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ガリヴの岩山


「さっっっっっっっっっっむ!!」


 110dBくらいは出ていたと思う、モニカの魂の叫び。我がギルドの風物詩が見れるのは食事の時だけではないらしいが、今はそんな事はどうでもいい。


 寒い、とにかく寒い。


 コートも手袋も用意してきたし、頭にはウシャンカも被っているから後頭部や耳の防寒対策もばっちりだ。こんだけガチガチに着込んできたというのに、それでもまるで全裸で氷水の中にダイブしているかのような、そんな寒さが俺たちを苛む。


 ノヴォシアの冬はそんだけヤバいのだ。


 それに加えて言っておくが、ハクビシンは実は寒いのが大嫌いなのである。冬になればハクビシンだって猫みたいにコタツの中で丸くなりたいというのが本音。できる事なら暖かくなるまでコタツから一歩も出ずに過ごしたい。いっそのことコタツをマイホームにしたいという思いすらある。


 雪の降り積もる平原を歩きながらブルブル震えるネコ科&ジャコウネコ科の獣人。平然としているのはクラリスだけだ。しかも信じがたい事に、彼女だけはいつものメイド服姿。防寒着なんて一切身に着けていない。


 嘘だよね、嘘だと言ってよクラリス。


「く、く、クラリス?」


「はい?」


「寒くないの?」


「クラリスは平気です」


 そう言いながら誇らしげに胸を張るクラリス。彼女が身につけているものは、何度も言うがいつものメイド服だ。上着は半袖で、二の腕までを覆う白い長手袋を身に着けている。スカートは脛の辺りまで届く長いものだが上着も同様に生地があまり厚いとは言えないレベル。スカートの下には白いタイツを着用しているが、寒さをシャットアウトするためのものというよりは、貴族に仕えるメイドとしての清楚さを優先したデザインのものなので、防寒性は全くと言っていいほど期待できない。


 ちなみに本日の気温は-5.2℃、真冬の北海道レベルである。しかもこれでまだ10月だというのだから驚きだ。来月になれば更に冷え込み、12月になれば死人が出るレベルで冷え込み、1月になればもはや氷河期。ノヴォシアには昔から『ノヴォシアの冬は人を殺す』という言葉があるが、本当にそのままの意味である。神よ、あなたはノヴォシア人がお嫌いなのですか?


 広大なノヴォシア帝国の版図の中でも南方に位置し、比較的温暖な(ということになっている)イライナ地方でこれなのだ。首都のあるノヴォシア地方なんかはもう地獄だろう。なんでそんな土地に住もうと思ったのか、大昔の人をちょっと問い詰めてみたくなる。


《外寒い?》


「ガチで寒い、この世の終わりかってレベル」


《マジかー、大変だなー》


 無線機から聴こえてくるパヴェルの声は随分と陽気だった。まあそりゃあそうだろう、アイツは今頃暖房の効いた部屋の中で紅茶でも飲みながら優雅にオペレーターとしての仕事をやってるんだからな! こっちは極寒の平原を歩いて移動じゃバーカバーカ!!


《とりあえずまあ、依頼内容の確認をしておく。内容は”ハーピーの卵3個の納品”。3つ卵を持って帰ってこいというわけだが……余裕があればそれ以上持ってきてくれても構わない、明日の食卓に並ぶぞ》


「じゅる」


 涎を啜る音が隣から聴こえ、ちらりとクラリスの方を見た。そこには平然とした表情で、何でもありませんよと言わんばかりに左手で口元を拭うクラリスの姿が。


 この食いしん坊め。


 あ、もしかしてクラリスがこの寒さでも平気なのって、もしかして体温が高いからなのではなかろうか。クラリスの身体って昔からやけに温かいなって思ってたんだが、それでこの寒さを耐えているのだというなら納得がいく。


 普段から大食いなのも、もしかしてあの身体能力を維持する以外にこの体温を保つためという理由があったりするのではなかろうか。普通の人間じゃ考えられない話だが、彼女はそもそもこの世界に存在しない筈の”竜人”、人間の尺度を当てはめようという方がナンセンスというものだ。


 そっとクラリスの腕に触れてみた。やっぱりぽかぽかである。


「ご主人様?」


「クラリスの身体ってさ、あったかくね?」


「それはもう、クラリスはいつでもぽかぽかですよ」


「えー、いいなあ」


 声を震わせながらモニカも近くにやってきた。半ばしがみつくように反対の腕を掴んだモニカの顔が、まるでコタツの中で寛ぐ猫のように蕩けた顔になる。


「あー……あったかーい……」


「あ、あの……歩きづらいのですが」


「あと5分~」


 猫はコタツで丸くなる、か。コタツじゃなくてクラリスだけど。ウチのメイドだけど。


 地図を懐から引っ張り出し、鉛筆で印をつけていく。今は大体この辺……目的地である”ガリヴの岩山”まであと2kmってところか。


 ガリヴの岩山は、元々は自然に出来上がった岩山ではないとされている。


 今からおよそ250年前、人間たちが第一世代型の獣人たちを従僕として従えたばかりの頃の話だ。当時からザリンツィク周辺では豊富な鉱物資源が採掘できた事からいたるところに坑道が掘り進められ、そこで採掘された良質な鉄鉱石がザリンツィクの工業を支えていた。


 坑道を掘り進めたり、鉄鉱石の採掘を行えば当然ながら余計な岩石も一緒に出てくる。それを平原に捨てていたらしいのだが、最終的にそれが積み上げられて出来上がったのがガリヴの岩山である、とされている。


 ガリヴというのは地名ではなく、当時の採掘場を所有していた貴族の名前なのだそうだ。


 その岩石の山に、今では多くの魔物が住み着く結果となっている。特に多いのがハーピーだそうで、雪解けのシーズンに駆除依頼を出すのがザリンツィクでは春の風物詩なのだとか。


 雛たちが一斉に巣立つシーズンに駆除するなんて人の心が無いわ! って言いたくなるかもしれないが、アイツら普通に人喰うからね。駆除しなきゃ殺られるのはこっちの方なのだ。


 キリウの屋敷に居た頃、駆除の様子が記載された本を読んだ事があるがなかなかすごかった。マスケットを装備した戦列歩兵を何百人も動員して、巣を守ろうと飛び出してくるハーピーたちに向かって一斉射撃。最後は巣に肉薄して爆弾を投げ込んだりして、残った卵を戦利品として持ち帰るのだそうだ。そして春の祭りの際に大量の卵を労働者に振る舞うのだとか。


《ハーピーの卵だが、サイズはバスケットボールくらいあるらしい》


「でっか」


「ご主人様、”ばすけっとぼーる”とは?」


「あー……こんくらいのサイズ」


 手で大きさを表現すると、またしてもクラリスの口の端から涎が滲んだ。


「じゅる」


「持って帰るの大変そうだな」


 そのためにダッフルバッグを持ってきたんだけどね。中には卵が割れないようにクッションを詰めてあるし、ダッフルバッグ1つにつき3つくらいは入る計算になる。


 パヴェルの奴め、ちゃっかりこっちも卵にありつこうという考えだな? いいぞもっとやれ。


《ハーピーの卵だが、美食家の間では珍味として高値で取引されているのだそうだ。昨年のオークションでは卵1つで1万ライブルの値段が付いたらしい》


「お金ぇ☆!?」


 モニカ、目が……目がお金のマークになってる。分かりやすいなコイツ。


 テンションが上がるモニカとは対照的に、クラリスは冷静な表情でパヴェルに問う。


「……で、味は?」


《味は……おお、美味いらしいぞ。鶏の卵より味も風味も濃厚で、サイズもその通りだから食べ応えがある。しかもタンパク質が豊富で、肌がツヤツヤになる効果もあるんだとか》


「じゅるっ!」


 無言でハンカチをクラリスに手渡した。涎の量がさっきの比じゃない。


 とりあえずこれで拭いときなさい……。













 一歩踏み出す度に膝の辺りまですっぽり沈むレベルの積雪なのだから、これでガリヴの岩山なんて分かるのだろうかと危惧していたが、どうやらそれは杞憂だったらしい。


 平原のど真ん中に聳え立つ岩山を見て、ほんの少しの安心と緊張感を覚えた。地図と照らし合わせてチェックしてみるが、やはり間違いはない。ここがガリヴの岩山だ。


 たぶん、雪がない状態でここを見たら違和感しか感じないだろう。どこまでも広がる、遮蔽物すらない平原のど真ん中から、いきなりデデンと岩山が突き出ているのだ。地殻変動が原因で突き出てきた、という予想もできるが、さっきも述べた通りこれは自然に形成されたものではなく、人為的に出来上がったものだ。


 ザリンツィク周辺の採掘場から排出された岩石がここに集められ、積み重ねられていった結果出来上がったのがこの岩山。その証拠に、普通の岩山のように大きな岩が連なっていたり、巨大な岩塊が突き出ているわけではなく、様々なサイズの岩石が絶妙なバランスで積み上げられているようにも見える。


 今までよく崩壊しなかったものだと感心してしまう。


 さて、ここだ。ここに巣を作ったハーピーから卵を奪い、持ち帰る。そしてそのうちの3個は管理局に納品、俺たちは余分に持ち帰った6つの卵を堪能する、というわけだ。いやあ明日の夕飯が楽しみである。


《そういやお前らさ、”バロット”って食べたことあるか?》


 唐突に、パヴェルがそんな事を言い出した。


 バロットってアレじゃん、孵化する直前の卵を茹でて食べるやつ。どこの料理だっけ……確かフィリピンとかカンボジアとか。あと中国南部でも食べてる地域なかったっけか。


「バロット?」


《ああ。孵化直前の卵を茹でて食べる料理だよ》


「え、何それ」


「パヴェルさん、味は?」


《俺は好きな味だったよ》


 アレどんな味するんだろ……海外旅行のチャンスがあったらチャレンジしてみようかなって思ってはいたのだが。


 AK-19を構え、ライトで洞窟の中を照らした。さすがにいきなり襲ってくる……という事は無いだろうが、慎重になるに越したことは無い。卵を貰いに行った冒険者が返り討ちに遭い、逆に雛の餌になったという事例はそれなりにあるんだそうだ。特に、卵を盗むだけだから簡単じゃないかと油断した冒険者がハーピーの晩ご飯にされがちらしい。


 さて、ここでハーピーの生態についてかるく触れておこうと思う。


 ハーピーは冬眠する魔物なのだが、特徴的なのは産卵の時期だ。冬になる前に卵を産み、春になるまでそれを温め続けるのだという。そして春が訪れ、多くの動物が活動を開始する時期に卵が孵化。生まれてきた雛たちに豊富な餌を与えて育て、夏の終わりごろには巣立たせるというサイクルを何度も繰り返す。


 ハーピーは鳥と人間の女性を融合させたような姿だが、ちゃんとオスの個体も居るらしい。ただオスの個体も女性みたいな姿をしているから見分けがつかないんだとか。


 ちなみにこれは最近判明したことで、ミカエル君が小さい頃なんかは『男の冒険者を巣に連れ去って繁殖に使った後殺し、雛の餌にする』という事がクソ真面目に図鑑に記載されていて震え上がったものだ。とはいってもこれも全く間違いではなく、良い感じのオスと結ばれる事の無かったメスのハーピーが止むを得ず冒険者に手を出すという事例はあるらしい。実際にそれを調べに行った学者が行方不明になり、放棄された巣で衣服の一部と遺骨が発見されたという話を聞いて震え上がったのは良い思い出である。


 怖いねえ……。


「そういえばミカさあ」


「ん」


「その触媒、変えないの?」


 背中に背負っている鉄パイプを指差しながらモニカが言った。


 触媒―――魔術を使うために必須となる装備だ。魔力の増幅装置であり、同時に魔力の波形調整も肩代わりしてくれる外付けの補助演算装置と思ってくれていい。


 俺の触媒はキリウで自作したこの鉄パイプ。スクラップ置き場に放置されていたものに触媒化の儀式を施しただけの簡素なもので、性能だけを見るとちゃんとした触媒よりもかなり劣る代物だろう。


「アンタ、”魔力損失の法則”は知ってるでしょ?」


「知ってるよ」


 魔力損失の法則―――キリウの魔術師『ニキータ・ロフチェンコ』が大昔に発見した法則だ。要約すると【物質に流した魔力は100%そのまま放出されるわけではなく、物質を流れる過程で減少してしまう】というもので、魔術力学の基礎の1つである。


 物質によってその魔力損失には違いがあり、一説によると空気にも魔力損失は存在するのだという。唯一魔力損失が発生しない物質は”賢者の石”のみとされている。


 実際に放射される最終的な魔力量を求める公式は【物質に流す魔力÷魔力損失係数=放射魔力】。これ教科書の一番最初に乗ってるので魔術師志望の人は覚えておくように。


 さて、ではこの錆び付いた鉄パイプに塗料を塗ったコレはどうかと言うと、間違いなく魔力損失係数がバカでかい。つまりは余計な魔力を食っている、という事だ。


「まあ、いつか変えるよ」


「そう。だったらその時はあたしに相談しなさい、教えてあげるから」


「ああ、そうする」


 魔術に関してはモニカの方が大先輩だ。色々と学ぶ事はあるだろう……実際に魔術の効率的な運用方法についての理論は学んだ。属性適性がCのミカエル君でも、もう少し上を目指せそうだ。


 ライトで暗闇を照らし、奥へと進んで行く。


 とりあえず今は卵だ。ハーピーの襲撃に注意しながら回収し、報酬を貰うとしよう。





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