触媒、作ってみました
息を吐き、身体の中の余分な力を抜いた。
聞こえてくるのは風の音と、心臓の鼓動の音だけ。
ゆっくりと魔力を指先に集中させていく。バチッ、と一瞬だけ蒼いスパークが舞ったかと思いきや、左手の甲に刻まれた洗礼の証―――蒼い魔法陣に光が燈る。
その状態で姿勢を低くし、両手の指先を地面に這わせた。
バチンッ、と電撃が迸る。放射される魔力の波形がどんどん大きくなっていき、放射されていく魔力の”揺らぎ”が特定の波形―――事前に学んだ魔術の発動に必要なレベルの波形と一致したのを確認し、両手を振り上げる。
次の瞬間、地面を蒼い雷の斬撃が駆けた。
地面の上を這うように駆けた5×2、合計10発の斬撃は、周囲にスパークと空気の焦げる臭いを撒き散らしながら直進。標的代わりに置いておいた空の樽を見事に直撃したかと思いきや、まるで鍛え上げられた騎士の渾身の一撃を受けたかのように、バッサリとそれを切断してしまう。
「うお……っ!」
切り裂かれ、燃え上がる樽の残骸を見ながら息を呑んだ。
今のは雷属性の初歩的な魔術の一つで『雷爪』と呼ばれるものだ。雷属性の魔力を斬撃に見立て、それを微妙に拡散させつつ前方へと放つ攻撃型魔術。
熟練の魔術師は波形の調整から発動までを一瞬でやってのけるらしい。俺はまだそのコツが分からないので、こうしてスラムの地下にある秘密の訓練場で特訓しているというわけだ。発動まではちょっと時間がかかってしまうが、とりあえず実戦で使えるレベルの威力だけはあるらしい。
今のところ、習得した魔術はこの雷爪と、雷の球体を前方へと投げつける”雷球”の2つ。他にも脳からの電気信号の速度をブーストし、考えてから動くまでのタイムラグを緩和する”雷の鼓動”、相手に電気による痺れを付与し動きを阻害する”雷の束縛”といった魔術も存在するらしいが、そっちは習得に至っていない。
さて、ここで魔術にも分類がある事を説明しておこう。
魔術には様々な属性と、そこからさらに分けられる”特性”という分類がある。例えば俺の習得した雷爪の特性は”電撃”と”斬撃”、この2つの特性を持つ。相手によってはこの特性次第でダメージが増減するらしいので、属性の相性だけでなく特性も頭に入れておく必要がある。
それともう一つ。
習得したこの2つの魔術はあくまでも初歩的なものだ。小学校で習う簡単な漢字や算数の足し算引き算、そのレベルのものでしかない。そこから更に応用したり、あるいは自分で術式を組み替えて改造した魔術というのも習得すれば使えるようになるのだが、下級魔術から上位に位置するもの―――いわゆる”中級魔術”、”上級魔術”を発動するには、『触媒』と呼ばれる装備品を用意しなければならない。
基本的に触媒は何でもいいとされ、魔術師の持つ杖や魔導書といったものがその代表例だ。剣でもナイフでも、その辺の石ころでもいい。とにかく、魔力の増幅装置として機能する触媒として運用するには、それらを教会に持って行って祈祷を施すか、あるいは自分でそういった処置を行う必要がある。
つまり何が言いたいかと言うと、現時点で習得した魔術の発動に問題はないが、ここから更に上を目指すならば触媒の入手は避けては通れない、というわけだ。
触媒か……触媒ねぇ、何にしようか?
その辺に鉄パイプとか転がってるし、これにする……? いやいや、でもさ、後々大技をカッコよくキメたりとかイキったりする時にドヤ顔で鉄パイプ取り出して詠唱するのってのもどうよ……?
うーん、もうちょいマシなのにしようか……でもマシなのとなると杖とか魔導書とか、触媒に適した素材で造られてる剣や短剣になるわけなんだが、そういう代物はキリウの街中にある鍛冶屋でしか売ってないわけで……。
あー、コレまた父上の耳に入るやつだわ。そこからまたレギーナに怒りの矛先が向いて罵倒されるまでのコンボ確定してるやつだわコレ、どないしよ。
しかももしまた何かあったらレギーナはマジで奴隷商人に売り飛ばされかねない。嫌だよ俺、まだまだ若い自分の母親が奴隷商人に売られ、どこかの貴族か変態にあーんな事やこーんな事されるのは。
「……」
真顔で、足元に転がってるてる鉄パイプに手を伸ばす。微かに錆び付き、塗装も剥げたお粗末な代物だった。蒸気か工業用水でも通していたのか、壊れた圧力計とバルブがまだ残っている。
あーもう、コレでいいや。
とりあえず、ちゃんとした触媒が手に入るまでの繋ぎにこの鉄パイプを使わせてもらおう。いざという時は鈍器にもなるし、一石二鳥ですわ! お得ですわよ!!
などと自分の本心を騙して虚しくなりつつ、その辺の木箱に隠していた水銀入りの瓶を取り出す。
中学校の理科の授業でもちょっと学んだけどさ、水銀って思いのほか重いよね。こんな牛乳の瓶より一回り小さいサイズの容器に入ってるのに、ちょっとした重りみたいな重さがある。
高校は工業系の学校で殆どが専門教科だったから、水銀と実際に触れあったのはそれが最後だったけど。元気だったかい水銀?
ポケットに入っているチョークで床の上に魔法陣を描く。まず最初に円を描き、その中に六芒星、そして幾何学模様―――これは古代のイライナ公国の文字らしい―――を描いて、その中心に鉄パイプを置いた。
これで下準備は完了。後は触媒化の祈祷に使う素材の準備である。
さっき拾い上げた水銀の瓶の蓋を開け、骨の粉末を……あったあった。粉末そのものは用意できなかったけど、昨日の夕飯に出てきた鶏肉の骨をこっそり持ってきたやつがまだあった。
さっきの雷爪の直撃でまだ燃えている炎の中に、鶏肉の骨をくべた。チキンの焼ける美味しそうな匂いがして、ちょっとだけお腹が減る。炎の中でどんどん焦げていく骨を見つめながら床の上に座り、前世の世界で親の声よりも聴いたアニソンを口ずさみながら待つ事数分。パリッパリに焼けて水分がすっかり飛んだ熱々の骨を取り出して、その辺の石ころで叩き割り、ゆっくりと磨り潰した。
そうして出来上がった粉末をさっきの水銀の中に混ぜ、それを魔法陣のど真ん中でこれから触媒に生まれ変わろうとしている鉄パイプにぶっかける。
さて、これで準備は完了。触媒化の祈祷を始めるとしようか。
「Дёэй квэбмёй(神よ、我が信仰に応えよ)」
ノヴォシアの古い言葉で短く告げ、魔力を左手から放射する。手の甲に刻まれた魔法陣が仄かに光を放ったかと思いきや、それと連動しているかのように床の上の魔法陣も光を放ち始めた。バチバチと電撃が乱舞し、空気の焦げる臭いが地下通路の中に充満していった。
やがて―――光が消えた。
バーナーで炙られたかのような焦げ跡が刻まれた床の上に、何事もなかったかのように佇む鉄パイプ。恐る恐るそれを拾い上げてみると、手のひらに一瞬だけ痺れるような感覚が走り、顔をしかめる。
だが、本能的に何となく分かる―――触媒として生まれ変わった、一見すると何の変哲もない鉄パイプ。その辺のスクラップと一緒に捨てられていてもおかしくないそれが、自分にしっかりと”馴染む”ような感覚がするのだ。
まるで剣術の達人が、自分の戦い方に合致する理想的な剣を手に取ったかのように。
「……試してみるか」
魔術師の杖のように鉄パイプをくるりと回し、息を吐く。
右手に鉄パイプを持った状態で、左手を広げ前方へ突き出した。その状態で魔力を放射すると、手のひらの中で瞬く間に蒼い雷球が形成され始める。
その違いは、明瞭に分かった。
さっきよりも魔力変換と波形調整にかかった時間が短くなっている。
触媒とは魔力の増幅装置。獣人の持つ魔力を補う補助動力機関のようなものであると同時に、魔力変換と波形調整の一部を肩代わりしてくれる補助演算装置でもある。
それが、有るのと無いのではこんなにも違うのか。
FPSをやったことがある人なら分かる例えだが、『エイムアシストが有るか無いか』くらいの違いである。まあ、これに関してはプロの人ならエイムアシストすら邪魔になるのでオフにしているものだが……魔術もそうなのだろうか。
そんな事を考えつつ、雷球を放った。
つい数分前、雷爪の前にぶっ放した時よりも、その雷の球体のサイズは大きかった。2倍とまではいかないが、1.5倍から1.8倍くらいはあるだろうか。弾速も野球のボールを全力でぶん投げる程度のスピードから、発射された迫撃砲の砲弾みたいな、もはや目で追うのも困難なレベルまで上がっていて―――。
ドムンッ、という派手な爆音がスパークと共に荒れ狂い、地下通路の中に堆積していた埃が一気に舞い上がった。咳き込みながらも着弾した地点を確認し、その威力の違いに驚愕する。
捨て置かれていたスクラップの山を弾き飛ばす程度のものだったそれが―――乱雑に放置されていたスクラップの山、その一角を”消し飛ばして”いたのである。
「……はい?」
威力、違いすぎませんかね?
一応言っておくが、魔力量はさっきと変わっておりません。目測だけど威力に関しては5倍以上跳ね上がっているとみて良いだろう。
触媒の有無だけでこの違い―――しかも即席の触媒でこれである。もしこれがちゃんとした専用の触媒だったらと思うと、色んな意味でゾッとしてしまう。
道理で強力な魔術師が戦略兵器レベルの抑止力を持つわけだ……魔術の才能に恵まれた魔術師の存在は、国家にとって核ミサイルにも匹敵する戦略的価値がある。だから大国であればあるほど、優秀な魔術師の頭数を揃えて覇権を握ろうと躍起になっているのだ。
リガロフ家では長女のアナスタシアが魔術の才能に特に恵まれているとされ、聞き間違いでなければその適性はA+以上らしい……まさに雲の上の存在で、帝国としては喉から手が出るほど欲しい人材というわけだ。
彼女をダシにして没落したリガロフ家を再興しようという父上の努力には反吐が出る。お前は覇権を握るよりも先にチ〇〇(自主規制)でも握ってろってんだ。
というか、魔術師としての”素材”たる俺が適性も平凡で特に才能があるわけでもない、という中途半端なステータスだというのに、それでこの威力で適性Cなのだから魔術師というのは随分と高いレベルの技量を要求される世界だという事が窺い知れる。色々と闇が深そうな界隈ですなこれは。
さて、あんまり派手にやり過ぎて憲兵隊が飛んできても嫌なので今日はこのくらいにしよう。触媒(※鈍器兼用)の有無での威力の違いについても検証できたし、収穫は大きい。今年の野菜は豊作だべや婆さん。
出来立てほやほやの触媒(鉄パイプ)を肩に担ぎ、訓練場の中の後片付けを済ませる。後で火災になったら俺もスラムの人も困ると思うので、薄汚れたバケツで汲んできた水をぶっかけて火種の後始末も忘れない。ミカエル君の心は45%の気配りと50%の優しさで出来ています。農薬不使用、国産です。
というわけで火種の後始末も無事に済ませ、訓練場を後にする。階段をゆっくりと昇り、黴臭い地下から出た。訓練場と比較すると限りなく澄んだキリウの空気を肺一杯に吸い込んで、さあて帰るか、と屋敷に向かって歩き出そうとしたところで、小さな手が後ろから服の袖を引っ張ってきた。
振り向いてみると、そこに居たのはシマリスの獣人の子供だった。今日スラムを訪れた時にあげたお金でピロシキを買ったようで、それを両手で抱えもぐもぐしている。
「フョードルじゃん。どした?」
「ミカ姉、ちょっと話聞いてよ」
「俺男なんだが? お兄ちゃんと呼びなさいお兄ちゃんと」
「えー、ホント? ち〇〇んついてる?」
「ついとるわ」
「じゃあつまり男の娘って事?」
「ああ、男の子だ」
「そっか、男の娘なんだね」
「そうだよ男の子だよ」
かなりすれ違いを感じた。
ミカ君の最近の悩みの一つが容姿だったりする。ハクビシンの獣人として転生したのは良いんだが、男にしては体格が華奢で顔つきもレギーナ……おそらく母に似たおかげで、中性的というか女っぽい容姿なのだ。
まあ、いわゆる”男の娘”ってわけで。
だから頑張って男の服を着ていても”男装した美少女”と受け取られかねないのがちょっと悲しい。スラムで知り合ったこのフョードルに至っては『俺、大きくなったらミカ姉と結婚するんだ!』なんて目をキラキラさせながら言うもんだからなあこのケモショタめ、可愛いじゃないか。
「それよりどうした?」
「えっとさ、俺さっき見たんだ」
「何を」
「魔物だよ、魔物」
「アレか、斑模様の毒蛇」
「それはマムシ」
「東洋には馬肉を生で食べる習慣があってだな」
「それは馬刺し」
「あれだろ、鋳型を使って作る金属の……」
「それは鋳物。魔物だよ、ま・も・の!」
ボケに正確なツッコミを返してくれるフョードル、嫌いじゃない。大人になったら結婚も検討してやってもいい。検討な、検討。結局棚上げにして有耶無耶にするやつ。
「魔物ぉ? キリウの街中でか」
ノヴォシアに併合された国家の首都だっただけあって、キリウはかなり大きな街だ。ノヴォシアでも五本の指に入るくらいの規模の都市であり、広大な帝国の各地から行商人が集まるだけあって警備も厳重。憲兵隊の規模も大きい。
そんなガッチガチに防護されている都市のスラムとはいえ、魔物が住み着いただなんて考えられない……見間違いじゃねえか?
「街中ってか、この辺の地下水路でだよ。さっきピロシキを買った帰りにゴブリンが3体くらい……あっちの下水トンネルに入って行くの、見たんだ」
見間違いだろ、と思いながら首をかしげていると、フョードルは8歳の子供らしく地団太を踏みながら「見たんだ、間違いじゃないよ!」と憤る。
こうして親しい俺に話を持ち掛けた理由は、何となくわかる。
かつてのイライナ公国の首都キリウ、併合後も五指に入るほどの繁栄を堅持している街に魔物が入り込んでいるという話を憲兵隊にしても、信じてはもらえないだろう。騎士団や同じ憲兵隊、そして彼らに資金を提供している貴族ならまだしも、スラムに住むフョードルの話である。どうせ子供のいたずらか見間違い……憲兵の連中、その程度としか考えていないに違いない。
「でも憲兵の人、信じてくれなくて……」
「それで俺に」
「うん。ミカ姉、可愛いし強いから」
「よせやい照れるじゃん……って待て、俺弱いよ」
「えー、そうかなぁ? ミカ姉、喧嘩強いし……俺たちの事助けてくれるし、さっきもすっげー魔術使ってたし」
見られてた……。
「だから頼れるのミカ姉しかいないんだ、頼むよ。近くに魔物が潜んでるかもしれないなんて、怖くて怖くて……」
「わ、分かった分かった。何とかしてみるよ」
「ホント!? ありがとうミカ姉っ!!」
ぴょんっ、と大きくジャンプして胸元に飛び込んでくるフョードル。どさくさに紛れて胸板に顔を埋め、そのまま匂い嗅いでんのバレてるからなこのエロガキめ。
まあいい……何とかしてみよう。
力試しだ。
もっと親の声を聴け定期