帝都モスコヴァへ
段々気温が上がってきました。まさに夏って感じですが、熱中症や脱水症には気をつけてお過ごしください。
※往復ミサイルの中の人は昨年仕事中に脱水症でぶっ倒れ救急搬送されました。水分補給はこまめに行い、朝食はしっかり食べ、十分な睡眠時間を確保して苛酷な夏を乗り切りましょう。
……マジで夏なんて一生来なくていい(白目)
この日のために、出来る事はすべてやった。
どん底から這い上がるのはミカエル君の得意分野だ。前世でも、そしてミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフというキュートな獣人として生まれ変わってからもそれは変わらない。
さあ来い、と息を呑みながらその時を待ち受ける。
傍らに控えていたクラリスが、しかしいつも通りの声で結果を淡々と告げた。
「……150cmですわ」
「嘘ぉ……」
そんな馬鹿な、と崩れ落ちそうになる。
現実とはいったいどこまで非情なのか。自分がされたら嫌な事は他人には絶対にやるな、と小学校の時に教わらなかったのだろうか。ここまで的確に他人の嫌がる事をするのだから、嫌われ者の才能があるというものである。
そんな呪詛を胸の中で唱えながらがっくりと項垂れる。ミカエル君の感情を反映しているのだろう、真っ黒なケモミミもぺたーんと垂れさがっていた。
「ミカ姉身長伸びないねぇ……」
「 や か ま し い 」
身長測定を一足先に終えていたルカの髪をモフりながら呪詛を漏らす。
ルカ君は順調に成長期に突入したようで、155cmだった身長はなんと驚きの162cmに伸びていた。まあ、ビントロングはジャコウネコ科の中でも最大サイズの種なのでそれも反映されているのだろうが、しかしもしそうならルカ君の身長はどこまで伸びるだろうか。
彼は今年で16になる。成人する頃には180とか190cmくらいあったりして。
ビントロングは『クマネコ』と呼ばれる事もある動物だが、ルカがそんな体格になったらまさにクマネコである。
とりあえずこうしてモフれる歩く毛玉みたいな感じになっているのは今の内だけということだ。尻尾なんかけが凄く、握ると手首まで埋まってしまうほどもっふもふである。もふもふ。
それはさておき、ミカエル君の身長が伸びる日は来るのだろうか。
1mmでも1ミクロンでもいい、伸びろ俺の身長。どうなってんだ俺の細胞分裂は。どうなってんだ二頭身ミカエル君ズ……こら寝るんじゃない、そっぽ向くんじゃない。
俺の後に続き、今度はノンナがニコニコしながら身長測定器の前に立つ。「お願いしますっ」と元気いっぱいなノンナの声に、クラリスはニコニコして鼻血を流しながら測定準備を始めた。
彼女との付き合いが長いミカエル君として言わせてもらうが、今のところクラリスが出血する原因で最大のものは鼻血だ。特に俺とノンナ辺りが危険らしく、内訳では俺が6割から7割、残りをノンナが占めている(当社比)。
そういやノンナも最近身長伸びてきたよな、と思いながら眺めていると、鼻にティッシュを詰めたクラリスがニコニコしながら結果を発表した。
「152cmですわ」
「やったー! ミカ姉より大きくなったー!!」
「俺が……負ける……?」
がく、と膝をつく。
そんな馬鹿な、ありえない……俺がノンナに身長で……負けた……?
毎日牛乳を飲み、煮干しをボリボリし、適度な運動と筋トレで身体を健康に保ってきたしご飯も好き嫌いせずに食べてきた。それと「寝る子は育つ」という先人の言葉を信じ睡眠時間は毎日キッチリ7時間は確保するようにしている。
それと毎晩、寝る前に神様に身長が伸びますようにとお祈りしている。なのに身長は1mmどころか下手したら1ミクロンたりとも伸びず、ついにはノンナに追い抜かれる始末……どうなってんだコレは。
ちなみにミカエル君の身長がぴたりと、それこそソ連の経済成長並みに停滞したのは13歳の頃だ。それ以降は何をしてもどうあがいても身長は伸びず、気が付いたらもう18歳……どうも、身長150cm、体重53㎏のミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフです。ミニマムサイズです。
「落ち込まないでくださいまし、ご主人様」
「うえぇぇぇぇんクラリスぅ……」
「小さい方が可愛いですわ!」
「うるせえこんにゃろう」
ぐっ、じゃねえんだよ。ビッグな男になりたいんだよビッグな男に。
そうかそうか、これでミカエル君も晴れて血盟旅団最小サイズの称号をゲットしてしまったという事か。哀しい、哀しすぎる。こんな称号要らんよ……。
はぁ、と溜息をつきながらその場を後にし、3号車の2階にある射撃訓練場へ。
勝手知ったる列車の中、射撃訓練場の防音扉を開けると、中はやけに暑苦しかった。
今が夏だからとか、そんな事はない。3号車は1階がパヴェルの工房と研究所、2階が射撃訓練場と、あまり外部に公開したり窓を設けたりできない施設が集中している関係上、3号車には一切窓がない。その代わり射撃訓練場に関しては空調管理が徹底している(射撃時の発射ガスを外部に排出するためだ。これを怠ると健康被害が出る)。
だから夏は涼しく、冬はちょっと寒いくらいの場所なのだが……。
「999、1000、1001、1002……ッ!」
「フンッ、ハッ! セイヤッ!」
上半身裸、筋骨隆々の肉体を晒しながら片手で腕立て伏せをする範三さん(25)と、吊るされたサンドバッグにひたすら掌底を撃ち込むチャン・リーファさん(18)。ついに4桁に突入した腕立て伏せの回数をカウントする範三さんの隣では、サンドバッグを吊るすチェーンを衝撃だけでぶち折らんばかりの勢いでサンドバッグが揺れ、掌底がぶち当たる瞬間に砲弾の着弾みたいな音を発するリーファ。なんだこいつら。
一回でいいからリーファとクラリスで力比べをしてみてほしいものである……と言いたいが、クラリスはサキュバスを月まで吹っ飛ばしているので多分彼女に軍配が上がるのではないだろうか。まあ、ギャグ補正込みという点にも留意するべきではあろうが。
メニュー画面を呼び出し、『ケルテックP50』を召喚。やけにゴツい大型の拳銃だが、よく見るとベルギー製PDW(SMGに分類される場合も)、P90のものに似た……というかそのものが側面から露出している事が分かる。
それもそのはず、このP50はP90のマガジンをそのまま利用できるセミオートピストルなのである。残念ながらフルオート射撃には対応していないが、P90譲りの弾数と5.7mm弾の貫通力は凶悪極まりない組み合わせと言えるだろう。
欠点を挙げるとすれば拳銃にしてはデカすぎるそのサイズだが、まあこの弾数を実現するためなのだから仕方あるまい。
今思えばミカエル君、あまり普通の拳銃を使った事がないな……毎度ピストルカービンだったり大型拳銃だったり、ミカエル君のサイドアームは変わった銃が多い。
まあいいや、今ばかりは思い切りぶっ放そう。
アレだ、身長がギルド内最小に転落した憂さ晴らしだ。
「んぁー……もう限界なんかね」
列車を牽引する機関車、ソ連製蒸気機関車”AA20”。その運転席で火室へ石炭を放り込んでいたツナギ姿のパヴェルは、圧力計の1つを見ながらそう呟いた。
「そうなん?」
「んー、最近足回りの劣化も酷いんだよね。修理がそろそろ追い付かなくなる」
まあ、AA20だからな……なんてパヴェルの前で言ったら本気の右ストレートが飛んできそうだからやめておこう。
とはいえその機関車の特性を知っている(主にネタとして)身としては、パヴェルもよくここまでこの機関車を走らせてくれたものだと思う。
本来、AA20はソ連の大型機関車として建造されたものだ。しかしその大重量のせいでレールに負荷をかけすぎ、特にカーブで線路をぶっ壊しまくった事から実用的とは言えないと判断され、正式採用される事無くお役御免となった悲劇の蒸気機関車である。
それを原型として、ノヴォシア鉄道の線路の規格に合わせサイズアップを施し、デカくなった分色々と魔改造を施したのがこの血盟旅団仕様のAA20である。
つまりこのAA20は『外見だけはAA20だが、中身は馬力含めて全くの別物』というとんでもない代物だったりするのだ。
「機関車の更新考えないとなぁ」
「更新ねぇ……もっと馬力ある奴いいんじゃない? ディーゼルの」
「やっぱりディーゼルかなぁ」
うーん、と唸るパヴェル。彼なりにこの機関車に愛着もあるのだろうが……しかしまあ、道具はいつか壊れるものだ。
クッソ暑い運転席から身を乗り出し、機関車側面にある整備用のキャットウォークへと足を運んだ。身体を半身にしなければ転落防止用の手摺にぶつかってしまうほど狭いキャットウォークは、とにかく風がよく当たる。120㎞/hで疾走するAA20は、しかし忍び寄る限界を微塵も感じさせないほどの力強い走りでノヴォシアの地を走行、煙突から発する黒煙で大地に影を大蛇の如く描いている。
目的地は学術都市、ボロシビルスク―――から急遽変更になり、俺たちは今帝都モスコヴァへの旅路を急いでいる真っ最中だ。
機関車が速度を落としたのが分かった。カーブがあるわけでもないし、たぶん駅を通過するからなんだろうなと思っていると、ごう、とチェルノボーグは駅の通過線を通過、在来線のホームで乗客を降ろしていた列車をあっという間に置き去りにしていった。
再び列車が加速を始めたところで、運転席の方へと戻った。
今日の気温は26℃、いよいよ夏だなという感じの気温で、森林を通過する時なんかセミの鳴き声が聞こえてくる。
運転席のある機関室はとにかく暑い。すぐ近くに高音を発する火室があるわけだし、安全を考慮して機関室内では半袖半ズボン厳禁、耐火性ツナギを使用する事と厳しく定めてあるので、こんなところでスコップを使い石炭を燃やしたりする作業を繰り返すのだからとにかく機関士の仕事は苛酷極まりない。
熱中症や脱水症には気をつけてほしいものだ。
後ろで風に当たりながら水筒の水を飲んで水分補給するルカ。その間にパヴェルは火室へ石炭を放り込み、圧力計や速度計の針に目を光らせる。
「予定通りなら早くて今夜、まあ明日の朝には帝都モスコヴァに着くよ」
「分かった」
にしても、皇帝直々の呼び出しねぇ……。
用件は俺に勲章と称号を授与したいという事と、帝室主催のパーティーに招待したいという事だそうだが……それってつまり、帝国のトップと対面する事になるわけですよね?
マジか……いや、皇帝陛下なんて雲の上の存在だとずっと思っていたし、謁見の時のマナーなんてちょろっと聞きかじったくらいしか知らないや俺。どうせ庶子だしこんな事はないだろうと思っていたのが、見事に仇になった格好である。
到着までに練習しとこう……クラリス手伝ってくれるかな?
「にしてもさ、皇帝ってどんな人なんだろうね?」
「冷たい人らしいぞ」
タオルで額の汗を拭き取りながらパヴェルが言った。
「淡々としていて表情を変えず、非情な命令も当たり前のように下す事から”прецизионное оборудование(精密機械)”なんて呼ばれてるんだそうだ」
「えぇ……なんか怖そう」
「ちなみに女な、クラリスくらいの歳か」
「え、女?」
「あのなルカ、”カリーナ”って名前はどこからどう見ても女の名前だろうが」
カリーナ・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。ノヴォシア帝国を統べる現皇帝であり、先代皇帝であるニコライ2世の娘。
はっきり言って彼女は、激動の時代の統治を任されたものだと思っている。
先代皇帝が実施した農業から工業への政策転換による影響は未だ強く、各地の混乱も集束したとは言い難い状況……むしろそれが火種となって共産党の躍進を許してしまったと言っても過言ではなく、先代皇帝の愛娘は父親の遺した負の遺産の事後処理に奔走している、というのがミカエル君的な評価だ。
そして一つ、確かめたい事がある。
今の皇帝は本物なのか。
テンプル騎士団お得意の、機械人間へのすり替えの犠牲者になっていないか。
もしなっていないのならばいいが、しかし手遅れだったならば―――この国の統治は連中に握られたも同然、と言っていいだろう。
それを見極めたい。
そして可能ならば、断ち切りたいのだ。
操り人形の糸を。
立ち昇る朝日の向こうに、巨大な建造物が見えた。
天まで届くほどの長大な尖塔に、まるでお菓子の家を思わせるカラフルな色合いの屋根が特徴的な大きな屋敷。向こうに見えるのはどこかの宗派の大聖堂だろうか。
《ご乗車ありがとうございます。間もなく帝都モスコヴァ、モスコヴァです。お降り口は左側です》
スピーカーから聞こえてくるパヴェルの声に、息を呑んだ。
緊張するのだ、色んな意味で。
嫌な予感というのはよく的中するものだが……果たして、今回はどうなるか。




