水面下での思惑
「そう、か……わかった、詳細はこちらで詰める」
『よろしくお願いします』
ふう、と息を吐いた。
ミカエルの奴、しばらく見ないうちに随分と肝が据わったと見える。
以前に一度、完全に敵対した勢力―――ノヴォシア共産党。連中の助力を取りつけるためにミカエルは、メイドのクラリスを一緒に連れて行ったものの、その総本山に丸腰で乗り込んでいったのだそうだ。攻撃の意思がない事を示すためだそうだが、もしミカにそれが無くても相手にあったらどうするつもりなのか。
いずれにせよ、これで3つの敵対勢力を一時的にとはいえ2つに減らす事に成功した。共産党、帝国、そしてテンプル騎士団。共産党がこちらについたから敵は帝国とテンプル騎士団となるが……帝国はともかく、テンプル騎士団は得体が知れない。
今、部下のソコロフを使って連中の情報を集めさせているのだが、信じがたい事に現時点では1つも収穫が無いのだ。まるで最初からテンプル騎士団などと言う秘密組織は存在せず、居もしない幻を追っているかのように……だ。
しかし連中は確かに存在する。
分かっている事は全てミカエル経由の情報ではあるが、まず「この世界の存在ではない事」、「我々の技術力とは隔絶したレベルの技術水準を誇る事」、そして「130年前に旧人類を滅亡に追いやった元凶である事」。
連中とやり合っているのは、ミカエルたちくらいのものだ。
執務室の椅子に背を預けながら、腰に提げたキンジャールを引き抜いた。ギラリと光るその切っ先を左の指先に押し当てると、鋭い痛みと共に、白い肌の表面に紅い血が滲む。
どうやら私はまだ人間らしい……こうやって血液で人間か、それともテンプル騎士団の傀儡である機械人間を見分ける事が出来るそうだ。連中はこうやって人間社会に機械人間を紛れ込ませ、情報収集や要人暗殺を行い、あるいは権力者を機械人間にすり替えて自分たちの都合のいいように国を操っている。
連中の事を公表しようかとも思ったが、どうせ多くの人間は陰謀論の類だと鼻で笑うだろう……。
コンコン、と部屋をノックする音が聞こえてきたので、「入れ」と短く返しておく。
ノックひとつ取っても、そのドアの叩き方に皆クセがある。必要以上に強く叩いてしまうマカールのような奴、ジノヴィのように小さ過ぎず大き過ぎずの絶妙なラインを突いてくる奴、いつの間にか後ろにいるからノックすらしないソコロフのような奴、そして早くジャコウネコ吸いしたいから大体私の方から出向くためノックの機会がかなーり限定的なミカのような奴。
こりゃあロイドだな、と思いながら待ち構えていると、案の定ドアの向こうから姿を現したのは黒髪の男―――異国の剣士にして現役冒険者、エカテリーナの婿としてリガロフ家にやってきた”ロイド・B・リガロフ”その人だった。
「やあロイド君」
「お呼びでしょうか、アナスタシア様」
「”お姉様”でいいぞ」
「あの、いやしかs」
「”お姉様”でいいぞ」
「アッハイ」
圧こそ力なり。
「……お姉様?」
「うっふ! ……ああ、いやすまん。続けてくれ」
「はあ……その、アナs……ゲフン、お姉様が私にお聞きしたい事があると」
「おぅふ! ……ああ、そうだったな」
いかんな、私がそう呼べと言ったのだがなかなか破壊力がある。ミカとはまた違ったベクトルのやべー奴だ。
ま、まあ、いつまでも”アナスタシア様”ではな。もう彼は我がリガロフ家の一員、血の繋がりはないが立派な家族なのだ。義理とはいえ私は姉、彼は弟なのだからこう、もっとフランクな感じで良いんじゃないか?
ごほん、と咳払いして私はやっとの事で本題に入った。
「ところで君、イーランドの貴族とか軍関係者とかとパイプを持っていたりしないか?」
「貴族……ですか」
イーランド訛りのあるイライナ語(ノヴォシア語は話せるがイライナ語は断片的にしかわからんらしい。日夜エカテリーナと勉強中だそうだ)で言いながら少し頭の中を探るロイド君。ぴょこぴょこと動くイヌ耳が実に愛らしい。
「申し訳ありません。私の実家は靴職人でして」
平民の出身なのです、と付け加えた彼は申し訳なさそうに言った。
まあ、そうだろうなとは思う。平民という身分では、貴族や軍事関係者と関係を持つ事などまず無理だろう。従軍経験でもなければ……。
「その、何か?」
「ああいや、例のイライナ独立の件でな。可能ならばイーランドからの支援も取り付けられないか、と思ってな」
そう言いながら、執務室の壁に貼り付けられた世界地図に視線を向けた。
イーランドとノヴォシア帝国が、遥か北方の北海や大西洋の支配権をめぐって水面下で小競り合いを繰り返しているのは周知の事実だ。装甲艦や駆逐艦がお互いに異常接近したり、時折砲撃戦に発展したり……この前など、インペラトリッツァ・カリーナ級戦艦がその小競り合いに参加した事で一時騒然となり、気の早い新聞社は『対イーランド開戦か!?』と題した新聞記事を気前よく印刷して売り始める始末である。
まあ、結局のところ北海や大西洋に眠る水産資源、それから海底に存在するという石油利権が両者の狙いなのだ。いつの世も資源を持つ者が相手に先んじる、歴史を見れば明らかであろう。
共産党との一時共闘を取りつけ、ここからはイライナ側、つまりは私やその部下と党の幹部が実際に会って詰めの協議に入るところだが、所詮は一時共闘……互いの目的が達成された暁には、今度はお互い銃口を向け合う仲というわけだ。
そうなった時に支えてくれるパートナーも欲しい。可能であればノヴォシアからの独立も支援してくれて、さらにその後も引き続き支援を継続してくれる太っ腹な列強国であればなおの事嬉しいものである。
さて、そんな条件で支援してくれて強大な軍事力もあり、ノヴォシアが倒れてくれれば踊りながら喜んでくれそうな列強国筆頭と言えば、海洋国家イーランドを置いて他にはあるまい。
連中もノヴォシアが倒れ大西洋と北海の利権を手放してくれれば万々歳だろうし、イライナに貸しを作っておけば大陸での影響力も強められ、食糧支援も受けやすくなる(というかコレは取引の材料として提示する)。
もしロイドがそういう軍関係者と繋がりがあったら入り口としてはやりやすいなー、と思ったのだが……。
「アナスt……お姉様」
「おっふ何だ?」
「さっきから何故悶えるのです?」
「これは私の鳴き声おっふ」
「語尾」
さて、年下のイケメンをからかうのはこのくらいにしておこう。あまり仲よくし過ぎるとエカテリーナに殺される……冗談抜きで。
私の妹は普段は大人しいしお淑やかだが、それ故に怒らせたら絶対一番ヤバい。彼女との付き合いは長いが、私もジノヴィも、そしてマカールも、生まれてこの方一度もエカテリーナがガチギレしているところを見たことが無いのだ。
それ故に最も恐ろしい―――周囲からは”獅子姫”なんて呼ばれているエカテリーナがバチギレしたらどうなるか。
わざわざニトログリセリンに火を灯す事もあるまい。
「冗談はさておき、何だね?」
「私自身は軍との関係はありませんが、イライナで活動しているイーランド人の冒険者に知り合いは多い。もしよろしければ、私の方で探ってみようと思うのですが」
「よろしい、やりたまえ」
イライナ独立と共産党の革命、そして北海や大西洋での利権を虎視眈々と狙うイーランド。うまくいけば連中を二正面作戦どころか三正面作戦に追いやることもできるかもしれない。
打てる手は打っておかねばな……。
「え、じゃあ何? ガリヴポリでやり合った連中と手を組むってわけ?」
「そうなるな」
共産党との協議から一夜明けた翌朝、食堂車のカウンター席でベーコンエッグを豪快に食っていたモニカが驚いたように言った。
まあ無理もない、向こうの第一印象は最悪だったのだ。ガリヴポリに到着したらしたで街は荒れ果て、挙句招待もしていないのに勝手に列車に乗り込んできては、食料と金を渡せと武力をちらつかせて要求してくる連中に好印象を抱く奴など居るのだろうか。
いや、世界は広いから多少はいるのかもしれない……居たとしたらソイツは銃を突きつけられる事に興奮を覚える生粋のドMか、だいぶ個性的な性格をしているのだろう。是非ともそんな奴に一度たりとも会わずにこの生涯を終えたいものだと切に願う。絶対やべー奴だろソレ。
まあとにかく、そんな第一印象が最悪な連中と手を組むというのがどれだけのリスクを持っているのか、考えないミカエル君ではない。連中は暴力で全てを屈服させてきた奴らだ。革命が済み、国土の掌握が済んだらその欲望をイライナに向けてくるのは分かり切っている事である。
だからイライナ独立の暁には軍備増強をしながら政治工作を展開、支援してくれる国家と連携しながら対処していきたいものである……まあ、そうなったらミカエル君が斬首作戦を実行に移すし、連中の根城に対消滅爆弾をぶち込むぞと脅してやってもいいだろう。マジでやるのは……うん。
「まあ、イライナが独立したら後は用済みだ。連中の出方次第では俺が何とかするよ」
「なーんか心配ねぇ……」
「ご主人様、あーん♪」
「あーん……にゃむにゃむ」
ハチミツ入りのヨーグルトをスプーンで掬い、ミカエル君のちっちゃな口に押し込んでくるクラリス。もうちょっと優しく食べさせろと二頭身ミカエル君ズ(八頭身含)が猛抗議するが、しかし脳に糖分が行き渡るや全員にゃむにゃむ言いながら満足そうな笑みを浮かべる。なんだコイツら。
一番いいのは革命中にズタボロになってくれる事だ。もし弱体化が予想以上だったら漁夫の利を狙える。
「あーん♪」
「にゃむにゃむ」
それにしてもハチミツ入りのヨーグルトってなんでこんなに美味しいんだろう……牛さんありがとう、ミツバチさん本当にありがとう。
「しかしミカもアレよね、何というかお姉さんに似てきたわよね?」
「にゃぷ?」
いかん、甘さに感激してたせいで変な声出た。
オイコラそこ、顔赤くすんな。クラリスも激写すんなお前。
「そりゃあまあ、姉弟だし」
「そ、そうよねぇ……」
「このくらい強かにいかないと、イライナ独立とか無理だろうしにゃむにゃむ……だから俺たちも急いでキリウ大公の子孫をにゃむにゃむ……」
あのさ、人が喋ってる間にヨーグルト押し込んでくるこのメイド is 何?
ちなみに今のミカエル君はと言うと、クラリスの膝の上で丸くなりながら朝ごはんを食べさせてもらっている状態。どこからどう見ても猫みたいな状態で、リガロフ家の三男だとか竜殺しの英雄だとか、色んな肩書を貰ったけど同一人物だとは思われないと思う。
うん、威厳もクソもない。にゃむにゃむ。
「ねえクラリス?」
「はい?」
「お前、俺の事マスコットか何かと思ってない?」
「そんな事ありませんわ♪ はい、あーん♪」
「にゃむにゃむにゃむ……」
嘘つけ絶対マスコットだと思ってるだろコイツ。
もう少しこう、ご主人様に対する敬意をだな……にゃむにゃむ。
暗闇の中に響くピアノの旋律。
ドビュッシーの『月の光』。テンプル騎士団内部にも音楽を好む高官は多いが、その中でも特に人気のクラシック音楽がこれだった。テンプル騎士団八代目団長、『セシリア・ハヤカワ』も瞑想する際にこの音楽を好んで聴いていたから、という理由もあるのかもしれない。
世界中に武勇を轟かせ、二度の世界大戦を勝利に導いた最強の女傑。その名声にあやかろうとしているのだろうか―――自分の本心に問いかけたボグダンは、自嘲をそれへの返答とした。
結局は他者の模倣しかできぬか、と思うと笑えてくる。自分たちホムンクルス兵だって、元を辿れば初代団長『タクヤ・ハヤカワ』の模造品。結局のところ他者の生み出した何かを模倣する事しかできず、自ら新しいものを生み出す事すらできない。まるで、魂の段階からそうあるべきと定められているかのように。
【―――血盟旅団は共産党と組んだか】
頭の中に女の声が響いた。
音響装置からの音ではない。今の女の声はボグダンの頭の中に直接送り届けられている。
魔力通信―――ホムンクルス兵だけが許される、あらゆる通信機器を用いない意思疎通の手段。フライト3以降の個体のみが持つホムンクルス個体間ネットワーク。電波の代わりに魔力の波形を飛ばす事でテレパシーのように同族との意思疎通ができるようになる。
そしてそれは、次元の壁を隔てていても問題なく機能する。
テンプル騎士団団長の一族にしてホムンクルスたちの原型、ハヤカワ家の人間であればより強力なネットワーク構築が可能であり、然るべき設備と増幅装置があれば他のホムンクルスの目や耳を通して物事を見たり、聞いたり、場合によってはホムンクルスの肉体をそのまま操る事すら可能であったとされている。
遺伝子が極めて近しい事から親和性が高く、ホムンクルスを”枝”とするならばハヤカワ家の人間、特に初代団長直系の子孫は”幹”である。完全に一方的な上下関係にあるのだ。
《そのようですな》
頭の中で伝えたい言葉を思い浮かべると、それはそのまま魔力の波形に乗って、ボグダンの頭へ言葉を投げかけてくる女の元へと送り届けられていった。
【ボグダンよ、イコライザーの発見を急げ。帝国が潰れたところで痛くも痒くもないが、計画に大きな遅延が生じる】
《承知しております、同志団長閣下》
テンプル騎士団にとって、帝国は駒に過ぎない。
テンプル騎士団との関係が露見したところで、彼らの計画には何の影響もないのだ。遅かれ早かれ見切りをつける予定の勢力であり、可能な限り延命してくれた方が都合がいいというだけの事。利用価値が無くなれば、あとはもうテンプル騎士団にとってはどうなっても構わない。革命で潰えようとも、イライナとの泥沼の戦争で身を擦り減らし自滅の道を歩もうとも、テンプル騎士団は帝国の最期に涙一つくれてやることはないだろう。
【我らの完全な計画に、バグの存在は許されぬ】
威圧感を滲ませた声で、声の主―――”同志団長”は命じた。
【―――ボグダンよ、バグの原因は削除せよ】




