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ミカエルの申し出

なんか今朝、自宅の屋根の上からめっちゃドタドタ足音聞こえたんですが、これもしかしなくてもリアルミカエル君住み着いてるのかなって……。



 イライナから放逐された日から、スターリンは機嫌が悪い時の方が増えた。


 帝国からの執拗な弾圧を耐え忍び、少しずつ同志たちを増やして抵抗運動を続け、やっとの思いでイライナ地方に進出したノヴォシア共産党。その先鋒を任されていたスターリンは、しかしイライナ地方の支配地域を全て失陥した責任を取らされ、今では党内部での影響力も目に見えて低下していた。


 部下の大半はトロツキー派に属しており、彼の元に残った部下は数少ない。


 こうなったのも全て無能な部下と、そして何よりあの忌々しい害獣―――ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフのせいだ。


 胸中に燻る怒りを掻き消そうとするように、スターリンは酒瓶を呷った。傍らのテーブルの上にはショットグラスがあるが、使った形跡はない。小ぢんまりとしたショットグラスで一気に飲むよりも、酒瓶を直接呷った方がいいのだ。大量のアルコールに溺れ、現実から逃げたくなる時もある。


 雑味だらけの安酒に対しても苛立ちを隠せない。イライナに進出した頃は、橋頭保を確保した功績で高品質のウォッカが趣向品として支給されていた。しかし今となっては低所得者でも手にできるような、粗製乱造された安酒だ。雑味がとにかく酷く、味を楽しめたものではない。


 とはいえこれでもマシな方だ……労働者が自宅で作る密造酒や、靴のクリームを酒の代わりにするよりもずっと。


 随分落ちぶれたものだ、と酔いが回った頭に自嘲の思いが浮かぶ。何とか這い上がる手段は無いものか。党を一つにまとめ上げ、腐敗し崩れつつある帝国を打ち破って、巨大な社会主義国家を建国する―――その最高指導者として君臨するための手立てはないものか。


 アルコール漬けの頭を回転させてみるが、しかし現実逃避の手段として選んだアルコールが啓示を与えてくれる筈もなく、浮かんでくるのは現状に対する憤りばかりであった。


 そんな時だった。


 ごしゃあっ、と金属製の壁がひしゃげる音が響き渡り、森中の鳥たちがその音に驚いて一斉に飛び立った。静寂に包まれた霧の森が一瞬にして騒がしくなり、屋敷の廊下からは兵士たちの走るバタバタという足音が聞こえてくる。


 酒瓶を投げ捨て、口元を拭い去ってからスターリンは部屋を飛び出した。ちょうど目の前に銃剣付きのマスケット(旧式のモデルだ。今の共産党には新式小銃を買い揃えられるような潤沢な資金はない)を抱えて戦闘配置に着こうとする兵士が居たので、その兵士の肩を掴んで強引に呼び止める。


「おい、何事だ?」


「は、はっ! 敵襲です!」


「敵とは何か!?」


 敵、という単語で真っ先に思い浮かんだのが帝国騎士団の存在だった。特に本部の指揮官がリガロフ家の長女、アナスタシアの進言を受けて更迭されてからは、帝国騎士団は共産党の弾圧や摘発に躍起になっている。ついにここまで連中の魔の手が及んだか、とスターリンも腹を括ったが、しかし詰問を受けた兵士の返答は予想外のものだった。


「そ、それが……」


「何なんだ!?」


「こ、子供です! でかいメイドを連れた子供が!」


「子供だと?」


 兵士の肩を放し窓の外を見た。


 入り口を固く閉ざしていた鋼鉄製の正門は、まるで大砲の砲撃を受けたかのように吹き飛んでおり、それどころか吹き飛んだ門はそのまま屋敷の壁を直撃、1階の廊下に大きな入り口を作ってしまっている。


 そして屋敷の庭には、2人分の人影があった。


 片方は確かにメイドだった。女性にしては身長が大きく、蒼い髪が特徴的だ。見間違いでなければ頭のヘッドドレスの後ろからはブレード状の角のようなものが伸び、先端部が蒼く光り輝いているようにも見える。


 明らかに獣人ではない。この世界を支配する獣人とは別の、新人類のようにも思えた。


 そしてそのメイドを従えている小さな人影を見た途端、スターリンの中で理性が燃え果てた。


 イライナ失陥の元凶―――彼を今の地位に叩き落した原因が、そこに居るのだ。無理もない話である。


 スターリンはすぐに自室に走った。壁に掛けてあるシャシュカを鞘ごと掴み取るや、戦闘配置につく兵士たちを押し退けるほどの勢いで階段を駆け下り、壁に穿たれたばかりの大穴から庭へと飛び出す。


 やはりそこに居たのは、見間違う筈もないあの庶子だった。害獣ハクビシンの獣人、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ。父親とメイドの間に生まれた不貞の証、穢れた命を抱いて生まれた忌み子。彼女の存在を否定する言葉ばかりが浮かんだ。


 叶う事ならばこのままシャシュカを鞘から引き抜き、あの小ぢんまりとした身体を切り刻んでやりたかった。ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフという人間を構成する全細胞に、彼の味わった理不尽を、敗北の苦汁の味を刻みつけてやりたかった。そうする事が出来れば、この気持ちはきっと晴れ晴れとするはずだ。


 だが、しかし。


 そんな事は出来なかった。


 アルコールが脳に廻り、冷静な判断が出来なくなっていてもなお、彼の身体を理性が縛り付ける。


(な、なんだコイツは)


 そうさせているのは、ミカエルの小柄な身体から発せられる威圧感だった。


 口元には親しげな笑みを浮かべ、傍から見れば友達の家に遊びに来た子供のようにも思える。そのうえ丸腰で、武器の類は一切所持していないようにも見えた……魔術の触媒ですらも、だ。


 魔術師にとって触媒は生命線と言ってもいい。それが無くても魔術の発動自体は可能ではあるが威力や性能は大幅に低下し、とてもではないが実戦で使えるレベルではなくなる。適正に恵まれた規格外の怪物であればまだ理解できるが、ミカエルのように適正には恵まれず、魔力量の少なさと適性の低さに悩まされている魔術師であれば触媒は肌身離さず持ち歩いていて然るべきであろう。


 しかし今、今の彼女にはそれすらもない。


 本当に丸腰なのだ。今のミカエルには武器もなく、魔術もまともに使えない。まさに徒手空拳、多少身軽なだけの子供に過ぎない。


 だが―――それでも。


(なんだ、()()()()()()


 相手は丸腰、魔術も使えない。


 だというのに―――今ここで斬りかかり、あるいは銃の引き金を引けばその途端に命を刈り取られるのではないか、と思ってしまうほどの重々しい威圧感に、スターリンは……いや、彼だけではない。侵入者を迎え撃つべく銃を手にして展開した他の兵士たちも金縛りに遭ったかのように動けずにいた。


 以前にガリヴポリで出会った時とは、まるで別人のようだ。


 まるで巨大な、腹を空かせた捕食者を前にしたような威圧感に、ヒグマの獣人である巨漢のスターリンが畏れを抱く。


 それもその筈である―――彼らが森の奥に隠れ潜んでいる間に、ミカエルは仲間と共に数多くの死線を潜り抜け、ついにはゾンビズメイの討伐まで成し遂げたのだ。強者特有の威圧感はミカエル本人も知り得ぬうちにその小さな身体に染み付き、馴染んでいったのである。


「А, привіт(やあ、こんにちは)」


 イライナ語のフランクな挨拶に、スターリンは辛うじて言葉を絞り出した。


「な、何の用だ……」


「ちょっと諸君らの顔が見たくなってね」


 何をいまさら、という言葉は出てこなかった。


 まるで巨大な竜を前にしているかのような威圧感に、抗議の言葉すら封殺される。


 これが存在を否定されていた庶子の……あんな小柄な子供が発する圧力なのか、とスターリン率いる兵士たちは未だに信じられずにいる。このまま前に立っていたらすりつぶされてしまいそうな、そんな錯覚を覚えた。


「―――取引がしたい」


「なんだと?」


「そちらにとっても悪い話じゃあない」


「……」


 地位が低下した今のスターリンは幹部でこそあるが、しかし与えられた裁量権はあまりにも小さい。


 そうでなくとも、このような話は彼の一存で決めて良いものではなかった。


「……中に入れ、同志レーニンに話を」


「じゃあ案内を頼むよ」


「……貴様ら銃を下ろせ」


 皆、凍り付いていた。


 スターリンの言葉が全く届いていない―――石膏像さながらに、ミカエルに銃口を向けたまま硬直している。


 それを見かねたのだろう、ミカエルが無造作に左手を振るった。


 ずん、と重石を乗せられたかのごとく、兵士たちが手にしていた銃の銃口が地面を向く。唐突に増加した銃の重量に兵士たちが驚き、中にはそのまま銃を手放してしまう者もいた。


 磁力魔術だ。彼らの銃口上部に瞬間的に磁界を展開、反発させることで銃の重量が急増したように錯覚させたのである。手隙の時間があれば魔力のコントロールや磁界制御の訓練に精を出していたミカエルだからこそ、触媒無しでもなし得た事だった。


 強制的な武装解除を受け、兵士たちが息を呑む。


 そんな彼らを気に留めず、ミカエルはクラリスを引き連れ、スターリンに案内されながら屋敷の中へと足を踏み入れる。


「元気そうで何よりだ」


 ぽつり、とミカエルが言った言葉に、スターリンは身体が燃えるほどの怒りを覚える。


 誰のせいでこうなったのか、と。


 未だにこの害獣の獣人の、男か女かも分からない(ミカエル・ステファノ()()()()()()()()という姓から男性である事は分かるのだが……)相手の意図が掴めない。一度敵対した相手のところにしばらくしてから丸腰で現れ、「取引がしたい」と申し出るとはいったい何事か。


 何が狙いか、とその意図を図ろうとしているうちに、レーニンたちのいる会議室の大きな扉が目の前にまで迫っていた。


「……同志レーニンはここにいる」


「そうかい」


 開けろ、と視線で兵士に命じると、2名の兵士がそそくさと前に出て扉を開けた。


 薄暗く広い会議室―――元々は接収したこの屋敷の持ち主が、一族の食事の際に使っていたと思われる広間。そこにかつての繁栄の形跡はなく、帝国主義を否定する共産主義者のスローガンが書かれた横断幕が掲げられ、ノヴォシア帝国の地図やプロパガンダ用のポスターが散らばった、イデオロギーに満ちた空間となっている。


 資本主義者が目にしたら卒倒しそうだ。


 そこに躊躇なく足を踏み入れるミカエル。あまりにも場違いな人物の登場にざわめく党員たちが続出する中、しかしこの2名だけは眉ひとつ動かさない。


 今の共産党の実質的№2、レフ・トロツキー。


 そして会議室の一番奥に陣取るノヴォシア共産党の指導者―――ヴラジーミル・レーニン。


 じっと視線だけを寄越すその2人の威圧感を意に介さず、むしろ場の空気を支配してやらんばかりの勢いで、ミカエルはさも当然のように席に着いてから口を開いた。


「俺は冒険者ギルド”血盟旅団”団長、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ」


 薄暗い部屋の中に、しかし少女のような声がよく響き渡る。


 まるで女性の声優が演じている少年のような、そんな声だ。


「―――いきなりの訪問で申し訳ないが、今日はノヴォシア共産党の皆さんと取引がしたくてここに来た」


「取引?」


 クスクスと笑いながら、トロツキーが聞き返す。


「僕たちをイライナから放逐しておいて、”取引”? 随分下に見られたものだねぇ。クスクス」


「話拗れるから黙ってろやミカエル君2号」


「―――あ゛?」


 鋭い反撃を受けたトロツキーの化けの皮が早くも剥がれた。


 ミカエル君2号、などと初対面のミカエルに言われたのも無理はない。ミカエルがそうであるように、トロツキーもハクビシンの獣人だ。そしてその容姿も男なのか女なのか外見では判別しがたい中性的なもの(いわゆる男の娘だ)であり、おまけにメスガキのような雰囲気を発しているのだから、”ミカエル君2号”呼ばわりされるのも無理はない。


 無論、2番手呼ばわりされたトロツキーが怒るのもまた無理はない事である。


「……ヴラジーミル・レーニン殿」


「何だね」


 マナーも何もない、無礼極まりない態度から一転して、ミカエルの声が真面目なものになった。


「血盟旅団を……いや、イライナ人を代表して、貴方と取引がしたい」


「……言ってみたまえ」


 レーニンに促され、ミカエルは黒豹の獣人であるレーニンの顔を真っ直ぐに見つめた。


 その銀色の瞳に、迷いはない。


 ああ、腹を括った者の目だ―――今になってスターリンはそれを理解した。


 ミカエルを、あの小さな獣人にあれほどの威圧感を与えていた存在が何なのか、やっとわかったのだ。


 それはすなわち、覚悟だ。


 大義を成し遂げるための覚悟、そのための犠牲を払う覚悟、己を対価として差し出し、身を削る覚悟―――それが今の彼等とミカエルを隔てる大きな違いであったのだ、と。


 そしてミカエルは紡ぐ。


 丸腰でここまでやってきた理由、そして持ってきた話の全貌を。








「イライナ独立のため、対帝国のため……我々はノヴォシア共産党との一時共闘を申し出たい」





※ロシアやウクライナなどの国では、性別で姓が変化します。


・例

男性

ジノヴィ・ステファノヴィッチ・リガロフ

マカール・ステファノヴィッチ・リガロフ


女性

アナスタシア・ステファノヴァ・リガロヴァ

エカテリーナ・ステファノヴァ・リガロヴァ


???

ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ



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― 新着の感想 ―
[一言] つまりイライナが独立戦争をふっかけると同時に共産党も革命をはじめるということか…ミカエル君恐ろしい子… しかし、イライナを独立させるだけだとその後が大変になるから食料の貿易は優先的に行うとか…
[良い点] 今、共産党の幹部達が目にしているミカエルくんは、以前のミカエルくんじゃないんですよね。数多の危険と苦難を経験し、ゾンビズミーを仲間の力を借りて駆除し、売国奴となったツァーリと真っ向から対立…
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