女帝カリーナ
庭に塹壕を掘ってたら温泉を掘り当ててしまった夢を見ました。
モスコヴァがこのノヴォシア帝国の首都となり、”帝都”と呼ばれるようになったのは意外にもつい最近の事だ。
150年前、ズメイ襲来時までの首都はモスコヴァではなく、ここから西へと進んだところにある古都『ヴェテログラード』だった。昔はそこに皇帝の宮殿があり、国家機能の中枢が据えられていたのだが、ズメイの侵攻を食い止めきれず騎士団はヴェテログラード防衛戦で主戦力を喪失。帝都は放棄され、第二の都市とされていたモスコヴァへ首都機能が移転された……という経緯がある。
ちなみにヴェテログラードは復興し今でも古都として多くの観光客を呼び寄せている(日本で言うと京都みたいなポジションだろうか)が、街のど真ん中にはズメイが吐いたブレスの焼け跡が未だに深々と刻まれており、巨大な古都が南北にぴったり綺麗に分断されている。
そんな歴史の浅い帝都ではあるが、街はまるで遥か昔から発展してきたかのような煌びやかさを見せている。工業区と居住区、商業区画は完全に隔離されており、街の外周部から内側へと向かうにつれて身分の高い者が住まう建物が多くなっている。
中心にあるのは、もちろんモスコヴァ宮殿。あそこに皇帝陛下がおり、大貴族たちとの帝国最高議会もそこで開催されている。つまるところ帝国の意思決定機関であり、あらゆる政策があそこで審議、採決されているというわけだ。
見張り台には戦闘人形の上半身が固定されていた。アリクイみたいな嘴を思わせる顔をこちらに向けるや、マニピュレータで保持された旗を振ってレンタルホームへ誘導を始める。
やがて、巨大なグラスドームで覆われた5階建ての駅が見えてきた。線路が行き先ごとに階層で分けられていて、真上から見ると四方八方に線路が伸びているようにも見える。帝国全ての線路の行き着く先、モスコヴァ駅―――俺たちが案内されたのは、最上階でも1階でもないらしい。
しばらくして、窓の外が高い壁に遮られ始めた。寝室のテーブルの上に置かれたヒューズ(さっきまで発電機の修理を手伝っていた)がころころと前方へ転がっていく。
床が傾斜している―――地下へと潜っているのだ。
どうやらモスコヴァ駅のレンタルホームは地下にあるらしい。
《まもなくモスコヴァ、モスコヴァです。お降り口は左側です》
窓の向こうに照明の光が見えた。
やがて、多数の照明に照らされたレンタルホームが見えてくる。柱の向こうに見えるのは地下鉄の線路だろうか。天井には換気のためなのだろう、巨大なファンや通期ダクトがこれでもかというほど設けられていて、空調には特に気を使っていることが分かる。
ブレーキの音が聴こえてきたところで、パヴェルの言う通りAA20の限界が近い事を悟った。
依然と比較するとブレーキ距離が長くなっているし、こんなに金属音はしなかったはずだ。足回りや各種配管、ボイラーだけでなくブレーキ機能にも異常が見られるとは、確かに早急な延命措置と機関車の更新が必要になりそうだ。
駅の規模の割に、レンタルホームの数はたった6つしかないようだった。
それもそのはず、レンタルホームはあくまでも冒険者向けの設備だ。在来線のダイヤの合間を縫いながら移動し、各地で仕事をする冒険者たちではあるが、辺境の駅ならばともかくキリウやモスコヴァといった大都市ともなれば治安は良く、冒険者的に美味しい仕事は全くと言っていいほど転がっていないため、一般人からすれば観光とか仕事とかで需要のある大都市ではあるが、冒険者的にはあまり仕事がなく旨みの無い土地でしかないのだ。
そういう事情もあって、しかしレンタルホームを全く設けないのも拙いので(非常時には列車の退避先としても利用できるからだ)、とりあえず必要最低限のレンタルホームも設けているというわけである。ちなみにこれはキリウ駅も同様だ。向こうはもう少しレンタルホームに余裕があるが。
さて、そんな余所者御用達のレンタルホームには、しかし今回に限って人影があった。利用者が冒険者くらいしかいないので休憩用のベンチと電話ボックスくらいしかない、閑散としたレンタルホーム1番線には紺色の制服に身を包んだ騎士団の兵士たちがずらりと整列していて、ホームへ滑り込んできたチェルノボーグへ敬礼を送っている。
ああ、お出迎えだ。
護身用のグロック……ではなくパヴェルに用意してもらった儀礼用のサーベルを腰に1本提げて列車を降りた。どうせ宮殿に入ったら武器は取り上げられるし、その時に色々と調べられてもいいようにサーベルで行く事にしていたのだ。それに銃はいつでも召喚できるから、極端な話丸腰でも問題はない……たぶん。
ホームに降りて出迎えの兵士たちに敬礼を返すと、彼等の指揮官と思われる人物が前に出た。
肩の階級章には大尉のものがある。
「Я вас чекав, пане Ригалов(お待ちしていました、リガロフ様)」
イライナ語だ。
少しノヴォシア訛りがあるが、聞こえてきた単語や文法は確かに俺の母語だった。
「大尉、慣れている言葉で構いませんよ」
そちらでもOKですので、と付け加えると、大尉は安心したように笑みを浮かべた。
「これはこれは、要らぬ配慮でしたな」
「いえいえ。お出迎えだけでなくこのような配慮まで、痛み入ります」
まあ一応、イライナでも公用語はノヴォシア語……という事になっている、一応は。
遅れて降りてきたクラリスも兵士たちにロングスカートの裾を摘まみ上げてお辞儀をし、レンタルホームへと降り立った。彼女の後にモニカ、シスター・イルゼ、リーファ、範三、カーチャが続く。
パヴェルやルカ、ノンナは来ないのかと言いたくなるが、さすがに列車を無人にするわけにはいかない。何かあった時のためにすぐ逃げられるよう備えておく必要があるし、列車内には普通に外部に漏れたら拙い情報や技術がある(ゾンビズメイの素材とか複製した対消滅爆弾がその最たるものだ)。
なので彼等には列車に残留し、しっかりと警備をしてもらう事になっている。
「それではご案内いたします。陛下が首を長くしてお待ちですよ」
「それはそれは、皇帝陛下を待たせてしまうとは一生の不覚ですね。一応は飛ばしてきたつもりなのですが」
「いえいえ、お気になさらず。遥々遠方の地から直行されたのです、それも仕方のない事でしょう」
そう言うと、大尉は後ろを歩く俺の方を向いて小声で言った。
「すみません、後でサインとかいただけます?」
「え、はあ、構いませんが」
「ありがたい。私の娘、あなたのファンなんですよ」
ファン、ねぇ……。
冒険者にはファンがつく事があるが、やがてそれの規模が大きくなって非公式のファンクラブみたいなものも作られたりする事があるらしい。中には冒険者という本業そっちのけで、ファンとの交流会とかイベントを主催して稼いでいるアイドルみたいな冒険者もいるのだとか。
けしからん、冒険者なら本業やりなさい本業を。
「大きな駅だな」
「範三、迷子になるネ。余所見ダメヨ」
「む、それは拙い」
「大丈夫よ範三。あなたが行方不明になってもすぐに見つかるわ。目立つし」
構造が複雑な駅なので、確かに初見でここに来たら迷子になりそうだ。ましてや異国の地からやってきた範三は特にそうだろう……彼、迷子になりやすそうだし。
でもカーチャの言う通り、朱色の袴に刀という格好なのだからすぐに分かる筈だ。おまけに秋田犬の第一世代型獣人なんてノヴォシアでは珍しいので、探す側からすれば一発である。
兵士たちに案内されながら駅の構内を歩いていると、ファンやらダクトやらが張り巡らされた天井の一部がガラス張りになっている事に気付いた。
ガラスの中には自重で崩壊するのを防ぐために補強用の鉄骨が入っているのだが、それを青空を背景にして地下から見上げてみると、帝国の国章である双頭の竜の姿が浮かび上がるというなかなか洒落たものになっているようだった。
駅は上から見ると中央に巨大な吹き抜けがある構造になっているようで、最上階の天井にも同じく双頭の竜が浮かび上がるよう鉄骨が配置されたグラスドームがある。あちらは白、青、赤の三色まで用意されている豪華仕様で、国章だけでなく帝国の国旗が浮かび上がるという、なんとも愛国心に満ち溢れた素敵仕様だ。
改札口を通過し駅を出ると、駅前には黒塗りのセダンが2台も並んで俺たちの事を待っていた。後部座席のドアには帝国の国章が描かれており、騎士団や憲兵隊ではなく帝室所有の車両である事が分かる。
どうぞ、と大尉に促され、俺はクラリス、モニカ、イルゼと一緒に後部座席に乗り込んだ。もう1台のセダンにはリーファ、範三、カーチャの3人が乗り込んでいく。
車に分乗するや、車は走り出した。
随分と静かなエンジン音に少しびっくりするが、その辺は旧人類の技術を使っているのだろう。帝室専用の高性能車と言ったところか。
片側四車線の車道を走っているうちに、まるで童話に登場するお菓子の家を思わせる色合いの、丸みを帯びた可愛らしい建物が見えてきた。宮殿にしてはやや小さく、教会にしては他の教会とは建築様式が異なるその建物をまじまじと見つめていたが、一瞬視界に入った道路標識でその正体が分かった。
ノヴォシアで最大勢力を誇る『ノヴォシア正教』の大聖堂なのだ。確かに、建物へと入っていくのはみんな宗教関係者のようで、修道服に身を包んだシスターや神父、信者と思われる人々が大聖堂へと入っていく姿がここからでも見える。
車の後部座席に背中を預けること5分と少し。窓の向こうに見えていたモスコヴァ宮殿がどんどん大きく見えてきて、その巨大な正門がすぐ間近に迫っていた。豪華な黄金の格子で作られた正門の前で車が停車するや、門番の兵士たちが正門を開けた。
そのまま敷地内へと入っていく。
軍事大国の意思決定機関、そして最高権力者の住まいというだけあって、正門の向こう側は別世界だった。
一流の庭師たちによって整えられた芝生に花壇。大きな噴水も設置され、数秒おきに四方八方へ水を噴射しては周囲に美しい虹を作り出している。
「え、あれ鹿……?」
「え?」
思わず声をあげた。
窓の向こう、丁寧に整えられた芝生の上には大きくて立派な角の生えた鹿がいる。動物を飼い慣らして放し飼いにしているのかと一瞬思ったが、しかしよく見るとその目は……いや、精巧に再現されたロボット、戦闘人形の技術を応用した機械のようだった。
こちらをじっと見つめる機械の鹿の角に、これまた機械の小鳥が止まって首を傾げる。
動物たちだけではない。
よく見ると、向こうで庭の手入れをしている庭師たちも機械のようだった。ブレード状の腕を器用に振るい、芝生を整えたり木の枝の剪定をする機械の庭師たち。これらを買い揃えるのにいったいどれだけの金がかかったのだろうか……少なくとも、ウチのクソ親父が衝動買いした攻城砲を3つくらいは買える金額は余裕で超えている筈である。
「すっご……機械の動物じゃん」
「……いったいどんな技術を?」
庭を通過し、車はそのまま車庫へと収まっていった。運転手が後部座席のドアを開けてくれたので、仲間たちと一緒に外へと降りる。
どうやら後ろをついてきた範三やカーチャたちも同じ反応だったらしく、範三に至っては「からくりの鹿が……鹿が……」と何度も繰り返していてちょっと草生えた。
『ヨウコソ オイデクダサイマシタ』
「!」
唐突の機械音声にびっくりして振り向くと、そこには煌びやかな近衛兵の制服に身を包んだ兵士……ではなく、機械の人形が立っていた。
体格は普通の兵士と変わらないが、制服から覗く手は機械のそれで、首から上は電球というか、レトロフューチャー映画の宇宙服みたいな感じのガラス球で覆われており、その内側では蛍光色の光がいくつか蛍のようにふわふわと浮遊しては、喋るリズムに合わせて点滅している。
『皇帝陛下 ハ 謁見ノ間 デ 首ヲ長クシテ オ待チカネ デス』
「……では、案内を」
『承知 シマシタ コチラデス』
金属音を発しながら歩き始める機械の人形(あれも戦闘人形の亜種なのだろうか)。どこかぎこちない足取りに誘導され、階段を上がって長い通路を延々と歩かされる。
通路の奥には巨大な扉があった。機械の案内人の姿を見るや、控えていた2名の近衛兵がまるで機械仕掛けの人形のような一糸乱れぬ動作で、装飾が施された扉を左右へと開いていく。
扉の向こうは大広間―――磨き抜かれた大理石の床に真っ赤なカーペットが敷かれた、謁見の間と呼ばれる空間だった。ここで皇帝陛下との謁見を行うのだろうが、何だろうか……まるで氷で作られた城の中にいるような冷たさを覚えるのは。
カーペットに沿うようにずらりと並んでいるのは機械の兵士―――戦闘人形たちだ。ブレード状の腕ではなく5本指のマニピュレータに換装された彼らは、巨大な大剣を掲げたまま微動だにせず待機している。
機械の儀仗兵たちの間を歩き、ある程度進んだところで―――玉座に座るライオンの獣人の女性の姿がはっきりと見えたところで立ち止まり、仲間たちと共に跪いた。
「―――リガロフ公爵の三男、ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフとその仲間たちよ、よくぞ来てくれた」
広間に響いたのは、言葉の内容とは裏腹にあまり関心がないような、そんな冷淡な声だった。
なるほど、”精密機械”と揶揄されるだけの事はある。まるでヒトの血が通っていないような、そんな冷たさだ。シベリウスの永久凍土がぬるま湯に思えてくる。
俺たちの腰にはまだ、儀礼用のサーベルがある。てっきり一時的に没収されるものかと思っていたが……この警備だから心配はないと踏んだのか、それとも皇帝陛下の肝が据わっているのか。
俺たちの目の前に、彼女は確かに居た。
ノヴォシア帝国現皇帝―――カリーナ・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。
永久凍土すら平伏させる女帝の瞳は、確かに氷の色をしていた。




