嵐来たる
レールが切り替わった。
分岐点を左に曲がり、血盟旅団の列車『チェルノボーグ』は在来線の路線を外れて、昨年廃線になったばかりの古い線路へと入っていく。
いつぞやの廃線になった線路と比較すると、ここはまだ状態が良かった。メンテナンスされなくなってから1年、錆や軋む音は確かに気になるが、しかし今まで走る羽目になってきた廃線になった線路と比較するとまだ新しい分まともで、AA20の本気の爆走に耐えられるほどの強度は確保しているのだろう、と確信を持てる。
客車を通過して火砲車へ。車体左側にある通路から、右側にある個室のドアを開けて中に入り、ロックをかける。ドアの表面にあったプレートが『мирний час(平時)』から『У бою(戦闘配置)』へと切り替わり、ハッチの外にいる仲間に戦闘態勢に入った事を告げる。
個室の中は戦闘室になっている。内部には短いタラップがあって、その上には120mm滑腔砲の砲塔のバーベットが覗いていた。
タラップを上がり切って砲塔内に入り、頭上にあるスイッチを弾く。
列車に連結されている火砲車には、ウクライナがトルコ向けに開発した主力戦車『ヤタハーン』の砲塔が、主砲及び自動装填装置込みでそのまま移植されている。それが火砲車の前後に1基ずつ、それぞれ前後を向いた状態で背中合わせに配置されており、主砲の操作は戦車同様に砲塔内部の戦闘室で行う。
マニュアル通りに砲塔を起動、各種システムをチェックしたところで無線機のマイクに向かって報告した。
「Перша турель, готова до бою(第一砲塔、戦闘準備ヨシ)」
《第二砲塔、準備ヨシ》
ヘッドセットから、後方の砲塔を操作するカーチャの声が聞こえてきた。
列車が戦闘態勢に入った理由は言うまでもない、敵襲の気配を察知したからである。
既に俺たちはモスコヴァを離れ、当初の予定通り学術都市『ボロシビルスク』へと進路を取っている。当初の予定よりもだいぶ遠回りになってしまっているが、日程の遅れはその分スピードを出せば取り戻せる。
問題は帝室との、というより帝国との対立が鮮明になった事だ。
皇帝からすれば、今の俺たちは帝国内部を這い回る不穏分子。イライナの独立を目論み帝国に経済的な大打撃を与えんとする分離主義者であり、言うなれば敵である。
さすがに帝都内部やその郊外で狙うのは拙いと判断したからなのだろう、モスコヴァを離れるまでは何ともなかった。襲撃どころか尾行すらない。
しかし今はもうモスコヴァを遠く離れ、しばらくは小規模な村落や駅が連なる湿地帯。人気もなく、周囲に戦闘に巻き込む可能性のある民間人の居住地もないとなれば、襲撃を仕掛けるにはうってつけの場所というわけだ。
そのため戦闘態勢を維持したまま、トップスピードで一気に通過する事となったのである。
《発令所より第一、第二砲塔、初弾はHEAT-MPを装填》
「了解」
《了解》
装填装置を操作、初弾を砲身内部へと送り込む。
ヤタハーンの砲塔はそれまでのソ連系戦車とは異なり、砲塔後部へと大きく弾薬庫が突き出した形状になっている。従来の床に円形に砲弾を敷き詰める方式では、省スペース化と車高の抑制を同時に達成できていたのだが、それでは被弾した際に乗員の足元で砲弾が一斉に誘爆する事になるため、戦車兵の生存性には問題を抱えていた。
そこでウクライナは西側戦車に範をとり、砲弾を車体後部の弾薬庫に積載する事にしたのである。それにより車内の乗員が爆風で吹き飛び、「びっくり箱」などと揶揄される事はなくなり、貴重な乗員の生存性向上へ大きく寄与した形となった。
弾薬庫を砲塔後部に搭載しているため、まるで妖怪ぬらりひょんのように砲塔後部が大きく突き出ているのが、従来の東側戦車との外見上の大きな違いだ。
自動装填装置が砲弾を砲身内部へ押し込んでいく。装填された第一弾は多目的対戦車榴弾―――着弾時にメタルジェットを形成しつつある程度の装甲を貫通、更には周囲に破片やワイヤーなどを撒き散らし歩兵や軽装甲目標に対する殺傷力も持つ、実にいやらしい砲弾である。
さすがに戦車にぶちかますのには威力不足というより、貫通力不足が目立つが……こっちの世界にそんな戦車クラスの装甲目標がいるとは思えないし、戦力の主役は歩兵であろう。ならばAPFSDSではなく、軽装甲目標と歩兵に対処可能な多目的対戦車榴弾の選択は間違いではない。
パヴェルは発令所……というより、自室で指揮を執っている。彼のパソコンには列車の各ステータスがリアルタイムで反映されるアプリがインストールしてあるらしく、更には列車から小型ドローンを出撃させ周辺警戒を行うための専用パソコンまで用意(しかも全部自作!)されているので抜け目はない。あそこは寝室というよりも艦艇の発令所みたいになってるのホント草生える……アンタそんなところで寝れるのか。
いや、心は常に戦場にあるのかもしれない。彼の心が本当の意味で戦争から帰って来れる日は来るのだろうか?
《各員、次のトンネルを抜けたら右に廃村。待ち伏せに警戒の事》
ごう、と列車がトンネルに入った。
照明すら落ち、灯り一つない真っ暗闇。ここを抜ければ敵が待っているかもしれない……皇帝陛下の密命を受けた、秘密部隊とかが展開していたら泣いてしまいそうだ。
とはいえ、本当にやるつもりだろうか?
砲塔の中、ガタゴトとジョイント音が規則的に響くのを聞きながら俺は冷静になって考える。
仮にも俺はイライナで”竜殺しの英雄”と祭り上げられている冒険者だ。もし仮に不慮の事故で命を落とすような事があったら、むしろ皇帝陛下にとっては逆効果ではないか。
英雄の死は民衆を奮い立たせるものだ。それはさながら、オイルの海に投げ落とされた一片の火種。僅かな熱であろうとも瞬く間に燃え広がり、やがて誰も止められなくなる。
既に姉上には『俺が不審死したらそれは皇帝かテンプル騎士団の仕業である』という事、そして『万一俺が死んだらその死を反帝国感情を煽るプロパガンダに大々的に使ってOK』という事は伝えてある。何だか遺言みたいだが……。
実際にそうなれば、イライナの帝国離れは一気に加速するだろう。独立は一気に加速し、イライナ独立を阻止するどころか逆に早める結果になるのだ。
まあ、さすがに俺だって死にたくない。せめて大きくなったサリーの姿を見届けて、結婚して子育てもしてみたい。死ぬのはそれからにさせてほしいもんだ。
何も無ければいいのだが……そう願っている間に、トンネルを抜けた。
パヴェルの指示通りに砲塔を右旋回。ゴウン、と重々しいモーターの駆動音を響かせながら、火砲車に搭載された2門の120mm滑腔砲が右旋回し、情報通りそこに佇む廃村を睨む。
何もない……半壊した納屋や打ち捨てられた廃屋が、蔦に覆われたままそこに点在しているだけだ。かつてそこがヒトの住む場所であった名残だけが、うっすらと残っている。
「……?」
何もないな、と警戒が杞憂で済んだことを喜ぶべきか判断しかねていた俺の視界で、吐き出された息が白く濁った。
息が白くなる?
そんな馬鹿な、今は7月1日―――真夏である。今日の気温は27℃、転生前の日本と比較すれば空気も乾燥していて涼しいが、ノヴォシアではこれでも暑い方なのだ。
だというのに、息が白くなるほど気温が下がっている?
「パヴェル」
《……どうやら、想定以上の大物が来たようだ》
なるほど、そっちが来たか。
ヒュン、と何かが頭上を突き抜けた。目視は出来なかったが、明らかにそれはミサイルや砲弾の類。命中すれば分厚い複合装甲をも容易く撃ち抜いて、何十億円もする戦車を一撃で鉄屑に変化せしめる現代の最強の矛に違いない。
《撃ってきた、撃ってきた!》
《ミサイルのジャブぐらいでビビるな!》
客車の銃座で対空警戒をしていたモニカが、半ばパニックになったように叫んだ。
《各砲座、右舷廃村を警戒! 何かいるぞ》
「試しに撃ち返しても?」
《いや、まだ待て》
無駄弾を使うなよ、と続けるパヴェルの言葉通り、照準器越しの映像に目を光らせながら廃村の中を見渡す。しかしどこをどう見ても、見えるのは打ち捨てられた荷馬車に半壊した納屋、朽ち果てた廃屋に崩れかけの風車……身を隠す場所はいくらでもあるが……。
その時だった。風車の近くにあった瓦礫の山の一角から、不自然にうっすらと煙が噴き上がったのは。
「……?」
いや、あれは……排気か?
一瞬だが、崩れたレンガの山の隙間から迷彩塗装が施されたセンサーのようなものも見えた。先ほどの奇襲に失敗した事を受け、射撃位置を変更し再度攻撃を仕掛けようというのだろう。
間違いない―――確信を抱くと同時に、俺はヘッドセットから伸びるマイクに向かって報告していた。
「敵車両を発見、2時方向。距離3500!」
《発砲を許可する、あのクソ野郎を炙り出せ》
発砲許可、了解―――。
先ほど敵車両(戦車か?)の見えた位置と移動速度から、おおよその現在位置を推測で割り出す。砲塔に搭載された自動追跡装置が姿を見失った敵戦車の推定位置をマーカーで教えてくれるが、あの速度ではそんなところにはいない。
煩わしいので追跡装置をオフ、マニュアルで照準を合わせる。
「発射!」
足元のペダルを踏み込んだ。
ダムンッ、と120mm滑腔砲が吼える。装填されていたのは対戦車用のAPFSDSではなく貫通力に劣る多目的対戦車榴弾だが、今更砲弾を抜き取って装填し直す時間などない。それに必中を期した砲撃ではなく相手を炙り出すための攻撃なのだ、隠れている相手を引っ張り出す事が出来るならば弾種は何でも良い。
発射された砲弾は納屋を穿つや、半壊したそれの中で爆発した。ドン、とモニターの中で爆炎が生じたのから1、2秒ほど遅れて爆音がここまで響き、飛び散った破片や微細なワイヤー類が周囲の建物の壁を穿つ。
どうだ、と固唾を呑んで見守る中、燃え盛る爆炎の中に1つの巨大な黒い影が浮かび上がる。
T-90と比較すると大きな車体に、しかしそれに対して砲塔は小ぶりだ。どこかアンバランスさを感じさせるが、角張った装甲は従来のソ連、ロシア戦車には無いシルエットを生み出しており、最新技術を詰め込んだ無慈悲な戦闘兵器である事をその外見から覗わせる。
あれは……。
《T-14アルマータ……なるほど、最新型を出してきやがったか》
パヴェルの声に、息を呑む。
T-14アルマータ―――ロシアが開発した最新型の主力戦車。最新の装甲にステルス性、新規開発の125mm滑腔砲による壊滅的な打撃力もさることながら、最も特徴的なのはその砲塔が無人化しており、砲手による遠隔操作によって稼働する事であろう。
砲塔が小ぶりなのはそのためだ。人間が乗り込む必要がない上、乗員が乗り込む戦闘室は分厚い装甲で防護されている。被弾すれば全員丸焼きが当たり前だった今までのTシリーズとは全く違う、新機軸の戦車である。
しかも1両だけではない。
ゆらり、と爆炎の中から更に2両……いや、3両。合計4両のT-14アルマータで編成された戦車1個小隊が、列車を追尾するように砲塔を旋回させてこちらを睨んでいる。
《まずい、まずい、まずい!》
《発射!》
ダムッ、とカーチャが砲撃した。
初弾として装填されていたHEAT-MPが左翼のT-14を打ち据えるが、しかし被弾した車両は車体を大きく揺らし、砲塔のセンサーのいくつかを破損させただけで未だ健在だ。
《主砲、撃ち方はじめ!》
「了解!」
APFSDSを装填、発射ペダルを踏み込む。
陣形正面に居たT-14の正面装甲に、120mm滑腔砲から放たれたAPFSDSが直撃した。が、正面装甲は戦車の中で最も分厚い部分だ。被弾する確率が最も高いので、車体正面と砲塔正面は特別装甲を厚く設計するのである。
装甲表面に焦げ目を残したが、しかし依然として4両のT-14は健在だった。
ならば次はとっておきを、と装填装置に対戦車ミサイルの装填を指示したところで、パヴェルが冷静さを失わない声で淡々と命じる。
《ルカ、3つ数えたらブレーキをかけろ》
《りょ、了解!》
《各員衝撃に備え。3、2、1……》
砲塔内部の掴まれるところに掴まり、対ショック姿勢を取った。
《―――今だァ!!》
《!!!》
ギュアァァァァァァッ、とレールが悲鳴を上げたのと、機関車を潰すべく砲塔を旋回させていたT-14たちが一斉に砲撃したのは同時だった。
レールと車輪から激しい火花が散り、列車の中にあったあらゆるものが凄まじいGの力で前方へと引っ張られる。客車の銃座にいるモニカとか放り出されてないよな、と心配する俺の視界の端で、T-14たちが一斉に放った砲弾がAA20の鼻先を掠めて通過していく。
うち1発は機関車正面の煙室扉の表面を型番のプレートごと浅く削り取っていき、反対側にあった湿地に着弾、爆発と破片を周囲にぶちまける。
「くたばれぇ!!」
発射ペダルを踏み込んだ。
ドウ、と120mm滑腔砲から、この主砲に合わせて調整されたレフレークス対戦車ミサイルが発射される。
狙いは陣形正面、T-14。
しかし必殺の対戦車ミサイルといっても、そう簡単に当たってはくれないらしい。砲塔部のセンサーが飛翔体を検知するや、間もなく突入するタイミングで、必中の確信を持って放ったレフレークスが遥か手前で爆ぜたのだ。
アクティブ防御システム―――!
ロシア製のアクティブ防御システムだ。センサーで検知した飛翔体に対し、炸裂弾を高速発射し迎撃する装備であり、対戦車ミサイルどころか場合によってはAPFSDSも迎撃する事が理論上は可能、という驚きのスペックがあると聞く。
が、しかし。
俺はともかく、もう片方の砲塔に乗っているのは血盟旅団が誇る無敵の狙撃手である。
ミサイルを迎撃したばかりのT-14に、僅かな時間差をつけて発射されたもう一発のレフレークス対戦車ミサイルが、ちょうど車体と砲塔の繋ぎ目辺りにクリーンヒットしたのは、それからすぐの事だった。
アクティブ防御システムの弱点だ。迎撃する事は出来ても、間髪入れずに突っ込んでくる第二撃には対処できない。
事前に現代兵器についての理解を深め、パヴェルのレクチャーを受けていた冷静沈着なカーチャだからこそできる芸当だった。あんにゃろ俺のミサイルを囮に使いやがったな、と思いながらも、その機転には脱帽である。
火達磨になったT-14が機能を停止、擱座する。
予想できた事と言うか、何と言うか……燃え盛るT-14からは脱出する戦車兵の姿はなく、他の戦車たちも被弾して大破、炎上する味方の戦車を救助しようとするそぶりは見せない。
まるで消耗品を使い捨てるかのようだ。
《ルカ、突っ走れ!》
急停車したAA20が再び目を覚まし、ぐんぐん加速を始める。T-14の砲塔が旋回してこっちを追うが、しかしその姿はすぐに飛び込んだ別のトンネルの壁に遮られた。
敵戦車の姿が見えなくなり、俺は息を吐く。
とりあえずはやり過ごしたか……。
全く油断も隙もない。しかも、よりにもよって帝国ではなくテンプル騎士団が俺たちを消しに来るとは……。
いや、その方が都合がいいのだろう。表立って行動することがないテンプル騎士団だからこそ、帝室の命令ではできない事をやってのける。
連中の奇襲に警戒しなければならないのはなかなかしんどいが……まあ、上手くやっていくしかない。
クソッタレな日常だ。
こういう日は糖分が欲しくなるよな、と思いながら座席に背を預けた。
何気に火砲車の戦車砲、ヤタハーン砲塔になってから本編で初の発砲だったり




