それから予備のマガジンと手榴弾をキャパシティの許す限り携行して待機せよ、というパヴェルからの指示に従い、同じように後ろの砲塔から顔を出しているカーチャに「先に武器取って来なよ」と視線で合図を送る。
コンコン、と下から音が聞こえてきたので、砲塔の中に引っ込んだ。そのままタラップに手をかけて一気に滑り降り、戦闘室のハッチのロックを内側から解除する。
分厚い防爆ハッチ(砲塔が被弾した際に爆風が車内に逃げ込まないよう防爆仕様となっている)の向こうに立っていたのは、完全武装のシスター・イルゼだった。メインアームとなるAPC9K(マガジンは拡張したグロック用のものだ)に6つのマガジン、回復アイテム各種とサイドアームのグロック17(ブレース付きだ)を装備している。
彼女は基本的にメディックとしての役割を担当するので、武装は嵩張らないサイズで、尚且つ自衛戦闘に十分な射程・威力・弾数を有しているものを選ぶ傾向にある。APC9Kはその中でも最良の選択と言っていいかもしれない。
「ミカエルさん、砲手代わりますよ」
「ああ、ゴメンありがとう」
いえいえ、と言いながら笑みを浮かべるシスター・イルゼ。それは良いのだが、こんな時だというのに視線がね、揺れるOPPAIに向いてしまうのホント童貞って感じがしてもう嫌になる。何だよIカップってクラリス以上じゃねえか。
ぶるんっ、と揺れるOPPAIという素敵なものを見せてもらいながら彼女に砲手をお願いし、ぶんぶん首を横に振ってから武器庫へと向かった。一足先に武器を用意していたカーチャとすれ違い、武器庫のロッカーの中からAK-19とグロック17Lを取り出し、それぞれ予備のマガジンと手榴弾、それから自作したナイフを近接武器として装備して武器庫を後にする。
機関車の方では、パヴェルとルカ、それからノンナの3人がツナギ姿でボイラーの停止操作を行っているところだった。
そう、AA20の役割はここまでだ。
パヴェルが自作し、ボリストポリの廃棄された車両基地からここまで爆走してくれたAA20。試作車両が1両のみ製造され、正式採用される事の無かった悲運の蒸気機関車がこれだけの長距離を爆走して、数多の戦いを共に潜り抜けてくれたのだ。もちろんパヴェルのメンテナンスの成果もあったのだろうが、前世の世界では試作車両のみだった蒸気機関車が異世界の線路をここまで走りまくり、長距離を移動したのは偉業と言っていいだろう。
客車から降り、機関車の方へと歩いた。
連なる動輪はさっきの急ブレーキの影響か擦り減っており、それ以外にも足回りは随分と酷使されているようだった。パヴェルのメンテナンスでも追い付かない程の疲労は、着実に溜まっていたのだろう。
このまま無理をさせ続けていれば、いつ壊れるかも分からない。これからテンプル騎士団や帝国との戦いが激化していくであろう中で、そんな不安材料を抱えたまま戦えるほど俺たちに余裕はない。
機関車の前に出た。
警戒車を前方に連結した機関車は薄汚れており、正面にある煙室扉のプレートは削り取られていた。先ほどのテンプル騎士団の戦車小隊との戦闘で、砲弾の一発がここを掠めたのだろう。
運のいい機関車だ。まるで俺みたいに。
「……ありがとな、今まで」
ここまで連れてきてくれた機関車に、小さく別れを告げた。
別に俺は機械を人に見立てたりとか、銃を”相棒”だなんて呼ぶ趣味はない。機械は機械、道具は道具、そう割り切っているつもりだ。
けれどもなんだろうな……長かったからなのだろうか、愛着が湧いていたのだ。
ボイラー停止操作を受け、機能を停止したAA20。運転席から降りてきたパヴェルが隣に立って、すぐ隣にある何もない線路に向かってスマホのような端末を取り出す。
俺はメニュー画面を呼び出して武器や兵器を召喚するのだが、パヴェルの場合はあのスマホみたいな携帯端末を使って武器や兵器を召喚する方式らしい。どういう原理なのかは分からないが、本人曰く『俺は古い世代の転生者だ』との事だが、転生者に旧世代とか新世代とかあるのだろうか?
そうこうしているうちに、パヴェルはスマホを素早くタップして、メニューの中から車両を召喚した。
何もない線路の上、そこに何の前触れもなく姿を現したのはAA20よりも幾分か小ぶりで、しかし日本の鉄道の基準で言うと十分すぎるほど大きく武骨な、まさに『パワー』という単語を具現化したような機関車だった。
傍から見れば、戦車や装甲車のような威圧感がある。運転室は前方にあり、後ろから見ると頭上に傘のようなパーツが乗っている。おそらくは冷却装置の類なのだろう。
ディーゼル機関車だ。
「コイツは?」
「……【AC6000CW】。アメリカの誇る世界最大のディーゼル機関車だ」
アメリカ製のディーゼル機関車―――ソ連の蒸気機関車の次はアメリカのディーゼル機関車か。共産主義国家と資本主義国家、イデオロギー的な温度差が凄すぎてヒートショックを起こしそうだ。
何を思ったか、パヴェルはそれと同じ機関車をもう1両召喚した。重連運転で運用するつもりなのかと思ったが、しかしよく見ると召喚された2両目のAC6000CWは後ろ向きだ。重連運転なら同じ向きで連結するものではないかと思ったが……。
「なんで背中合わせなんだ?」
「後ろのは後進用だ。それに、こうすればいちいち機関車を転車台に乗せる手間が省けるだろ?」
「あー……そういう」
なるほど、そういう事か。
今の電車は戦闘車両と最後尾の車両に運転席を設けており、方向転換しなくてもそのまま逆方向へ進む事ができるようになっている。新幹線とか、特急とか、普通の電車がそうだ。
しかし蒸気機関車はそういう構造になっておらず、逆方向へ進むためには後進するか、転車台と呼ばれる設備に乗せて方向転換させてから再度客車に連結させる必要がある。しかも転車台のサイズが機関車より大きくなければならず、いくら馬力のある大型機関車でも転車台のサイズ次第では運用に制約を受ける……という事も珍しくないのだ(実際AA20もソ連の通常サイズの転車台に乗せるのが困難だったらしい)。
しかしああやって前後にディーゼル機関車を連結すれば、十分な馬力を確保できるし、逆方向へ進みたくなった場合は今度は複線の線路を使って列車の最後尾まで移動させ連結する事で、いちいち転車台に乗せて方向転換する手間を省ける。
なかなか考えたな、と思ったが、しかし。
「……幅、足りてなくね?」
足元を見た俺は思わずつぶやいた。
レールの幅が大き過ぎ、せっかく召喚したAC6000CWの車輪の幅が足りていないのだ。ノヴォシアやイライナ鉄道の線路の規格は、どうやらアメリカの誇る世界最大のディーゼル機関車よりも大きいらしい。
まあAA20に匹敵するサイズの蒸気機関車がうようよいる魔境なので仕方のない事だが……。
「魔改造するわ」
「どんくらいかかる?」
「1日くれ」
「1日でやるのか?」
「俺は不可能を可能にする男なんでね」
まあ任せな、と俺の肩を叩き、パヴェルは機甲鎧の格納庫の方へと歩いていった。作業用の4号機を使ってその魔改造とやらをするつもりなのだろうが……いったいどんな形に魔改造されるのだろうか。どう間違ってもただ車体サイズを線路の規格に合わせるだけで終わりそうにないのだが……。
「パヴェル」
「んぁ」
「……焦らず急いで正確にな」
返事はせず、ぐっ、と左手を頭上に掲げて歩いていくパヴェル。言葉では語らず背中で語る、そんな男に俺もなりたいものだ。
さて、その間俺たちは警戒任務にあたる必要が出てくる。
機関車が無く、移動すらままならない俺たちの列車。こんな絶好のチャンスを帝国とテンプル騎士団が黙って見ているはずもない。必ず何か手を打ってくるはずだ……それにさっきの戦車部隊との戦闘だって、一個小隊の中で撃破に成功した戦車は僅か1両のみ。まだ3両が健在で、そいつらが俺たちを追ってくる可能性だって十分にあり得る。
先頭の警戒車に乗り込んだ。運転席には既にクラリスが座っており、俺が乗ってきたのを見るやニコニコしながらエンジンをかけた。
「アレが新しい機関車ですの?」
「らしい。ただ車体と線路の幅が合ってないから、規格に合わせるために魔改造するって……1日で」
「1日で」
どう考えても1日じゃ終わらないと思うんですが……ま、まあ、そこはパヴェルの謎技術に期待するとしよう。
出発します、と報告するクラリス。返事を返しながら戦闘室へと入り、警戒車にも搭載されている120mm滑腔砲搭載のヤタハーン砲塔へと乗り込んだ。
計器類をチェック、頭上のパネルにあるスイッチを弾いて武器システムを立ち上げ、それらがバグを起こさず順調に機能している事を確認―――オールグリーン。
身を乗り出し、頭上のハッチを開いた。
警戒車は他の車両とは違い、貨物車両をベースに戦闘室を設ける形で設計された改造車両となっている。オプロート用のパワーパックを転用しており自走可能なので、場合によっては列車から分離し先行偵察などの単独行動を取る事も出来る。
また車体後部には機甲鎧1機を収納可能な格納庫と、乗員用の居住区画も設けられており、長期の作戦行動にも耐えられるよう食料品なども備蓄してある。まあ、それらは使わないで済む事が何よりなのだが。
武装は戦闘室の上部に搭載されたヤタハーン砲塔。こちらも仕組みは火砲車と同じで、砲塔上部にはブローニングM2重機関銃が備え付けてある。まあ簡単に言えば、線路の上を走る戦車のようなものだろうか。
「警戒車、分離する」
《了解》
何もない事を祈りたいが……まあ、そうはならないだろうな。
テンプル騎士団の事だ、今度こそ俺たちを消しに来るだろう。
来るなら来い……と言いたいところだが。
「……」
―――今の俺には、触媒がない。
ゾンビズメイ戦で酷使した仕込み杖は折れ、今は触媒無しだ。魔術は使えない事はないが……威力は大きく落ちる。それこそ実用的とは言えないレベルにまで、だ。
つまり今は格闘術と、装備した銃しか武器がないという事になる。
まったく、最高のタイミングだ。
いい性格してるよ、現実って奴は。
目を瞑ると、その風景が見えてくる。
森の向こう、廃棄された車両基地。そのまま放置され、朽ち果てて、自然に侵食されていくだけの廃墟が、しかし今日に限って騒がしい。
そこには列車が居た。武装した、重装備の列車が。
機関車を分離し、何やら作業中―――どうやら機関車に致命的なダメージでも受けていたのか、それともこれまでの長旅での酷使が祟ったのかは定かではないが、今まで使っていた蒸気機関車を小柄な2人の獣人が分解する隣で、三脚型の機甲鎧に乗り込み、真新しいディーゼル機関車に何やら改造を施しているようだ。
そっと目を開け、シェリルは頭の中で味方に伝えたい言葉を思い浮かべる。
(同志シャーロット、敵はあそこに)
《やっぱりそうかい》
すたんっ、と隣に何かが着地する。
シェリルと比較すると小柄で、上着のサイズが合っていないのかテンプル騎士団士官用の黒いコートはぶかぶかしており、袖に至ってはいわゆる萌え袖のようになっている。傍から見れば子供が背伸びして大人の兵隊の真似をしているようにも見えるが、しかしその前髪の下から覗く紅い眼には確かな殺意と狂気が宿っている。
ホムンクルス兵の1人、シャーロットは迸る殺意を押さえきれないかのように、狂ったような笑みを浮かべた。
「―――同志ラスプーチンからの情報通りだ。連中の機関車はだいぶガタが来ている」
「攻めるなら今、というわけですね」
パチン、と指を鳴らすシェリル。
それを合図に、彼女の背後に隠れていた複数の戦闘人形たちが一斉に光学迷彩を解除、戦闘モードへと移行した。
フード付きの戦闘コートの下、騎士の鎧を思わせるバイザーから血のように紅い光が漏れる。
「クックックッ……シェリル、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフはこのボクに譲りたまえよ」
「それは良いですが、任務の着実な遂行を第一に行動してくださいね。同志シャーロット」
「任せたまえよ。ああ、そうそう。あのクラリスはキミに譲るよ、同志シェリル」
「……」
お互い、因縁があるのだ。
シェリルには超えねばならない相手としてクラリスが。
シャーロットには尊厳を踏み躙った相手としてミカエルが。
指揮官たるボグダンからゴーサインが出た今、もう何も躊躇する事は無かった。
衝動のままに戦い、殲滅せよ―――下された命令はただそれだけだ。
「―――Дa malsёlce glegee Cradlёlia(祖国のために忠義を)」
ロシア訛りの英語を思わせる言語―――クレイデリア語でそう言い、2名のホムンクルス兵は闇を駆ける。
その背後に、黒騎士の軍勢を従えながら。




