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竜を討つは鋼鉄の星


 「それ」は列車の窓からも見えた。


 今まで感じた事もないほどの膨大な魔力と、明け方の空、空に登らんとする太陽の光をも遮ってしまうほどの猛烈な光。


 その中を、紅くけた一条の流星が突き抜けていくのを、俺とノンナは確かに見た。


 真っ赤に焼けていて、炎の尾を曳いて、周囲には火の粉とスパーク、それから後方には音速の壁を突破した際に生じた衝撃波の渦輪が2つ、いや3つ描かれている。


 放出されている魔力の、この神経がピリつくような特有の刺激でそれが雷属性だという事が分かる。


 たぶん、ミカ姉だ。


 あの人、いつもこういうトラブルの中心にいるから。


「きれい……」


 窓枠に手を置きながらその光景を見ていたノンナが、うっとりしたように呟いた。


 俺は多分、その光景を―――ミカ姉の一撃が、小さな獣の放った一撃が竜を打ち倒したその瞬間を、未来永劫忘れる事はないと思う。











 『その日、多くの者が歴史の目撃者となった。目の前で1人の英雄が産声を上げたのだ』



 

 イライナ第二公国キリウ大公護衛官主席 ルカ・パヴリチェンコ著『小さなミカ姉の話』より抜粋


















 ミカエルの放った一条の流星が、しかしゾンビズメイの手前―――巨竜の眼前、三重に浮かんだ光の輪によって阻まれた瞬間、それを見ていた全員が息を呑んだ。


 あの時と同じだ。攻城砲による砲撃の第二射が防がれ、頼みの切り札が役に立たぬ鉄の塊へと成り果てたあの瞬間を想起させる展開に、ミカエルという希望に全てを託していた冒険者たちが、砲兵たちが、そして血盟旅団の面々が絶望に身を躍らせる。


 渾身の一撃はゾンビズメイの緊急展開した三重の光の輪―――魔力防壁でガードされており、高圧の魔力と真っ向からぶつかり合い、激しい光とスパークを発したまま拮抗している状態だ。


 受け止められた―――もう後がない最後の一撃が無力化されつつあることに、部下たちの肩を借りて何とか立っているアナスタシアが唇を噛み締める。


「なぜだ、なぜあれだけの魔力を使った一撃で……!?」


 まさか電力が足りなかったのか、と疑念を抱きながら、同じようにその光景を目の当たりにして目を見開くパヴェルの方へ視線を向けた。どういう事だ、と詰問するような剣幕に、しかし同じような疑念を抱いていたパヴェルは唇を震わせながら言葉を紡いだ。


「いや……違う、威力は足りてるんだ……()()()()()()()


「どういう……ことだ?」


「二度目の死が目前に迫った事で、ゾンビズメイも想定以上の力を出しているんだ……!」


 今のゾンビズメイはアンデッドではなく、僅かながら確かな”生”を内包した歪な存在……それを殆ど想定していなかった結果がこれであった。


 ゾンビ化した存在でありながら、変異を繰り返すうちに”生”を抱き、生きているとも死んでいるとも言えない、生と死の狭間に立つ歪な存在となったゾンビズメイ。そんな彼が、目前にまで迫った二度目の死を前に恐怖し―――生への執着を戦うための力に変えたのだ。


 理論上はミカエルの一撃で、ゾンビズメイの魔力防壁も容易く貫徹できた筈だった。貫通力、破壊力共に超弩級戦艦の主砲に匹敵するレベルをマークするミカエルの”人力レールガン”。しかしそれを受け止めたのは、生への執着ゆえに自分のスペックを遥かに超えた力を発揮したゾンビズメイの魔力防壁だったのだ。


 ゾンビズメイが発揮した想定外の力……その()()()の分だけ、威力が足りていない。


「あと少し……あと少し威力が足りない……!」


「くっ……おい、発電機はもうないのか!?」


 口元に血を流した痕を生々しく残しながら、アナスタシアが部下に向かって叫ぶ。


「閣下、発電機はもう……!」


「近隣の発電所の電力も全部こっちに回してます。これ以上は……!」


 あの短時間の内に、生き残ったストレリツィの生存者たちやリガロフ家の私兵部隊、そして緊急出動してきたゲラビンスク憲兵隊は可能な限りの努力をした。街中の非常発電機をかき集め、乗り捨てられた車のエンジンも利用して電力を生み出し、近隣の発電所にも発電量のアップと発電継続を打診した。


 今のミカエルには非常用発電機91基、車両43台分の電力、それから火力発電所2ヵ所分の電力が集中している。十分すぎる電力量だが、しかしそれでもゾンビズメイの防御を突き崩すには至らない。


 万事休す―――そんな言葉が、アナスタシアとパヴェルの脳裏に浮かんだ。


 撃てる手はもう全て打った。


 投入できる戦力は全て投入した。


 リガロフ家の末っ子が命を投げ打つ覚悟で乾坤一擲けんこんいってき、渾身の一撃で勝負に出て、それを守るために最強の長女も力を使い果たした。


 これ以上、何が必要だというのか。


 神はここで、竜を前にヒトの子に滅びよとでも告げているのか。


「……ヴォロディミル」


「……はい、閣下」


「負傷兵と若い兵士には撤退を命じろ」


「……しかしそれは」


 分かっている、そんな事がほんの僅かな延命措置にしかならないという事くらいは。


 ここでダメならば、後はもう何をやってもダメなのだ。いくら帝国が虎の子の対消滅爆弾で飽和攻撃をかけたところで、そして自慢の騎士団の主力部隊を投じたところで、もうあの怪物は止められない。


 伝承に名高いズメイ(ズミー)襲来時……いや、下手をすれば当時以上の損害が出るのは間違いない。下手をすれば人類はゾンビズメイ相手に打つ手が無くなり、大地を闊歩する怪獣の如き竜に怯えながら暮らす事を余儀なくされる。


 そして最悪の場合、人類の歴史はそこで潰える……。


 命令だ、と悲壮な覚悟を胸に命じようとしたその時だった。


 ぽつ、と頬に冷たい雫が降りかかる。


(雨……?)


 血まみれの顔を上げ、空を仰いだ。


 いつの間にかあんなに明るかった朝の空は、分厚い雲に遮られつつある。段々とゲラビンスク上空を埋め尽くしつつある雲の切れ間では時折、紫色の光が何度か瞬いて、自然の驚異を眼下の人間たちに指し示していた。


(ああ、そういえば今日のゲラビンスクは雨だったか)


 出撃前に聞いたラジオ放送の内容を思い出している間に、雨はどんどん勢いを増していった。


 足元の地面が、猛攻の末に崩れた石畳が、暗い斑模様を描いたかと思いきやあっという間にその表面を雨水が濡らしていく。


 天にすら見放されたか、とアナスタシアは視線を足元の地面に向ける。


 太陽は隠れた―――この雨は、これから訪れるであろう暗黒の時代を暗示しているようにも思え、アナスタシアは無念さを胸中に募らせる。


 上には上がいる、という言葉は何度も耳にした。つまり世界のどこかには、アナスタシアですら叶わない相手がいるという事であり、自分が頂点であるという事は絶対にないものだと肝に銘じていた。


 しかし、この力の差はあんまりではないか。いくら何でも絶望的過ぎはしないか。


 こんな完全敗北を記憶に焼き付けたままヴァルハラへと旅立てと神は告げているのか―――残酷極まりない運命を突きつける神に、幾分かの恨みを抱いたその時だった。


 ゴゴゴ、と雲の中で唸るような音が聴こえたかと思いきや―――閃光が、大地を射抜いたのである。


 落雷だ、と理解したのは、光った直後に生じた雷鳴を聞いてからだった。幼少の頃、エカテリーナとマカールは雷の音を怖がっていたな、と昔の事を思い出すが、しかしそれはいわゆる走馬灯などではない。


 第一、そんな昔の記憶に悠長に思いを馳せている場合でもなかった。


 今しがた落下した一条の雷光―――すぐ近くに落ちた雷がその落着地点に選んだのは、よりにもよってミカエルの真上だったのである。


「ミカ……!」


「……!!」


 推定電流値、約20万アンペア。


 レールガンのためにつぎ込んだ電力を鼻で笑うほどの量の電流が、一瞬でミカの小さな身体へと流れ込んだ。


 いくら電力を魔力に変換する訓練を積んだミカエルとはいえ、瞬間的にそれほどの電流を流されれば無事では済むまい―――魔力変換が追い付かないか、追い付いたとしても許容量を突破するほどの魔力に肉体が耐えられなくなるか。


 最悪の結果を想定したアナスタシアとパヴェル。周囲でその顛末を、生き残ったストレリツィの隊員たちや砲兵隊の生き残りも固唾を呑んで見守る。


 誰もが、ミカエルが黒焦げになっているという最悪の結果を思い浮かべた。


 しかしそれを、さらに膨れ上がった暴力的な魔力量が覆す。


「―――!」


 ドン、と空気が震えた。


 舞い上がる土煙が衝撃波のようなもので吹き飛び―――その向こうに露になった弟の姿に、アナスタシアは息を呑んだ。


 爆心地グラウンド・セロに立つミカエルの身体に、無理が祟った結果の出血こそ認められたものの、それ以外の負傷は確認できない。


 そしてそこに立つミカエルは―――今までの蒼い電撃とは全く異なる、黄金に輝くいかずちを纏っていた。


 それだけではない。


 ハクビシンの獣人特有の、黒髪と部分的に白い頭髪。前髪の一部と眉毛、睫毛といった白い部分が黄金に輝き、眩しい光を放っているのである。


 姉弟の中で最も小さく、最も弱く、そして親からは最も軽んじられていたリガロフ家の庶子。


 しかし今に限って―――その背中は、これ以上ないほど大きく見えた。


 それはまさに、英雄の後ろ姿だった。


 幼少の頃に見聞きし心を躍らせた、遥か昔の英雄たちの物語。


 その再演を見せつけられているようで―――アナスタシアの心は今、あの頃のように打ち震えていた。


















 天が味方した―――それだけは、何となくだが分かった。


 先ほどまで快晴だった明け方の空。朝日が昇る空がいつの間にか分厚い雷雲に遮られ、太陽は覆い隠され、断片的な稲光が生じる暗黒の空。


 そこから落ちてきた一条の雷が、俺に力を与えてくれた。


 急激に増大する魔力変換量。そのあまりにも急すぎる変化に身体が悲鳴を上げ、全身のいたるところで異常が生じた。変換の追い付かない電撃に筋肉が痙攣し、脈は乱れに乱れ、毛細血管は万力で潰されるように断裂していく。


 悲鳴を上げようにも、声を発する事も出来なかった。


 ただただ圧倒された。


 自然の生み出す力に。


 人工的な再現では決して届かぬ、神が作りたもうた大自然の奇跡に。


 押し流されそうになる意識を、しかし肩に感じた大きな手の感触が散逸の寸前で繋ぎとめる。


 後ろに、オークが居た。


 人を襲い、喰らう恐ろしい魔物―――しかし俺には分かる。このオークは敵ではない。確かに姿形は恐ろしい魔物であれど、その肉体の内に宿る魂は心優しい少年のものなのだ。


 そう、ヴァシリーだった。


 彼は言葉を何も発さなかった。死者とはそうなのだろうか。みんな寡黙で、目線で、あるいは行動で意思を示そうとするものなのだろうか。


 けれども、言葉はなくとも彼の伝えたい事は分かる。


 「負けるな」と言っている。


 ああ、そうだ。負けられない。


 天国で眠る友人のためにも。


 仲間や家族たちの未来のためにも。


 歯を食いしばり、全身に力を込めた。荒ぶる波濤はとうのような電流を魔力に変換、それを放射してさらに強力な磁界を形成し、魔力防壁でがっちりと受け止められている特殊砲弾を後方からさらに押し込む。


 そこから先はもう、力比べだった。


 俺の肉体が先に潰れるか。


 それともゾンビズメイの防御が崩れるか。


 生きる意志と生きる意志、真っ向からのぶつかり合い。


 バキ、とガラスが割れるような音が聴こえた。


 魔力防壁へと弾頭をめり込ませた特殊砲弾が前進、第一の防御を食い破って第二の魔力防壁へとぶち当たる。


 そこから先はすぐだった。二枚目の防御も薄氷を突き破るようにぶち抜いて、最後の1枚へと激突する。


『ギャォォォォォォォォォォォ!!!』


 もう後がないゾンビズメイが吼え、魔力を更に放射した。


 ぐんっ、と前方から押し返される感触を覚える。突き出している両腕に急激な負荷がかかり、腕の中で血管がいくつか断裂した。


 じわりと内出血の紅い模様が広がっていくが、今更そんな事はどうでもいい。


 大地を踏み締める足に力を込め、身体中の魔力全てを放出する勢いで魔力を全力放射。


 メキ、と亀裂が生じる音がゲラビンスクの街に響く。


 それは最後の盾が砕け、敗れ去る音。


 そしてダイヤモンドダストの如く煌めく魔力の光の中を、真っ赤に灼けた一発の砲弾が流星さながらに突き抜けていく。


 ドムンッ、と重々しい音が響いた。


 砲弾がゾンビズメイの胸板を直撃、弾頭部に充填されていた泉の水(とはいえもう蒸気になっていただろうが)をぶちまける。泉の水の作用で再生を阻害されたゾンビズメイにもはや打つ手はなく、胸元の一番分厚い外殻をぶち抜いた砲弾は、エンシェントドラゴンの守りを突き崩してもなお持て余していた運動エネルギーで胸筋、胸骨、内臓、背骨と次々にゾンビズメイの肉体を貫徹。やがて桜色の結晶が何本も突き出たその背中を食い破るや、まだ物足りぬと言わんばかりに天を射抜いた。


 ゲラビンスクの空を覆い尽くしていた雷雲に巨大な穴が開く。推定直系2㎞にも及ぶ巨大な空の穴。そこから覗いた青空と太陽の光が、今まさに崩れ去ろうとするゾンビズメイの巨体を照らし出した。


 どろり、と肉体が崩壊を始めるゾンビズメイ。外殻の繋ぎ目から桜色の光を発しながら、全長121mの巨体が崩れていく。


 首が落ち、外殻が剥がれ、溶けた内臓や骨が石畳の上を覆い尽くした。


 無数の砲弾やミサイル、機関砲に対消滅爆弾まで受けた驚異の大怪獣は―――これだけの対価を費やして、やっとあるべき姿へと戻っていく。


 死者は死者に。


 呼吸を整えながら、俺は血まみれの拳を天に突き上げた。


 見てるか、ヴァシリー。


 今にも途切れそうになる呼吸の中、にっ、と笑みを浮かべてみせる。


 そして心の中で告げるのだ。


 「俺、やったよ」と。


 仲間たちが俺の名前を呼びながら駆け寄ってくる。


 しかしそんな彼らに応える余裕はすでになく―――地面が迫ってくる光景を最後に、俺は意識を手放した。

















「まーまっ、まーまっ」


「え……何かしらアレ。流れ星?」


 その紅い輝きは、遠く離れたアレーサの街からも確認できた。


 パヴリチェンコ家の東側にある、小さな窓の向こう。


 いつもは雄大な黒海と、アルミヤ半島の巨大な島影がうっすらと見えるその窓の向こうに、今日ばかりは紅く輝く流星のようなものが天へと昇っていくのが見えた。


 見た事もない光景に目を丸くする祖母のカタリナと母のレギーナ。


 しかしそんな2人の傍らで、愛娘のサリエルは無邪気な笑みを浮かべながら、まだ小さな手をパタパタと振って兄の勝利を喜んだ。


「きゃはっ♪ にーにっ、にー♪」


 


 レギーナたちがこの真相を知るのは、随分と後の事である。




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― 新着の感想 ―
[良い点] とうとう…これまで支払った犠牲の、友人であるヴァシリーの仇を討ち果たしましたねえ。ミカエル君。ゾンビ化した一部とは言えほぼ本体レベルに復活したゾンビズミーを、対消滅爆弾さえ吸収した化け物を…
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