牙を持つ獣たち
1889年 6月30日 午前8時52分
イライナ地方 リュハンシク州 レヴェロドレスク市郊外
ノヴォシア帝国騎士団イライナ支部 第108演習場
イライナにも、短い夏が訪れようとしていた。
6月下旬から気温が上がり、7月下旬から8月上旬にかけてピークに達し、8月下旬にはもう既に気温が10℃を下回り、9月にはストーブが必要になるイライナの短い夏。肥沃な大地の養分を吸い上げ、地面を埋め尽くすほどに実る農作物はイライナの夏の風物詩ではあるが、しかしそこには緑が無かった。
荒涼とした大地に打ち立てられているのは大きな鉄塔だ。巨人の足を思わせるほど太いそれが4つ、高さ50mほどの高さで櫓のように組まれており、鉄塔の最上部には巨大な鉄球に信管をいくつも取り付けたような形状の、スチームパンク映画に登場する爆弾のようなものが用意されている。
―――対消滅爆弾だ。
『作業員の退避完了。実験開始まで180秒』
「……」
鉄塔から遠く離れた場所に用意された観測壕で、アナスタシアは望遠鏡を使って鉄塔に据え付けられた対消滅爆弾を見つめた。
表面には確かにイライナ公国時代の国旗(下半分が黄色、上半分が蒼の二色を背景に黄金の三又槍がある)が描かれており、『Антианігіляційна бомба №1(対消滅爆弾一号)』の記載もある。
「まさか、イライナも対消滅爆弾を手にする日が来るなんてね」
観測壕でバインダーに挟んだ書類をチェックしながらフリスチェンコ博士が言った。
「そうじゃなきゃ、ゲラビンスクの一件で支払った犠牲に見合わんだろう」
「それもそうね……しかしアンタも油断ならないヒトよね、中将閣下?」
「ふん……帝室が間抜けだっただけさ」
興味なさそうに吐き捨てるアナスタシアは、しかし計画の進展に満足していた。
ゲラビンスクを襲撃したゾンビズメイ迎撃作戦において、派遣した戦力の7割を失ったストレリツィのイライナ駐留軍。更には虎の子の攻城砲も全損という大損害を被ったが、それ以上に政治の面でも軍事の面でも強力なカードを手に入れ、イライナ独立計画は一歩……いや、二歩前進したと言っていいだろう。
その成果の一つが、あの鉄塔にセットされている対消滅爆弾―――ノヴォシア帝室が厳重に管理している個体ではなく、イライナ領内にて複製された代物である。
対消滅爆弾の無制限使用が承認され、帝国騎士団は多数の対消滅爆弾を投入した。しかしその全てが無事に炸裂し役目を終えたわけではなく、中にはいくつか信管の不調により不発に終わり、そのまま投棄された個体も存在したのである。
部下からその知らせを聞いたアナスタシアは、すぐに爆弾の回収を命じた。ゾンビズメイ戦での混乱で帝室や騎士団本部への情報伝達が遅れに遅れていた事も功を奏し、対消滅爆弾の回収は無事に成功。回収された爆弾はザリンツィクのフリスチェンコ博士の元へと運ばれ、そこで徹底的な分解と分析、不活化されて充填されていた対消滅エネルギーの複製が行われた。
事前にリガロフ家を中心とした有志たちの出資により秘密工場が建設され稼働を開始しており、そこで対消滅エネルギーの増産も行われている。
今までイライナがノヴォシアに対し強気に出られなかった理由の一つが、あの対消滅兵器の存在だった。もし独立を宣言し武装蜂起をすれば、皇帝は間違いなく軍を派遣し鎮圧に打って出るだろう。そして状況次第では対消滅兵器の使用を承認、徹底的な殲滅を図る筈だ。
たった1つで大都市を巨大なクレーターに変えてしまう対消滅爆弾は、兵器として使う以外にも抑止力として、あるいは恫喝のための政治的手段として機能していたのである。
核ミサイルが政治の道具にされているのと同じだ。
ノヴォシアには対消滅兵器があり、イライナにはそれがない。一方的な関係であったからこそイライナは迂闊に独立を宣言できず、ノヴォシア側からの恫喝じみた要求を呑まされてきたわけである。
しかしイライナも自前の対消滅兵器の保有に成功し、いつでも撃てる状態になったとなればどうか。
『対消滅爆弾を使う』という恫喝に対し、『ならばこちらも対消滅爆弾を使うがよろしいか』と恫喝を返す事で相手の政治的選択肢を制限、または対消滅兵器の投入を抑止する事が可能になるというわけだ。
結局のところ、対話だけでは何も解決しない。武力を持つ相手には相応の武力をちらつかせてこそ初めて対話という選択肢が可能になるのであって、最初から武器を捨てて対話しようだなどという主張は現実を何も知らないから言える事なのである。
だからアナスタシアは、そのための武器を用意せよと博士に依頼した。
イライナ独立を目指す”貴族有志連合”―――アナスタシアの理想に共感した、イライナ地方の貴族たちからなる組織から提示された金額は破格の8400億ライブル。そんな大金を提示されれば断る理由もなく、フリスチェンコ博士は大喜びで計画への参加を表明した。
そうでなくとも、フリスチェンコ博士は根っからのイライナ人。今のノヴォシア人による統治に不満を持つイライナ人の1人であり、だからこそ皇帝からの再三の学術都市への招待を断っていたのである。
『実験開始60秒前』
「各員、衝撃に備えよ!」
部下たちに向かって声を張り上げ、ポケットから取り出した遮光ゴーグルをかけた。まるで帳を下ろしたような真っ黒な視界の中、照り付ける太陽の光と、辛うじて対消滅爆弾が用意された鉄塔が見える。
この実験はすぐにノヴォシアにも知れ渡るであろう。そして皇帝は玉座で顔を青くする筈だ。「土いじりしか能のないイライナの農民が、対消滅兵器を持つなどあり得ない」と。
(180年間、我らは耐え忍んできた)
イライナ公国の歴史は戦争による理不尽な分割・併合の歴史だ。旧人類の時代にまで遡れば、一度は大モーゴル帝国の侵略で国家そのものが消滅している。
長い間、イライナの農民たちは虐げられ、搾取されてきた。圧政の元で武力に恫喝され、汗水流して育てた農作物や造り上げた工業製品を買い叩かれ、返ってくるのは感謝の言葉ではなく嘲りと罵倒、差別的な言葉の大洪水。
もううんざりだ、というのが全てのイライナ人たちの総意だった。
だからこそアナスタシアは心に決めていた―――自分の代でその隷属を断つ、と。
今日この瞬間こそが、自由への行進の第一歩となる。
「……我らイライナの輝き、とくと見よ」
『実験開始20秒前。秒読み開始』
Слава Елані(イライナに栄光を)、という言葉が観測壕のいたるところからぶつぶつと聴こえてきた。今回の実験に参加するストレリツィの兵士たちや技術者たちの声だ。
『10、9、8、7、6……』
サイレンの音が耳を劈く。
『5、4、3、2、1……実験開始』
ゴウン、と重々しい音を立て、爆弾のロックが解除された。
拘束具を外された爆弾が重力に導かれ、櫓のように組まれた鉄塔の内側を滑り落ちていく。やがてウニのように周囲にびっしりと取り付けられた信管が一斉に内側に引っ込んで―――カッ、と純白の閃光が全てを埋め尽くした。
活性化した対消滅エネルギーの奔流が、蛹の表皮を突き破って出てくる羽化したての成虫の如く溢れ出る。周辺の大気までもを消滅させているからなのだろう、閃光の発生と同時に周囲には大規模な乱気流が生じた。
純白の泡のようなエネルギーが弾けながら、周囲へと一気に拡散していく。爆心地にあった鉄塔はもちろん、周囲にある地面や大気、大気中の水分など、固体だろうと気体だろうと液体だろうと分け隔てなく、それに触れてしまった物体を貪欲に消滅させていく。
それはまさに暴力の具現だった。
あまりにもの強烈な閃光に、遮光ゴーグル越しでも眼球が悲鳴を上げた。遮光ゴーグルで視力を防護していてこれなのだ。裸眼であの爆炎を見てしまったら失明してしまうのではないだろうか。
猛烈な熱風と閃光が全て収まり、周囲がしんと静まり返る。
まだ微かに痛む両目に鞭を打ち、アナスタシアはそっと遮光ゴーグルを外した。
「……素晴らしいな」
雪のように煌めく白い粒子が舞う、リュハンシク州の演習場。
そこには既に対消滅爆弾も鉄塔もなく―――直径3㎞、深さ1.4㎞にも及ぶ巨大なクレーターが、さながらカルデラのようにぽっかりと口を開けていた。
「博士、これの増産と改良を」
「資金が足りないわ」
「なら報酬の倍額を出す」
「喜んで」
昔、屋敷にあった思想家の本を読んでいた時の事をアナスタシアは思い出した。
曰く『恐ろしい威力の兵器を目にすれば、ヒトはそれを畏れ自ずと武器を手放すだろう』という言葉。
それは嘘っぱちだ、と彼女はたった今確信する。
どれだけ兵器の威力が上がり、破滅的な破壊力を持つに至っても、未来永劫ヒトは武器を棄てる事はないだろう。
たとえそれが、この星を破滅に導く悪魔の兵器であったとしても。
ヒトは、武器を手放せない。
決して。
イライナが対消滅兵器を保有した―――その知らせはすぐに俺の耳にも入ってきた。
ロイドとエカテリーナ姉さんが駆け落ちした例の件でも思った事だが、姉上は咄嗟のハプニングを力に変える術に長けているのではないだろうか。あの時だって実家の混乱に乗じて両親を追放、家督を簒奪し今の地位に落ち着いたし、今回だってそうだ。ゾンビズメイ討伐作戦で不発弾となった対消滅爆弾を極秘裏に回収、解析と複製を行い実戦配備を目指している。
あるいは対消滅兵器の無制限使用が確実となった段階でこれを狙っていたのか。
いずれにせよ姉上は敵に回したくないなと思う。政治的にも、そして軍師的にもだ。
そして、そんな姉と俺はやっぱり姉弟なんだな、と同じ結論に至った事に血の繋がりを感じずにはいられない。
格納庫の中、冷却水を循環させ内部の温度を一定に保つ仕組みとなっている耐衝撃・耐熱コンテナ。廃品のポンプやら何やらを組み合わせてパヴェルと一緒に造り上げたそれの中には、ラグビー用のボールを肥大化させたような金属の物体が5つ、収まっている。
そして、それと一緒にカタパルトのようなものも。
カタパルトには肩に当てるためのストックと引き金のついたグリップ、そして重量のあるそれの保持を補助するためのフォアグリップと三脚が用意され、グレネードランチャーのような可倒式の照準器もある。
『Зброя стримування №1(抑止兵器一号)』と記載されたプレートと共に保管されているそれもまた、今後血盟旅団が巻き込まれていくであろう政治的思惑に対抗するための抑止力。
―――小型化し改良した対消滅爆弾と、『ユニバーサル・ランチャー』と名付けられた発射システムのセットだった。
魔力式カタパルトを用い、小型化した対消滅爆弾を標的目掛けて撃ち込む戦術兵器……想定されている加害範囲は直径3㎞、更にその外周500mはプラズマ化した熱風で焼き払われる事になっており、その破壊力は対ゾンビズメイ戦で投入された対消滅爆弾と遜色ない(パヴェル曰く『無駄な設計が多いから思い切って省いた』との事だ)。
「まさか、クラリスたちもこのような兵器を保有する事になるとは……」
「仕方がないさ、名が売れすぎたんだ」
ゾンビズメイ戦が終わってからというもの、最近はメディアの取材に引っ張りだこだ。おかげで知名度は右肩上がり、イライナでは新聞やラジオ番組で『大英雄イリヤーの子孫がズメイの首を撃破!』と連日のように特集が組まれ、イライナ国民は大歓声を上げているのだとか。
中には『英雄の再来』だなんて呼ぶ人が現れ始める始末である……こうなってくると面白くないのが帝室であろう。
リガロフ家の没落は、大英雄イリヤーの存在を疎んだ当時の皇帝が意図的に仕組んだものだったという陰謀論は根強く、これに関しては俺もその可能性が高いのではないかと見ている。
で、今回の一件……大英雄イリヤーの子孫である俺が、復活したゾンビズメイを撃破し歴史の再演を果たしたとなれば、イライナ地方を中心に国民は活気づくだろう。
姉上は間違いなく、それを今後のイライナ独立のための武器にするつもりだ(というか徹底的にやるって本人が言ってたし俺もOKしちゃった)。
イライナが独立を目論んでいる、という情報は既に皇帝の耳にも入っている筈だ。帝室だけでなく、ノヴォシア共産党や……テンプル騎士団にも。
今後は各勢力が、あらゆる形で圧力をかけてくる事は想像に難くない。そうなった時、大規模な組織や国家を相手に、一介の民間ギルドである血盟旅団が上手く立ち回るのにもすぐ限界が来る。
そこで抑止力を手に入れよう、という話に行き着いたのだ。前世の世界で、軍事大国が核兵器をちらつかせながら互いを抑止し合っていたように。
結局のところ、武力を持ち侵略の意図がある相手は同等かそれ以上の力を持つ相手にしか聞く耳を持たない。武器を捨てて対話しようだなどと歩み寄ったところで、あっという間に踏み潰されて犬死にだ。
だから俺たちも帝国と同じ土俵に立つ―――もちろん、テンプル騎士団に対しても。
「ミカ、分かっているとは思うが……」
「ああ」
もう、後戻りはできない。
賽は投げられたのだ。
ユニバーサル・ランチャー
・重量
28㎏(弾体装填時:35㎏)
・全長
2.3m
・最大射程
4500m(最大仰角)
・加害範囲
直径3000m、及び爆心地から3500mまでの大気のプラズマ化による熱風
ゾンビズメイ戦後、ノヴォシア帝国を始めとする各勢力からの政治的介入や工作を抑止するための抑止力として、ミカエルの発案でパヴェル、ミカエル2名が開発した”抑止兵器”。
魔力式カタパルトを用い、ラグビーボール状の対消滅爆弾を射出する。大重量であり携行は困難であるものの歩兵の携行も理論上は可能であり、更には機甲鎧や軽装甲車両への搭載も可能と汎用性は広い。また『ユニバーサル』の名の通り、サイズの合う弾体であれば小型核爆弾でもボウリングのボールでも、またその辺の岩でも撃ち出す事が可能で、その気になればミカエル本人も射出できるのだとか(※要検証)。
爆弾を投下するのが主流となっている対消滅兵器の中にあって、発射機から飛翔体を発射するという点で先進的であるが、一番は抑止力という名のお飾りで役目を終え、一度も使用されずに済む事である。




