招待状
神様、懺悔します。
俺は仲間たちを騙しました。
あの邪竜、ゾンビズメイを簡単に打ち倒すための手段は、ずっと手元にあったのです。自室の本棚、その裏に隠した金庫の中に保管されている、特別な2つの義手の中に。
それさえ使えば、ただの一撃でゾンビズメイを打ち倒す事ができた筈でした。
けれども、そうはならなかった。
ミカは仲間たちに結束を呼び掛け、最後の最後まで諦めず、死をも恐れず前線に踏み止まった。己の全てを武器として力を振り絞り、その結果として災厄の邪竜、その先触れは打ち倒された。
そうだ。
それくらいの実力者であってもらわなければ困る……。
本棚に隠してあるスイッチを押すと、本棚が中心から左右に割れた。その奥から顔を覗かせたのは、寝室の壁面に埋め込まれた横長の金庫の扉。暗証番号の入力用ダイヤルが、窓から入り込む月の光を受けて白銀に輝いている。
誰も見ていない事を確認し、ダイヤルを回した……『0215』、今は亡き愛娘の命日だ。
この4桁の番号を目にする度に、胸が締め付けられる思いになる。どうしてこんなにも心が痛いのだろうか……心臓は実に7割が機械化され、それ以外の身体の部位も機械部品に置き換えられて、この身体を巡る熱い血は常人の20%にも満たないというのに。
やっぱりこんな身体でも人間なんだな、と思いながら金庫の扉を開けた。
中には真っ黒な装甲で覆われた、2つの義手が入っていた。
どちらも右腕用だ。装甲は7.62×51mmNATO弾の近距離射撃も完全に防護するほどの防御力がある。それでいて軽量、衝撃にも強く、人工筋肉の瞬発力と魔力式モーターの生み出す腕力は人間の頭を容易く殴り潰すほどの威力を誇る。
今の俺が着用している常用の義手でも、それの装甲強度とモーター出力をチューンした自作の戦闘用義手とも違う―――この2つの腕だけは、テンプル騎士団が誇る天才技師『フィオナ・モリガン博士』が直接作成したフィオナ純正の戦闘用義手だ。
そしてその中に、”不死殺しの杭”が埋め込んである。
メンテナンス用の固定具を外し、腕のカバーを取り除いた。
人間の腕の骨にあたる部分は砲身になっており、機関部もある。しかしその中に装填されているのは砲弾などではなく、螺旋状の溝が刻まれた1本の鉄杭だった。
―――『煉獄の鉄杭』。
命中さえすれば、相手が不死だろうと何だろうとそういった特性を一切合切無視、強引に即死させる文字通りの一撃必殺、別名”不死殺しの鉄杭”。
現役の頃、これを消費した数だけ俺は転生者を葬ってきた。
これを最初から出していれば、ゾンビズメイはあっという間に討伐する事も出来ただろう。
しかしそれを良しとしなかったのには個人的な理由がある。
この最後の2本を使う相手は、もう決まっているのだ。
1つは俺が身を寄せている組織、【暗殺教団】との間にいずれ生じるであろう決別に備えるため。特に組織のナンバー1にして最強の暗殺者、700年もの間世界の裏側で暗躍してきた百戦錬磨の実力者だ。
奴を確実に葬るには、この煉獄の鉄杭が必要になるだろう。
俺の離反の意思も、連中は薄々勘付いている筈だ。今はあくまでも互いを利用しているだけ、しかし利用価値が無くなれば即座に粛清に動く―――そんな危ういバランスの上で、今の俺たちの関係は成り立っている。
そしてもう一本は、来たるべきテンプル騎士団との決戦のため。
あまり考えたくはないが―――もしも、もしもアイツもいるというのならば。
組織と共に暴走し、堕ちるところまで堕ちたというのであれば―――その時は。
「……」
元々3本あった煉獄の鉄杭、そのうちの1本はミカに託した。それはアイツの触媒としてまず最初に”慈悲の剣”となり、そこからあの仕込み杖へと生まれ変わって、今度はテンプル騎士団製の人工賢者の石とゾンビズメイの素材まで使って更なるグレードアップを果たそうとしている。
ミカだから―――アイツの事を心の底から信用しているからこそ、アイツならば力の使い方を決して謝らないだろうという確信があるからこそ、虎の子の杭をミカに委ねた。
今までは何とも思わなかったが、仲間を欺くのがこんなにも辛いとは……。
だが、どうか赦してほしい。
俺にもまだ、為すべき事があるのだ。
こんな復讐の燃えカスのような俺にも、だ。
「ええと……今なんて?」
ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ18歳。ついに銃声に晒され続けた耳が逝ったのかと思ったが、しかし相手の反応を見るにそれは聞き間違いなんかではないのだろう。
驚愕の入り混じったような笑みという、複雑な表情を浮かべるのは紺色の制服に身を包んだ冒険者管理局の職員だった。黒ウサギの獣人なのだろう、制帽の下からはセミロングの黒髪と垂れさがったウサギの耳が覗いている。
「はい! ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフさんと血盟旅団の皆さんですが、今回のゾンビズメイ討伐の功績を考慮し、ギルド所属の冒険者全員がSランクへ特例の昇級となります!」
嘘やろ、と思いながら隣に居るクラリスの方を見上げた。クラリスも予想外だったようで、マジ? とでも言いたそうな顔でこっちを見下ろしている。
特例として、ギルド全員のSランク昇級―――多分だけど、長い冒険者の歴史の中でこんな事例は他にないだろうと思う。
普通ならば毎日こつこつと仕事をこなし、上のランクへ挑めると管理局側が判断した場合に昇級試験としてワンランク上の仕事を与え、その結果で昇級が決まるというのが冒険者ランクアップの大まかな流れである。
そして中堅から上位への昇級で皆が心折られ停滞する事から、今まで上位陣の序列が変わる事は無かった……序列1位は実に100年前から変わらず、『グラウンド・ゼロ』という冒険者ギルドが居座っている。
冒険者ギルドのランクも所属している冒険者のランクの平均値で決まるため、全員がSランクに昇級という事は血盟旅団もCランクだったところから一気にSランクへ躍り出る、という事になる……そう、今まで数多の冒険者が挑み、そしてその壁の厚さに心折られ消えていった序列上位へ、血盟旅団が食い込んだのだ。
「これにより血盟旅団のギルド序列は3位となります! すごいです、今まで変わる事の無かった勢力図が変わりますよリガロフさん! 私、こんなの初めてです!!」
ウサミミをパタパタさせながらはしゃぐギルド職員の少女(可愛いなこの娘)。しかし言われている側はまだその結果を受け入れ切れてはおらず、俺を含めた仲間たち全員が(パヴェルを除いて)唖然としていた。
いや、信じられん。
確かにゾンビズメイ討伐で何かしらの褒賞はあるだろうなとは思っていた。しかし、それがギルド全員のSランク昇級とギルド序列3位への急上昇とは、予想の遥か斜め上を行く結果にただただ驚くことしかできない。
「おー、という事はミカもSランク冒険者か」
並ばれちまったな、と言いながらがっはっはと豪快に笑うパヴェル。今のところ血盟旅団のSランク冒険者はコイツだけ(いやその時点で十分化け物なんですが)だったから、彼の言葉通り俺たちもやっとパヴェルに並んだという事になる。
まあ、実力の差は絶望的ではあるのだが。
というかコレさ……いや、知名度上がるとか周りのギルドからちやほやされるとかそんな期待もあるけどさ、ミカエル君基本的にチキン野郎だからちょっと危惧してる事があるんだけど。
コレ、俺たちが上位陣に食い込んで序列3位になったって事はさ、元々3位だったギルドが4位に転落するって事じゃん? そしてそのまま雪崩の如くそれ以下のギルドの順位が繰り下がっていって、最終的にどこかのギルドが上位から中堅に降格する事になるじゃん?
……俺らめっさ恨まれるのでは?
いや、その……ごめん。本当にごめん。
ただこれも実績で招いた結果だしどうか受け入れてほしい。喧嘩を売るなら買う、そして叩き潰す。
「きゃっはー! いやこれ本当に凄いですよリガロフさん! 歴史の教科書に載りますよ!」
「そ、そんなに……?」
「そりゃあもう! あ、サイン貰っていいですか!? 言い遅れましたが私ファンなんですよあなたの!」
「は、はあ……」
彼女が差し出した手帳に鉛筆でさらさらとサインすると、黒ウサギ獣人の管理局職員さんはぴょんぴょん飛び跳ねながら何度もお礼を言ってきた。
「きゃー! ありがとうございますありがとうございますありがとうございますゥ! 家宝にします!」
「え、あ、ハイ……よかったです」
「この手も一生洗いません!」
「それはフツーに洗ってほしい」
きゃっきゃと楽しそうな声がレンタルホームに響く中、彼女のテンションに振り回され困惑していたミカエル君の視界に今度は別の来訪者の姿が映る。
そこに居たのは紺色を基調に、赤、白をアクセントとして取り入れた華やかな制服だった。腰にはパーカッション式のリボルバー拳銃とサーベルを提げ、肩には騎士団のワッペンがある。
帝国騎士団の下士官のようだ……ゾンビズメイの件でまだ何かあるのだろうか。
さすがに重苦しい雰囲気を感じ取ったようで、無意識に足ダンしそうになりながらも黒ウサギ獣人の職員はそそくさと後ろに下がって彼らに道を譲った。
彼女に会釈し、こっちに歩を進める騎士団の下士官とその副官。威圧的な雰囲気に怯え切っている黒ウサギの職員だったが、ミカエル君は意外にも動じていなかった。チキン野郎という自覚はあったのだが、なんだかんだで修羅場を潜り抜けているし慣れてしまったのだろうか?
うん、慣れって怖い。
「ミカエル・ステファノヴィッチ・リガロフ殿」
「はい、自分です」
「―――偉大なる皇帝陛下から招待状が届いている」
皇帝陛下、という言葉に、その場に居合わせた全員(やはりパヴェルを除く)が息を呑んだ。
そんな俺たちの心情など知らず、下士官は豪華な紋章が描かれた招待状をそっと手渡してくる。そこには確かにノヴォシア国旗と帝室の紋章でもある双頭の竜が描かれており、どこからどう見ても帝国上層部からの公式文書であった。
中身を見ても、と視線で訴えると、下士官は首を縦に振った。
遠慮なく中身を拝見すると、それはそれはもう美しい筆跡で書かれた、キリル文字を彷彿とさせるノヴォシア語の羅列がそこにあった。
長々と書かれているが、要約すると『ゾンビズメイ討伐の功績を称え、勲章と称号の授与、それから帝室主催のパーティーに招待するのでぜひ出席してほしい』という内容だった。
場所はもちろん帝都モスコヴァである。
どうするよ、とパヴェルの方を見た。癖なのだろう、葉巻を取り出しそうになりながらも客の前でそれは拙いと踏み止まったパヴェルが、「行くしかねえべ」的な視線を向けながらウインクしてくる。ヒグマみたいな筋肉モリモリマッチョマンのウインクとかいうグロ画像を見せつけられ、記憶に一生消えないトラウマを植え付けられたミカエル君ではあるが、確かにその意見には賛成だった。
単純に皇帝直々の招待を断るのは無礼が過ぎるし、そうじゃなくてもモスコヴァは一度も訪れた事のない地。この帝国の中枢がどうなっているのかは気になる。
それに―――いずれ独立し異国となる場所だ。大昔、イライナを虐げた連中のトップのご尊顔、独立前に拝んでおいてもいいだろう。
「……わかりました。陛下には謹んで参加させていただきますとご返答ください」
「了解した。くれぐれもご無礼の無いよう」
「はい」
敬礼し、踵を返していく騎士団の下士官。
そんな彼に形だけの敬礼を返し、仲間たちの方を見て肩をすくめた。
学術都市に行く前による場所が出来ちまったな……。
《ハイ運転手さん、ルカ君? こちら車掌のパヴェルですどうぞー》
《ハイこちら運転手ですどうぞー》
《ハイ、駅より発車許可下りましたー。信号が変わり次第発車しますどうぞー》
寝室内にあるスピーカーから、パヴェルとルカの無線のやり取りが聞こえてくる。ルカが仕事を覚えてからというもの、基本的にパヴェルは彼のサポートに徹する事が多い。
なんか職人と弟子みたいだな、と思いながら窓の外を見た。
普段は閑散としているレンタルホーム。在来線のホームとは違い、レンタルホームは冒険者くらいしか利用者が居ないので設備は必要最低限、というのが当たり前である。
しかし、やっぱりというか……今日もホームが騒がしかった。
レンタルホームいっぱいに押し掛ける報道関係者や野次馬たち。窓の外に手を振ると記者たちが一斉にカメラを向けてくるし、歓声が上がる。
「一躍有名人ですわね、ご主人様」
「……屋敷に居た頃じゃ考えられないよ」
前世が陰キャだったのと、庶子として生まれた境遇もあって、こうやって周囲から祭り上げられた時にどういう反応をすればいいのかがいまいちわからない。何とか出てくるのがぎこちない笑みと当たり障りのない言葉ばかりで、そんな境遇に慣れていない自分が恥ずかしくなってくる。
《レンタルホーム7番線、間もなく発車します。お見送りの方、報道関係者の皆様は白線の内側までお下がりください。大変危険です、お下がりください》
駅員の放送が聞こえてくる。押しかける野次馬を押し留めるのに、警備員や駅員たちも必死だった。
《レンタルホーム7番線の列車は10時19分発、チェルノボーグ号モスコヴァ行きです。冒険者ギルド所有の列車です、一般の方はご乗車になれませんのでご注意ください》
《車掌より運転手、信号変わりましたー》
《ハイ了解しましたー》
《信号ヨシ、安全ヨシ、出発ヨシ》
ブツッ、と何か雑音のようなものがスピーカーから聞こえたかと思うと、随分と優しい感じのメロディが聴こえてきた。パヴェルが作曲した車内チャイムらしい。
それに少し遅れて、窓の向こうから発車チャイムのような音楽も聴こえてきた。
出発の合図に汽笛を鳴らすルカ。窓の外で見送ってくれる野次馬たちに手を振っていると、駅員の放送がここまで聞こえてくる。
《血盟旅団の皆さん、旅の安全を祈っております。どうかお気をつけて!》
それに返答するように、ルカはもう一度汽笛を鳴らした。
ゆっくりと動き始めた列車が順調に加速、野次馬でごった返していたレンタルホームが左から右へと滑っていき、天井を支える柱の群れが窓の向こうをスライド、やがて復興の進むゲラビンスクの街が見えてくる。
ぐんっ、と列車が下に沈み込んだような気がした。モスコヴァへと北上するため、これから大きなカーブに入るのだ。在来線の線路の下を潜るアンダーパスを通り抜けると、いよいよ列車はどんどん加速していく。
いつもの聞き慣れたジョイント音の連なりに、一種の安心感を覚えた。
そして不安も覚えた。
皇帝陛下から直々の呼び出しだ。
何事もなく、無事に事が済めばいいのだが……。
第二十七章『大災厄の残滓』 完
第二十八章『帝都モスコヴァを目指して』へ続く




