機械仕掛けの皇帝
「面を上げよ」
冷たい声、とはまさにこの事を言うのだろうな……そう思ってしまうほどの淡々とした声に従い、跪いていた俺たちはそっと顔を上げた。
人の声には、場合にもよるが感情が含まれているものだ。相手を歓迎しようとする意思や明らかな敵対の意思など、仕草や声から得られる情報というのは存外多いものである。だがしかし、この目の前にいる皇帝陛下はどうだろうか。
まるで抜け殻のような言葉だ、というのが正直な感想だった。まるで口にする言葉から感情という中身だけがごっそりと抜き取られていて、空っぽの入れ物だけがこちらの耳に届いているような……そんな無機質さを感じずにはいられない。
精密機械と揶揄される理由がよく分かるというものだ。
皇帝とはそこまで人の心を殺し淡々としていなければ務まらないが故なのか、それとも本当の意味で精密機械なのか。
どちらとも取れるところがまた不気味で、得体の知れない雰囲気を醸し出している。
「リガロフ公爵家の三男、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフよ。此度のゾンビズメイ討伐の件、ご苦労だった」
「拝謁の栄に浴した上、陛下からのそのようなお言葉、ありがたき幸せにございます」
とりあえず形だけはそう言っておく。向こうも労うというよりは淡々と定型文を出力しているような感じなのだ、ガチで喜ぶ義理もない。ただ何か粗相があって姉上の計画に支障を来すような事があってはならないし、姉上の―――リガロフ姉弟の弱点になるつもりもない。
本当に労うつもりがあるのかこの人は、という疑念を抱きながら、皇帝カリーナの氷色の瞳を真っ直ぐに見つめた。そこには確かに、生者としての光がある。しかし如何せん言葉から感情が何も感じられず、どこか気だるげというか……いや違う、機械が人間のふりをしているような、そういう感じにも思えてしまう。
「貴様の奮闘は話に聞いている。適正に恵まれぬ身でありながら、エンシェントドラゴンの肉体をも穿つ魔術を放つとは……これも英雄の血のなせる業か」
英雄の血、ね……。
いや、大英雄イリヤーの血が俺にも流れているというのは誇りに思っている。こればかりは他人にはどうあっても真似できない事だから優越感を感じてしまうものであるのだが、どれだけ大戦果を挙げたり偉業を成し遂げても『まあ英雄の子孫だしな』で片付けられてしまうのは中々に腹立たしいものがある。
英雄の血しか見ておらず、ミカエルという個人を見ていない……いや、そんなコンプレックスじみた理由で皇帝相手に噛み付くつもりもないのだが。
「はい、祖先の血に恵まれました。ですが此度の勝利はゲラビンスク砲兵隊の奮戦と、何より仲間たちの尽力によるところが大きいものと考えております。私はただ、最後の美味しいところを持っていっただけの事……真に称賛されるべきは彼らの方でありましょう」
前半は建前で、後半は本心だ。
傍らでそれを聞いていたクラリスやモニカたちが、一瞬だけ視線をこっちに向けたのが感じられた。
あれは俺1人の勝利ではない。仲間たちが全力を尽くして一緒に戦ってくれたからこそ、あんな大金星を上げる事が出来たのだ。だったらその成果は俺1人のものではなく、仲間全員で分かち合あって然るべきではないか。
「……ふむ、謙虚だな」
「は、本心です」
「ふむ」
くい、と皇帝カリーナは玉座に座したまま指で招いた。それを合図に、傍らに控えていた二足歩行型の戦闘人形が滑らかな足取りで皇帝の傍らまで歩いてくる。
「雷獣のミカエルよ、貴様に一級帝国英雄勲章を与える。さあこちらへ」
「はっ、ありがたき幸せ」
そっと立ち上がり、真っ赤なカーペットを歩いて皇帝の前まで歩いた。
やはりと言うべきか―――精密機械だの何だの言われている人間(中身がどうかは疑問が残る)ではあるものの、しかしやはり軍事大国を統治する立場にあるからなのであろう。存在感と威圧感が凄まじい。
常に前線に立ち、圧倒的な強さとカリスマ性で仲間を鼓舞しながらぐいぐい引っ張っていく英雄タイプのアナスタシア姉さんとは違い、その存在感で中心にどっしりと構え、淡々と一手一手駒を進めて着実な勝利を手繰り寄せていくような、そういうタイプの大物だ。
近衛兵の制服を身に纏った戦闘人形から勲章を受け取った皇帝カリーナは、笑みを浮かべる事もなく、背丈の小さなミカエル君を見下ろしながら淡々と勲章を首にかけてくれた。
後方で拍手が聞こえてくる。同席した仲間たちが拍手で祝福してくれているのだ。
しかし聞こえてくるのはそれだけで、カーペットに沿うようにずらりと並ぶ戦闘人形たちは微動だにしない。規則的に整列し、手にした剣を掲げたまま、石膏像さながらに固まっている。
さて、たった今授与された一級帝国英雄勲章とは何か。
騎士や戦士たちにとって、竜を打ち倒す事は最高の栄誉であると古くから信じられている。前世の世界とは違い、この世界の食物連鎖の頂点は人間ではなく竜であり、その絶対強者を超えるという事はこれ以上ないほどの名誉であった。
故に多くの戦士が英雄の中に名を連ねるべく、『竜殺し』の称号を求めて果敢に戦いを挑み、その多くが栄光を見る事無く土へと還っていった。
一級帝国英雄勲章は、その中でも特に強力な竜―――エンシェントドラゴンを討伐した一握りの英雄にのみ授与される勲章とされており、過去にこれを授与されたのはリガロフ家の始祖『イリヤー・アンドレーエヴィッチ・リガロフ』とその盟友として名高い『ドブルィニャ・ニキーティチ』の2名のみであるとされる。
つまりミカエル君で3人目……マジ?
「庶子として生まれ、しかしその逆境に怯まずここまで鍛錬を続けた貴様の努力はまさしく一生の宝である。今後も驕ることなく精進せよ。帝国のため、更なる活躍を期待する」
「光栄であります。陛下のご期待を裏切らぬよう、今後も精進を続ける所存であります」
「それでよい。それと貴様には”竜殺し”の称号も正式に与える」
「感謝の極み」
下がってよいぞ、と言われ、深々と頭を下げながら後ろへと下がった。
皇帝直々に与えてくれた称号は、冒険者の間で語り継がれる異名とは違って正式なものだ。皇帝公認のお墨付き、と言ってもいいだろう。
何とも複雑な気分である。
感情のこもっていない機械みたいな声音でこそあったが、称賛された事は素直に嬉しいし、没落貴族の庶子という生まれからここまでやってきたのかという達成感もある。だがその一方で、姉上の掲げるイライナ独立計画に加担し結果的に皇帝カリーナに弓引く事になるのだから、素直に喜んでいい者かどうかという複雑極まりない雑味が、いつまでも胸の中に居座り続けた。
こんな立場でなかったのなら素直に喜べたのかな、と思っていると、玉座に腰を下ろした皇帝カリーナの口から予想外の言葉が発せられる。
「ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフよ」
「はい、陛下」
「私は貴様に興味がある。この後、宮殿の中庭に来い」
「……は、はい」
ミカエル君、皇帝陛下直々にお呼び出しを食らった件。
下がるよう促され、広間を後にする俺たち。
お前何やったんだよ、といった感じの目でジロジロ見てくる仲間たちに向かって、ミカエル君も困惑しながら言った。
「……俺、なんかやっちゃいました?」
そこはまるで、森の中のようだった。
植えられた巨大な樹に、自然に伸びる茂み。時折そこからリス(例によって精巧に作られた機械のリスだ)が飛び出すや、樹の幹をよじ登って巣穴へと潜り込んでいった。
中庭の上をすっぽりと覆うグラスドームから差し込む日の光が降り注ぎ、枝を伸ばした樹の葉の間から木漏れ日となって地面に降り注ぐ。樹の枝にはやっぱり精巧な機械で再現された小鳥たちが、人工的な機械の鳴き声でさえずる声が聞こえてくる。
機械の楽園―――そんな単語が頭に浮かんだ。
さながら、ヒトの手によって作られた機械だけが人類滅亡後も生き延びて、プログラムされた通りの行動を延々と続けているような、そんなSF小説みたいな世界観。しかし案内してくれた機械の使用人の後に続いて歩みを進めていくと、ちょっとした湖が姿を現した。
満月のように丸い湖の上には大理石で作られた橋が架けられており、その終点には雪のように真っ白な足場がある。俺と同行するクラリスを招待した張本人、ノヴォシア帝国皇帝カリーナ・ニコラエヴナ・ロマノヴァはその真っ白な足場の上に用意されたテーブルの席に腰を下ろし、傍らに控える蒼い髪の人物と一緒に俺たちを待っていた。
というか、中庭に湖を作るとか……ここ本当に宮殿の中庭か?
何気なく視線を湖の中へと向けた。やはりと言うべきかなんと言うべきか、湖の中には機械で作られた魚が泳いでおり、時折水面に飛び出して波紋を立てては、水中で群れを成し元気に泳ぎ回る。
庭に居た機械の鹿や小鳥といい、どうやら皇帝陛下は生き物を機械で再現する事に何かこだわりがあるようだ。あるいは生き物が嫌いなのか。
「お待たせした無礼、お許しいただきたい」
深々と頭を下げながら言うと、皇帝カリーナは優雅にティーカップを持ち上げながら「構わん、許す」とさらりと言い放った。
「座ると良い。ウルファ産、最高級のハチミツを使った紅茶だ。冷めてしまってはミツバチたちにも申し訳が立たんだろう」
「失礼します」
一言断ってから席に腰を下ろし、用意してあったティーカップに手を伸ばした。
確かに、ウルファで俺たちが購入したハチミツとは比べ物にならないほど濃密で、いつまでも鼻腔にへばりつくような甘い香りがする。
「案ずるな、毒など入ってはいない」
そう言い、皇帝カリーナは表情を変えず続けた。
「姉と共にイライナ独立を企てているようだが、安心しろ。貴様を毒殺しようなど微塵も思わん」
「……」
やはり筒抜けか。
クラリスと視線を交わし、一旦持ち上げたティーカップをテーブルの上に戻す。
「しかし素直に独立させるつもりもない……ということですね、陛下」
「無論だ」
即答だった。
ノヴォシア側から見ても、イライナを失うというのは手痛い損失になる。何せイライナは世界一肥沃な土地を持つ『世界のパンかご』だ。その年の収穫量にもよるが、多い時などは大陸中にパンを配ってもなお冬を越せるほどのパンが手元に残る程と言われており、そのイライナを併合したノヴォシアの食料自給率は極めて高い水準にある。
そしてイライナが独立すれば、その8割を失う事になるのだ。
それだけではない。農業から工業重視の政策に転換した折、イライナ東部マルキウ州やザリンツィクに多額の投資を行い、近代的な工場をどんどん建てた事で工業力も飛躍的に伸びる結果となった。しかし同時に農業でも工業でもイライナ依存が高まり、これが仮に独立するとなれば、車椅子の老人から車椅子そのものを奪うのと同じ状態になってしまう。
それだけではない。黒海はノヴォシアにとっては数少ない不凍港であり、黒海に面するアルミヤ半島は海軍力を誇示するために是が非でも押さえておきたい場所である。
工業、農業だけでなく軍事的な面においても、イライナは重要なウェイトを占めているのだ。
そこを手放すなど出来るわけがない。
さて、これは下手な事は喋れないなと警戒しながら、何気なく皇帝カリーナの傍らに控える男に目を向けた。
息が詰まるかと思った。
そこに立っていた男(骨格や体格で男と分かる)の顔は、顔立ちこそ男のものではあったが―――髪の色と言い、爬虫類のような形状の瞳と言い、血のように紅い眼といい、クラリスに瓜二つだったのである。
まるでほぼ同じ遺伝子を持ち、性別だけを違えたかのように。
クラリスはもっと早い段階で気付いていたらしい。俺の傍らに控え、専属のメイドらしくじっとしているが、しかし俺には分かる―――彼女も内心では動揺しているのだ、と。
「む、紹介していなかったな」
これは失敬、と続けると、皇帝カリーナは相変わらず表情を変えず、機械のように淡々と紹介した。
「私の側近の”ラスプーチン”だ」
ぺこり、と【ラスプーチン】と紹介された男は頭を下げ、にこやかな笑みを浮かべた。こっちには感情がある事に少しばかり安堵したが、問題はそこじゃない。
この男も―――ラスプーチンも、クラリスと同じテンプル騎士団のホムンクルス兵なのだろうか。
だとしたら……そんな相手を側近にしている皇帝カリーナは……!
「”グリゴリー・エフィモヴィッチ・ラスプーチン”です。英雄ミカエル、以後お見知りおきを」
俺たちの動揺も知らず、さらりと名乗るラスプーチン。
鳩尾に水銀でも溜まったかのような空気に、これ以上ないほどの不快感を覚えた。




